お揃いのブレスレット
「すみません。遅れました。」
聞き覚えのあるような、無いような声が修一の耳に届く。
修一の心音が消える。クラスメイトと比べかなり遅れて視線をゆっくりドアの方へ向ける。その声の主。少し高めの小さな声の主の方へ。
「うん。駒野さんね。体調は大丈夫ぅ?」
田中先生のしゃべり方は方言ではないと思うが少々個性的だ。そんなねっとりとするイントネーションで、遅れて来た修一のクラスメイトの名前を呼ぶ。
開かれたドアの前には、見慣れた修一の通う経世高校の女生徒の制服を着た少女が立っていた。
身長は150センチ中盤位の少しふっくらした雰囲気を持つ少女。太っているというよりは、豊満な身体つきというのだろうか。高校生にしては、凸部分は比較的大きめの印象を持つ。修一の後ろに座っている春とは大違いで。
ドスッ。
と、ふいに後ろの席から少々強めのどつきが飛んでくる。
「(声に出てたのか?!)」
不安を内包しながら修一は、恐る恐る後ろの座席に座っている凹凸の少ないボーイッシュな春の方を振り向く。
「なんだよ。」
出来るだけ自然に。かつ、修一の心の声が読まれていた可能性も加味して、不可栄冠を当てえないように慎重に。
「なんだよじゃないわよ。あれ。どういうこと?!」
授業中だからか、周りのクラスメイトに気付かれぬようにかは修一には分からなかったが、恐らく、春の心情は後者の方だろう。
春は、耳打ちするような小さな声で修一に怒鳴ると、教卓の前で出席簿をのぞき込む優の方を指さす。
最初は何が言いたいのか修一には分からなかった。先程も言ったように駒野 優と雄一にはほとんど接点はない。同じクラスになったのも初めてだし、会話だってしたことは無いと思う。大野 春という共通の友人は持っているが、それ以外で考えれば赤の他人に関係性は近いだろう。
だから、優の方を向いたとき目線がぶつかったときは修一は少々驚いた。正確には、春の方を向いた優とたまたま目線があっただけだったに過ぎないのだが、未だに震える左手が一層強くなった錯覚さえ覚えた。
「あのブレスレット。昨日はつけてなかったわよ。それと同じのでしょ? どういう事?!」
振り向かないままの修一に春は、後ろから話しかける。修一の視線も春の言うやよいの腕の方へ動いていく。
そこには、修一と全く同じといっていい黒色の腕輪が、あの男や電撃少女が付けていたものと全く同じ見た目の腕輪が、優の左手に着いていたのだ。
バンッ。
鞄が落ちる音で修一の意識と視線は、再び優の顔の方へと動く。どうやら、右手に持っていた鞄を地面に落としたようで、彼女の方も机の上に置いてある左腕の方を向いていた。
恐らく、親友である大野の方に視線を飛ばしていたのだろう。その時、そのおおのと話している修一の机の上の左手が視線の端に反ってしまった。そこで気付いてしまったのだろう。
再び目線がぶつかる。駒野は反射的に左手首に着いている黒色の腕輪を隠そうと右手で覆うが、もう遅い。
顔から血の気が抜けていく様子は、誰の目からも明らかだっただろう。
ダッ。
駒野は、弾かれるように教室のドアの方へ駆け出す。引き戸になっている扉にぶつかりながらも必死に開く。
そんな駒野の行動に呼応するように修一も自分の席から立ち上がり、後方のドアへと駆ける。
「ちょっ。」
修一か駒野どちらかを呼び止めるために放たれた春と田中先生の声は両者の耳には届かない。
廊下に飛び出した修一は、前方に走る駒野の姿を捉える。すぐそばに階段があるので、その踊り場の方へと曲がっていく彼女を修一は全力で追いかける。
呼び止めれば止まってくれるだろうか? こんな風に追いかけるのは不自然だろうか?
