第5話 見知らぬ幼なじみ
「ええっと……旦那様のお知り合いですか?」
こそこそと宿屋の主人に聞くが、彼はしきりに首を傾げており、知り合いではないようだ。女将の方に視線を向けると、彼女も首を横に振った。
「ええっと、どちら様でしたかね……?」
ここは本人に聞くのが一番手っ取り早いだろう。ヴィクトリアはそっと男に近付いて声を潜ませた。
「……俺だ」
「おれさま?」
「昨日、森で会っただろう?」
そんな牧歌的な出会いがあっただろうか。
そういえば、森の中でグリズリーかなにかに遭遇して襲われそうになったらどうしよう、きっと通りかがりの狩人が助けてくれる、そうしたらふたりは恋に落ちて……なんて妄想はしたことがあった。
「えっと、狩人の……」
「違う」
ヴィクトリアの言動などまるで意に介さず、男は更に続ける。
「俺はヴィクトリアの幼馴染みだ。大切な幼馴染みをよくも分からない場所に行かせるわけにはいかない」
「ああ……」
それで分かった。彼は昨日会った殺し屋さんだ。
どうして分からなかったかといえば、彼の容姿が思っていたのとまるで違っていたからだ。もっと年嵩を増した、鋭い目つきの職人のような者を想像していた。
(どうして、こんな一見して好青年が殺し屋なんてやっているの??)
見た目と中身のギャップを頭の中で埋めることができず、ただぼうっと彼のことを見てしまう。しかも、幼馴染みの真似をすると言ったのは本気だったのだ。
「ここに恐れ多くも国王陛下の命令書がある。我が娘ヴィクトリアを連れて帰れ、と書かれており、陛下のサインもあるものだ。これで信用できるだろう?」
「そんなもの、いくらでも偽造できるだろう? 信用ならない」
「では、表の馬車はどうだ? 王族の紋章が入った馬車だ」
「そんなものもいくらでも用意できるだろう? だいたい、急にやって来て国王の使いだと言われても信用なるものか。そんな者たちに大切な幼馴染みを預けるわけにはいかない」
あんな豪奢な馬車、いくらでも用意はできないとは思う。それに、大切な幼馴染みって。思わず噴き出しそうになってしまう。
「ヴィクトリア、あの、幼馴染みと言うのは……」
宿屋の主人が手を口許に当てつつこっそりと聞いてくる。ヴィクトリアの知り合いの中にあんな者がいたのか、と必死に記憶を辿っているようだった。
「ええっと、前に住んでいた町で仲がよかったの。昨日、偶然町中で再会して、今日はふたりでピクニックをする予定になっていたんだけれど、こんな事態になっていて驚いて、というところじゃないかしら?」
「おおっ、ヴィクトリアにそんないい人が! しかもピクニックの約束だなんて。これは恋の予感じゃないのかい?」
「あっ、やっぱりそう思われちゃいます? 困っちゃうなあ」
そんなこそこそ話を聞きつけたのか、殺し屋さんはヴィクトリアの向こう臑を軽く蹴飛ばした。なんとも暴力的な幼馴染み(自称)である。
「とにかく、ヴィクトリアを連れて行くと言うのならば俺も一緒に行こう。彼女をひとりでよくも分からない場所へはやれない」
殺し屋さんは偉そうに腕を組みつつ言う。そんな言葉を吐きながら恋の予感を否定するのはなにごとなのだろう、もちろん嘘だとは知っているが。
当然のことながら使者は苦い顔だ。
「俺が一緒でないとお前も嫌だろう、ヴィクトリア?」
「え……? 別に全然そんなことは……むしろ、一緒に付いて来られたら邪魔っていうか」
「ん? なんだって?」
殺し屋の本性を現したように睨まれて、昨日の悪夢が蘇る。
そうだ、確かにその瞳はあの殺し屋さんの瞳だ。ここでヴィクトリアが断ったら今夜にでも寝首をかぎに来るような迫力に満ちている。
「いえ、なんでもありません。……ああ、ころし……あなたが一緒に来てくれるなら安心だわ。というかむしろ、そうではないと見知らぬ人達と一緒に行く気になんてなれないわ」
なんという棒読み、我ながらなんて演技力のなさかと思うが、皆『それならば仕方がないなあ』的な顔になっているのが不思議で仕方がない。
「そうだねぇ、ヴィクトリアちゃんはうちの大切な従業員だ。ひとりでやるよりも誰かと一緒に行かせた方が安心だ」
女将はそう言うが、大切にされた覚えなどまるでない。昨日だって、人がいない寂しい森にヴィクトリアをひとりで使いに出したのは女将だった。
「まあ、そうだなあ。今まで大切に預かってきた娘さんだ。いくら国王陛下のご命令とはいえ、簡単にお預けするわけにはいかない。だが、まあ、この強そうでしっかりしてそうな友人が一緒に行ってくれると言うのならば考えてもいいな」
