76.カットウ
聞く気になれると言っただけで、聞くとは言ってない。
神官サマは朝食もお構いなくと言って部屋に戻ってしまったので、私達は少しだけ気まずい空気を吸っていた。
神官サマを追ってすぐに帰る気にもなれず、かといってそのまま飲み続ける気にもなれなかった。
少しの間、黙って残っていた食べ物を片付け、部屋まで一言も喋らずに戻っていく。
「カエル」
名を呼ぶと、ぴくりと緊張した面持ちで振り返る。
取って食おうって訳じゃないのに、と可笑しく思った。
「ちょっと、考えすぎ。難しいことは帰ってからゆっくり考えよう? 今日はゆっくり眠って、明日はオアシスの街を見に行こう」
ね? と笑ったら、一瞬面食らった顔をして、それから下を向き、片手で顔を覆ってしまった。
「……ユエがどうしてそんなに平気なのか、不思議だ。自分の故郷には帰れないっていうのに。命を削られるかもしれないのに。苦しい思いをさせられるかもしれないのに」
「まだしてもいない思いは考えても解らないよ。命は、減らないっていう自信があるんだよね。根拠はないんだけど。故郷は……もしかしたら時々恋しくなるかもしれないけど、そうしたらカエルが慰めてくれるでしょ?」
反応がなくて不安になる。
「くれない?」
「……俺で、慰めになるのか?」
「他の人には話せないから、カエルじゃなきゃ駄目だよ。神官サマはそういうのは期待できないし」
ようやくカエルは顔を上げた。
「カエルじゃなきゃ、駄目だよ」
濃い、サファイアのような瞳を真っ直ぐに見詰めて、もう一度子供に言い含めるようにゆっくりと告げる。
反応も返事も待たずに、少し微笑むと私はそのまま自分の部屋に入った。
カエルは心配が先に立って、自分の気持ちも私の気持ちも見えてないみたいだ。
自分の健康を捨てて、私を代書屋さん辺りに丸投げしようとか思ってるかもしれない。
私が魔力に曝された時に起こり得る危険度は変わらないのに。
『何か』を私からもらうことをまだ怖がっていて、大丈夫だという私の言葉も神官サマの言葉も信じてない。
だから、更に魔力に曝して危ない橋を渡るなんてしたくないのだ。したくない一心で、私を遠ざけた後自分がどういう気持ちになるのか、私がどんな気持ちになるのか、そこまで思いいたれてない。
ゆっくり眠って少し冷静になってくれれば良いんだけど。
朝から大変だったし、疲れていて頭が回ってないだけ……だと良いな。
私の秘密は他に話す気は無いのだ。それを聞いたのだから、カエルは私に、もう少し責任を持ってくれてもいい。
朝になっても解ってなかったら、説教してやる。うん。そうしよう。
◇ ◆ ◇
ちょっと気合いを入れすぎたのか、ゆっくりめの朝御飯に誘いに来たカエルが、ドアを開けたらたじろいでいた。
「ゆっくり寝た?」
睨みつけるような私の視線に、彼は無言でぎこちなく頷く。
よく見たら、ローブの下は護衛服じゃなくて普段着で、手袋をしてなかった。
思わず二度見する。
手袋をしていない。
説教しようとか、カエルが何を思ってるかとか、全部頭から吹っ飛んだ。
酒場の手伝い以来? 自分から外してるなんて!
