終章
ここはラクガキの世界に在る小さな島。
この島に住むラクガキ達に飢餓や略奪は無く皆で幸せに暮らしていました。今日もラクガキ達は風景やお互いをスケッチしては、その絵を見せ合っていました。
「あら、私ってそんなに綺麗な目をしてるかしら」
「もしかしてお前、こいつの事が好きなんじゃないか?」
「ち、違う!別に、そんなんじゃないやい!」
すると一人の勇者のラクガキがその遊戯の輪に入って行きました。
「ねぇ、僕の絵も見てよ!」
こうしてラクガキ達はずっと、楽しい日々を過ごしているのでした。
***
その日も何時も通りに仕事を終えた僕は、帰りの電車のつり革に掴まっていた。
子どもの頃は、つり革に手が届かなくて大人が羨ましくて仕方がなかったのを覚えている。
あの頃の僕は、今の僕を見たらどう思うのだろう。
なりたかった大人になれているのかな。
電車が自宅の最寄りの駅に到着すると車両からホームに人々が飛び出していく。
この人達は、今日をどう生きたのだろう。
改札を抜けて外に出る途中、傘を二本持った小さな女の子とすれ違った。
僕は駅に内設されているコンビニで傘を買って外に出た。
雨の中、駅を出てすぐの信号が青になるのを待っていると、チカチカと赤色灯をともした救急車が通り過ぎて行った。その時僕が雑踏の中で辺りを見回すと、人々の顔がスマートフォンの明かりに照らされているのが見えた。
あの救急車の中には誰かの大切な人が乗っているのだろうか。
もしかしたら、僕の大切な人かもしれない。そう考えている間に雑踏が歩みを始めて、僕は信号が青になっている事に気が付いた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
帰宅すると何時も通り、妻が出迎えてくれた。
彼女は確かに僕の知っている妻だった。それでも時々、妻が僕と出会うまでの彼女の人生に思いを馳せる事があった。
何処かの誰かだった彼女と何処かの誰かだった僕を大切にした奇跡を、まだ信じ切る事が出来ないでいたのかもしれない。
そしてこれから先も、きっと大切になる何処かの誰かとの出会いに思いを馳せながら僕は生きている。
「ねぇ聞いて。あの子、また面白い絵を描いたのよ」
そう言って妻は、息子のスケッチブックを取り出した。
僕は起こさないように、こっそりと寝室で眠っている息子の顔を眺めてから妻と一緒に寄り添ってそのスケッチブックを開いた。
そこには僕達、家族の絵が描かれていた。
傍から見れば何処かの誰かにしか見えない家族の絵も、僕達にはそれが誰なのかがハッキリと判った。
「次はどんな絵を描いてくれるのかしら」
そう言って、妻と僕は一緒に笑った。