再び震える左手
警察署に入るのは、これが初めてだ。小学生の時には消防署に見学しに行ったが、警察署に言った記憶はない。しかし、犯罪も犯していないのに殺風景な取調室に入ることになるとは思いもしなかった。しかし、開かれた取調室の外に見える警察署の雰囲気は、ここに来た早朝のときから非常に忙しそうに動き回っていた。
警察官たちが駆け付けたときには気を失っていた修一は、救急車が到着するころには、なにがあったか話せるくらいには落ち着いていた。しかし、手や指から炎や稲妻を生み出す話など誰も信じてはくれない事は理解していたので、男が人を焼き、その焼死体が少女のストーカーの可能性があることを簡単に話した。
そして、現状少女に意識は無い。体のあちこちに切り傷を持っているし、一番疑わしいのは現場に残っている修一だけ。すぐに来た救急車に少女を乗せ現状は回復待ちとのことだ。
その為、任意同行ではなるが、修一はこの取調室に連れてこられたという訳だ。
「待たせてごめんね、えっと村上 修一君でいいのよね? 本当ならこんな事で取調室なんて使わないんだけど、ほら。あっちは騒がしいでしょ?」
と、一人の女性警察官が、親指で後ろに広がっている自らの職場を指さす。
確かに何か大きな事件が起きているかのように大きな声と人が飛び交っている。人数もそうとういるので、昨日今日起きた事件というよりは、泊まり込みで捜査しているようだ。
「村上君には事情聴取というよりは聞き取り調査くらいに思ってくれて構わないわ。物的証拠も無いし、何より君の服もかなり焦げてるようだしね。」
路地裏にいたときには何も思わなかったが、この警察署に着て冷静に自身の体を見渡した修一の制服は少々汚れていた。まぁ、路地裏に寝そべっていたのでは汚れても無理は無いのかもしれないが、現在はその汚れに加え、ブレザーの所々に焼き切れた穴が存在している。確実に買い直さなければならないレベルに高校の制服は疲弊している
「じゃあ、現場で聞いた話の確認から出いいかしら。って、私まだ名乗っていなかったわね。姫野 琴音よ。最初は、なんであそこにいたかなんだけど、憶えていないってのは、どこから覚えてないの?」
「高校帰りに友人と話していた所からです。家に帰った記憶も再び移動した記憶も無いです。」
「そう。じゃあ、何かの事件に巻き込まれた可能性もあるわね。そっちの方も調べておくわ。次にあの女の子とは面識は無いのよね。」
「はい。名前も知らないので。あの、無事なんですか?」
「ええ。体にあった切り傷と火傷も痕は残らないそうよ。まだ、意識が戻ったって連絡はないけど命に別状は無さそうだって。」
知らない人であっても、一度は運命共同体になった人が、最後は修一の背中の中で命を失ったとなれば、いやな気分になる。安堵のため息と共に微笑がこぼれる。
「それと、焼死体の身元も特定できたけど、この人も・・・・知らないわよね。ごめんなさい。」
見せられたのは、三〇代の男性の写真だった。免許証に使われるような無表情の写真で、頬に贅肉が乗っている男性。もちろんのことではあるが、修一は首を横に振る。
「ありがと。とりあえず、今日の所はこの辺にしておきましょう。あなたも疲れたでしょう? 家まで送るわ。」
「あ、あの。学校に送ってもらっていいですか?もう始まってると思うので。」
現在の時刻は分からないが、この警察署に来た時には、陽が昇り始めていた。そのことを考えればもう一限は始まっていることだろう。家族の方には、携帯電話で連絡した時にめちゃくちゃ心配されたので、今帰ると少ない体力をさらに削られそうだ。
その点、高校に行けば授業中は寝れるし、何より昨日の下校中の話を聞くことが出来る。
「でも、ご家族は心配しているんじゃない?」
「大丈夫です。連絡はしたので。」
幼少期の両親であれば、少しくらいのケガでは修一のもとに飛んでくることは無かった。しかし、妹が生まれるころには、両親とも仕事の鬼ではなくなっていて、今では、修一が事件に巻き込まれたと聞き、仕事を休んでいることだろう。
もしかしたらこの警察署に向かっている可能性も高いが、その必要はない。来るな。という内容の連絡を修一は送っておいた。両親も修一を幼少期に放っておいたことに関して罪悪感を持っているようで、修一の行動に何言う事を嫌煙しているような雰囲気が伝わってくるので、ここまで迎えに来ることは無いだろう。
別に、修一は両親のことは嫌いじゃないし、溺愛されて育てられた妹に対して嫉妬などしていないので帰りたくないわけでは無い。ただ、ゆっくり寝たいのだ。
