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蒼き月夜に来たる  作者: ながる
砂漠へ

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72.コクハク

 自分より怒ってる人を見ると逆に冷静になってくるのは何でだろう。

 私は振り上げた腕を気まずい気分でそろそろと下ろす。


「きつくかけたつもりだったのですが……少しの間しか保ちませんでしたね。どうぞ。ユエも殴って頂いて構いませんよ」

「……もう気が削がれました。殴られたがる人を殴る趣味は無いですし」


 ギリギリセーフだったし。

 ふふ、と笑って神官サマはカエルに視線を戻した。


「少し、気は済みましたか? 屋敷の時も殴りたがっていたでしょう? 何でも我慢すれば良いというものでもありませんよ」

「うるさい」

「そんなにユエを大切に想っているのに、どうして彼女を人恋しくさせているのです」

「……ちょっ」


 やめて! 何を言い出すの!

 ひとり慌てている私に2人とも関心を示さなかった。


「私に試させないというなら、貴方が示して下さい。でないと、いつかジョットさん辺りに攫われても知りませんよ」

「知ってて言うのか!? 俺が、どうして……!」

「知ってるから言うのです。今のままではお互いの為になりません。大丈夫だと示したではありませんか」

「あれは魔力が無い話が前提ではなかった!」

「そうですね。でも、ですから確認しなければいけないでしょう?」

「そんな博打(ばくち)は打てない」


 小さく、いやいやをするようにカエルは視線を落として首を振った。

 神官サマはそんなカエルを見下ろして呆れたように溜息を吐く。


「大切になりすぎると、臆病になるのですね……制御が効くうちの方が良いですよ。反動の計算は私には出来ないので」


 ビクッと体を震わせて、カエルは両手を背中に隠した。


「それも……知って……?」

「今気付きました。両腕に紋があるなら、その為でしょう。見せてみますか?」


 かなり躊躇して、何度も神官サマの顔と地面に視線を往復させた後、カエルはゆっくりと手袋を外し、袖を捲った。


「ユエはまだ知らないのですね?」


 腕を少し焚き火に近づけるように指示して、神官サマは紋に顔を近づけた。ほんのり瞳が光を孕む。


「紋のことは知ってる。初めから。何の紋かは……話せてない」


 諦めたようにカエルは目を伏せる。

 ふぅんと聞いているのかいないのか、神官サマは目を眇めた。しばらくそうして黙って紋を視ていたが、おもむろに彼はカエルの指先を掴んだ。

 驚いて手を引くカエル。


「正気か!?」

「ちゃんと、効いているではありませんか。ミスター・ビヒトは本当に優秀ですね。どの位勉強なさったのでしょう」

「お嬢といい、研究者肌の奴らはどうして……」

「おや。奥様も確かめられましたか」


 神官サマはくすくすとおかしそうに笑って、慌てて袖と手袋を元に戻すカエルを見ていた。


「何も無ければ、帝都に戻るまでは大丈夫でしょう。私ではなく、ミスター・ビヒトを信じて、早くユエにお話しすることですね。恐らく、貴方が怖がっている程のことはありませんよ」

「……信用してないのは、自分だ」


 ぼそりと呟くカエルの様子に、神官サマは苦笑する。


「私としてはその方が資料が頂けて嬉しいのですが」

「お、教えるとは言ってない!」

「では、ユエに聞きます。微に入り、細に入り……私でも同じ反応になるか確かめてみたくなるかもしれませんね」


 意地悪く笑う神官サマの胸倉を反射的に掴み上げて、カエルはその琥珀色の瞳を睨み付けた。


「あんたのそう言うところが気に食わない」

「ユエを愛していると言えば、許されるのですか」

「上っ面の言葉なんてどうでもいい」

「では、どうしようもありません。私には愛することも憎むことも出来ないのですから」

「じゃあ、ユエを巻き込むな」

「無理です」


 神官サマは桜を視たときのように、少しうっとりと私の方を見た。


「私はユエを()りたい」


 その表情(かお)に驚いたように手を離して、カエルは苦虫を噛み潰したような顔をした。


「それを、世間では『恋』と呼ぶのでは無いのか?」

「どうでしょう? 別に、ユエが欲しい訳ではないので。知識として知っておきたい。それだけでは恋と呼ばないでしょう?」


 私を目の前に、私の話をしているのに、2人はふたりだけの世界で話している。

 口を挟める訳でも無く、少し居たたまれない気持ちで私はお茶を啜っていた。


「俺には解らん」

「そうでしょう。この問題は私達がいくら考えても結論が出ないと思います。ですから、貴方の問題を片付けてしまいましょう。足りないところは私がお助けします。それとも、まだ逃げ道が欲しいですか?」


