夜明け前にて
「スキルスタート。」
男が何かを言っているのが俊一にもわずかに認識できる。朦朧とする意識を叩き起こして、俊一は移動する。少女が何を出来るのかは不明だが、あの男に対抗する手段を持っているのであれば任せるのも悪くない。であれば、俊一は彼女の失った機動力をカバーする必要がある。
しかし、背負っている少女が普通でなかったように、あの男も普通の人間ではなかった。
「ボウッ。」
そう大声で叫び、右手を高々と掲げる。すると、その手の中に直径三〇センチ程度の火球が出現したのだ。
「・・・は?」
俊一は自身の思考が停止したのを感じ取る。訳が分からない。少女が稲妻を放ったことは、味方側であるから、何とか順応できたが、敵がそんなトンデモ現象を引き起こされては、頭が真っ白になる。
しかし、男は待ってなどくれない。振り上げられた右手を勢いよく振り下ろす。ピッチングマシーンの要領で放たれた火球は、時速60キロくらいの速度で迫ってくる。避けられない速度ではない。普通にボールを投げるのと大差のない速度の火球を避けることは、ドッチボールくらいの難易度だ。ただし、掴めないし、触れれば即死という条件は付くが。
「ズドン!」
思考停止し動かない俊一に対して、背中に背負った少女は再び、稲妻を発生させ素の火球を粉砕する。
火力的には、少女の稲妻の方が上らしく、火球を貫いた稲妻は、男の肩を貫く。
「ごがぁあぁ。」
苦痛に男の顔は歪み、痛みが走る右の肩を抑える。稲妻によって傷口は焼けたようで、流血はみられない。
血走り、額に血管が浮かぶ。完全に頭に来た。必ず殺す。
そんな意思が男の表情からよくわかる。
「ボンッ!」
今度は、左手を前に突き出し、火球を形成する。先程よりも大きい火球は、先程よりも低速で俊一と少女に迫ってくる。
また、落としてくれることを俊一は期待するが、
「避けて。」
少女が後ろから指示が飛んでくる。あの稲妻は連発出来ないのか、無駄に打ちたくないのかは分からないが、少女の稲妻のお陰で動き出した頭をフル回転させ、足に『動け』と命令する。
幸いにも動いてくれた両足は、狭い路地の左端にまで移動し、後方に下がる。直径は先程よりも大きいが、道幅全てを覆うほどではない。しかし、
「あめぇ。ボン。」
男は、突き出した左手のひらを上にすると握拳を形成する。すると、俊一の近くに迫っていた火球が収縮する。刹那、
ボン!
という破裂音と共に爆散したのだ。その爆風は、人間が両足で耐えられる程度のモノではなく、吹き飛ばされた俊一は、すぐそばにあったビルの壁に背中から叩きつけられる。
それは、後ろに背負っている少女をクッションにしてしまうことであり、爆発の衝撃の反力と俊一の体重に挟まれた少女は、口から体液を履いて、気を失ってしまう。
「カハッ・・・・。」
幸いにも少女を落とすことなく意識も保った俊一は、何とか両足で着地する。しかし、勝てるイメージは全く出てこない。
異常な現象を引き起こす男になんの有効打を持っていない俊一では、近づく事すらできないだろう。
ふと、俊一は自身の目の横に垂れている少女の左腕に目線が動いた。そこには、俊一が付けている腕輪と全く同じものが付いていたのだ。
「え?」
たまたま偶然行き交う人と同じものを持っていることはよくあることだ。市販の装飾品であれば副以上だろう。しかし、俊一はこの腕輪に関して言えば買った記憶はない。そして、自然と視線はあの男の方に動く。その左腕に。
「な、なんでだ・・・・。」
そこそこの距離があるので確かなことは分からないが、あの男の左腕にも黒いモノが着いているのが見て取れる。ただのブレスレット、腕時計、アクセサリーの可能性もあるのに、それが同じものであると俊一は思い込む。
「終わったな。てめぇは能力者じゃねぇんだろ?」
疑問形の言葉であるが、男は俊一の回答何て期待していないだろう。
能力者という言葉には聞き覚えはないが、背負っている少女はその能力者なのだろう。そして、あの男も。
「スキルストップ。」
男は、左手の腕輪を口の前に持ってくると俊一にも聞こえるくらいの声でそう呟く。
スキル。その言葉が、あの超常現象と関係があるかどうかは分からないが、あの男は、火球を発現させたのは事実だ。そして、背負っている少女も。
「・・・・スキル、スタート。」
確かあの男は戦う前にそう呟いていた気がする。その言葉を思い出し俊一も呟く。すると、自然と左手の震えが止まる。
そして何より、男の反応が俊一も同種の存在であることを証明してくれた。
「てめぇも能力も持ちかよ!」
歩いて近づいてきていた男は、大きく後方に飛び退く。そして、
「チッ。三連戦はキチィな。しゃぁねぇ。スキルスタート。バン!」
両手を下半身の前で向かい合わせに構える。まるで、手と手の間にボールがあるかのように開いた間に火球が出現する。
再び投げてくると予想した俊一は身構えるが、意外にも男は自身の足元にその火球をぶつける。すると、フラッシュバンのように閃光を放ち、男の姿をくらます。その光が無くなるころには、男の姿はなく代わりに遠くの方で警察のサイレンの音が聞こえて来た。恐らくだが、切羽詰まっていなかったあの男には、このサイレンの音も聞こえていたからこそ逃げてくれたのだろう。
「えっと、スキルストップ。だっけ?」
最後にそのような言葉もいた気がしたので呟いてみると、俊一の左腕の震えが復活した。
「なんだったんだよ、まったく。」
訳が分からない現象が起きすぎた。
居場所も経緯も分からず路地裏で目覚め、殺人事件に遭遇し、殺人犯は手から炎を出現させる。また、同様に指先から稲妻を出せる少女に、自身も同様の存在かもしれない。腕に着いている黒い輪は外れない。
飲み込めない状況に理解できない現象ばかり。
駆け付けた警察官が、俊一と少女、焼死体を発見し駆け付けたときには、俊一は立ったまま気絶していた。