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玉造駅・車両点検

「気をつけて帰るんだよ」


「所長、卮さん、お疲れさまでした」


「お疲れ、お休み」


「ゆっくり休んでね」


たらふく食べてカフェを出た私たちは仕事もないし、帰ることにした。


そのあとのことは、私は知らない。



※※※



「じゃまたな、御堂」


「待て、誉志。付き合って」


「お前、いくら俺でも男とは付き合えないというか」


「なっ、僕も誉志と付き合うなんてゴメンだよ」


「紛らわしい言い方するなよ」


「勘違いしたのはお前だろ」


大学のときからの腐れ縁だ。


多少は砕けた口調になる。


そのまま昼からやっているバーに入る。


「で?」


「ちょっと待って、素面じゃ話せない」


カクテルを一気に飲み干すと、御堂は一人で悶え出した。


気持ち悪い反応をした友人を容赦なく引っ叩くと話の続きを要求した。


「いやさ、今里ちゃんがさ、隣にいて俺頑張ったんだよ」


「だから何だよ」


「俺さ、酔い潰れて可愛くなった今里ちゃんをさ、介抱しているときに頑張ったんだよ」


「はいはい、あのときね」


「うん、俺のシャツをぎゅって握って、潤んだ瞳で見上げてきてさ」


「はいはい」


「ちゃんと聞けよ。あの今里ちゃんだぞ」


「どの今里ちゃんだよ」


酔い潰れて話が終わっても困るから誉志は烏龍茶を御堂のグラスに注ぐ。


今までまともに女性と会話できない男が人生で初めてとも言える恋をしているかもしれない。


今を逃せば一生ないとも言える。


片思いすらできなかったのだから片思いくらい成就させてやりたい。


「とっても可愛くて男だったら絶対にほっとかないくらいに可愛い今里ちゃんだよ」


「それで」


「そんな今里ちゃんだぞ。そんな今里ちゃんが俺のシャツをぎゅってして安心したように寝ちゃったんだぞ」


「で」


「俺頑張ったと思わない?」


「頑張った頑張った」


御堂の女性に対する美醜は一般的なものだ。


誉志も同様だ。


自分たちの容姿が整っているから女性の容姿も整っている者が多いだけで感性は普通だ。


「しかもシャツ放してくれないしさ。一緒に寝るしかないだろ」


「そうだな」


シャツを脱げば良いのではないかと思わないでもない。


そこは優しさで黙っておく。


「俺は今里ちゃんとどう顔を合わせたら良いんだ」


「普通に今まで通りで良いと思うぞ」


「今まで通りってどんな?」


「知るか」


こんな風に悩むのは女性の方じゃないかと思うが、そこも優しさから黙る。


まともな恋愛ができないと諦めていた親友の恋だ。


水を差すようなことはしたくない。


「俺だって男だよ」


「あぁ」


「綺麗な女の子がいたら理性を総動員させるに決まってるじゃないか」


「あぁ」


「俺本当に頑張った」


「あぁ」


「寝苦しくないように腕枕も頑張ったんだよ」


それは知っていた。


なかなか降りてこない御堂を心配して様子を見に行ったからだ。


気持ちよさそうに寝ている今里を起こさないために何も言わなかったが、なぜ腕枕になったのかは不明だった。


おそらくは小説などで男女が寝るときは腕枕が定石だと思ったせいだと推測できるが。


あくまでも恋仲の関係であることが必須だ。


「ひとつ言っておくぞ」


「何だよ」


「男女がひとつのベッドに寝るということは恋人同士か一夜限りの関係かどちらかだからな」


「えっ?」


「お前と今里ちゃんの間に疚しいことが一つも無かったのは俺も知っている」


「無いよ。無いよ」


「だから知ってるって言ってるだろ」


「あっゴメン」


「とりあえず適齢期の男女が一夜を共にしたとなれば周りは必ずそう思う」


まさか情操教育をここでするとは思わなかった。


それも御堂の家庭環境を思えば仕方ないとは言える。


