大阪城公園駅・内回り
「所長、いい加減に教えてください」
「おそらくだよ。木瓜氏と今里ちゃんを会わせて、そこにねねさんが来て浮気現場を押さえるつもりじゃないかな?」
「会いたくないのですが」
「そこは何とか我慢してもらうしかないね」
会いたくないけど、会わないとどうしようもない。
分かっているけど、あの時のことを思い出して憂鬱になる。
外を歩いていると後ろから急に現れるんじゃないかと不安になる。
不安で仕方ないのが分かっているのか所長は家まで送ってくれるし、朝はどこかでモーニングをするようになった。
そう言ったさり気ない優しさがあるのに口を開くと残念なのだから勿体ない。
「今里ちゃん、飲みに行こうか」
「いえ」
「行こう行こう。誉志が今里ちゃんに勝負したいんだって。何か知らないけど」
多分、店の酒を飲み尽くしそうになったことを根に持っているんだろうな。
でも大抵の店は出禁なのに、勝負って。
所長の友達は何だか普通の人と違う。
容姿じゃなくて中身が。
「今里ちゃん、連れて来たよ。勝負って何?」
「でかしたぞ、御堂」
「今晩は、卮さん」
「さて、ウワバミの今里ちゃんに俺から勝負だ」
何と店にある酒を好きなだけ飲んで良いという。
代金はタダ。
いや、美味しい話にはウラがある。
と思ったら何のことはない。
店内リフォームをするから在庫処分をしたい。
だけど、ちまちま商売してたら時間がかかる。
なら、あればあるだけ飲む人に飲んでもらおうということらしい。
だけど、本当に良いのだろうか。
「さぁぐいっと飲んでよ」
「いただきます」
その一杯から火が付いた。
文句なく美味しいのだ。
「いいねぇ、飲むねぇ」
「今里ちゃん、ウワバミなんだね」
「バーテン冥利に尽きるねぇ」
そんな会話を最後に記憶が無い。
店の在庫を飲み尽くしたことは何となく覚えている。
そして、何か愚痴を言っていた気はする。
また泊めて貰った。
前回と違うのは所長を負ぶったのではなく、所長に負ぶられたことだ。
※※※
目を覚ましたとき、ベッドに寝ていた。
それも所長に腕枕をされて。
何故?
「・・・おはよう、今里ちゃん」
「おはようございます、所長」
「今里ちゃんたら積極的なんだもん。びっくりしたよ。誉志が朝食作ってるはずだから下りようか」
「所長、どうして一緒に寝ていたんでしょうか」
「うん?覚えてないの?」
「はい」
「昨日の今里ちゃんは可愛かったよ。僕のシャツの裾をキュって握ってくるんだもん」
「・・・・・・っ」
「ん?何かまずいこと言っちゃった?女性に対して発言には気を付けろって言われるんだけど、今里ちゃんを怒らしたかな?」
「いえ」
「そう?僕は先に下りてるからね」
死ねる。
今なら確実に豆腐の角で頭をぶつけても死ねる。
てか、死にたい。
昨日の私は何をした。
覚えてない。
欠片も覚えてない。
無理だ。
所長はどうしてああも平然としてられる。
いつものように私を女として見ていないからか。
とりあえず顔を洗って、メイクは諦めよう。
と、思ったらメイク道具が置いてあった。
クレンジングも。
一体、誰が。
メモがある。
『良かったら使ってね。私のだけど』
誰か分からないけど、メモがあるからありがたく使わせてもらう。
記憶はないけど、二日酔いは無いから大丈夫だろう。
「おはようございます。お待たせしてすみません」
「おっ、おはよう・・・二日酔い大丈夫そうだな」
「お蔭さまで」
「朝粥にしてみた。朝食といこうか」
鳥の出汁が効いた梅の入ったお粥だった。
これでランチ出せば儲かるだろうな。
「で、返事は?」
「返事?」
「そう。俺の店、リフォームで休業だろ?臨時で探偵事務所で雇えって言ってんだよ」
「卮さん、探偵になるんですか?」
「探偵というより調査員?夜の街に顔は効くぜ」
「むっ」
「今なら健康に良い朝食付き」
「えっ!」
「今里ちゃん、騙されちゃダメだよ。健康に良いとか言ってクソまずい薬膳粥を食べさせられるんだよ」
「んなことしねぇよ。可愛い女の子には可愛い十穀米に三十品目のおばんざいを作るさ」
十穀米が可愛いのかはさておき、その朝食は魅力的だ。
最近、所長との外食で体重が増えてきた。
ダイエットメニューとか考えてくれないかな?