突然消えた、私の威圧的な雰囲気と視線にカエルは苦笑する。
「……飯、どっちで食う?」
「……え? 何? どっち?」
「酒場か、屋台か」
差し出された手が何を意味するのか、しばらく理解できなくて、私はただ黙ってそれを凝視していた。
「……繋いでくれないのか?」
寂しげに引いていく手を私は慌てて捕まえる。
「え……と、や、屋台で!」
では、と当たり前のようにその手を絡めて歩き出したカエルに、私はまだ混乱していた。
「カエル? 整理できたの? もういいの?」
カエルからは溜息が聞こえる。
「全然よくない。整理なんてつけられない。でも、旅の間はまだ俺はユエの護衛で、執事だ。それを思い出した」
でも、護衛なら手袋は嵌めていてもおかしくはない。
繋いだ手に視線を落とした私に気付いて、カエルは続けた。
「……昨夜少し怠かった。久しぶりだし、気のせいかとも思ったけど、朝になっても変わらない。護衛仕事に支障はきたせない。ユエは護る。その力をユエ自身にもらうというのは少し情けないけど、我慢しないとも言ったし……」
「調子悪いなら、休んでてもいいよ? 部屋でゆっくりすればいい」
彼はゆっくりと頭を左右に振った。
「気のせいかと思えるくらいだから、そこまでじゃない。それに、部屋に2人で篭もってる方が危ない気がする」
「危ない?」
「昨日の今日であいつを喜ばせたくない」
顔を逸らしているカエルの耳先がほんのり赤く色付いていた。
つられて私も顔に血が上る。
「それなら、1日こうして観光でもしていれば、不自然じゃないしちゃんともらえる。ユエの言う通り、難しいことは帰ってからでいい、かもしれない」
カエルはちらりと私を確認する。
「……ユエが昨夜俺に触れもせず部屋に戻ると思ってなかった。さらりと引っ込まれて、自分が随分矛盾した事を考えていることに気付かされた。だから、1番単純な形は何だったか、とりあえず思い出すことにしたんだ」
宿から出る直前、カエルは私にフードを被せ、ショールをぐるりと巻き直した。
「もう日差しは大分強い。この方が髪色も隠せる。もしも、具合が悪くなってきたら早めに言うこと」
いいな、と念を押すカエルは、屋敷に居たときのように口煩い青年に戻っていた。
少し安心して、笑みが零れる。
「具合は悪くならないよ。そろそろ信じて」
「信じてない訳じゃない。慎重なんだ」
拗ねたように視線をそらした彼は、それでもしっかり手を繋ぎ直すと、ちょっと口角を上げてドアを開いた。
夜に見るのと違い、その街は砂漠の真ん中にあるとは思えないくらい、賑わっていた。その中の浅黒い肌の人達が現地の人だろうか。甕の様なものを持って、湖と街を盛んに往復している。その水が生活を支えているのだろう。
朝食になったのは何かの肉を豪快に焼いて、それをナイフで削いだものをナンのようなパンに挟んで食べる、ケバブのような食べ物だった。
少し癖のある肉の味が異国らしい。
暑い国の定番なのか、甘いミルクティーがあちこちで売られていた。
屋台ごとに微妙に味が違うのが面白い。
湖に沿うように主要な道路があって、何処が市場というわけでもなく、ちょっとしたスペースがあれば敷物を敷いて、あるいは地べたにそのまま商品が並べられていた。
野菜や果物、日用品、衣類、鳥や小型の動物まで、あらゆるものが雑多に入り交じって売られている。
次は何が出てくるのかと結構わくわくしながら進んだ。
暑いのでちょこちょこ休憩と称して日陰に入る。水分補給も忘れずに。
遅めの昼食にと入ったお店で、周囲から色々な言語が聞こえてきた。二ヶ国語どころではなくて、ちょっと頭がくらりとする。
「――ユエ?」
カエルの声が他の言語に埋もれている気がする。
店内がそれ程広くないせいもあるのだが、随分色んな国と交易があるようだ。
「ユエ? 具合、悪いのか?」
あ、まずい。カエルの声が焦ってる。
「違うの。耳から入ってくる言葉が多すぎて、ちょっと、飽和気味なの」
カエルは辺りを見渡した。
多種多様な人々の目的は商談や観光、旅の中継地、修行の拠点と様々だ。
「……外の方がいいか?」
「少しの間だし、大丈夫。聞いてるうちに慣れるはずだし」
耳を塞いでみたら、少しマシになった。
時々片方を離してみると、主、とか鬼とか明るい話題の中に物騒な単語が紛れ込んでいた。誰が言ってるのかは判らないけど。
森に、出るモノって、何?