「さらに言えば一夜限りの関係は一緒に朝を迎えることはまずない」


「・・・はい」


「だからな。俺や環、間森ならお前のことも今里ちゃんのこともちゃんと知っている」


「うん」


「でもな。他の奴は知らない。そうなれば身持ちの悪い女だと噂されるのは今里ちゃんだ」


ちゃんと付き合っていれば問題ないが一夜限りやセフレなんて関係になっていたら問題だ。


本人が納得していれば良いが、本人の与り知らぬところでのことは対処のしようがない。


「外では絶対に話をするなよ」


「うん、分かった」


「で、どんなとこが好きなんだよ」


「まず可愛いでしょ」


「確かに顔は可愛いな」


「違うんだよ。顔が可愛いのはもちろんだけど」


これは長くなると判断した誉志はグラスの中身を薄いウーロンハイに変えた。


気付かずに飲む。


「仕草がさ、可愛いんだよ。所長って言いながら呆れた目とか本当に可愛いんだよ」


「へぇ」


「ペット探しのときとか犬とか猫とか戯れているのとか癒されるよね」


「それで」


「いつもスーツなんだけどさ、毎日違うスーツでオシャレなんだよ」


「まぁ飲め」


「うん」


一気に飲み干して、そして、潰れた。


ウーロンハイでちまちま酔わすのに飽きたのだろう。


一気に飲み干したのはウイスキーだ。


「さて、どうするかな」


誉志の家はリフォーム中で家がない。


御堂もない。


この状態で今里の家には絶対に行けないし、行けるほどプライドも低くはない。


近くのカプセルホテルにでも泊まるためにタクシーを呼ぶ。


「お客様」


「ん?」


「節度のあるお酒を楽しまれた方が良いのではありませんか?」


「時には酔い潰れた方が幸せなこともあるさ」


このままいけば必ずあの夜のことに行き着く。


年若いマスターは会話を聞くために近づいてきていた。


それを見逃すほど誉志は甘くない。


自分自身もマスターとして店を切り盛りしている。


聞いていい話がどうかは判断できる。


「ですが、お酒は楽しむものですよ」


「楽しむだけが酒の付き合い方じゃない」


「お客様」


「悪いが説教を聞く気分じゃないんでね」


タクシーはまだ来ていないが御堂を抱えて外に出る。



※※※



「マスター、彼が誰か知っているのかい?」


「いいえ、初めてのお客様です」


「それなら覚えておくと良いよ。彼はマスターとして話も腕も一流だ。彼は敵にしないほうが賢明だと思うよ。ま、老婆心ながらの戯言と思ってくれ」


「・・・はい、お帰りですか?」


「あぁ、それとキープしていたボトルがあっただろ」


「はい、こちらですね」


「じゃ、お代はここにおいておくよ。ごちそうさま」


紳士はキープボトルを抱えたまま店を出た。


テーブルにはボトル代も一緒に置かれている。


一人の常連が店から姿を消した。



※※※



「俺だ」


<なんだ急に>


「今日、泊めろよ」


<仕方ねぇな、この宿無しコンビが>


急に言って泊めてくれるのは梦くらいだ。


いつも一緒にいた間森は家がセキュリティ会社のせいか事前の予約が必要だ。


どこのホテルだよといつも思われている。


「仕方ねぇだろ」


<それで今里ちゃんはいるんだろうな>


「いるわけねぇだろうが。だいたい男の家に今里ちゃんを誘うわけねぇだろうが、ボケ>


<ちっ、酒代くらいだせよ>


「分かってるよ」


家が建築だからなのか豪勢だ。


客室だけで三部屋ある。


「たく、今里ちゃんがいないと華がねぇ、華が」


「知るか」


「御堂はソファにでも寝かせとけ」


「それと御堂が今里ちゃんに恋したみたいだぜ」


「何だと!俺の今里ちゃんが」


「お前のじゃないだろうが、く・ら・い」


「チクショー」


梦は今里に惚れていた。


それも今里がお願いと微笑むだけで、うんと返事して願いを叶えるくらいには、惚れていた。


「何で御堂なんだよ、今里ちゃん」


