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0-1 最北の街、音楽の都

 僕は旅をしていた。


『美しい音に触れたければ雪解けを待て』


 そんな噂話を信じたわけじゃないが、いくつもの町を巡り迎えた何度目かの春、この街をぐるりと囲む高い城壁をくぐった。


『最北の街ロンバルトは音楽の都』


 噂どおり、住民はこぞって楽器を構え、街のそこかしこに絶えず音が響いている。

 その光景は一種独特。

 不思議というより異様と表現したい気持ちが勝る、不気味な雰囲気を醸し出している。

 音楽の都とはそういう意味だったのかと、自分の理解不足を痛感した。


 冬の名残が色濃く残る街角に、美しい音なんて期待してはいけなかったのだ。




 この島が今の王家に統一されて約三百年。それ以前には島の覇権を巡る大きな戦争があって、少なくない人間と少なくない自然を失った。

 ロンバルトの街は、その際に滅ぼされた亡国の都だ。

 領主であるロンバルト侯爵は旧王家の末裔で、その存在感は領主というより王と呼ぶ方が相応しい。

 亡国の王が支配するいにしえの街。

 ここは、島の最北端という厳しい立地条件とも相まって、陰気で閉鎖的で息苦しい。




 街の中心部を外れると、沿道の建物や出歩く人の姿がぐんと減った。それなのに、楽器の音はしぶとく僕を追いかける。


 ――ああうるさい。消えてしまえ。


 曲はどれも三拍子だ。

 だからといって、ワルツを踊る煌びやかさやメヌエットを踊る優雅さはない、欠片もない、湿っぽい旋律ばかりだった。

 しかも、大多数の人間が横笛を使う。

 高くか細い鳴き声がひょろひょろと響く様は、どうやっても死者の弔いにしか聴こえない。


 ――奏者の腕がこの程度じゃ死者も浮かばれないって。


 街を出る前にせめて何かないものか。

 悩んでいたところで、街の西側にある丘の上からの景色がまあまあ良かったと、似たような悩みを抱えた旅人から情報を得た。

 僕と同じく笛の音に辟易していた旅人だから、あながち過大評価ではないだろう。

 まあまあ良い景色とやらを見た後は次の町に行こうと、大した期待もなく単調な道を進む。

 そして、なだらかな上り坂に差し掛かった頃。

 死にそうな鳥の声とは全く異なる優しい音色が、うっすらと耳に飛び込んだ。




 歩くほどに近付く音の正体は弦楽器。その柔らかな響きから、楽器はリュートに違いない。


 ――『春の歌』か?


 この街でついぞ聴くことのない明るいメロディーにも驚くが、王都でも愛されるこの曲の、春を言祝ぐ輝くような曲想がしっかり付いているではないか。

 穏やかな陽光、一面の花畑、移り気に羽を揺らす蝶。


 ――もっと近くで……!


 僕は、久方ぶりに出会う音楽に誘われた。

 しかし、心が浮き立つような光景は、音が不自然に切り上げられたせいで一瞬にして霧散する。

 もう何度目になるだろうか。

 次に続く旋律で必ず躓くから、夢見心地が断ち切られるタイミングまで掴んでしまった。


 ――なんでそこが弾けないかな!

 

 それでも僕は、引き寄せられるように坂を上った。




 丘のてっぺんで待ち受けていたのは、地面に座り込んで足の上にリュートを置き、その後ろからにょっきりと腕だけを出す小さな人間。

 風に煽られる緑の絨毯も、星屑のように散りばめられた白い花々も、まあまあ良いと聞いた景色にさえも見向きせず、僕は、リュートの後ろをそろりと覗き込んだ。

 黒い頭と、頭から垂れた長い三つ編みだけが見えて、女ということはかろうじて分かる。

 

 ――随分と小さいな……。


 弾くというよりしがみついていると表現する方が相応しい。おそらく、弦を押さえる左手も弦を弾く右手も娘の目に入ってはいないだろう。

 リュートは、雫型のボディから伸びた長いネックに弦が六本、と見せかけて倍近くも複弦で張られた撥弦楽器だ。

 普通ならば水平か、やや斜めに構えて演奏するものだが、娘はどっかり垂直に置いていた。そのせいで、せっかくのリュートが地面から生えた樹木のように見える。さほど重くない楽器とはいえ、ボディの背面が丸く膨らんでいてホールドしにくく、大人が軽々と構えるようにはいかないのだろう。


 ――こんな子供が、あの音を?


 反復練習に必死な娘は、ごく間近に立ってまじまじと見られていることにも気付かない。

 よって僕は、遠慮なく楽器を観察した。

 ボディー中央に空いた共鳴孔はバラの透かし彫り。モチーフとしてはありきたりでも、王宮庭園のごとく大小様々な花を組み合わせることで薔薇の美しさが際立っている。

 珍しいのは、気が遠くなるほど繊細なバラがネックの両サイドに彫り込まれていることだ。花園から伸びたつるはネックの先、こちらも珍しい透かし彫りのヘッド部分まで続いている。

 ボディの下部で弦の振動を受け止めるブリッジは、この色艶からして象牙だろうか。

 察するに、音色より鑑賞に重きを置いて作られた芸術品だ。

 しかし、楽器に覚えた物珍しさ、そんな逸品を幼子が奏でるという違和感は、紡ぎ出される音楽を前に煙のように立ち消える。

 僕は確かに、心を持って行かれた。


 ――これは、いい。これは音楽だ。ああ、でも、あと三拍で……。

 

 予想どおり、またしても同じ箇所が弾けなかった娘は、苛立ったように頭をかいた。

 僕は、そのうち弾けるようになると知っている。成長して手も指も大きくなれば、この娘なら軽々と弾きこなすだろう。


 ――楽しみだなあ。


 そう思った僕の口は、良い気分のまま勝手に開いてしまった。


「ねえ、もう一度聴かせてくれる?」


 幼さでは娘とどっこいどっこいのボーイソプラノに、黒い頭が勢い良く反応した。


「だれっ!」


 見られてはいけないものを見られてしまった。そう、しっかり顔に書いて、警戒心も露わに後ずさる。


 ――ふうん、そこまで幼くはないんだ。


 親しみやすい笑顔を浮かべたまま、僕はなおも喋りかけた。

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