そんなことを考えていたのがバレたのだろう。
「今里ちゃんは、どっちの味方なの?」
所長からそんな言葉が来た。
味方と言えば、所長だが、敵もさることながら中々手強い。
所長ですと即決できない。
「仕方ないな。ヘルシーデザートも付けよう」
「所長、今すぐ雇ってください!」
「ぐぐっ、最低賃金しか出さないからな」
「その代わり、俺が作った食事は金払えよ。ま、今里ちゃんはタダだけどな」
「卑怯者」
二人の漫才を見ながらお粥を食べていたけど、胃に沁みる。
こっそりと鍋からおかわりをよそって食べる。
「今里ちゃん、いくらカロリー低くても食べたら一緒だよ」
「卮さんのご飯が美味しいのが悪いんです」
「そうだそうだ」
しっかりと食べて落ち着いた。
そこで疑問に思っていることを聞いておいた。
「部屋にあった化粧品は誰の物なんですか?」
「あぁ、あれな。店のアルバイトのレンナのだよ。今里ちゃんが泊まるって分かったら置いてったんだ」
「レンナさん?」
「今里ちゃん、騙されてるよ。レンナとは仮の名。本名は錬三郎っていう女よりも女らしい男だよ」
「女の子を泊めるのに化粧道具のひとつも無いのは言語道断って言ってたな」
確かに崩れたメイクを直すものが無いし、外に出にくかったから良かったけど。
あの化粧品が超高級ブランドだったことは黙ってよう。
「助かりました」
「そう伝えておくよ。そろそろ仕事しなくて良いのか?」
「そうだね。でも依頼も無いしね。今日は休業にしよう」
「自由だな」
「自由なのは自由業の特権だよ」
所長はさりげなく家まで送ってくれた。
外に出るときは連絡をするようにと約束させられた。
町でばったりと村椿くんに会ったら大変だかららしい。
確かに大変だから連絡は必ずする。
外に出る気力もないから家で映画でも見ようかな。
そう考えているうちに眠ってしまっていた。
起きると外は夕焼けだった。
かなり眠っていたことになる。
頭が働かないからお風呂にでも入って、これからのことを考えることにする。
「・・・あぁさっぱりした。うん?所長?」
<もしもし?今里ちゃん>
「所長、どうされたんですか?」
<タブレットを僕が持っているんだけど、メールの見方が分からなくて電話したんだ>
「まず電源入っています?」
<今里ちゃん、いくら僕でも電源くらいちゃんと分かるよ。入っていないことは分かるよ>
「・・・入れてください」
電源が入っていないことが分かったなら何故、入れない。
そこから電話してくるのか。
前に親が携帯メールの見方が分からないと携帯電話で連絡してきたときくらいの衝撃だ。
<入ったよ。うん?パスワードが要るって>
「はい、万が一、落とした場合に中の情報が見られないようにしています」
<パスワード、教えて>
「所長の誕生日です」
<はいはい、おぉ解除されたよ>」
「あとは分かりますか?」
<大丈夫だよ。じゃ>
不安しか残らなかった。
所長がメールのアイコンに気付くのだろうか。
未読メールがどれか分かるのだろうか。
もっと言えば、無線LANの設定があるのだろうか。
不安しかない。
「明日、電話しよ」
それなら溜まったドラマでも見よ。
所長の影響で探偵ものに嵌っている。
いつもならお菓子も用意するけどお茶だけにする。
ダイエットだ。
「・・・そう言えば」
百貨店に居たときにもこんなやり取りしたなぁ。
※※※
「そういや聞いた?」
「何をですか?」
「ボケくん、声かけてた女の子の体重がちょっと増えただけでブス扱いしたらしいよ」
「最低ですね」
「ホント、最低」
体重の増減なんて一日の間に一キロくらい平気である。
それに太ったなんて言われたら二キロは軽く太る。
これは偉い学者先生が調査した結果だから信憑性は高い。
ネガティブなことを言われるとストレスから高カロリーなものや甘いものを欲しくなり太る結果に繋がる。
中にはストレスで食べられなくなる人もいるけど人間の防衛反応での反射だから生物学的にということだろう。
だいたい筋肉の方が重く出来ているのだから体脂肪とか皮下脂肪とか内臓脂肪を考えるべきだ。
それでも体重は軽いほうが良いというのは女性の永遠の希望だと思う。
「それで誕生日にダンベルをプレゼントしたらしいわよ」
「えげつないですね」
「本当よ。ダンベルとか贈るとかあり得ないわ」
君のダイエットのためを考えて誕生日プレゼントを贈る俺は優しいだろ?
