3.わたしはダアレ
高槻 葵という人物は、好奇心旺盛で大雑把。綺麗なモノや可愛いモノ、お祭りや飲み会が大好きで、もふもふしたモノなんて言わずもがな!
だけど何処かひとつの団体に所属し続けるのは苦手で、結局付き合いは広く浅くに留まっている。
長く続いている友達もいるにはいるが、こちらもべったりというには程遠く、実際会うのは年に数回だ。
家でスナック菓子をつまみながら、ひとりネットサーフィンしたりゲームをしていることも多い。
金冠日食やスーパームーンが巷を賑わせた頃に、とある大学の天文サークルに参加することになった。きっかけは中国語で『月』が『ユエ』と読むと知って、それをハンドルネームに使って始めたゲームだった。
ゲーム内のイベントで蝕が起こり、モンスターが活性化するというものだったが、討伐そっちのけでリアルな蝕のグラフィックを見られる丘に陣取って鑑賞していると、数人いた、同じ目的であろうプレイヤーのひとりに話しかけられたのだ。
月―ユエ―さんって、リアルでも星を見たりする?
と。
当時高校生だった私は、主にソロで活動していたので慣れないチャットにテンパりながらも、知識は無いけど見るのは好きだ、と、なんとか伝えた。
彼女は大学生で、天文サークルだか同好会だかに所属していて、参加人数が少ないので外部の天文好きを勧誘しているのだと言っていた。
活動は割と緩く、観察スポットを探してわいわい眺めたり、プラネタリウムでお昼寝したり、活動後の飲み会をメインに置いてる人もいるという。
高校生だと伝えた後も、夜が無理なら昼の会に一度来てみない? と誘われた。
その時はお断りしたのだが、フレンド登録して何度かゲーム内で遊んでいるうちにすっかり仲良くなってしまい、昼の会に何度か足を運び、夜の観察会に参加するまでそう時間はかからなかった。
彼女がしっかり送り迎えと、家族に連絡を欠かさなかったお陰でもある。
夜遊びはとても魅力的で、すっかり浮かれてしまった私は、そこで初カレをゲットしたりもした。二股が発覚して、すぐに別れることになったというオチまで付いてくるのだが。
大学生の雰囲気にすっかり酔っていた。進学するために普段はしっかり勉強もした。
そしてはたと気付く。
私が入学する頃、彼女らはすでに卒業していると。
人が変われば同じサークルでも雰囲気はがらりと変わる。
サークルを目的にしないのであれば、4年もだらだらと通いたくはなかった。
親は専門学校の方がいいんじゃないか? と言ったが、私は『大学生』になりたかった。
何より、一人暮らしがしたかった。両親との関係は良好だったが、何に関しても最終的には「好きにしなさい」と丸投げされるのは、自由ではあるが、突き放されているようにも感じていた。跡継ぎがいるのだから、私はこの家から出て行くものと思っているんだろう。
だったら、早く自立できるようになりたかった。
そんな理由で、私は隣の市の短大を受けたのだ。
結論として、大学生活は充実していた。気ままな一人暮らしも堪能した。
寂しくなったら実家に帰ったりもした。
あの天文サークルはネット上に活動の場を移し、細々と続いている。年に1度のオフ会には参加しているが、彼女以外のメンバーは常に流動的だ。
そうして卒業間近になった今、私はちょっと焦っている。
就職が決まらない。
結果待ちがまだ数社残ってはいるが、芳しくは無い。
春になっても決まらなければ、実家に帰ることになるだろう。
それは、ちょっと……こう、バツが悪い。一人暮らしを続けるにしても、親の援助に頼りたくない。バイトの掛け持ちでなんとかやっていけるもんだろうか……
時給と家賃、光熱費……食費もか。
考えるのが面倒臭くなって、近所のコンビニでチューハイを買ってきた。
大丈夫大丈夫! きっとなんとかなる!