 カエルはしばらく足下に視線を落としていた。

 珍しく神官らしい言葉をかけていた神官サマは、カエルを急かす訳でもなく黙って彼の決断を待っている。


 ここで私が急かしてはいけないのだろうが、すっかり蚊帳の外だったので、いい加減待ちくたびれていた。正直どっちでもいいよって口に出しかけて、カエルの短く吐いた息の音に慌てて口を噤む。

 多分、水を差してはいけない場面だ。


 神官サマを殴ってから、カエルは1度もこちらを向かなかった。まるで、私を意識の外に放り出しているみたいに。

 その彼が意を決したかのように顔を上げると、ようやくこちらを見て、私の前に跪いた。


 荷物の木箱に座っている私を見上げる紺色の瞳は、決意半分、不安半分で揺れている。

 カエルの緊張が私にも伝わって、いつの間にか息を詰めていた。

 彼が言葉を紡ぐために息を吸い込む音がはっきりと聞こえる。


「先に延ばすと言えなくなりそうだから、肝心なことから先に言う。俺は触れた者から生きるのに必要な()()を奪う、伝説にあるようなタマハミと呼ばれるものだ」


 は? と声が出ただろうか。意味がよく飲み込めなかった。


「『何か』、が何かよく分かっていない。うちにある計測器で計れるということと、俺にはその『何か』が人の何倍も必要だということ、青い月の見える夜に地底湖にその『何か』が蓄えられるということくらいしか分からない」


 そこでカエルは私の様子を確かめるように1度言葉を切った。


「初めに命を落としたのは母だった。赤児の俺に乳を飲ませる度に寝込み、俺を抱き締める度に衰弱していった。おかしいと気付いたのは巫女をしていた婆さんの姉で、その頃には母はもう手の施しようが無かった。父は産まれて間もない俺がちょくちょく熱を出すので、都会で薬をもらってくると出て行ったきりらしい。何かあったのか、逃げたのかは分からない」


 いきなりハードな内容に、反応すら出来ないでいた。聞いて直ぐ理解が出来ない。理解しようとすると先を聞き逃しそうだった。


「慌てて古い文献を紐解いて、地底湖の事が分かる頃には婆さんも逝ってしまった。寿命だったのか、俺の所為(せい)かは教えてくれなかった。巫女の婆さんは古い教え通り対処して、細々と俺を育ててくれた。小さいうちは『何か』もそれ程必要なく、月に1度地底湖で沐浴する程度で暮らせていた。巫女の婆さんが爺さんに会ったのはその頃で、彼女が、死んだあと俺を頼むと託したのが爺さんだったんだ」


 ここまでいいか? と言うようにカエルが少し首を傾げる。

 飲み込めてはいなかったが、私は小さく頷いた。


「お嬢との暮らしも慣れ始めたある日、森というか山の入口というか、そんな場所に連れて行かれて散々連れ回された。俺は具合の悪くなってくる時期で、少々無理をしていたけど言わなかった。ちょっと休もうって言おうとしたら、巣から落ちて鳴いている雛鳥をお嬢が見つけて、巣に戻そうって言い始めた。自分で掬い上げて、それでは木に登れないと気付いたのか、ちょっと持っててって、ひょいと俺の手に渡したんだ」


 カエルはそこで自嘲気味に笑った。


「お嬢は手袋をしていたけど、俺はその時急に連れ出されたのと、手袋をしているお嬢と一緒だっていう安心感で素手でもまあいいかと楽観していて、渡された雛鳥が見る間に弱っていくのを呆然と見てるしかなかった。お嬢が異変に気付いた時、雛鳥は力無く一声鳴いて動かなくなった。俺はショックだったのか、我慢してた具合悪さが急に幾倍にも増して、その場にへたり込んじまった」