「まだ付き合ってるわけじゃねぇぞ」


「そうなのか!」


「ようやく恋心を自覚したくらいだからな」


「よし、なら俺にもチャンスはあるな」


「そうだな」


答えながらもチャンスはないと誉志は気付いていた。


今里ちゃんは無自覚な小悪魔だ。


困ったなぁ。


よし頼もう。


そこに打算は一切ないし、借りを作ったとかいう発想もない。


所長である御堂のことは頭一つ分くらい抜けた好意を持っているが恋人になるかと言えば難しい。


告白する前に恋に破れた男がいるだけだ。


「それよりも御堂のやつ、今里ちゃんと一緒に仕事が出来るとか羨ましいよなぁ」


「そうだな」


ここで一緒に寝たとか泣いているところを慰めたとか言ってはいけない。


悲惨なことになるからだ。


悲惨なことになるくらいなら黙っていることを選ぶ。


同じ女性相手の恋なら御堂と梦のどちらを応援するかと言われれば御堂の方を応援する。


ようやく自覚した初恋だ。


実って欲しいという思いもある。


「羨ましいと言えばだ。お前も一緒に仕事するんだった」


「期間限定でな」


「俺も期間限定で雇ってくれないかな」


「御堂に直接交渉しろよ」


「無理に決まってるだろ」


「なら諦めろ」


反対に今里をヘッドハンティングしようとして失敗している。


給料で折り合いがつかないということは聞いたが、一体どれだけ安月給で働かせるつもりだったんだろう。


「だいたい月五十万とか出せるわけねぇじゃん」


「今里ちゃん、そんなにふっかけたのか」


「ちゃうわ。本当に給料としてそれだけ貰ってんだよ」


「・・・高給取りだな」


「くそー、いくら会社継いだからって無理だって」


自営業というより個人経営だから出来ることだろう。


さらに言えば、幽霊社員に給料を支払い続けていたくらいだ。


今里一人に高額の給料を支払うくらいは簡単に出来るだろう。


「御堂のやつ、何で儲けてんだよ」


「株だろ?」


「えっ?」


「あいつ人と話が成立しないからパソコンに逃げたんだよ」


よくある逃避の方法で能力が開花したタイプだ。


だがメカ音痴だ。


「ちょっと待てよ」


「メカ音痴、だろ」


「あぁ」


「パソコン使えないだろ?」


「ディスクトップ型パソコンなら使えるんだよ。ノート型とかタブレットとかは無理だけどな」


タブレットは今里が使っているのを何度も見た反復学習の結果、少しだけ触れる。


メカ音痴という根本的なところは何も変わっていない。


「結構な額を稼ぎ出してるぜ」


「知らなかった」


「わざわざ言う必要もないからな」


「確かにな。御堂には金よりも人の方が必要だもんな」


探偵事務所の人員状況は知っていた。


何人も入っては辞めていく。


何度も一緒に働こうと誘ったが決意は固かった。


ただ席を置くだけの幽霊社員ではなく、一緒に会話をして働くという女性が入ったと知らされた。


何の奇跡だと思った。


それか顔目当てだと思った。


違うと分かったのは誉志の店で酔いつぶれたときの話だ。


本人は記憶が飛んでいて覚えていないらしいが、先に酔い潰れた御堂の隣で愚痴を零していた。


曰く、どうして所長は顔は良いのに女性の扱いが残念なのか。


惚れられるわけがない。


という内容を延々と繰り返していたらしい。


「今里ちゃんは、ちゃんと御堂を見てるんだな」


「あぁ、二回目に店で酔ったときは素面の御堂相手に女性の扱いについて懇切丁寧に説教していたからな」


「しかも誉志は振られたんだろ?」


「言わんでえぇ」


話の矛先を変えるために、俺は?と聞いてみると男のプライドを的確に砕く返答がきた。


それからは今里に恋することは止めた方が良いと心に誓った。


「でもさ、今里ちゃんは御堂のこと嫌ってないだろ?」


「俺たちよりは好いているな。少なくとも御堂のプライドは砕かれていない」


「はぁ、俺も告白くらいはした方が良いと思うけどよ」