ひとり酒盛りで盛り上がって――
気が付いたら、水の流れるあの場に立っていたんだ。
◇ ◆ ◇
お屋敷のドアの向こうには、お屋敷が広がっていた。
当たり前だって? うん。そうなんだけどね。
床は臙脂のカーペットが敷いてあるし、ドアの横には壮年の執事服を着た人が恭しく頭を垂れている。
「お帰りなさいまし。奥様。人払いは済ませてございます。ご安心を」
「治療室の準備はできていて?」
「問題なく」
そこでつと顔を上げて私を見ると、少し目を眇めた。
まさにロマンスグレーの髪を後ろになでつけ、温和そうな顔立ちだが、薄い茶色の瞳の奥に油断ならない光を湛えている。
これぞ出来る執事! という感じ。
綺麗なお姉さんもダンディーなおじさまも、ワタクシ大好物であります。ここは天国かもしれない。
「プロラトル家執事のビヒトと申します。お名前をお聞きしても? お嬢さん」
髪と同じグレーの口髭の下で口元が少しだけ緩む。
いかんいかん。熱い瞳で見つめてしまった。
「ユ……ユエと申します。えぇと。よろしく、お願いします」
私の声を聴くと、ビヒトさんはわずかに驚いて、テリエル嬢に確認するように視線を向けた。
彼女はひとつ頷く。
「ビヒトもそう思うのね。近いうちに教会に行ってくるわ」
「……それがよろしいかと。ところで坊ちゃ……カエル様は迎えが必要で?」
「いえ……大丈夫みたい。もう来ると思うわ」
話している間に、ガチャリと鍵の開く音が響く。
私は慌ててその場から少し離れた。
このドア、オートロックみたいに閉めると鍵が掛かるのか。
「立ち話か? ビヒトらしくもない」
「お帰りなさいませ。失礼致しました。すぐにご案内を」
「案内って、そこだろ」
「ユエ様は初めてでいらっしゃいますし」
「客扱い、でいいんだ?」
「とりあえずは。奥様もそうするおつもりの様ですし」
軽口なのか分からないような会話をしながら、ビヒトさんは向かい側の部屋のドアを開けた。先程潜ってきたドアと同じ意匠のドアを。
中は保健室、という感じの部屋だった。
簡易なベッドに衝立、薬の匂い……天井まである大きな棚で部屋を区切り、隣は薬品室といったところだろうか。シンプルなテーブルとその上に置かれた実験道具の様な物がちらりと見えた。
「カエルが先ね」
小さめのクローゼットから白衣を取り出して羽織ると、聴診器の様な物を首にかけ、テリエル嬢は机の前の革張りであろう椅子に、カエルは上着を脱ぐと簡易ベッドに腰掛けた。
お医者様とかいるのかと思ったら、彼女が診るの?!
「どうぞ、こちらに。大丈夫ですよ。奥様は医師の免状も薬師の免状もお持ちですから」
気が付くと、ビヒトさんが何処からか椅子を持ってきてくれて、私の驚きを察したように説明してくれる。なんてそつがない!
お礼を言って腰掛ける。
テリエル嬢は聴診器の先のラッパ型の部分の根元についている、小さな宝石のような緑の石を軽く爪で弾いてから彼の胸に当てた。
背中側も当て終わると、もう一度石を弾いてから耳から外す。
そわそわする。何の意味があるんだろう?
