桜ノ宮駅・下車
順調に工事が進み、残すは爺が入って最後のドアを溶接するだけになった。
報告は一応、直接伝えていた。
電話でも良かったが、報告をするということを吉乃さんに確認させるのが目的だ。
爺に報告する必要は無かったとも言える。
報告する度に泊まっていけと言われ、爺の寝室に連れ込まれそうになった。
毎回、助けるのは吉乃さんだ。
お礼に夕食を作ってみた。
いつぞやの嫌がらせのお粥や味噌汁ではなく、きちんと味付けした料理だ。
食材だけは豊富だったからカラスミのパスタとか作ってみたりした。
冷蔵庫に世界三大珍味がキャベツとかニンジンとかと同じ扱いっていうのが腹立つ。
今度、所長にフレンチのフルコースにでも連れて行ってもらおう。
腹が立ったから精進料理を作って出したりもした。
肉が一切ない。
修行ではないから量はたくさん作ったけど、前の日が濃いめの味付けだったから物足りない感じだっただろう。
断じて嫌がらせではない。
依頼人の健康を考えてのことだ。
それよりも問題は倉庫が完成してからだ。
爺が一人で入るのは嫌だと言い出した。
一人で入らないで安全をどうやって確保するつもりだろう。
密室で爺が死ねば、真っ先に疑われるのは一緒に入った奴じゃないか。
さらに言えば、その相手は私が良いって言い出した。
誰が一緒に入るか。
これに関しても吉乃さんが反対してくれたから良いが、なぜ所長が賛成しようとしたのかは不明だ。
いろいろと押し問答はあったが、何とか爺だけが入ってくれた。
順調にドアが溶接されて出ることも入ることも倉庫を破壊しないとできなくなった。
朝と夜に見回りを所長がする他は誰も近づかないように言い含められた。
見張りは所長が懇意にしている警備会社に依頼した。
間森総合警備セキュリティシステム。
最初は間森警備会社だったのが、手広く色々するようになって、総合がついた。
そのあとは、グローバルな時代だよねの一言で、セキュリティシステムがついた。
なぜか警備会社の社長もイケメンだ。
どんなに強固な錠でも一言、開けてと言えば開くとか開かないとか。
渋い感じのイケメンなのだが、所長たち以上に女性の心が分からない人だった。
同じく惚れられなかった。
どんなに堅牢な鍵でも必ず攻略できる方法がひとつだけある。
だが、オンナにはそれがない。
攻略の方法がないものを相手にするほど暇ではない。
これが信念らしい。
ごもっともと言ってしまいたくなるくらいに清々しかった。
仕事相手としては誠実で、真面目なのだが、一転、女性関係になるとダメだった。
来るもの拒まず、去るもの追わず。
そんな態度だから、顔だけに群がった女性たちが入れ替わり立ち替わりにいた。
だけど、デートをするでもなく、食事をするでもなく、時が過ぎるので自然消滅する。
そんな酷い男なのに女性が途切れたことがない。
私はそんな男、願い下げだ。
でも人のことは言えないな。
合コンで顔だけ男でも良いから彼氏にしようと考えたこともある。
そこそこの年齢なら彼氏がいないことに焦ったりするのだろう。
私もすぐにそんな年齢がやってくるんだろうな。
今の職場だと出会いがない。
信じられないくらいのイケメンに出会えるのに恋に落ちない。
本当にイケメンはどこか欠点というか、もうここまできたら欠陥だろうけど。
何かあるんだろうなというのをひしひしと感じた。
「今里ちゃん、一緒に入れば良かったのに」
「所長」
「桜宮さん、今里ちゃんと一緒になら監禁されても良いって言ってたし」
「所長、ペット探し自分で頑張ってくださいね」
「ごめんなさい。もう言いません。だからペット探してください」
「それで、吉乃さんが犯人だという証拠はどうやって探すのですか?」
「探さないよ。直接本人に聞くんだ。早くて済むじゃない」
どこの世界の犯人に、あなたが犯人ですね?はいそうです。と証拠もなしに自供する奴がいるというのだ。
今回は脅迫の手紙だけだから否定すればお仕舞いだ。