「まじめなのね。分かったわ、こちらからもご両親に連絡するわね。」
こういった時の送り迎えは、なにが一般的なのかは分からないが、姫野さんは警察車両を使って送ってくれるようだ。いくつかの準備は前もって済ましていたようで、外にはすでに一台の車が用意されていた。
車中での会話は簡単な世間話や修一の高校でのことについて質問してきた。運転席とは対角線にある後部座席に座った修一をバックミラー越しに視線を飛ばしてくる。やはり、タクシーの運転手同様、話しかけたくなるのだろうか。
「(まぁ、あんまり乗ったことなんてないけど・・・・。)」
四、五〇分車を走らせて、ようやく見慣れた通学風景の町並みに変わってきたことを考えると、同じ東京とでもかなり端っこにいたのだと再認識できる。やっぱり、昨日の記憶の中では、そんな移動した記憶も予定もなかったので、不思議である。
「あ、この辺でいいです。」
「そう? 高校の前まで送るわよ?」
警察車両に乗って登校するなんてあまりいい想像をしないのが、高校生というものだ。詳しい事情を話せない人が目にすれば、確実に村上が警察のお世話になったことを想像し、うわさが広がるだろう。無視すればいいかもしれないが、そう言った噂が立ちそうな要因は、少ないことに越したことは無い。
「大丈夫です。」
「そう。ああ、それと私も高校の方に着いて行ってもいいかしら?」
「なぜですか?」
「あなたの友人に昨日の話を聞きたいし、私の方から学校にあなたの服と今日のことを説明するわ。」
「・・・・・ありがとうございます。」
確かに、修一自身が説明するよりは、警察の方に説明してもらった方が、説得力は強いだろう。修一も素行は悪いわけでは無いが、お手本的ないい子ちゃんでもないので先生方の捉え方も違ってくるだろう。
姫野さんは、近くにある駐車場に警察車両を停めると、修一と共に職員室の方へ赴いた。
「・・・・・という理由で村上君を保護いたしました。今後も学校側に警察が来るかもしれませんが、ご協力していただけるとありがたいです。」
「いえいえ、こちらこそうちの生徒がお世話になりました。喜んでご協力させていただきます。」
普段あまり入ることのない理事長室。校長室よりも高価そうな備品に、興味が無ければ購買意欲の生まれない芸術品が飾られている。革製の椅子には、校長と理事長が座って頭を下げている。
警察が高校に来るのは初めてらしく、かなり緊張していたようで、犯罪を起こしたことじゃないと分かるとあからさまに安堵した様子だった。
「・・・・私、こういった事あまり得意じゃないのよね。」
理事長室を後にした姫野さんは、村上と共に再び職員室の方へ向かっていた。今度は担任と学年主任の先生に挨拶をするようだ。
その後は、姫野さんは、修一と共に簡担任の先生など簡単に連絡を済ませると、
「じゃあ、また連絡すると思うわから、その時はよろしくね。」
と、言って帰ろうとしていた姫野を修一は、焦って引き留める。
「あの、連絡はこっちに貰ってもいいですか? 家に帰るのも面倒くさいので。」
バックの中で充電済みになった携帯電話の画面を点灯させ、自身の携帯番号を表示する。
こっちの方が効率がいいし、なんだか家に警察から連絡が来るのは、気分的に抵抗がある。
「それなら、私の連絡先も教えておくわね。何かわかったことがあったら連絡をちょうだい。」
今ではあんまりやらなくなった携帯電話の電話番号を交換し、互いに電話帳に登録する。
「村上ぃ。家帰らなくてよかったのか?」
姫宮さんと別れた後は、体育教師である担任の岡部と共に修一のクラスへと向かう。現在の時刻は、十時四〇分。八時三〇分から一限が始まるので現在は、三限が始まったくらいだろ。
「別に大きな怪我も無いんで大丈夫です。」
大きな怪我は一切ない。家にも連絡がいっている。心配しているだろうが、無事であれば文句はないだろう。と、いう親心の分からない言い分でここに来ている。
それに、先に学校に来ることで新しい制服を一式貰う事が出来た。早々に穴が開き、所々に焦げた跡のある制服から着替えさせられたが、替えのないYシャツは、汚れたままだ。
「それにしても無事で何よりだ。それに、クラスメイトもお前のことを心配していたからな。」
「はぁ。」
事件に巻き込まれたことを話しているわけでもないし、たった二限授業に来なかっただけで心配するほどだろうかとも思うが、心配かけたのなら、やはり学校に来たのは正解だったのかもしれない。
そう思った時、修一の左腕が妙に震えだすのを感じた。