負の感情を喰らう怨念は幸福か?
前世、転生という概念自体はそれ程、突拍子の無いものではない。
ヒンドゥー教、仏教、イスラム教、古代ギリシア思想等、古今東西より当然のように人々に寄り添ってきた観念だ。
古代より転生が存在するのだとしたら、人類は一つだけではなく数多の前世を持つということになる。
前世で徳を積んだ者は今世において、神や仏、運命や宿命に愛され幸福に満ちた生涯を歩めるのか?
若くして非業の死を遂げた者は、徳を積んでいないという理由で不幸に見舞われるのか?
「というわけで試す事にしました」
「試す」
「適当に怨念だとか、未練だとか、あとは恨み? なんかそんな感じなのが溜まっている所を巡り巡って出来たのがコレ」
「人間?」
中性的な顔付き、身体つきをした子供が全裸で寝かされていた。
目は開いているが感情といったものが感じられず、瞬き一つしない。
綺麗だが現実味が無い。どことなく嘘くさい雰囲気が漂っている。
「素体はマネキンです。これに牛肉やら何やらをホニャラララってして、人間と瓜二つになるまで負の感情が実体化するまで集合させたら何か出来ました」
「何処にそれだけの負の感情が?」
「何言ってんです? 日本だけでも行方不明者数84,850人もいて、その内の5%以上は非業の死を遂げているんですよ? 中国なら50万人! アメリカ80万人! 世界中なら子供だけでも800万人が行方不明になっているのです! まあ、その内の半数以上は普通に生きて戻ってくるんですけどね? 理不尽な死に方をしているのは何も紛争地帯や貧困に喘いでいる国だけに限った話では無く、先進国でも若者や、守られて然るべきである筈子供ですら異常な数の人間が理不尽な死に方をしている! 何処にそれだけの負の感情が? 決まっているでしょう! この星その物ですよ! マネキンでもダッチワイフでも何でも良いから人のような形をした物体に! 適当に牛肉か何か巻いて、適切な環境と管理をして、相当時間があればこんな物、誰にでも作ることが出来るのです!! さあ目覚めなさい!! 怨念がここにおんねん一号!!」
饒舌に、早口に、喜々として叫ぶ。
牛肉を巻き付けたマネキンが動き出す。外見も、眠りから覚めて身体を起こす動作も、目の周りをこする仕草も、何もかもが普通の人間その物であった。
「起動成功……。それで、このモルモットを使って何を?」
「さあ?」
「さあ? さあときましたか」
「君、普通に考えてくださいよ。マネキンになんやかんやして恨みの強そうな所を巡って、ちょっとほったらかしたら中性的で美形な人工生命体が産まれました。そんなことがあり得ると思うのですか?」
「では、これは人工生命体では無い?」
「いいえ、人工生命体です。世界の法則を嘲うかのような、絶対に成功する筈の無い手法で生み出してしまった、私の人工生命体です」
「何故、そんなことを?」
「ノリです。徹夜明けの」
「ノリ」
「何故か出来てしまったのです。出来てしまったものは仕方が無いので、これを使ってなんやかんやして」
「なんやかんや」
「ええ、なんやかんやしてみたいと思います」
忌々しい程に綺麗な怨念を眺めて投げやりに言い放つ。
取り敢えずは負の感情だけで構築され、まともな生まれ方をしておらず、転生特典など無さそうな存在が生きていたらどうなるのか? 不幸に見舞われるのか? それとも幸福な生涯を得られるのか? はたまた何の面白味も無く、ただ生きて、ただ死ぬだけなのか? 此処からが実験の始まりなのだ。
何はともあれ、実体化した怨念が心身共に満足な状態で存在を維持する為にはどうすれば良いのか?
徳を積ませる?
善行を積ませる?
正の感情の素晴らしさを説く?
