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蒼き月夜に来たる  作者: ながる
落ちた先
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2.キレイなお姉さんは好きですか

 固いベッドの上で目が覚めた。

 眠れたような、眠れなかったような……

 自分の部屋の床の上で目覚める夢など見たら、どれが現実なのか判らなくなるよね?

 丸太の組まれた天井に、起き抜けのため息が吸い込まれていく。

 ゆっくりと起こした身体は重だるくて、これが現実なのだから諦めろと言われている気がした。

 周囲は昨夜見た景色と変わらない。

 もう一度、わざと音を立てて肺の中の空気を押し出してしまうと、勢いよく顔を上げた。


 ぐだぐだしててもしょうがない。

 帰るにしても、なんにしても、暮らしを整えなければ動けもしない。

 幸い言葉は通じるし、警察に突き出されたとしても、いきなり死刑になるようなことにはならないだろう。


 ――ならないといいな。


 とりあえず、溺れ死ぬことは避けられた。きっと、なんとかなるだろう。

 ベッドサイドの小テーブルに、水の入った桶とタオルが用意してあった。私はそれで遠慮なく顔を洗わせてもらう。目元が腫れているような気がしたので、タオルを浸してしばらく冷やしておいた。




 彼は昨夜、あれからほとんど反応を返さなくなった私を、棚と布で仕切っただけの隣の部屋に運んでくれた。

 ベッドに横たえ、泥だらけの足を拭き、スリッパ状の履物まで用意してから隣の部屋に戻り、誰かに連絡したあと、静かに小屋から出て行った。

 醜態をさらしまくっていたので、よく覚えてないけど。

 うん。覚えてなんてナイナイ。


 いきなりナイフを投げつけたり、突きつけたりした割にはずいぶん親切だ。お人好しだよね?

 こっちは武器を持つどころか着の身着のままな訳だから、危険はないと解ってもらえたんだと信じたい。


 しばらくすると、尿意をもよおしてきた。

 考えないようにしてたけど、洞窟の中にトイレがあるのか(はなは)だ疑問である。

 外に出て、どこか陰でしなければならないのかと、ちょっと葛藤して、部屋の隅にあるドアに目をとめた。

 一縷の望みを抱いて開けてみる。


 ビンゴ! 良かった! 神様ありがとう!


 べつにどの宗教も特別信仰しているわけではなかったけど、私は心から感謝した。

 普通に蓋のない洋式便座で、覗き込むと下は槽になっているようだった。なんだかじんわりと波うっているようにも見える。

 とりあえず腰掛けてしまって、オスメイトトイレのような感じなんだろうと自分を納得させた。

 落ち着いて辺りを見渡してみると、台の上に四角い紙が積んである。薄茶色で、思ったよりは柔らかい。

 ひい婆ちゃんが言っていたことを思い出して、ちょっと感動した。

 これをぐしゃぐしゃと揉んで柔らかくして使ったんだよね!


 なんだか時代がかっているのかとも思うけれど、それにしては小綺麗で、簡易トイレのような臭いもほとんどない。印象がちぐはぐだなぁ。

 あんまり使われていないだけかもしれないけど。

 顔を洗った桶の水で手を洗っていたら、外から女の人の声が聞こえてきた。


「――エル! カエル! 帰ってこないって、どういうこと!?」


 相変わらず二重音声。ちょっと聞き耳を立ててみる。


「……お嬢……? ……ビヒトは?」

「違う仕事を言いつけてきたわよ! っていうか! そこで寝たの?!」


 彼女の声はずいぶん怒気を孕んでいる。

 って、いうか。そこで寝た? 昨夜からそこにいるの? てっきり別の小屋とか家に帰ったのかと思ってたのに……


「大丈夫だっ……ぶっ」

「大〜丈〜夫〜? 青い顔して! どの口が言うのよ! そう言いながらぶっ倒れたの、どこの誰かしら!?」

「離っ……せ。本当に、大丈夫だからっ。ちょっと寝不足なだけで……それより侵入者なんだが……」

「賊にベッドを譲ってどうすんのよ! 縛り上げて、その辺に転がしておけばいいでしょ!」

「いや……それが……」


 言い淀む彼に弁解させる暇も与えず、説教をまくし立てる。早口で、ヒアリングも追いつかなくなりそうだ。だんだん関係ない愚痴も混ざってきたようで、私のせい(?)で彼が怒られているのが不憫になってきた。