こんな状況でなければ修一の頭の中にはそんな思考が巡ったかもしれないが、昨日から寝てない上に、あんなショッキングな殺人現場を目の当たりにし、思考が追い付かない現象にも巻き込まれた修一に正常な思考は残っていなかった。
それは駒野 優にも言えることだったのだろう。
彼女に何があったのかは修一には分からないが、彼女もまた正常といえる判断力を欠如していた。
階段に出た修一は、正確には彼女の姿を見失っていた。しかし、鳴り響く足音から彼女が階段を駆け上がっていることは判断できた。
「待てよ!」
そこでようやく修一は駒野のことを呼び止めるように叫ぶが、聞く耳は持たない事は明白だ。
階段を駆け上り、必死に追いかける。と、言っても修一が通う経世高校の校舎は四階建てで、修一達二年生の教室は四階に存在する。この先になっているのは、屋上へ出るための扉だけであり、そこにはバスケットコート一面分の屋上が広がっているだけである。
屋上へ通じる扉を勢いよく手前に引くことで開き、テープ状の白線で描かれたバスケットコートの中央付近で逃げ場がないことを認識できた駒野と対峙する。
「来ないで!」
悲鳴に似た叫びと共に修一の方に黒色の腕輪が付いた左腕を駒野は突き出す。
あの火球や稲妻が飛んでくると予想した修一は、両手を上げ、両目をつぶり全身で抵抗する意思がないことを叫ぶ。
「ま、待ってくれ! 何もしない!」
しかし、そんな言葉は信じられる訳が無い。普通に考えればそうだろう。
「ス、スキルスタート!」
駒野が目を固く閉ざし、叫ばれたその言葉はやはりあの路地裏で修一やあの男が呟いた言葉と一言一句たがわないものだった。
修一に交戦の意志が無かったとしても相手がそうという訳では無い。彼女の様子を見ればあの男の様に好んで戦いたいわけでは無いだろうが、話を聞いてくれる様子もない。
「(それでも話を聞いて欲しい。何とかして信用させないと。)」
駒野は、修一と違いすぐに腕輪を隠そうとし、あの言葉も知っていた。という事は、何も知らない修一よりかは、あの超常現象に着いて知識を有している可能性は高いと考えるのが普通だろう。そして、目の前の少女は共通の友人を持っている。赤の他人以上は信用してもいいだろうし、信用したい存在である。なにより、修一の日常生活に大きく関わってくる問題である。
そんな思考を巡らせ、火球にしても稲妻にしても何かが飛んでくることを予想した修一は、体勢を低くし、頭を抱える。
しかし、いくら待っても腹に響くような轟音も、焼けるような熱も修一には感じることが出来なかった。庇うように前で交差した両腕の間から駒野の様子をうかがうと、先程と同様に左腕を突き出した状態で静止している駒野の姿があった。
飛ばすことが出来ないのか? と予想した修一は、身構えながらも体勢を起こそうとする。
「動かないで・・・ください。う、撃ちますよ。」
震えているのは声だけでなく、突き出した左手も10メートル弱離れたここからもよくわかるくらい震えていた。
相手の方が冷静さを欠いている時、思考をフラットの状態に戻すことは、格闘術においては基本である。日常生活では全くと言っていいほど役に立たなかった幼少期からの祖父の教育が、ようやく役に立った。
「何もしない。信じてくれ。」
立ち上がり、直立で両手を上げ、真っ直ぐに相手を見据える。
数秒の沈黙の後、その真意が伝わったのか、驚いたような表情を見せ、戸惑うように駒野は突き出した左腕を下げる。
「本当・・・・ですか?」
「ああ。信じてくれ。」
刹那、修一の後方にあるドアが勢いよく開かれ、そこから出て来た大野 春、外野 羊、いつ来たのか岡部の三人に修一は取り押さえられる。
抵抗しようともがこうと試みるも、柔道の有段者であり、圧倒的に体格のビハインドを持つ岡部が、人数的な優位もあって修一を絞め落とす。
次に目が覚めたのは、同じ屋上の上だった。絞め落とされてすぐに起こされたようで、地面に突っ伏すような体勢で、修一の上には岡部が跨っている。目の前には、駒野 優を親友である大野 春と外野 羊が足から崩れた駒野の側に寄り添っていた。
どうやらすぐに飛び出した駒野と修一の様子がおかしいと思い、外野と大野の二人が岡部を呼んできたようだ。