どれもこれも的外れだ。人間に石や鉄を齧って生きろと言っているようなものだ。
人間が糖質や脂質を美味いと感じ、快楽に思うのは脳が水分、糖質、脂質で出来ているからという説がある。
この説が正しいとするのならば、怨念の適切なエネルギー源と快楽は怨念や恨み、負の感情ということになる。
餌を与えるのは簡単だった。
負け組、負け犬、そういった手合いが持つ負の感情は栄養源として最適だ。
本来ならば、陽の当らぬ場所で息をひそめ、視線を足元に下げなければならない筈の彼らが、身の程も弁えずに主義主張を発することの出来る場所がある。SNSだ。
トップが悪い。政治が悪い。企業が悪い。義務を果たさず、責任を負わず、自分を変えようとすること無く、世の中が自分の都合の良いように変わることだけを望んで呪いを吐くしか能の無い輩。
負け犬とは学歴が無い者や、下層労働者のことを言うのでは無い。責任を己自身では無く、己以外の外部に求める者のことを言う。
そんな目障りなゴミ以下の者達も、こういう時に限って言えば、探すまでも無く簡単に見つかる。
そして、怨念を育てるにはそこそこ役に立つ。
「こんなに負の感情ばかり集めて問題は?」
「育ち盛りの子に沢山の食事を与えたらどうなると思います? 成長し、身長と体重が増えるのですよ。そして、肥大化した肉体に比例して食べる量も増えていく。御覧なさい? 子どものような見た目をしていた怨念も今では中学生か高校生くらいの、大人に近い身体つきに変わった。何より、負の感情を食われて前向きな人間が随分と増えた。いつぞやと比べて日本も明るくなった!」
だが、良いことばかりでは無かった。
悲しみを忘れた人が増えた。傷付き、また傷付いた人を悼むことが出来なくなった。家族との死別による悲しみから生まれる傷は、別れた人の大切さや絆を示すものだったが、葬式で涙を流すことなく笑みを浮かべる者ばかりになっていた。
恐れを忘れた人が増えた。甚大な災害が起こっても危機回避をすることなく笑って死ぬ人間が増えた。
嫉妬を忘れた人が増えた。他者と比較して妬むという気持ちは向上心の表れでもある。現状をよりよくする為の努力を放棄し、そのことに警鐘を鳴らす者がいなくなり、怠惰な者が増えた。
怒りを忘れた人が増えた。物語の世界では怒りは目を曇らせるなどと言うが、激しい感情は時としてエネルギーとなって人を突き動かす原動力になる。前向きに無気力な人間が増えた。
人を疑うことが出来ない者が増えた。
自己嫌悪する者が減った。
自らを省みることの出来ない者が増えた。
変えなくてはならない。変わらなくてはならない。そんな状況に直面してもそれを、自己欺瞞や諦観、誤魔化しなどでは無く、自分は自分だと心の底から前向きにとらえることしか出来ない者が増えた。
そういった者達に、どんなに危機感を煽ろうとも「大丈夫だよ」とにこやかに理不尽を受け入れる者ばかりになった。
この国は緩やかに破滅へと進んでいった。
非業の死を遂げる者は今こうしている間にも一人、また一人と量産されていっている。
そして、そうした亡者はこの国以外にもいる。それも毎年、ほぼ横ばいの人数が新たに加わっていく。
何より亡者にも比肩する程の怨念を抱えた生者は日本だけが抱えているのではない。
寧ろ、日本の外の方が遥かに多い。
怨念を養うには十分過ぎる負の感情が確保出来る筈だった。
だが――。
例えば、大飯喰らいと呼ばれる連中がいる。
彼らに曰く、食えば食う程、許容量は拡張されていく一方らしい。
怨念は日本に蔓延る負の感情を喰らい続けた。食い尽した。
日本という小さな島国から発せられる負の感情だけでは、怨念の飢えを満たすことが出来なくなり、中庸寄りの負の感情にすら手を付け出すようになっていた。
前向きに死に、前向きに殺され、前向きに荒廃していく。
誰も不満を抱かず、疑問を呈することは無い。厳密には、その感情を抱いた時点で怨念に心を食われた。
日本で飢えが満たされることは無い。飢えた怨念は海を渡って消えた。世界の滅びと共に飢えて死んだ。
「死因は餓死ですが、世界を渡り歩き、負の感情を食えている間は幸せそうにしているように見えましたが、彼は幸せだったのでしょうか?」
「分からない。怨念は喋ることが出来ないから。ただ飢えを満たすために食べることしかしてなかったから。何がしたくて、何をして欲しくて、何が嫌だったとか分からなかったから」
「なるほど。人工的な転生で今回はこれが精一杯でしたが、今度は喋る機能を持たせなくてはなりませんね。半世紀もすれば、不満ばかりを垂れ流す無様で正常な人間も増えるでしょう。その時に改めて実験してみましょう。負の感情を好き好んで背負う貴方は幸福なのかとね」
前世占いっつーもんがありましてね? 8月15日生まれの前世は【行方不明になった】【人達】らしいんですよ。誰にも看取られず、埋葬もしてもらえずに人知れず朽ちていく。そんな恨みや嘆きの集合体が己なのかと厨二臭いことが思い浮かび、なんやかんやあってこうなりました。