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1-1 「魔王の花嫁」になる?

 その瞬間、ランチタイムで賑わう広場の喧騒が静寂に沈んだ。

 少なくとも、僕の耳にはそう聞こえた。


「ごめん、なんて言ったの?」


 僕の向かいでは、やたらと整った造作の若い娘が艶やかな黒い瞳をしばたたかせている。

 二人して同じように首を傾げながら、もう一度さっきのやりとりを繰り返した。


「だから、私、「魔王の花嫁」になるんですって」

「うん?」

「まおう、の、はなよめ!」


 鼻息荒く長い三つ編みを揺らすのは、リエナ、十七歳。

 聡い子供だと思っていたのに、基礎学校も卒業したのに、長じてこんなことを言い出すようになるとは本当に恐ろしい。




 あれから七年、リイはちゃんと大きくなった。

 この街では珍しい黒髪を相も変わらずきつく編み込み、化粧っ気もなく、年の割に地味な色合いのワンピースを着ている。

 そんな格好をしていても人形のような顔立ちは否応なく目立つ。

 年頃の男共から寄せられる絶大な人気も、知らぬは本人ばかりなりだ。


「リイ、分かって言ってる? 魔王ってあの魔王のこと?」

「あの魔王以外に魔王様がいるの?」

「さあ? 僕が聞いてるんだけど?」


 だからね、と身を乗り出して、噛んで含めるようにリイは三度繰り返した。


「百年に一度くらいの割合で「魔王の花嫁」を選ぶらしいんだけど、それに、私が選ばれたらしいの」

「なにそれ……」


 百年に一度くらいって何だとか、魔王って誰だとか、そもそも誰が選ぶんだとか胡散臭さに鼻白む僕と違って、「らしい」を連発したリイは満面の笑みを浮かべている。

 身に余る栄誉とでも言うように。


「ねえ、ちょっと落ち着こうかリエナさん」


 魔王だよ、魔王なんだよと冷静な判断を求めたところで聞いてはいない。

 「魔王の花嫁」とは、そんなに手放しで喜べる役回りなのか。僕には想像もつかないのだが。


「文字どおり、魔王様のお嫁さんになるって聞いたわ。美しいドレスを着て、花で飾られた輿に乗って街をパレードするんですって」


 うっとりしているのは、乙女の好物が散りばめられた妄想のせいだ。

 気は進まないけれど、これでは話も進まない。

 僕は仕方なく、リイのお花畑にずかずかと踏み込んだ。


「城壁のこっち側に魔物は入って来れないんじゃなかった? 魔王なんて魔物たちのトップでしょ? どうやって結婚するの?」


 魔王とやらが、本当に魔を統べる王のことならば。


 街の外周を囲む大人の背丈より高い城壁は、実は魔物除けとして作られたものだ。

 そこには、冬の長いロンバルトならではの事情がある。

 冬は魔物の季節。

 しかし、この国の民に魔と戦う力はない。

 伝承によれば、王族に受け継がれる血には魔力が流れており、その力をもって王は民を守るのだそうだ。

 ところが、ロンバルトは最北の地。時代を遡れば王家に仇をなした蛮族の地。王の加護は到底届かず、我が身は自分で守らなければならない。

 魔術の気配もないただの城壁にどれほどの効果があるのか。言いたいことは山のようにあるが、とにかく、そういう理由で、街の平和は守られていた。

 

 異種族婚の可否の前にそんな基本中の基本さえ頭になかったリイは、僕の疑問にしばし動きを止めた。


「そうよね。じゃあ、パレードは私だけでやるのかしら?」

「……だろうね」


 何かを言う気も失せる。

 椅子の背に体重を預けるように、僕はそっと身を引いた。


「お嫁に行くんだもの、城壁の向こうに出るのよね。どんな人かしら。どんな所で暮らすのかしら」

「さあ?」

「それより言葉が通じるかどうか……。ああそうだわ、お料理も勉強し直さなきゃね。でも待って、私、狩りたてほやほやの獣の捌き方は知らないわ。魔王の嫁としてこれは駄目?」

「さあね」


 もうっと、子供っぽくも愛らしく、リイは唇を尖らせた。


 ――そんな仕草で僕が絆されると思うなよ。




 丘の上に現れなくなった小さなリイは、僕と出会う一年前に両親を亡くしていた。そして、あの春の日、親代わりの祖父まで帰らぬ人となった。


 リイの母親はロンバルトでは名の知れた大店の娘だ。平民の普段着から領主の正装まで手広く手掛けるその店は、たくさんのデザイナーや針子を抱え、大通りの一番良い場所に店を構えている。

 祖父の死後は、亡き母親の弟が店を継いだ。

 しかし、この叔父が曲者で、父親との折り合いが悪く家業とも距離を置き、大っぴらにできない手段で金を稼いでは生活を繋いでいたのだ。

 店の方は優秀な番頭が切り盛りし、家事をこなす下働きも大勢いる。

 妻と、リイと同い年の娘との貧乏な暮らしから一転して大金を手に入れた叔父は、店舗上階の新しい自宅に越してくるや否や本性を現した。

 その日を境に、幼いリイは、丘の上どころか基礎学校にも通えなくなってしまったのだ。

 リイが当たり前に着ていた色とりどりの服は全て取り上げられ、三度の食事もまともに与えられず、埃まみれで掃除洗濯に追われる日々。


 そんなリイを救ったのは、どこからともなく流れた人の噂だった。


『新しい店主は、我が子可愛さに先代の孫娘まで奴隷扱いする人でなし』


 悪評は店の売上に直結する。

 叔父に引き取られて一年後、リイは、遅ればせながら基礎学校の二年生に進級した。




 今に至るまでの経緯をすべからく僕が把握しているのは、当の僕がロンバルトに居着いてしまったからだ。

 当時、叔父にこき使われるリイとは何度か会った。

 リュートを弾くことも許されない状況で、それでもリイは、大丈夫だと明るく笑っていた。楽器は自主的に隠したらしく、まだ取り上げられていないとも自慢気に言った。


 ――リイから、いや、僕からリイの音楽を取り上げるとは命知らずにもほどがある。


 いつかの報復を胸に刻んで、リイの才能が潰されないことだけを祈った。

 そうして願いは叶ったわけだが。

 果たして。

 僕を虜にした奏者はこんなに馬鹿な娘だっただろうか。

 僕はもう、無情な時の流れに物申したい。


「食生活の違いは難しいところよね。魔王様だもの、お肉は生肉に限るなんて言われたら……」

「リイ、そろそろ時間だよ」

「あ、いけない!」


 付き合うのも面倒な話題をぶった切ると、次の予定を思い出したリイが慌てて立ち上がった。ワンピースに落ちたパン屑をはたき、きりりと表情を変える。

 隣に置いていたリュートの包みを抱けば、誰もが振り向く美少女の完成だ。


 ――「魔王の花嫁」ねえ。


 処置なしの小娘にどう対処するべきか、リイの隣を歩きながら僕は悩んだ。

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