「止めておけ。当事者じゃない御堂ですら砕かれてはいないだけで、ヒビくらいは入った感じだったからな」


「今里ちゃんは美人なのにさ、なんで男がいないんだと思う?」


「唐突だな。今里ちゃんの好みがいなかっただけだと思うけどな」


好きになった相手に毒舌を吐くわけでもなく、高飛車であるわけでもなく、貢がせるわけでもないのに告白されない。


自立しているから庇護欲はあまり感じないが対等に付き合える相手だ。


「今里ちゃんの好みは御堂みたいなタイプか」


「顔はな」


「俺にも御堂みたいな顔があればな」


梦は嘆くが、十二分な美男子だ。


御堂と肩を並べても何ら遜色はない。


それぞれ少しずつタイプは違うが十人が十人ともイケメンと言ってくれるくらいには美男子だ。


自覚があるのは、誉志だけで、あとは無自覚だ。


梦はカッコいい分類には入るが順位では真ん中くらいと思っている。


今日はいないが、間森も負けず劣らずのイケメンだ。


イケメン四天王と名乗るかどうかを迷ったときもあるくらいだ。


「そう言えば、今里ちゃんのストーカーはどうなったの?」


「今日、撃退してきた。近々にはケリが付くだろうよ」


「俺も今里ちゃんにストーカーくらい付き纏ったら望みあるかな?」


「二度と口聞いて貰えなくても良いならな」


「せんわ。冗談や」


今里の住んでいるところで問題が起きないか秘密裏に御堂が間森に仕事を依頼していた。


該当する人物が半径五百メートル以内に入ったらすかさず御堂に連絡が入り、会わないように今里を誘導する手筈になっていた。


いくら自宅を知らなくても同じ職場なら生活圏の予測くらいはつく。


さらに自宅に帰るときの方向が分かれば休みのときに調べることは可能だ。


「で、ほんまに大丈夫なんやろうな。このまま今里ちゃんに危害が及んだらシャレじゃすまへんで」


「それは無いやろ。間森んトコが二十四時間警備しとるし、完全に日本からいなくなるまでは御堂も気ぃ抜かへんやろうしな」


「それやったら安心やけどな。しょうもない男に目ぇ付けられて災難な今里ちゃんやな」


酒が入ると言葉に方言が入っていく。


普段は標準語になるようにしている。


もともと御堂が東京の人間で大阪に引っ越して来た。


御堂につられるようにして標準語で話すようになった。


「あとは連絡待ちやな」


「でも上手く行くんか?思い込みの激しい男が簡単に言うこときかへんやろ」


「お嬢様やからな。プライベートジェットで海外に行くらしいで」


「金持ちはスケールがちゃうな」


「ロシアに行く言うてたな」


「何でまたロシアやねん」


英語が通じにくく、日本への直行便が限られているところを選んだらしい。


ロシアには阪城家の別荘があるからというのも大きな理由だ。


冬になると簡単に外に出られないようになっている。


見張るのに丁度良いからだ。


「セレブは考えることがちゃいまんな」


「今里ちゃんに危害が無ければなんでもええ」


「せやな」


夜が更けて朝をこのまま迎える予定だった。


それを破ったのは御堂の携帯電話だった。


「はい、御堂の携帯」


<夜分遅くに失礼しますわ。阪城ねねです>


「阪城さん、どうしましたか?」


<木瓜さんが家出したそうですわ>


「は?」


爆弾発言となり、酔いも醒めた。


<今日、カフェから家に帰られたあとにご両親に再度、婚約破棄をしたと宣言されたみたいです>


「ご両親は破棄に反対していたと聞いていますが?」


<ええ、間違いありませんわ。それで慰謝料を請求されるとなると自分で払うようにと言われた木瓜さんは反対に親を訴えて慰謝料を取ると言って家を飛び出したそうです>


「そのあとの足取りは?」


<わたくしも家出程度は考えておりましたが、まさかご両親があんなにも危機感が無い方だとは思いませんでしたの。連絡がありましたのは二時間も後になってからで、検討もつきませんの>