唐突にこれから行く森のことが思い出されて不安になる。
「ユエ、行こう」
いやいや、誰も森の話をしてる訳じゃないよね? と思っていたらカエルに促された。
腕を掴まれて店の外に連れ出されると、今までぎゅっと詰まっていた頭がスッキリした。
「カエル、カエル。そんな急がなくて大丈夫だよ。カエルー?」
聞こえてないのか、聞こえてるけど止まる気が無いのか、ずんずんとカエルは進んでいって、湖の近くの木陰に着くとようやく私を振り返った。
「ユエ、本当に具合悪いんじゃないのか?」
「いや、全然平気だし。外に出たらもう大丈夫だよ?」
ちょっと呆れてカエルと手を繋ぎ直す。
「初めて聞く言語は二重度合いが強いんだよ。それが3つ4つ聞こえてきたら、訳分かんなくなっちゃって」
「本当に?」
「嘘言う理由が無いよ。ほら、普通でしょ?」
逃げ腰の手を繋ぎ止めて、大丈夫をアピールする。
「でも、良かった。主とか鬼とか話してる人が居たから、ちょっと変な想像しかけてた」
「――鬼? ……それ、どこでの話か分かったか?」
「え? あー……ごめん。それは単語しか拾えなかった」
「そうか。いや、いいんだ。帝都でも鬼と鳥の噂が出てたから、ちょっと気にしてるんだ」
そうなんだ? あの噂、まだ移動してるのかな……
「それって、飲みに行って聞いてきた話?」
「ああ。ああいう怪しい噂は酒の席の方が話しやすいからな」
「じゃあ、今夜も酒場で情報集める?」
きゅっと、繋いだ手に力が篭もる。
「ユエと一緒にはしない」
「え。でも、どうせご飯は酒場でしょ?」
「時間帯が違う。碌でもない酔っ払い連中に近付けたくない」
「……過保護」
ぼそりと呟いたら、脱いだままだったフードを乱暴に被せられ、ぐるりとショールで巻かれる。
「過保護じゃない」
いや、それを過保護と言わずして何というのか。
「色んな人と話すなら、通訳だって必要だよね? 私、役に立つよ?」
「そこまでして集める話でもない」
カエルはすっかり仏頂面になって、でもフードを被せる為に一度離した手は優しく繋ぎ直した。
「そうなの? ……これも、ちゃんと補充できてる? 私にはさっぱり判らないんだから、遠慮とかしないでよね」
繋いだ手を少し持ち上げると、カエルは視線を逸らした
こ、こいつ!
「カエル! 自分で言ったよね!? 仕事に支障はきたせないって」
「ユエが具合悪そうにしてたから」
「大丈夫だから! ちゃんとして? カエルが思うように、カエルが倒れたら心配する人が居るんだよ」
「解ってる」
上辺だけの解ってる、だ。
「カエルがちゃんとしないなら、毎日襲ってやるから」
は? とカエルが眉根を寄せた。
「嫌がるカエルを抑え込んで、無理矢理キスしてやる」
出来ないと思ってるんだろう。ちょっとの間の後、カエルはふっと笑った。
「分かった。ちゃんともらうから。変なことを考えるな」
「出来なくないからね。カエルはなんだかんだで私を振り払わないんだから」
あれ? きょとんとしてる。気付いてなかった?
「初めに手を繋いだ時から、本気になれば振り払えるのに、カエルはそうしたことないからね? そういうところ利用するのに、私、抵抗ないよ」
カエルの目が泳ぐ。思い出せばいい。触れる前ならば逃げられるけれど、1度掴まえてしまえば、私を傷つけてまでそれから逃げ出そうとしたことは無い。
「証明しようか?」
「証明?」
思い出を探りに行っていたカエルに警戒の雰囲気が纏わりついた。
わざと間を開けてカエルに巻かれたショールを直したりする。そりの時のように口元がきちんと隠れる様に。
私は警戒しているカエルに態々いくよと目を合わせてから、繋いだ手を引いた。こんなに時間をあげたのに、カエルの抵抗は少ししかなく、苦笑いが浮かぶ。
その抵抗分、私は1歩を踏み出して彼との距離を縮めると、空いている片手で彼の首にぶら下がるように力を込め、少し背伸びをしながら彼にキスをした。
布越しのキスを。
今の行程で何度逃げられる隙があっただろう。
視線はずっと合っていた。けれど、恋人らしいムードとか、そういう感じではなくて、どちらかというと、牽制し合うライバルのような。
愕然としているカエルから一歩離れて、ね? と首を傾げる。
「今のは触れてないからノーカウントだけど、その気になれば出来るってことは解ったでしょ。解ったら、本当にちゃんとしてね」
「……触れて、ない?」
はっとして彼は繋いだ手に視線を落とした。
紋が発動してるのかもしれない。今は服の下で私には判らない。
「大丈夫だから、離さないでね? 妙な曰くのある森に入る前に、カエルが万全じゃないと私が困るんだから」
カエルは諦めたように溜息を吐き、空いている方の手で私をそっと抱き寄せた。
「自分の駄目さ加減が嫌になるな」
「カエルが駄目なんじゃないよ。私が少し上手なだけだよ」
自慢げに言ったら、それは無い、と鼻で笑われた。
なんで?! 解せぬ!