「ちょっと! どういうつもりなの!」
「あんた今日ヘンだよ!」
血の気が完全に引いている駒野の顔を見て親友の二人が、修一をすごい剣幕で睨む。
肩関節を固めるように修一を抑えている岡部の顔は見えないが、恐らく二人と同様鬼のような表情になっていることだろう。肩は今にも外れそうなくらい痛みを発している。
何より、声を荒げて怒らないあたり尋常ならざる怒りを持っていることは確かだろう。
痛みに堪えながら、その三人を刺激しないよう慎重に言葉を選ぶ。もし、ここで岡部を振り解こうとすれば、確実に肩を持っていかれるだろう。
「・・・・・。」
しかし、修一は言葉が見つからない。なにを言っても信用してくれない事は確実だからだ。なにせ、修一自身が駒野の逃げた理由を聞きたいのだから、その駒野を追った理由を修一が答えられる訳が無い。
「二人とも駒野を保健室に。それから先生方に報告してきてくれ。オレは抑えてる。」
このままいけば、先生方に報告され、家に連絡。下手をすれば警察に再びお世話になることだろう。はっきり言って駒野が何か言ってくれない限りは、修一は完全に悪者になることは間違いない。下手すりゃ退学。その可能性を思い浮かべた時、二人に支えられるように立ち上がった駒野が口を開く。
「あの。ごめんなさい。む、村上君は何もしないです。」
この場合では、その言葉が適切な表現かどうか疑問は浮かぶが、駒野が修一を弁明してくれる。
「何言ってんの。あんなに必死に逃げてたじゃん。昨日何かあったんじゃないの?」
「う、うん。でも、村上君は関係ないの。勝手に逃げただけ。」
とはいえ、逃げた駒野を修一が追いかけたことは事実で、そう簡単に拘束を解くわけにはいかない。
「理由もなく追いかけたのか!」
今度は、岡部が修一に怒鳴る。
「・・・・。」
理由はある。逃げたから。話を聞きたかったから。昨夜、修一の身に降りかかった火の粉の正体の一端を知っているであろう駒野に話を聞きたかったから。しかし、そのどれもが実際に経験しなければ到底信じることのできないもので、説明するだけ無駄というものだ。だから、
「・・昨日、駒野にあったので、話を聞こうと・・・。そしたら、逃げたので、何か知ってると・・・。」
岡部は、少なからず修一の事件について知っている。
何者かに襲われた可能性が高いこと。殺人事件に巻き込まれたこと。そして、一時的であったとしても拉致されていた可能性があることを断片的に知っている岡部は、修一の言い分を聞き、肩の拘束を緩める。
ようやく痛みから解放された修一は、先程作った架空の話を続ける。
「教室に入って来た駒野・・さんが、オレと目線があって逃げたので何か事情を知ってるかと思いまして。すみません。」
「・・・・・本当か?」
「・・確かに、村上と目線があってから顔色が変わったような・・・。」
後ろの席にいた大野の方を見ようとした駒野と修一が目線を合わせただけであり、偶然なのだが、事実でもある。
「駒野。なにか知ってるのか?」
「えっ? は、はい。」
半信半疑。駒野と修一以外の三人は、どこまで信じていいのか分からないという心情をそのまま表情に出ている。
ふと、後ろの入り口の方に意識を向けてみると修一のクラスメイト達が集まり始めているのを感じることが出来る。全員ではないが、先生を含め何やら小声で話しているようだ。
「ひとまず、移動するぞ。」
かなり乱暴に、岡部は修一の体を起こす。このまま、ここで事情を聴いてもいいかもしれないが、岡部自身も少々冷静さを欠いていることは自覚しており、何より、この状態では、修一が完全に悪者になってしまう可能性が高いと判断したのだろう。
野次馬の様に集まって来たクラスメイトを岡部は追い払い、数人の先生と共に修一、駒野、大野、外野の四人と応接室へ入る。
修一の事件に関して知っている、校長と理事長、学級主任の先生。そして、顔色の悪い駒野に着く形で保健室の星野先生が同伴した。
「・・で。誰から話す?」
当然、進行はここにいるメンバーのクラス担任であり生活指導主任である岡部だ。