警察が関与すれば手紙から指紋が採取できるが今となっては意味がない。
「さて、桜宮さんを安全な場所に監禁できたし、ご飯でも食べに行こうか」
「吉乃さんが動くことはありませんか?」
「無いと思うよ。桜宮さんに危害を加えようとすれば見張りが分かるし、手紙のやり取りは不可。朝と夜の僕が報告する以外は今里ちゃんだって近づけない。そんな状態で殺せたら凄いトリックだよ」
「その凄いトリックを使うことはありませんか?」
「大丈夫だよ。吉乃にも見張りは付けているから」
「では、今日はエスニックが食べたいです」
「よし、良い店を知っているから行こう」
吉乃さんに見張りを付けているのは初めて聞いた。
これが所長の敵を欺くには味方から作戦なのだろう。
欺かれたというよりも騙されたというよりも言うのを忘れていたというのが近い気がするのは気のせいだろうか。
そんな考えも所長おすすめの店のデザートできれいさっぱり消え去ったけど。
これがまた美味しかった。
生春巻きに米粉のやきそば、最後のタピオカミルクティーは本当に絶品だった。
そしてなぜかトルコアイスがメニューに載っていた。
エスニックのカテゴリーには入らないような気がするけど。
所長は気に入って注文していた。
「捜査会議だけどね」
「はい」
「まずは、様子見だね。郵便ポストに例の脅迫文が投函されるか確認する。張り込むのは防犯カメラが玄関にあるから吉乃に気づかれる可能性があるから除外ね」
「あくまで犯人は婚外子の中にいる誰かと思って捜査していると吉乃さんに思わせるのですね」
「敵を欺くには味方からだよ」
だから誰が敵で味方なんだ。
この際、敵は吉乃さんだけど、味方は誰なんだ。
「それで三日ほどは調査中ということで沈黙しようと思うんだ」
「三日も動きが無ければ、吉乃さんも焦りを見せるということですね」
「焦りは見せないと思うよ」
「どうしてですか?」
「焦るのなら桜宮さんが探偵に依頼することを阻止するからだよ。もしくは息のかかった探偵を用意する。僕たちは調査のフリをしろって吉乃から言われた?」
「言われていませんね」
「それに一日とはいえ今里ちゃんが屋敷に泊まったんだよ。焦るならそこで焦るよ。焦った様子とかあった?」
「無いですね。むしろ恋愛相談を受けました」
「つまり吉乃は桜宮さんの命を狙っているように見せたいだけで、死んで欲しいわけじゃないんだよ」
「そこは矛盾していませんか?」
「死んで欲しいなら一つ屋根の下で暮らしているんだ。探偵を雇うなんてことしないで、毎日食事に毒でも盛って、自然死に見せかければ良い。調べられて捕まるかもしれないけど、第三者に関与されないから可能性は高いよ」
「異母兄妹の仲も良く、甲斐甲斐しく面倒を見ているように感じました」
「桜宮さんが吉乃を不当に扱っていることもなく、吉乃自身金銭で困っていることもないから財産目当ても考えにくい」
「それで焦らない理由になりますか?」
「おそらくは生きて悔い改めてくれることを狙っているんだよ」
「爺が今更、悔い改めて生き方を変えるとも思えませんが」
「変わるとは脅迫状を送っている本人も思っていないよ」
「それならどうして」
「うん、そろそろお店を出ようか。混んできたし」
「はい」
「近くにバーがあるからそこにしようか。個室もあるし。あっでも安心してね。下心とかないからね」
いちいち腹が立つ言い方をしてくれる所長だ。
これが狙っているのならまだ返せるが、ドがつくほどの天然で言っているから始末に負えない。
本当にどうしてこうなってしまったのか。
本当に勿体無い。
店を選ぶセンスは抜群に良い。
過去、食事に行った男性と比較しても断トツだ。
雰囲気や食事の内容、価格に至るまで完璧なのだ。
なのに、女性の扱いが残念なのだ。
どうしてセクハラ中年男性のイメージとも言える言動を忠実に再現するのか。
一体、誰から習ったのか。
百貨店にいたときですら、そこまであからさまな人はいなかった。
「ギムレットとミモザ」