とでも言いたいのだろう。
しかもダンベルって。
ケチな男の典型だろ。
よく貰った女性はダンベルで殴りかからなかったなと拍手を送りたい。
私なら殴ってたかもしれない。
「あとね、別の子には補正下着を贈ったって。海外の男は女性に下着を贈るからって言って、それで実用的でなければプレゼントになりえないって」
「言葉に出来ないくらいあり得ないですね」
「ホント、ホント、話題に事欠かない御仁だわ」
笑い話になってるけど、そのあとにバラの花束を貰った身としては笑えない。
先輩は良くそんな話題を仕入れてくるけど、詳細に手に入れる人脈はすごいと思う。
そんな先輩は結婚もしていて子どもを考えているって言って、その人脈を私に引き継がせてくれるつもりだった。
惜しいことしたかな。
※※※
「今の方が充実してるかも?」
ドラマのあらすじが半分くらいしか頭に残っていないけど最終話まで見た。
何故、探偵が犯人に殺されてるのかさっぱり分からない。
お前はさっきまでワトソンの位置に居ただろう。
しかも役立たずの助手で犯人に探偵が殺される原因を作っただろうが。
原作の評判が良かったから見たのに消化不良だ。
所長にお薦めを聞いた方が良いかもしれない。
「・・・所長」
<今里ちゃん>
「どうされましたか?」
電話がかかってきた。
しかも所長の声が泣きそうだ。
<頑張ったんだよ>
「はい」
<メールのアイコンを押したんだよ>
押せたのか。
メカ音痴の所長にしては頑張ったと思う。
<そしたら、すごい数のメールが届いたんだ>
「迷惑メールなら別に分けられるので無視して良いですよ」
<違うんだよ。ねねさんからね。届くんだよ>
これは予想外なところから来た。
「明日、確認しますので電源を切ってください」
<無理だよ。メールが消えちゃうじゃないか>
「消えません。だから電源を切ってください」
<大丈夫なんだね?本当に大丈夫なんだね?音がすごく鳴っているけど大丈夫なんだね?>
「大丈夫です」
マナーにして鳴らないようにしていたはずだけど、なぜか鳴るようになったタブレット。
所長が余計なところに触れたんだろうな。
どうにか宥め賺して電源を切らせることができた。
今度から所長にはタブレットは預けないでおこう。
夜中に起こされることは目に見えている。
<今里ちゃん、ありがとう>
「明日、確認しますから持って来てくださいね」
<うん、任せといて>
「では、お休みなさい」
まさか夜から深夜まで電源を切るための説明をするとは思わなかった。
最初は夕方だったはず。
きれいな夕日が窓から見えていた。
それが日付が変わるとは、恐るべし所長のメカ音痴。
「とりあえず寝よ」
起こされたくないから携帯の電源も切っておく。
所長のメカ音痴は凄過ぎる。
※※※
朝になって電源を入れると鳴った。
「・・・所長?」
<ようやく繋がったよ。おはよう、今里ちゃん>
「おはようございます」
<今日は迎えに行くからね。そうだね、一時間後くらいでよろしく>
「分かりました」
電話を切ってから思う。
物凄く聞き取りにくい声で車の音がしていたようにも思う。
気にしても仕方ないから準備をする。
取り敢えず待つ間に生姜ココアを入れる。
本当は純ココアで入れるけど苦くて飲めないからミルクココアで入れる。
「所長って、車の運転出来たっけ?」
会えば会うだけ石にするから閉鎖空間なんて無理な気がする。
ならタクシー?
でもタクシードライバーが所長の美貌に惚れて事故を起こしたことがあるとかないとか?