 そろそろと移動して、ドアを押してみたがびくともしない。

 あれ。昨日はすぐ開いたのに。

 すぐそこで話しているのは明白だったので、ドアをノックしながら話しかけてみた。


「あのー……」


 ぴたりと話が止む。


「……賊……?」


 戸惑い気味の彼女の声に続いて、がたがたと音がした。

 ゆっくりと開かれたドアの向こうには、金髪碧眼の絵に描いたような西洋美人のお姉さまが、目をぱちぱちさせて立っていた。


 ◇ ◆ ◇


 とりあえず、全員が小屋の中に入る。

 干されていた下着に目を丸くして、彼を一度追い出したりと一悶着あったものの、今はお姉さまが座った彼の脈をとっていた。薄い、地肌の透ける長手袋が気品を漂わせている。

 淑女は殿方に直に触れてはいけないという決まりでもあるのだろうか。

 私も下着を身に着けて心許ない感覚から解放され、黙ってそれを見守っていた。


「――大丈夫だろ?」

「……熱もなさそうね……でも、帰ったらいつもの検査だからね!」


 口から体温計らしきものを引っこ抜いて確認した後、彼女はぷぅっと頬を膨らませた。美人なのに、可愛い……

 はいはい、とおざなりに返事をして、彼は彼女に席を譲った。

この場に椅子は2脚しかない。なんだか私が座っているのが申し訳ないような気になって、ちょっと腰を浮かしかけたのだけれど、彼が呆れたように手で制したので結局そのまま座り直す。


「――で、どうやらあの穴から落ちてきたらしいんだが、どうも要領を得なくて……」

「頬の傷はその時?」

「……それは俺が……」


 彼女は呆れた顔を彼に向けた。


「掠っただけのようだから、痕も残らないと思うけど」


 手際よく消毒だけしてくれて、彼女はにやりと笑う。


「女の子を傷物にしたなんて、責任取らなくちゃならないかもね?」

「その時は責任取って、きっちり始末すればいいんだろ?」


 なんだかドキドキするんですけど? 物騒すぎて!

 私のことなどお構いなしで、彼女は表情を引き戻した。


「水に落ちたときに光ったって、何か心当たりはないの?」

「いえ、さっぱり。驚いて水をしこたま飲んだくらいですから――彼の腕のあれは、関係ないんですか?」


 彼女は彼の腕に視線を落とした後、彼と意味ありげに目配せした。


「それは……多分、ないと思うわ。眩しいほど光ったことはないし……彼の持病に関係する紋だから……」

「そう……ですか」

「あ、言っておくけど、うつったりする病気じゃないから安心して?」


 そんなことは微塵も考えてなかったので、一瞬きょとんとしてしまった。


「彼がここまで運んだって言うから、気にするかなと思って」


 そういう扱いを受けたことがあるのだろうか? 困ったように微笑んで彼女は彼を見上げる。彼はちょっと肩を竦めただけだった。


「いえ。そんなことは。とても助かりました」


 私には彼が病人だと思えることはなかった。でも、そういえば私を運ぶ時に何か迷っていたのは、そういうことだったのかもしれない。


「……沐浴着もちゃんと着れてるわね。うちの使用人達が試着した時は、みんな襟を逆に合わせちゃって、中の紐も結んでなかったのに。カエルに教えられた?」

「似たような服を着たことがあるので……」

「……ふぅん? それは故郷でってことかしら」


 ちょっと、目がコワイです。何かロックオンされた気がします。

 まずいことを言っただろうか?

 こういう時はあいまいに笑って誤魔化すしかない。


「うーん。頭を打ったり溺れたりで一時的に記憶が混乱しているのかもしれないわね。家に帰れば、色々検査もできるから……行方不明や事故がなかったかは衛兵に調べてもらいましょう」

「いいのか?」


 少し心配そうに彼が言う。


「武器どころか手荷物ひとつ持っていない女の子よ? 保護するのが妥当でしょう? うちには頼りになる手練れがいるんだし、変な気は起こせないわよ」


 にっこり笑う彼女の言葉はこれまた物騒だ。


「ええと、なんていったっけ」

「ユエです」


 もうちゃんと名前は思い出せていたけど、ユエで通すことにする。オフ会でも呼ばれ慣れているし、違和感はないはずだ。


「ユエちゃん、ね。私はテリエル。旦那とお店をやっているの。こっちはカエルレウム。家族みたいなものよ。歓迎、という訳にはいかないけれど、しばらくはうちにおいでなさい」

「あ、ありがとうございます! すみません。お世話になります! よろしくお願いします!」


 若干の不安はあったものの、このまま警察に突き出されたり施設に入れられるより、綺麗なお姉さまと暮らす方が素敵だ。きっと、たぶん。

 目の前にぶら下げられたご馳走に飛びつくように、私はぺこりと頭を下げた。

 彼の方にも、もう一度。


「カエルレルル……さんもよろ、よろしく?」


 噛んだ!