普段はずぼらを絵に描いたような主人までそんな慎重っぽい言葉を吐き出してきた。しかも信用できるかどうかも分からないはずの、初対面の幼馴染みに全てを任せる的なことを言っている。適当な夫婦だな、と知っていたけれどとため息も漏れない。
「そういうことだ、決まったな」
殺し屋さんは強引に言うが、使者はまだ納得がいかないという顔をしている。それから、しばらく待つように言われて一旦外に出て、しばらくしてから戻って来た。使者達の間で話し合いでも持たれたのであろうか。
「そこまで言われるならば仕方がない、同行を許そう。なにより、国王陛下は早くにヴィクトリア様にお会いしたいとご所望だ」
ヴィクトリアの身元を調べるのに半年もかけずにもっとさっさと進めればそんなことにならなかったのにと思う。
そう、彼らがもっと急いでいたら昨日殺し屋さんに遭遇することもなかったはずだ。そうしたら彼らも国王の娘の幼馴染み……を名乗る男なんて面倒くさい者を連れていかなくても済んだはずだ。
(じゃあ、自業自得ということでいいかしらね)
そうしてヴィクトリアはすぐに出発する準備を整えるように言われ、一旦部屋に戻って荷物をまとめた。あまり時間がかかるようなことはなかった。持ち物なんてほとんどなかったからだ。
そうして外へ出ると、待ち構えていたかのようにわあっと人が集まってきた。
「ヴィクトリアちゃん……!」
「お姉ちゃん!」
「姉御……!」
友人知人、舎弟を問わずにヴィクトリアの周りに人々が集まってくる。中には、あれ、誰だっけという者も知り合いヅラして混じっているけれど。
「まさかヴィクトリアが王女様だったなんて! いえ、ずっと気品のある子だなって思っていたのよ! 嘘じゃないわ」
かつてヴィクトリアを親なし子だと罵り、それが原因で掴み合いの大げんかをした挙げ句に仲良くなった友が言う。まったく信用ならない。
「あー、ヴィクトリア、覚えているわよね? 私よ、私! この前……と言っても二年ほど前だけれど、あなたが通りでりんごを派手に落とした時に拾ってあげたのを覚えている? その恩、きっと覚えておいてね。私がなにかあったときにはきっと……」
「ああっ、それを言うなら俺はお前が道ばたで転んだときに手を貸してやったな? その恩を……」
「なにを言っているんだい、みんなそんな些細なことでずうずうしいねぇ! 私はねえ、この子が怪我をしたときに特製の薬草を売ってやったんだ!」
みんな、素直すぎて拳が……いや、涙が出そうだった。ここまであからさまにされるとかえって嫌な気持ちはしないものだから不思議だ。しかも、最後の薬草を売ってやったは普通に商売しただけだろう、もちろんお金は取られたわけだし。みんなどうも混乱しているようだった。
「あー……はいはい。みんな元気でね。私も向こうで適当にがんばるわ」
「適当にがんばれたらいいけどねぇ」
「すぐにこちらでは手に負えないと追い返されるんじゃないかねぇ?」
年を召したお姉様たちの言葉は的を射ているかもしれない。
「まあ、辛くなったらいつでも戻っておいでよ」
「仕事なら、まあまあそれなりにあるから」
そんな言葉がなにより温かい。
人々に見守られながら馬車に乗り込もう、としたところで思い出して、荷物だけを馬車に載せてから振り返る。
「そうだわ、旦那さま」
そうして人垣を掻き分けて宿屋の主人のところへと進み出た。
周囲の者が固唾を呑んで見守っている。
きっと、今までお世話になりましたとか殊勝な言葉が出てくるのだろう、と思われている気がするが、残念ながらそんなことではない。
「今月分のお給料、当然もらえますよね?」
ヴィクトリアが差し出した手を、主人はぺしっと叩いた。
「なにを言っているんですか、ヴィクトリア様。あなたは尊い身分になられたのですよ? 庶民のちんけな給料なんて」
「それとこれとは話が別よ。払うものはさっさと払っていただけませんかね?」
「はっはっは! 冗談がキツいなあ、ヴィクトリア様は!」
「餞別として色付けてもらってもいいくらいだわ。さあ、さっさと支払って? 皆さんをお待たせしては悪いでしょう」
「そうだ! 皆さんをこれ以上待たせては悪い! 金は後からいくらでも送ってやるから、さっさと出掛けるがいい」
「信用できないわ! 今すぐちょうだい、さあ!」
そんなくだらないやりとりをしているうちに、使者がやって来てまあまあとふたりをおさめ、結局給料を受け取らずに出発する流れになってしまった。
そうして、集まって来ていた町の人達に盛大に見送られ、ヴィクトリアは王城へ赴くことになったのだった。