「とりあえず心当たりを探すしかないのではありませんか?」


<そうですわね。そう思って阪城の情報網を使って探していますわ。二時間で辿り着けるところを順番に。わたくしの手違いでご迷惑をおかけして申し訳ありませんわ>


「今里ちゃんの方は護衛がついていますから大丈夫だとは思いますが」


<それを聞いて安心しましたわ。不謹慎ですが、犯罪者となっても結婚はしますけど、実刑となり日本国内に留め置かれたら阪城の力でも難しいですもの>


刑務所内に入れば弁護士が付くが軽犯罪ならば面会や手紙は簡単に出来てしまう。


模範囚なら早くに出所する。


ここで今里の存在をマスコミが知れば自宅などが分かってしまう。


あとで調べることが簡単に出来る情報を与えることになるから、それを危惧している。


<何か分かりましたら連絡をしますわ>


「それと弁護士事務所に確認をした方が良いでしょう」


<弁護士事務所にでございますか?>


「親を訴えるというなら弁護士に相談もするでしょう」


<そうですわね。すっかり失念しておりましたわ>


明日にもう一度話をすることにして電話を切った。


おそらくは木瓜の両親が手のかかる子どもを引き取ってくれる家があり、金持ちだから恩恵に預かってきたところに、息子自身が婚約破棄という非常識なことをしでかした。


自分たちの生活が壊れることを恐れて見放したのだろうが、木瓜は親が金欲しさに売ったと思っている。


真実は違っていても思い込んでしまえば関係なかった。


訴えて買って慰謝料をもらえば、自分が訴えられている分の慰謝料の支払いに使える。


もし支払う必要が無くなっても自分の金になるから儲かると考えた。


そして運命の人を迎えに行くことができると考えた。


「すっかり醒めたな」


「今里ちゃんに連絡した方が良いよな」


「今は寝ているだろ。間森に連絡して警護を強化してもらおう」


「間森の番号はっと」


御堂の携帯が再度鳴った。


噂をした間森からだ。


「どうした?」


<御堂はどうした?対象者が現れたぞ>


「御堂は酔い潰れている。対象者を誘導出来るか?」


<無理だな。周りの声が聞こえていないようだ>


「こっちも状況をさっき知ったところだ」


<そうか。だが、彼女の家を完全に把握しているわけではなさそうだ>


誉志が電話を受けている間に梦が御堂を起こしにかかる。


無駄だと分かっても手立てがないからだ。


「ここに来るまでの足取りを調べてくれ」


<分かった>


「今里ちゃんを梦の家に避難させる」


<そっちにも人員を配置しておく>


「頼んだぞ」


御堂を揺すっていたが起きる気配がまったくなく眠ったままだ。


「梦」


「何だ?」


「タクシーで今里ちゃんを迎えに行ってくれ」


「分かった」


タクシー会社に電話をする誉志はソファで眠りこける御堂を蹴り落とした。


その衝撃でさすがに目が覚めたのだろう体を起こした。


梦は急いで着替える。


さすがに惚れている女には無様な姿を見せたくないらしい。


「タクシーがあと十分で来るぞ」


「問題ない」


「今里ちゃんには俺から連絡する。そのあとに梦に電話をさせるから乗り込むまで通話したままにしろ」


「了解」


寝ている時間だが仕方ないとばかりに電話をかける。


電源が入っていないとは思わなかったが。


「電源入れとけよ」


「直接起こす?」


「そうなるな。絶対に離れるなよ」


「あぁ」


固定電話にもかけるがさすがに出ない。


留守電に残すが望みは薄い。


あとは何度も電話するしかない。


「痛いよ、誉志」


「うるさい。問題が発生した」


「何があったの?」


「ボケの野郎が家出して今里ちゃんの家の近辺に現れた」


「すぐに迎えに行かないと」


「梦が先に行っている。あとは起こすだけだ」


その起こすのが大変なのだ。


電話が通じなければ意味がない。


「今里ちゃんは一度寝ると起きないよ」


「それでも起こす必要があるだろうが」


「あっ」


「どうした」


「今里ちゃん、朝の五時に起きるって言ってたよ」


今の時間は四時五〇分だ。


あと少しで目覚ましが鳴るか自分で起きる。


そのときに電話をすれば繋がる可能性が高い。


「なんで、そんな早起きなんだよ」


「何でって、朝から一緒にモーニングするからだよ」


朝の七時からモーニングをしている店やモーニングのために行列ができる店に行ったりしていた。


それで早く起きるのだ。


最初は辛かったらしいが、早寝早起きの習慣がつけば楽らしい。


それは分かる気がする。


人間は一週間もすれば慣れてくる。


「その前に梦だな」


<どうした?>


「今里ちゃんが電源切って出ない」


<入れとけよ!で!>


「とりあえず電話はする。無理なら直接起こせるか?」