そうこうしている内に電話が鳴った。
「はい」
<今里ちゃん?下に降りて来てくれる?>
「分かりました」
下に降りて分かった。
所長は運転していない。
でもタクシーでもない。
バスは家の前まで来ないから論外だ。
運転席には誉志さんがいた。
「おはよう、今里ちゃん」
「おはようございます、所長、卮さん」
「さて今日はドライブでもするか」
「ドライブ?」
何とも曖昧な説明で連れて来られたのは何処かの富豪が趣味で作ったという天守閣だった。
何となく大阪城に似ている気がした。
「朝の早くにお越しいただきありがとうございます」
そこにいたのは、ねねさんだった。
そして、十二単的なものを着ているから一瞬、時代劇に迷い込んだかと思った。
「先日より申しておりました脚本が出来上がりましたのでメールにてお送りさせていただきました」
「それがこのメールでしたか」
「はい、ですが膨大な量となりお送りするのに些か疲れましたので直接お呼びした次第ですわ」
「それに成功させるには四ツ橋さんの協力が不可欠ですもの」
何でも演技だとばれないように自然な振る舞いをして欲しいそうだ。
演技とか小学校の学芸会でしかしたことないぞ。
「難しい話は後にして朝食にしましょう」
ひとつ気になった。
何故、ねねさんは今日初めて会うはずの卮さんのことに疑問を持たないんだろう。
「・・・応接室を用意しましたから台本を覚えてくださいまし。わたくしは婚約者のことを見張っておきますわ」
「何から何まで用意していただきありがとうございます」
「構いませんわ。四ツ橋さんにご迷惑をお掛けしているのは事実ですもの。あと卮先輩の弟さんもいらっしゃることですし」
「ご無沙汰しています」
それで疑問を持たなかったのか。
ねねさんは悪代官の顔をしていなくなった。
「さぁ始めるよ」
「・・・はい」
一人芝居だと思っていたら相手がいた。
卮さんだ。
「相手は俺じゃ不満?これでも演劇部だったんだよ」
「いえ、不満とかは無いです。私が演技とかしたことないので」
「大丈夫大丈夫、演技指導もバッチリだよ」
なら安心だと思っていた私を殴ってやりたい。
卮さんは、一言で言うなら鬼だった。
スパルタなんてものじゃない。
※※※
主演
勘違い男・村椿 木瓜
犠牲者女・四ツ橋 今里
シチュエーション
昼下がりのファミレスで村椿と四ツ橋で談笑。
村椿・ようやく会えたね
四ツ橋・そうね
村椿・人目を気にする君のことを考えて会うのを控えていたけど、これからは一緒にいられるね
四ツ橋・そうね
村椿・あとはキミとの結婚だけど、ご両親に挨拶は何時伺えるだろ?
四ツ橋・そうね
村椿・真剣にお付き合いをさせていただいているとお伝えすべきだと思うんだ
四ツ橋・そうね
村椿・キミも若くなくなるから結婚適齢期というものがあるからね
四ツ橋・そうね
※※※
「・・・所長、私は、そうね。しか言っていないと思うのですが?」
「そうね」
「フザケテます?」
「大真面目だよ。それに脚本を考えたのは、ねねさんだよ」
「そうでした」
「とりあえず、やってみようか。勘違い男役は俺がするから今里ちゃんは、犠牲者女役をお願いするよ」
このたった三文字が曲者だった。
それを知るのは先のことだが、卮さんの演技は凄かった。
※※※
ようやく会えたね
そうね
「違うだろ。ここは、私も会えて嬉しいわという気持ちを込めた同意のそうねになるんだ」
人目を気にする君のことを考えて会うのを控えていたけど、これからは一緒にいられるね
そうね
「違う。ここは、さっきのとは違うんだ。未来のことを考えてのそうねになる」
あとはキミとの結婚だけど、ご両親に挨拶は何時伺えるだろ?
そうね
「ちがう、違う。ここは同意じゃなくて相槌のそうねだ。むしろ語尾を伸ばすくらいでも良い」
真剣にお付き合いをさせていただいているとお伝えすべきだと思うんだ
そうね
「そうじゃない。このそうねは貴方の考えに同意するけど親の都合が分からないという不安の滲ませた感情が必要なんだ」
キミも若くなくなるから結婚適齢期というものがあるからね
そうね
「どうして怒りの感情が入る。そこは諦めの感情だろう。時の流れに逆らえないが若いうちに結婚ということは何より重要だという複雑な女心を何故、表現しない」
※※※
「たった三文字で全ての感情を表現し、そして全て使い分ける必要がある。その違いがなければ、このシーンは成り立たないんだ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
「次にいくぞ。御堂、婚約者女役やれ」
「はい」
完全に人が変わっていた。
優しい感じの卮さんは空の彼方へ消えた。
この三文字にした脚本家を恨んだ。
※※※
主演
勘違い男・村椿 木瓜
婚約者女・阪城 ねね
犠牲者女・四ツ橋 今里
シチュエーション
仲良く談笑しているところに阪城が登場し修羅場。
阪城・しげうり、さん?