 思い出したのか、カエルの手が細かく震えている。


「やばいと思ってビヒトに連絡したまでは憶えてる。少し具合の悪さが軽くなって目を開けた時、お嬢が傍で倒れていた。手袋を外して、俺の手を両手で握っていた。怖くなって、とにかくその手を外して泣きながらビヒトを待っていた。小鳥のように、お嬢もこのまま冷たくなったらどうしようと――」


 そうか。彼のトラウマの原点はそこなのか。

 触れるだけで自分の意志とは関係なく命を奪ってしまう。それはどれだけ怖いことだっただろう。

 私は震えているカエルの手を両手で包み込んだ。テリエル嬢は今も元気でいる。大丈夫だったのだ。

 彼は少し驚いて一瞬言葉を無くしていた。


「――結局お嬢の方が俺より長く寝込んだ。俺は触れれば水でも植物でも動物でも()()を取り込める。青い月を待って沐浴すれば元気を取り戻せた。でも、普通の人々は、拡散されて薄まったそれを、水や食べ物から少しずつ自分の中に取り込むしかないんだ。少量でいいとはいえ、お嬢が元気になるまでひと月はかかっていた。それだけ普段口に入る物の中に()()は少ないんだ」


 落ち着こうとしたのか、彼は少し深く息をする。掴まれている自分の手を見てから、心配そうに再び私に視線を戻した。


「ユエが来て驚いた。地底湖が光って水から上がったらもう自分の体じゃ無いみたいだった。ユエを抱え上げた時も殆ど重さを感じないくらいだった。頭痛も無い。怠さも無い。調子が良すぎて怖いくらいだった。検査の結果がいつもの沐浴後の5倍くらいだったんだ。驚いて当然だろう?」


 カエルは少し肩を竦める。


「お嬢の一件後、ビヒトと爺さんの試行錯誤で腕の紋を入れた。足りない時以外は間違って触れても『何か』を吸収しないように。自分の意思で制御を外すことも出来るようにして。でも、成長するに従って体はいつでもそれを必要としていた。本当に紋が機能してるのか疑ったくらいだ。でも、ユエが来た日から紋はちゃんとその性能を発揮してる。自分で制御も出来る。寝ているユエで実験もした」

「そうなの?!」

「悪かった」

「あ、いや、いいんだけど」


 カエルは困ったように微笑む。


「ユエがそうやっていいって言うから、俺はちょっと調子に乗ったんだ。初めて直に手を繋いだ時、全然普通のユエに驚いた。紋は『何か』を吸い込むときに発動して光るから、気付いたときに自分で制御出来るようになっていて、発動してるのにユエは普段通りで……後ろめたくもあったけど、ユエが利用してもいいと言ってくれたから気持ちは少し軽くなった」


 今度は視線を伏せて溜息を吐く。


「そうやって手を繋いでくれるユエを利用してるうちに、だんだん元気でいる為に『何か』が欲しいのか、ユエと手を繋ぎたいだけなのか、分からなくなってきた。ユエが時々欲しがる温もりが何なのか、ようやく解って、でも、解ってしまうと、もっと、と思ってしまう。そうこうしてるうちに人の気も知らずにユエは抱きついたりするし」

「ご、ごめん」


 震えの止まった手で、カエルは私と指を絡めた。


「いくら触れても、ユエは倒れないし具合が悪そうでもない。俺を抱き締めるのも恐る恐るなんかじゃない。知らないから当然なんだが、ユエを失いたくないと思うまでそう時間はかからなかった。失いたくないと思ったら、今度はいつまで、どこまで、ユエからもらって良いものか不安になってきた。量が決まっていたら、いくら多量でもいつかは尽きてしまう」


 今現在もそう思っている、とその瞳が告げていた。


「光る海を見たときに、初めて上限以上を自分の意思で吸い上げた。ユエは綺麗って無邪気に見ていたけど、俺は怖くて仕方がなかった。今にもユエが倒れるんじゃないかって」


 そんなことを思っていたとは思わなかった。何をされたとも思っていなかった。


「話してしまおうと思った。もうユエが不用意に俺に触れないように。でも、触れられなくなることより、怖がられてユエが居なくなることの方が怖いことに気が付いた。だから、その後でユエが俺を化け物でも関係ないと言ってくれたのが凄く嬉しかった。酷い例えだけど、嬉しかった」