<部屋番号は知っているから連打する>


「不審者に間違われるなよ」


<任せとけ>


梦の容姿は整っている。


不審者には見えずらいだろう。


さらに言えば梦の咄嗟の判断は目を見張るものがある。


そこにかけるしか無かった。


「よし、五時だな。出ろよ」


<おはようございます。所長>


「今里ちゃん俺だ。卮だ」


<えっ?卮さん?どうして?>


「ゆっくり説明している暇はない。よく聞け」


<はい>


判断力がまだ鈍いのだろう。


それと演技指導のときの命令をされたら返事をするというのが体に残っているのだろう。


「まず着替えろ」


<はい>


「着替えたら梦に電話をしろ」


<はい>


「電話がつながれば梦の指示に従え」


<はい>


「安心しろ。御堂も俺も梦も間森もついている」


<はい>


電話をしている間、ずっと家の中を歩き回っていた。


まるで出産を待つ父親のような姿だった。


「御堂」


「話は分かったよ。とりあえず今里ちゃんの身柄は確保できそうだということも分かった」


「御堂?」


「今里ちゃんには引っ越しをしてもらおう」


「どうしてそうなった」


「今里ちゃんが来たら言うよ」


長い沈黙が続き、タクシーが家の前に到着をした。


玄関が開くと、憔悴した今里とそれを支える梦がリビングに現れた。


「おはよう、今里ちゃん」


「所長」


「ココアでも飲んで」


「はい」


何の迷いもなく御堂の隣に座ると、今里は大人しくココアを啜った。


「急に来てもらうことになってごめんね」


「いえ」


「とりあえず僕も知らないことがあるから誉志から説明してもらおうと思うんだ」


「分かった」


同じようにココアを飲んでから説明を始める。


「最初に、阪城さんから電話があった。村椿が家出したという連絡だ」


「家出?」


「あぁ、村椿は両親に婚約破棄を再度宣言したと報告した。そこで両親は慰謝料は自分で払え。一切手助けはしないと言った」


「そうですか」


「そしたらな。無理やり婚約させてたことで親を訴えると言って家を飛び出した」


「親を訴える?」


「親から慰謝料として金をもらって自分の慰謝料の支払いに充てるつもりだと思うけどな」


ゆっくりと状況が飲み込めてきたのだろう。


家出がどうして自分に影響するのかを何となく理解し出した。


「その連絡が阪城さんに入ったのが、家出から二時間経ってからだった」


「えっ」


「その二時間の間に何をしていたかは調査中だが弁護士を探していた可能性がある」


「誉志」


「そのあとに今里ちゃんの自宅近くまで来ていたみたいだからな。急遽、避難してもらった」


簡単に説明をした。


誉志は朝食を作るために台所に向かい、梦は手伝うために一緒についていく。


寝ているところを起こされてストーカーをされていると分かって冷静でいられる女性は少ない。


ここは毎日のように顔を合わせてきた御堂に任せることにした。


「残ると思ったけどな」


「いくら俺でも今里ちゃんが御堂を頼りにしているのは分かるぞ」


「そうだな」


タクシーで向かっている間、会話という会話は無かった。


だが、今里が反応したのは御堂の話題だ。


今回の今里の心の支えになっているのは御堂だ。


数えるくらいしか顔を合わせていない誉志や梦では反対に気を使わせる。


「卵あるか?」


「ない」


「牛乳は?」


「ない」


「砂糖は?」


「塩ならある」


「・・・もういい」


冷蔵庫には食材がなく、四人分の朝食は難しい。


仕方なくパンを焼くがバターがない。


探すとチーズがあった。


自分ひとりなら簡単で良いが、いつも美味しそうに食べる御堂と今里がいる分、本格的な朝食にしたかった。


「ちょっと待て、そのチーズは高いんだぞ」


「うるさい」


「待て待て待て、それは」


「・・・そのままお前も食材になるか?」


「黙ります」


包丁を眼前に突き付けて脅す。


食材の無さに痺れを切らした結果だ。


台所のやり取りは聞こえなかったのだろう。


リビングの二人は何も反応しない。


「所長」


「ん?」


「私、何かしたんでしょうか」


「どういうこと?」


「ずっと否定してきました。でも諦めてくれないのは私が心のどこかで拒絶していないのが分かっていたんでしょうか」


「今里ちゃんは言葉で迷惑だって言ってたでしょ。それに後腐れ無いように気を使うのは社会人として当然のことだから今里ちゃんの対応は間違っていないよ」


そのまま今里は御堂の肩に頭を乗せて目を閉じた。


黙って頭を撫で続ける御堂は何も言わずに待つ。


台所では食って掛かりそうな梦を押さえつける誉志との静かな攻防が繰り広げられていた。


「私は日本からいなくなるまでずっと怯えないといけないんですか?」