村椿・今は彼女と話しているんだ。仕事の話なら今度にしてくれ
阪城・何を仰っているの?わたくしと木瓜さんは婚約をしているではありませんか。仕事だなんて
四ツ橋・婚約者?
村椿・彼女は取引先の令嬢なんだが、幼い時から僕の婚約者だと言って憚らないんだ
阪城・何を、わたくしと木瓜さんとの婚約は親も認めて正式に交わされたものですわ
村椿・言いがかりも止してくれ。キミの家が僕の家より家格があるから両親も強く否定できないだけなんだ。権力を振り翳して恥ずかしく無いのか
阪城・わたくしは権力を使ってなどいませんわ。木瓜さんのご両親にもお慕いしていると申し上げましたところ良い縁談だと慶んでいらしたわ
四ツ橋・そんな
村椿・待ってくれ、僕が愛しているのはキミだけだ。キミとだけ添い遂げたいんだ
阪城・木瓜さんは、わたくしという婚約者がありながら他の女性と交際されていたのですか。わたくしは木瓜さんと結婚することだけを夢に花嫁修業を頑張ってきましたのに
村椿・そんなことを僕に言われても困るね。僕は一度もキミに求婚したことは無いし、付き合ったことも無い
阪城・それでも婚約者ですわ。わたくしと木瓜さんは正式に婚約しています
村椿・さっきから婚約、婚約と言っているけど、正式なら書類が在って僕のサインがあるはずだ。僕はサインをした覚えは無いからキミの妄想だ。病院に行くことをオススメするよ
※※※
「何だか出番が少ない上に、また三文字なんですけど」
「それは脚本家に言え、俺たち演者は脚本家や監督が求める役を演じれば良い」
「はい」
このときには大人しく従うことに異論は無かった。
大人しくしていないと鬼の説教が始まる。
それならば大人しく演じよう。
「さあ、始めるぞ」
「はい」
このとき二回の登場に苦しめられるとは思っていなかった。
そして、所長があんなにも演技が上手かったなんて。
※※※
しげうり、さん?
今は彼女と話しているんだ。仕事の話なら今度にしてくれ
何を仰っているの?わたくしと木瓜さんは婚約をしているではありませんか。仕事だなんて
婚約者?
「そこは、疑問と疑惑と戸惑いと不信感を混ぜ合わせるところだ。2:3:4:1くらいの比率だ」
彼女は取引先の令嬢なんだが、幼い時から僕の婚約者だと言って憚らないんだ
何を、わたくしと木瓜さんとの婚約は親も認めて正式に交わされたものですわ
言いがかりも止してくれ。キミの家が僕の家より家格があるから両親も強く否定できないだけなんだ。権力を振り翳して恥ずかしく無いのか
わたくしは権力を使ってなどいませんわ。木瓜さんのご両親にもお慕いしていると申し上げましたところ良い縁談だと慶んでいらしたわ
そんな
「そこで驚きだけで表現してどうする!そこは愛する男が、結婚を約束した男が、既婚者だったんだぞ。裏切られたという悲しみや恨みや哀愁を複雑に混ぜるところだろうが」
待ってくれ、僕が愛しているのはキミだけだ。キミとだけ添い遂げたいんだ
木瓜さんは、わたくしという婚約者がありながら他の女性と交際されていたのですか。わたくしは木瓜さんと結婚することだけを夢に花嫁修業を頑張ってきましたのに
そんなことを僕に言われても困るね。僕は一度もキミに求婚したことは無いし、付き合ったことも無い
それでも婚約者ですわ。わたくしと木瓜さんは正式に婚約しています
さっきから婚約、婚約と言っているけど、正式なら書類が在って僕のサインがあるはずだ。僕はサインをした覚えは無いからキミの妄想だ。病院に行くことをオススメするよ
※※※
「御堂、お前は上出来だ。まぁ代役だからな。多少のアラは目を瞑ろう」
来た。
どんなダメ出しが来るんだろう。
「とりあえずは続きだな。勘違い男の科白を見る限りは大抵のことは都合よく解釈してくれそうだからな。短い科白なら誤魔化せるだろう」
「そうですか」
「問題は次だ。その場に弁護士を呼んで正式な話になる。そうなれば相槌だけでは終われないからな」
もう好きにして、そんな心境だった。
それに弁護士が参戦するなら後は内輪揉めでも痴話喧嘩でも何でもしてくれていい。
お願いだから私を解放して欲しかった。
※※※
主演
勘違い男・村椿 木瓜
婚約者女・阪城 ねね
犠牲者女・四ツ橋 今里
弁護士男・木下 紹英
シチュエーション
木下が参戦してさらに泥沼化
阪城・分かりました。弁護士の先生に証言していただきます
村椿・弁護士?フン、どうせ偽者だろ。そうまでして僕を繋ぎ留めたいのか。だが僕の心はマイハニーにだけ捧げられる
阪城・わたくしは嘘など申しておりません。婚約しております
村椿・ハニー、こんな勘違い女の言うことは気にしなくても良いよ。僕が必ず守るからね
四ツ橋・それは
村椿・キミは僕を疑うのか?あんなにも愛を囁いてきたのに信じてくれないのか!僕にはキミしかいないんだ
四ツ橋・信じても良いの?