 あの時のスイッチはそれだったのかと、ようやく納得した。何気に1番の疑問だったのだ。


「もう上限以上吸っていたし、触れても大丈夫と確信してたから、抱き締めたし、あいつにされた祝福の上にキスも出来た。次の日は1日独り占めして、帰ったら諦めようと思ってた。もう触れないし『何か』も貰わない。ユエが誰かと幸せになるのを見守ろうと――」


 馬車の中で感じた不安は、ある意味当たっていたのだなぁと小さく溜息を吐く。

 あれ? でも、帰ったら普通だったような。


「結果は分かってるだろうけど、無理だった。行きは気にせず寝てたのに、帰りの馬車で緊張してる様を感じて愛おしくてたまらなくなった。不安そうな顔をするから、一緒に寝るかって半分冗談で聞いたのに、真剣な顔で頷くユエを本気でベッドに連れ込もうかと思った。何とか繕ったら終いには抱きつかれて、どうして諦められる?」


 熱っぽい瞳に見詰められて顔が赤くなる。

 だって、あの時は。

 でも、今があるのだから、あれは正解だったのだ。たぶん。


「一晩悩んで、結局今まで通りが1番近い関係だと結論付けた。ユエも俺も、きっと急には変われない。触れたいときは触れよう。気を付けるけれど、ユエなら少しの失態くらい大丈夫。そう思ったから」

「……それで、ジャム……」


 カエルが少し動揺した。耳先が赤い。


「お、思った以上に触れたくなったんだ。どうしちゃったのって言われて、やり過ぎだと気が付いた」


 駄目だ。この人取り繕うのが巧すぎる。舞踏会まで気付かなかった訳だ。


「今回の騒動でユエが怪我したって連絡を受けて、詳細も聞かずに宿まで走った。ユエが死んでしまったらどうしようってそればかり考えてた」

「そんな怪我じゃなかったよ……」

「そのくらい冷静じゃなかったんだ。あいつがうちに来たとき、ユエを利用して俺達に近づいたっていうあいつに腹が立ったけど、言わずに利用してる俺達とどっちが悪質かって言われてショックだった。振り上げた拳が下ろせなかった」


 ちらりと私は神官サマを見た。いつものように微笑んでいる。もう。


「ちゃんと話せるまでユエからもらわない。そう決めた。舞踏会の時が1番危なかった。手で触れるなら制御も効くけど、唇や舌が触れても大丈夫か判らなかった。我ながらよく我慢したと思う。我慢できて良かった」

「良かった?」

「ユエに魔力が無いって話しになって、じゃあ、どうやってユエは体を維持してるのかと疑問に思った。あの『何か』が多いのは、魔力の代わりを担ってるんじゃないか。お嬢みたいに()()が切れても魔力に余裕があれば何とか命を繋げるのかもしれない。でも、魔力が無い者の()()が切れたら?」


 あぁ、カエルは解っていない。その心配は多分杞憂だ。


「あの夜、ユエを抱き締めてやれなかった。あんなユエを抱き締めたら、抱き締めるだけじゃ終わらない。ユエに請われたら、請われなくとも、抱いてしまいそうだった。俺が人を抱くなんて、ただでさえ危険行為だ。それが、魔力が無い者を抱く? 『何か』がどのくらい減っているのかも判らない状態で? たった一晩でユエを失いたくなかった。たとえユエを傷つける結果になっても」


 辛そうに、絡めた手に少し力を込めて、カエルは私の膝に額を付けた。


「もうユエに触れられなくてもいい。ユエが居なくなることだけは考えられない。命を脅かすような男と居てくれなくてもいい。でも、幸せになるユエを見守るくらいは許してくれ」


 長い長いカエルの告白は泣きそうな声で締め括られた。

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[良い点] あー!そうだったんかー!!! なるほどなぁ……それはトラウマになる……。 告白まで頑張ったなぁ、カエルさん。さあ、ユエちゃんがんばれー!
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