「それはないよ。そのために引っ越すんだ」


「そのため?」


「今里ちゃんには新しい家に引っ越してもらって、今の家はボケくんに知らせる。きっと恋人のように訪ねてくるよ」


「私がいないこと気づくんじゃないですか?」


「気づいても良いんだよ。そしたらまた僕のところに依頼が来る。下手に他の探偵事務所に依頼されるより足取りが分かるし、反対に誘導もできる」


ストーカーとして警察に注意されれば阪城家が後見人として名乗り出る。


そうなれば犯罪防止の名目で軟禁くらいはできる。


「しばらくはホテルにでも泊まって、本格的に家を探そうか」


「でも引っ越すのはバレませんか?」


「荷物は出さないよ。必要なものは全部用意するから好きなの言ってね」


「それは、経費ですか?」


「今里ちゃんらしくなってきたね。もちろん経費だよ。だからブランドで固めても良いよ」


「散財しますよ」


「足りなかったら誉志と梦にも出してもらうよ」


「そんな稼ぎあるわけないだろうが」


ようやく落ち着いたのを見計らって朝食を用意した。


パンとチーズくらいしかないが、ビジュアルはアルプスの少女ハイジに出てくるようなものだ。


「誉志、手抜きすぎじゃないか?」


「好きで手を抜いてないわ。文句なら冷蔵庫に食材が無い梦に言え」


「・・・所長」


「どうしたの?」


「これ美味しいです」


「それは良かった。今里ちゃんが美味しいと言ったから許してやろう」


朝食は何とかなったが昼食は絶対に無理だ。


さらに言えば、その時間には村椿が何かしでかしている。


「さてと、例の奴はどうだ?」


「・・・今里ちゃん」


「所長、タブレットくらい使えるようになってくださいね」


「この間、メールがたくさん来たから怖いんだよ」


「間森さんから中間報告が来ています」


読み上げると、自力で今里の家を見つけて玄関先でずっと待っているそうだ。


これでは荷物を取りに帰ることもできない。


「あとで警察に連絡しとこうか。これなら厳重注意くらいで阪城家で引き取るくらいで済む」


「それで調停の結果が出るのはいつだ?」


「早くても半年とかになるからね。さらに言えば予定にない調停もあるから時間はかかるね」


「おい」


「大丈夫だよ。ねねさんが上手く誘導して示談にするから」


お金で解決をしましょうということで、話を進める。


調停をして時間をかけるよりも短時間で済むというメリットがある。


家に帰れないが必要なものは全て御堂が用意した。


寝る場所は、全員で梦の家で泊まった。


「そろそろ連絡があるよ」


「ねねさんからですか?」


「うん」


「所長は何を考えているんですか?」


「何って簡単なことだよ」


あれから村椿は仕事以外の時間のほとんどを今里の家の前で過ごし、一週間が経ったころに警察に通報された。


通報したのは近所の人で毎日男が夜いるのが気味悪いということだった。


村椿はあっさりと警察に連行された。


そこでも村椿は恋人のところに通っただけで何も疚しいことはしていないという主張だったが、そこに身元引受として阪城の弁護士木下の登場だ。


弁護士が身元引受人なら事件性は薄いと警察は判断された。


「ほらね、あっさりと終わったでしょ?」


「はい」


「あれからね、何度か今里ちゃんの家に行ったらしいけど、警察官が見張ってるから近づけないみたいだしね」


「懲りないですね」


今回は職場には知られていないが、次は職場に知られてしまう。


そうなれば確実に首になる。


首になれば無職になるため、ねねと結婚する以外に道は無くなる。


「警察もねねさんという婚約者がいることから浮気男と判断されたみたいだしね」


「それでも家には戻れませんね」


「戻らなくても良いんじゃないの?予定通りに新しい家に引っ越せば良いし」


「でも」


「それか、事務所の上のマンションを借りる?オーナーが今度はマンション付きのビルにするって言ってたし」


「・・・・・・そうですね。雨に濡れなくて済むし」


「オーナーに連絡しとくよ。きっと喜ぶよ。オーナーは今里ちゃんのことが好きだから」


恋愛的な意味はまったくなくオーナーは今里を気に入っている。


格安で貸してくれる。


「なら事務所できるまでホテル住まいだね。梦の家にずっといるわけにはいかないし。どこか希望のホテルはある?」


「所長と同じところで良いです」


「あれ?僕がホテル住まいって言ったっけ?」


「卮さんに聞きました」


「そっか。なら隣で良い?一緒にモーニング食べようね」


「はい」


今里がホテルの長期滞在が決まり、必要な身の回りの品を買い揃えるためにショッピングモールに出かけた。


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