村椿・もちろんだ。僕は一生涯、キミにだけ愛を捧げるよ
木下・お待たせいたしました。弁護士の木下 紹英です
阪城・お待ちしていましたわ。木下先生、わたくしと木瓜さんが長年に渡り婚約をしていたという証明をしてくださいまし
木下・かしこまりました。こちらが婚約についての取り決めの書類の写しになります。検めてください
村椿・これは!どういうことだ。僕はこんな書類を書いた覚えは無いぞ。偽装したんだろう
木下・文書の偽造は列記とした犯罪です。そちらは村椿さんがご自分で書かれたものに間違いありません
村椿・これは僕とハニーの仲を裂くための陰謀だ。罠だ。一体、誰がこんなことを
阪城・その書類は木瓜さんの字に間違いありませんわ。お疑いなら原本で筆跡鑑定をしてもよろしいですわよ
村椿・そんな手には乗らない。もともと僕は書いていないんだ
阪城・そんなにもお疑いですのね。こちらには木瓜さんのご両親の覚書がございますわ
村椿・お前が権力を笠に書かせたのだろう
阪城・そのようなことをしておりませんわ。木瓜さんはご記憶になくとも、わたくしとの婚約を正式なものとし結納も済んでおります
村椿・結納?馬鹿を言うな。そんなもの送ったことは一度もない
阪城・贈ってくださいましたわ。お疑いなら木瓜さんの送り状もございましてよ
四ツ橋・そんな。両家のご挨拶が終わっているのに私と結婚を、いえ、付き合っていたの?私のことは遊びだったの?
村椿・違う!
四ツ橋・何が違うのよ。正式な婚約者がいながら私と付き合っていたんでしょ
村椿・違うんだ
四ツ橋・何よ、何よ。結婚するまでの火遊びだったんでしょ。結納もしていたんでしょ
村椿・話を聞いてくれ
四ツ橋・聞いてるわ。その書類だって貴方の字じゃない。しかもご両親まで賛成しているのに私が割って入ることなんて出来るわけないでしょ。それとも私に泥棒猫になれというの!
村椿・何をわけのわからないことを言っている!僕はキミとだけ添い遂げると言った。愛しているのも僕だけだ。こんな勘違い女のちんちくりんではない!
四ツ橋・なら弁護士先生が持っている婚約書のコピーはどう説明するのよ。そうやって本命とは仲睦まじく結婚して恋に逆上せた女を見て楽しんでたんでしょ
村椿・何を言っている!僕はキミだけを愛している。そんなに気になるのなら。ここで宣言しても良い。結婚するのはキミとだ。間違っても、この女じゃない。そんな偽造書類を用意するくらいに勘違いをしているが、それならこちらも従おうじゃないか。
阪城・従う?
村椿・あぁ、僕は、阪城ねねとかいう女との婚約を破棄し、ハニー、キミとの婚約を新たに結ぶ。これで安心できるだろう?
阪城・なんと、そんな恐ろしいことを!