「ん。問題ナシ」
彼女は机を向いて、あまり質の良さそうでない生成りの紙に何か書き込む。万年筆の様な形だが、インクにつけているので、つけペンか。
その間にカエルは上着に腕だけ通していた。
続いてあかんべぇをさせられたり、喉の奥を覗かれたり。ペンライトの様な物を使うときも、石を爪で弾いてから使う。今度の石は淡い黄色だ。
スイッチみたいなものかなと予想を付ける。
最後に注射器が取り出された。
「どっちにする?」
言いながら薄手の手袋を外すと、消毒薬が満たされているであろう洗面器で手を洗い、白い布を用意した。
カエルは無言で腕まくりすると、左腕を差し出す。
彼女は慣れた仕種で彼に直接触らないように布をかけると、あっという間に採血を終わらせた。
「着替えていいわよ」
あっちで、と奥の薬品室を指さすと、彼女は手早くいくつかの試験管に血を分け、最後の数滴を見慣れない機器に垂らした。
その機器だけ妙に現代の測定器っぽかった。
塩分や糖分を計る機械のような……ただしデジタルの数値が出るわけではなく、針が振れるタイプのようだ。
彼が立ち上がって、彼女の肩越しに覗き込む。
次の瞬間、2人はぴたりと動きを止めた。テリエル嬢の顔が徐々に焦りの表情に変わる。
なんだろう? と首を伸ばす。針は真ん中を少し超えたくらいまで振れていた。
「カエル、異常は!?」
「診察ではなかったんだろ?」
椅子ごと振り返って、彼に詰め寄る彼女がぐっと言葉を詰まらせる。
「……しいて言うなら、怖いくらい調子がいい……」
まるで悪いことを報告するかのように、彼は彼女から視線を外してぼそりと言った。
「……調子、いいの?」
拍子抜けしたように、浮かせかけていた腰を椅子に降ろすと、彼女はもう一度さっきの測定器を睨む。
一度流水で受け皿部分を濯いで、さらに何か薬液でも洗うと、綺麗に水分を拭き取ってから今度は水を測定器に垂らす。
ほんの僅か、小さなメモリ一つ分もいかないくらい右に振れる。
「壊れたわけじゃ……なさそう」
難しい顔で思考の海に漕ぎ出そうとしている彼女だったが、カエルに着替えを手渡しているビヒトさんが声を掛けると我に返った。
「ユエ様のご診察が先かと」
そのまま衝立を移動させて、薬品室の方からは完全に死角になるようにしてから、彼も下がって行った。
「そう、だったわね。ごめんなさい」
私はカエルに倣って簡易ベッドに腰を掛けると、上着の紐を外した。
テリエル嬢が新しい紙にさらさらと何かを書きつける。
見たこともない字だったが、じっと見ているとぼんやりとルビが浮き上がってきた。日本語で。
ぎょっとしたが、気になったのでよく見てみると名前と性別、濃い茶髪などと書かれているようだ。
これ、そういう仕様の紙じゃないよね? 私に搭載された翻訳機能は優秀ってこと?
身長体重もその場で測られ、書き加えられる。
「覚えている範囲で持病はある? あと、大きな病気をしたこととか……」
「どちらもありません……多分……」
後はカエルと同じように聴診器を当てられ、目と咽喉を確認された。違ったのは全部素手で行われたことくらいだろうか。
目がちらちらとブラに向けられるのを、ちょっと面白く感じながら上着を羽織る。
「着替えが調達できたら、貸してあげますからじっくり研究して下さい」
「ホント?」
声が弾んで、目がきらきらしていた。
どうやら素材だけでなく、レースの模様や形にも興味があるらしい。
彼女は上機嫌で採血を終えた。
やはりカエルの時と同じように、いくつかの試験管に血を分けて、残りの数滴を測定器に垂らす。
とたん、すごい勢いで針が右に振りきれた。
彼女は口角を上げたまま石化して、たっぷり1分は動かなかった。
それからゆっくり時間をかけて振り返ると、そのままの表情で私の両肩をがっしり掴み、有無を言わせぬ声で言ったのだ。
「もう一本、血を頂戴」
ホラーですか。
「えっ。いいですけど、それ、何を測るモノですか? 病気の兆候とか、なんでしょうか?」
「大丈夫だと思うわ。でも、他の検査もしてみる必要があると思うの。そうよね? あなたもその方が安心よね?」
な、何事?!
目は笑ってないけど、爛々としてるし! 頬を上気させてにじり寄ってこられても!
不穏な空気を察知したのか、ビヒトさんとカエルが遠慮がちにこちらを覗いた。
2人は測定器を見て一瞬ぎょっとすると、憐れみを含んだ表情でこちらを見る。
「ユエ様。こうなっては奥様は止まりません。諦めて従ってください」
申し訳なさそうに頭を下げる。
「とりあえず、店は閉めなきゃ駄目そうだな。ビヒト」
「承知いたしました」
「俺も一旦部屋に戻る。しばらくしたら迎えに来るから、まぁ、頑張れ」
その応援が怖いんですけど!
彼らが出て行った後、さっきより多めに血を抜かれ、髪の毛や唾液をサンプルだと言って取られ、服をひん剥かれて体中確認された。
綺麗なお姉さんは、マッドなお姉さんだったのだ……