しかし、そう言われても駒野も修一も口を開けない。その理由は、やはり信じてもらえるわけがないからだ。現状、昨日の事件に関係があるかもしれない。という事になっているが、昨日学校以外で駒野と会った記憶は修一にはない。いや、学校であって話をしたかすら怪しいところだ。
そして、先程は合わせてもらったが駒野の方は、修一が事件に巻き込まれたことすら知らないはずなので、下手に話せば辻褄の合わない可能性も高い。特に大野と外野が知っている昨日の駒野の行動にそぐわない話をすれば修一は終了だろう。
短くない沈黙の時間が応接室に流れる。実際にはそこまで長い時間は経過していなかったのかもしれないが、誰も何も話さない部屋の空気というものは、かくもゆっくり流れるものなのだろうか。
その沈黙を破ったのは、駒野であった。
「あ、あの。少しの間二人で話をさせてもらうことは可能でしょうか?」
その言葉は、誰もが予想しなかった言葉であった。事情が全くつかめていない修一、今回の一部始終を伝えられただけの理事長を含む教職員、そして、駒野の性格をよく知る親友の二人にとっても、二人きりで話がしたいという駒野の申し出は意外過ぎるものであった。
「大丈夫なの!?」
「うん。それに、春ちゃんは、村上君のコトよく知ってるでしょ?」
「ま、まぁそうだけど。」
だからこそ意外過ぎたというのが、村上 修一を子供の頃から見て来た大野の正直な感想である。
彼が感情をそのまま行動に移してしまうことは無い。理性的というか、他人にさほど興味が無いのかは大野には分からないが、怒りをあらわにすることも泣くところも十年以上彼と同じ学校に通っているが、お目にかかったことは無い。
渋るのは、親友の二人だけでなく教員の方も同様の反応だ。何せ修一の行動は概要だけで見ればかなり危ない行動である。ストーカーの行き過ぎた行動にもとれるその硬度をした張本人と当事者の二人だけにすることは、あまりよろしくないと思うのが当然の思考だろう。
しかし、ありがたいことに駒野の意志は再三の説得にも応じることは無いらしく。沈黙を続ける修一をよそに、部屋のすぐ外にいるから、という方向で話が進んでいった。
「・・・・よかったのか?」
「・・・・うん。だって、村上君の話って、これ。のことですよね。」
全員が出ていくのを目線だけで確認して修一は口を開く。
駒野は頷きながら、自身の左腕に着いている黒色の腕輪を修一に見せてくる。それはやはり修一や先程姫野さんに貰ったものと同様のものであると確信することが出来た。
無言で頷く修一に対して、駒野は安心したような笑みを浮かべる。
「信じてもらえられないだろうし、それなら二人の方がいいと思いまして。」
なんで同級生に対して敬語になっているのかは不明だが、やはり彼女の中にもどこか恐怖的な感情が残っているのだろう。
「・・・・・単刀直入に聞いていいか? この腕輪は一体なんなんだ?」
「・・・・・え? 知らないんですか?」
その表情からかなり驚いている様子がうかがえた。まるで、テスト当日に試験範囲を危機に来る神経が分からないというその表情で、思考停止した駒野の意識が戻ってくるまで、修一が場を繋げなくてはならない。
「昨日の下校のあたりから記憶が無いんだ。目が覚めたら左手にこれがついてて、それから震えが止まらないんだ。」
現状は止まっているが、今までに感じたことが無いほどの頻度で左腕は震え続けている。これは異常だと考えるのは普通だと思う。
あの男や殺人事件の話、電撃を放った少女と出会ったことは一応黙っておく。彼女の身に昨日何が起きたのかは不明だが、修一の左腕に着いている黒色の腕輪を見た瞬間に逃げ出した可能性が高いうちは、人が一人死んだあの事件を話すことは得策であるとは思えない。
「本当に何にも覚えてないんですか?」
「ああ。」
駒野の質問に間髪入れずに修一は答える。その後、なにやらぶつぶつと呟いているようであったが、そのことは修一には聞こえない。
すると、緊張感が緩和され始めたのか、三度左腕の震えが戻ってくる。しかし、今までに感じているよりかは非常に微弱で、震えていることに意識を向けなければ気にならないほどの物であった。
それから、駒野も少し口を閉ざし、何かを決心するようなそぶりを見せる。
「村上君。お願いがあります。これから、私と一緒にいてもらってもいいですか!」