村椿・恐ろしい?そんな妄想をひけらかす女の方が恐ろしいね
阪城・後悔なさいますわよ
村椿・後悔?するはずがないだろう。そんな茶番を演じた程度で僕とハニーの仲を裂けるはずがない。さぁ行こうか、マイハニー
※※※
「何だか、科白を覚えられそうにないのですが」
「覚えろ」
「はい」
「多少の言い回しは違っても良い。大筋で意味が合っていれば合格だ」
これなら三文字がどんなに楽かと思った。
しかもタイミングや感情まで自分で作るのだ。
科白さえ合っていれば進む学芸会とは大違いだ。
大変なことになった。
絶対に出来るまで解放してくれない。
食事も睡眠も絶対にこの城の中で完結させられる。
「科白合わせをするぞ」
※※※
分かりました。弁護士の先生に証言していただきます
弁護士?フン、どうせ偽者だろ。そうまでして僕を繋ぎ留めたいのか。だが僕の心はマイハニーにだけ捧げられる
わたくしは嘘など申しておりません。婚約しております
ハニー、こんな勘違い女の言うことは気にしなくても良いよ。僕が必ず守るからね
それは
「三文字の科白は上手くなったな。その表現で良い」
キミは僕を疑うのか?あんなにも愛を囁いてきたのに信じてくれないのか!僕にはキミしかいないんだ
シンジテモイイノ?
「ゴラァ、何故カタコトなる。そこは不安と信じたい気持ちが混ざったものになるだろうが」
もちろんだ。僕は一生涯、キミにだけ愛を捧げるよ
お待たせいたしました。弁護士の木下 紹英です
お待ちしていましたわ。木下先生、わたくしと木瓜さんが長年に渡り婚約をしていたという証明をしてくださいまし
かしこまりました。こちらが婚約についての取り決めの書類の写しになります。検めてください
これは!どういうことだ。僕はこんな書類を書いた覚えは無いぞ。偽装したんだろう
文書の偽造は列記とした犯罪です。そちらは村椿さんがご自分で書かれたものに間違いありません
これは僕とハニーの仲を裂くための陰謀だ。罠だ。一体、誰がこんなことを
その書類は木瓜さんの字に間違いありませんわ。お疑いなら原本で筆跡鑑定をしてもよろしいですわよ
そんな手には乗らない。もともと僕は書いていないんだ
そんなにもお疑いですのね。こちらには木瓜さんのご両親の覚書がございますわ
お前が権力を笠に書かせたのだろう
そのようなことをしておりませんわ。木瓜さんはご記憶になくとも、わたくしとの婚約を正式なものとし結納も済んでおります
結納?馬鹿を言うな。そんなもの送ったことは一度もない
贈ってくださいましたわ。お疑いなら木瓜さんの送り状もございましてよ
そんな。リョウケノ、御あいさつがオワッテいるのに、私とケッコンを、イエ、突きあっていたの?私のことはアソビだったの?
「だぁ、そこでどうして、カタコトで訛って、さらに意味を変える!突きあってどうする、突きあって。ここは戦場か!」
違う!
ナニがチガウのヨ!せいしきなコンヤクシャがいながらワタシと突きあっていたんでしょ
「だからカタコトで訛って、突きあってどうする!普通に言え、普通に」
違うんだ
何よ、何よ。けっ婚するまでのヒアソビだったんでしょ。ユイノウもしていたんでしょ
「結婚だ、結婚。先を進めよう」
話を聞いてくれ
聞いてルワ。その書類だってアナタの字じゃない。しかも御リョウシンまでサンセイしているのにワタシが割ってハイルことなんてデキルわけないでしょ。それともワタシに泥棒ネコになれというの!
「少しマシになったな。ワタシじゃなく私だ」
何をわけのわからないことを言っている!僕はキミとだけ添い遂げると言った。愛しているのも僕だけだ。こんな勘違い女のちんちくりんではない!
ならベンゴシセンセイが持っている婚約書のコピーはどう説明するのよ。そうやって本命とは仲睦まじく結婚して恋に逆上せた女を見て楽しんでたんでしょ
「うん、続けよう」
何を言っている!僕はキミだけを愛している。そんなに気になるのなら。ここで宣言しても良い。結婚するのはキミとだ。間違っても、この女じゃない。そんな偽造書類を用意するくらいに勘違いをしているが、それならこちらも従おうじゃないか。
従う?
あぁ、僕は、阪城ねねとかいう女との婚約を破棄し、ハニー、キミとの婚約を新たに結ぶ。これで安心できるだろう?
なんと、そんな恐ろしいことを!