 彼は目を伏せて、額に手を当てると溜息を吐いた。


「カ、カエルレ……」

「カエルでいい」


 言い直そうとした私のセリフを遮り、短く言い放つ。


「お嬢。忘れてたが、そいつ『繋ぐ者』の加護持ちかもしれん」


 視線を床の方に逸らし、こっそりと肩を震わせていたお姉さま――テリエル嬢は加護という言葉に反応して私を見つめる。


「……そう。それもあって片言風なのかしら。どのみち教会には行くつもりだったから、ついでに視てもらいましょう」


 片言風?

 どうやら私の日本語は日本語として伝わっているのではなく、彼らの言葉に聞こえているようだ。二重に聞こえる言葉の一つが、彼らの言葉なのだろう。

 便利だけど、不思議。

 私は良くも悪くも標準的日本人だと思っているので、神様から有難い御加護を貰えているとは思えない。神社に足を運ぶのだって、お正月とお祭りと観光の時くらいなのだから。


「じゃあ、早速帰って検査ね。カエル、連絡を」


 テリエル嬢は立ち上がり、私を促す。

 カエルは奥の棚の方に向かった。

 お姉さまの後を追ってドアをくぐろうとすると、背中の方で何かをぶつけるカツンという音がした。

 気になって振り返る。


 カエルは片手を口元に何かを話していた。話し終わると、手に握りこむように持っていた物を棚の上に軽くぶつける。

 もう一度カツンと音がした。

 うわ。何だろあれ。一見すると巻貝の様にも見える。すっごい気になる!

 近くでよく見てみたいけど、テリエル嬢が待っている。

 ひとり葛藤していたら、カエルと目が合った。


 ちょっと、たじろがれた……そんなに顔に出ていただろうか……


「あっ! 湖の方も調べなくちゃ! カエールっ。予備の小瓶なかったー?」


 ちょっとうきうきとした声が割って入って、私は湧きあがった好奇心を飲み込む。

 見ると足取りも軽く、テリエル嬢が湖に向かって行くところだった。


「俺が汲んでいく! お嬢達は先に帰れ!」


 すぐ後ろで声がして、驚いた。すぐに奥に戻っていくカエルは、こちらも見ずにしっしと手だけを振っている。

 テリエル嬢は不満げな顔をこちらに向けたが、不満をぶつける相手の姿はそこにはない。


「もぅっ」


 片頬を膨らませる姿はやっぱり美人なのに可愛い。

 私はぱたぱたと早足で彼女に駆け寄った。


「サンプルくらい自分で取るのにっ。結婚してからカエルもビヒトも必要以上にうるさいっ」

「お召し物が汚れるのを、気になされているのかも?」


 ぷりぷりした彼女の愚痴に、地面すれすれまであるスカートの裾を指さして言ってみる。


「……濡らさないとは、言えない……かも?」


 私の指摘に自分の服を見下ろし、スカートを少し摘み上げて小さく溜息を吐く彼女。

 もしかして、ひょっとすると、残念系? いえ、全然いいんですが。

 意気消沈しながら、それでも彼女は気を取り直すように歩き始めた。

 小屋を回り込むようにして続く通路をついていく。2人並ぶのはちょっと難しいくらいの幅で、昔行った鍾乳洞の雰囲気によく似ていた。


 しばらく行くと、壁と天井が木材になり、今度は温泉旅館の露天風呂へ向かう通路のようになった。程なくして足元も。

 やがてドアが見えてきた。こんな通路の終点には相応しくないような、お屋敷仕様の木製の重そうなドア。植物をデザインしたであろう重厚なレリーフが全面に彫り込まれている。

 テリエル嬢はどこからか鍵を取り出すと、私を振り返って言った。


「この扉を出たら、あの地底湖のことは他言無用よ? うちの使用人達は入ったこともない所だし。この扉も開かずの扉で通っているの。鍵を持っているのは私とカエル、執事のビヒトだけ。心してね? うっかり口を滑らせたら命の保証は出来かねるから」


 ズイブンゲンジュウデスネ?


 にっこり笑っているのに、碧の瞳の奥が怖くて、私はこくこくと何度も頷いた。

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