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2-1 リイのリュート

 僕は耳が良い。

 どんな小さな音でも拾うし、どれほど遠い場所の音でも拾おうと思えば拾える。

 特に、リイの音には絶対的な自信を持っている。




 春を間近にしたその日、普段なら家業の手伝いに出ているはずの時間帯に、リイは丘の上でリュートを弾いていた。

 しかし、何かが違う。

 音に張りがないし、音そのものがいつもと違う。

 坂を上りながら僕は首をひねった。


「やあ。こんな時間に珍しいね」

「あら? ここにいるってよく分かったわね」


 曲が終わったタイミングで声をかけると、いつもどおりの朗らかな笑顔が返る。

 すかさず手元を覗き込めば、僕の視線に気付いたリイは顔を曇らせた。

 腕の中、ネックの先端をリイの左肩に預けたリュートは、あの国宝級の両親の形見ではない。

 明らかに保存状態が悪く、黒ずんだ木目も痛々しい安物である。

 どうしたのかと問いかける前に、リイは口を開いた。


「ずっと放置されていた子だから泣き方がよく分からないのよ。もう少し時間があれば、ちゃんと教えてあげられるんだけど……」


 リイには時間がない。

 悪しき慣習が実行されるまで、残り半月。

 奪われる自分の命よりも本来の響きを取り戻せない楽器を憐れんで、リイは眼差しを落とす。


 ――言うべきことはそれだけ?


 僕が聞きたいのはそんな戯れ言ではない。

 あまり追及されたくないのだろう。リイは味気ない透かし彫りの共鳴孔を見ながら、指先でゆっくりとボディをなぞった。


「ねえ、リイ……」

「レイアとね、リュートを交換したの。この子はレイアが使っていたのよ」


 僕は、改めて楽器を見下ろした。

 レイアとは、例の、商売は全て番頭任せで遊び呆けてばかりの、糞みたいな叔父の一人娘だ。

 薄々予感はしていたが、わずか半月をあの男は待てなかったのだ。


 ――使っていた? ふうん、あの時のリュートか。


 長く使われていなかったことは、リュート自身が音で証明している。

 何より、ずっと放置されていた子だとリイも言ったばかりだ。レイアにしろ誰にしろ、使われていたならばもう少し音が鳴る。


「レイアがリュートを弾くなんて初めて聞いたよ」

「そう? 確か、子供の頃から弾いていたはずだけど」 

 

 あの男が、幼い娘にリュートを弾かせようとして挫折したことを僕は知っている。

 リイの温もりに安堵していそうなこのリュートは、プライドだけは高いくせに碌に働きもしない叔父が、後ろ暗い金をはたいて娘に買い与えたものだ。

 姉夫婦と張り合った形なわけだが、レイアには努力でカバーできないほどに才能がなく、壁を越える気概も全く持ち合わせていなかった。


「リイのリュートはご両親の形見でしょ? それを、あげてしまったの?」

「レイアがね、私との思い出の品がほしいんですって。いつまでも、仲良しだったことを覚えていられるように」

「と、言ったのは誰?」

「……叔父様」


 ――はっ、愚か者め。


 あの男はもちろんだが、僕はリイのことも散々にこき下ろした。

 大人しいと言えば聞こえは良いが、レイアは父親の陰に隠れて計算を練るだけの小狡い娘だ。そんな二人の仲が良かったことなど一度もない。

 金に目がくらんで持ちかけられた嘘だと百も承知だろうに、唯々諾々と従う神経が僕には理解できなかった。


「どうせ、私はもうすぐ弾けなくなるから。次の家族に望んでもらえる内にお別れした方が、あの子は幸せなんじゃないかと思ったの」


 声には後悔が滲む。

 自分を納得させようとして、我慢しているのが明らかだった。


 ――本当に、救いようのない馬鹿娘だな。


 僕は、リイの頭に手のひらを置いて、ぽんぽんぽんと軽く叩いた。

 最後に、触り心地の良いカーブを描く後頭部をするりと撫で下ろす。


「……嫌なら、嫌って言えば良かったんだよ」


 なぜか、僕の方こそ未練がましく言ってしまった。

 ふくれっ面なのも意図したことではない。

 それを見たリイに苦笑されて、僕はますます仏頂面になる。


「そんな顔しないで。せっかくの美少年が台無しよ」

「……もう少年っていう年じゃないでしょ」

「いいのよ。私にとっては、ずっと優しい美少年のままだもの」


 祖父を失って以降、僕以外の誰かに心を開く機会がなかったリイ。甘えるのも甘えさせるのも、頼るのも頼られるのも全部僕。

 僕が別格なのは、いずれ街を離れる旅人だからだ。

 リイを簡単に売ったこの街にリイの居場所はない。幼子には残酷なその事実を、リイは始めから知っていた。


「この子もね、愛情をたくさんかけてあげれば返してくれるわ。だから、私は大丈夫」


 大丈夫。


 ――そんな言葉で、僕を遠ざけられると思ってるの?


 リイが信じるのは音楽だけ。

 僕にさえ、思い出したように距離を置こうとすることがある。

 そんな時、僕はいつも強引に腕を掴んだ。


 僕は、いつも。

 君の晴れやかな音楽が聴きたい。

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