恐ろしい?そんな妄想をひけらかす女の方が恐ろしいね
後悔なさいますわよ
後悔?するはずがないだろう。そんな茶番を演じた程度で僕とハニーの仲を裂けるはずがない。さぁ行こうか、マイハニー
※※※
「いろいろ言いたいことはあるが、まず分かったのは今里ちゃんは感情が入るとスムーズに言える」
「うう、すみません」
「今里ちゃんって、大根役者だったんだね。いつも事務所では完璧に仕事をしているから今里ちゃんにも苦手なものがあるの安心したよ」
「所長」
「ボケくんに対する感情が入れば今里ちゃんは女優さんになれるという訳だね」
「女優じゃねぇ、主演女優だ」
二人そろって褒めてくれるが、居た堪れなさが半端なかった。
自分でも大根役者っぷりに心底落ち込んでいるのだ。
本番では科白をとちること間違いなしだ。
何とかして役者を降りられないだろうか。
「本番はこの通りに動くとは限らないからな。スタンスは好きな男に婚約者が居て裏切られた女性というものだな」
「でもさ、今里ちゃんは裏切った男に女々しく縋るよりすっぱりと切り捨てる方が似合っているし、そんな今里ちゃんの方が好きだな」
「それは御堂の主観だろうが、今回は演技なんだから我慢しろ」
「はい」
「それよりも御堂、二役の使い分け上手かったぞ」
「そおう?いや女性声と男性声の使い分け出来るかな?と思ってやってみたんだよ」
所長のスペックが高すぎる。
あんなタイムラグなく使い分けとかすごいわ。
しかも女性声に違和感ないし。
「さて、次だが」
「誉志、疲れたんだけど」
「仕方ない。科白の確認だけするか」
「あ、今里ちゃんの出番ないよ」
※※※
主演
勘違い男・村椿 木瓜
婚約者女・阪城 ねね
弁護士男・木下 紹英
シチュエーション
婚約破棄宣言のあとの出来事
村椿・どういうことだ!
阪城・なんのことでございますの?大きな声で
村椿・しらばっくれるな。両親にお前との婚約を破棄出来たと言ったら叱られたんだぞ
阪城・まぁご両親の対応が正しいですわ
村椿・ふざけるな。お前がうちの親に圧力をかけたんだろうが
阪城・ですから何度も言っておりますが圧力などかけていませんわ
村椿・婚約を破棄したら慰謝料がいると言われたぞ。そもそも婚約をしていないだろうが
阪城・ですから婚約をしていましたのよ。わたくしたちが結婚できる年齢のときに
村椿・そんなことはして
阪城・思い出されまして?あのときに木瓜さんはわたくしにプロポーズをされましたわ
村椿・それは子どもの戯言
阪城・えぇでも熱心に求婚されるので両親たちが婚約をしてはどうかと相談したのですわ
村椿・だが未成年だ。無効だ
阪城・だから最後にわたくしたちが成人して双方から婚約解消の申し出が無かった場合は正式なものとするという誓約書も書きましたわ
村椿・(無言)
阪城・木瓜さんはわたくしの二つ上、十八歳のときに書類を書きましたのよ。そして木瓜さんが二十歳になられたときには何もおっしゃらなかったから了承しているものだとばかり
村椿・だが成人してから一度も認めていないぞ
阪城・お認めになりましたわ。木瓜さんが二十二歳でわたくしが二十歳のときですわ
村椿・っ!
阪城・思い出されましたわね。わたくしの成人祝いのパーティに婚約者として出席してくださいましたわ
村椿・だがお前と結婚する気はない。婚約は破棄だ
阪城・よろしゅうございますけど慰謝料は請求いたしますわよ。関係各所の方がわたくしたちの婚約を知っておりますし、解消ではなく破棄となりますもの
村椿・何が問題だ。不当に僕を束縛していたんだ。慰謝料を請求するのは僕の方だ
阪城・わたくしに瑕疵はありませんわ。不貞行為もありません
村椿・フン、無理に婚約関係を迫っていただけで十分だ
阪城・では調停にいたしますか?
村椿・望むところだ
阪城・調停でお会いしましょう
※※※
「疲れたよ。てか今里ちゃんいないのに台本いるの?」
「知るか!」
「あとは、ねねさんに任せようか」
「この村椿とかいう男が思惑通りに動くとは限らねぇだろ」
「そこは祈るしかないね」
「多分ですが、似たようなことは言うと思います」
というか。
絶対に動く気がする。
何から何まで自分の思い通りになると思っている。
ある意味では扱い易い男だ。
きっとねねさんは私より知っているだろう。
「もう夜も遅いし、ご飯食べて寝ようか」
「富豪のお嬢さんだからな。豪華な飯を食えるな」
ご飯は文句なく美味しかった。
ベッドも天蓋付きだった。
お風呂はライオンの口からお湯が出ていた。
バラを浮かべるか聞かれたが丁重に断った。