「かしこまりました」
「所長」
「ここでは所長は無しだよ」
「・・・・・・谷町さん」
「バーで男女が呼び合うって言えば、下の名前が定石でしょ。どうして苗字なのさ」
「バーで男女が下の名前を呼び合うのが定石だとしましても私と所長が下の名前を呼び合う仲ではありません」
「そんなつれないこと言わないでさ。二次元の疑似恋愛くらい楽しませてくれても良いじゃないか」
二次元の疑似恋愛って私はシミュレーションゲームのキャラか。
ちゃんと実在してるわ。
それに所長を楽しませて何になる。
こっちのことを散々、恋愛対象じゃないという態度に女性としてのプライドを隙あらば傷つけてくれるのに。
「マスター、酷いと思わない?」
「・・・確かに酷いですね、谷町様が」
「えっ僕!」
「はい」
「そうか僕は酷いことを今里ちゃんに言っていたんだね。反省するよ」
「そのほうがよろしいかと」
「頑張って女性を口説けるように練習していたんだけど、知らず知らずのうちに今里ちゃんに酷いことを言っていたんだ。ごめんね、今里ちゃん」
「・・・・・・・・・気にしておりません」
頬を引っ叩かなかった私を誰か褒めてくれ。
根本的に練習台にしていたことが問題なんだ。
どんなことがあっても顔色を変えず、普段と変わらない仕事をすることが求められているマスターがグラスを落としそうになっていた。
「御堂、相変わらず女心が分かってねぇな」
「これでも分かった方なんだよ。いつもいつも女性に会うと石のように固まられてたけど、今里ちゃんを固まらせることはなくなったし」
「そりゃその今里ちゃんっつうお嬢さんが聖母の如く出来た娘さんだからだよ」
一度も所長を見て固まったことは無いし、所長の女性を扱う能力、女心を読む能力が向上したとは考えにくい。
しかし聖母の如く出来た娘さんというフレーズには心動かされた。
さりげない褒め言葉だが、所長の友達ということで碌でもないに違いないと思う。
私の男性を見る能力のほうが向上している。
「今里ちゃんは出来た娘なのは間違いないよ。もう一か月も所員として働いているし、探偵として必要なペットを探し出す能力を身に着けているんだもの」
「ペットを探す能力が探偵に必須かどうかはさておきだな。一か月まともに御堂と居られるのは脱帽もんだな」
「そうなんだ。求人を出しても出しても辞めていくし、僕にどれだけ人徳が無いんだろうって凹んだけど、今里ちゃんは文句も言わずに働いてくれるし、事務所が無くなっても働いてくれるし、本当に助かっているんだよ」
「そうかそうか、まあ呑め」
「依頼人とまともに話せない僕の代わりに窓口になって橋渡しをしてくれるし、本当に何で僕みたいな所長のところで働いているのか不思議なんだ。いつかいなくなってしまうんじゃないかって不安で不安で」
すさまじい勢いで呑んでいく。
私はまだミモザをちびちび飲んでいた。
「・・・ぐぅ」
「寝たか」
「所長・・・」
「で、今里ちゃんだっけ?」
「四ツ橋 今里と言います」
「俺は卮 誉志。そこで酔い潰れた御堂と環の大学の同期だよ」
「卮さんはそんなに前から所長と付き合いがおありでしたのですね」
「本人は気づいていないけど、老若男女問わず石にしちまう美貌だろ。友達が少ないわけよ」
「それでも環さんと卮さんがいらっしゃいます」
「自分で言うのも照れるが全員イケメンだろ?」
「はい、間違いなく」
「顔目当ての女の子はたくさん来るわけよ。それで次第に一緒に居るようになったな。御堂に至っては相手が固まる理由すら分かってないから大変だったけど」
「そうですね」
「でも今里ちゃんは大丈夫だったんだろ?」
「はい、偶然にも大丈夫でした」
「それでも御堂にとっては嬉しいことだと思うね。嬉しすぎて言葉の選び方を間違えているけどな」
「・・・日々のセクハラまがいな言葉は嬉しさゆえのことですか?」
「まともに女性と話したことないからな。男同士は俺たちがいるから何とかなったが、女の子と話したことは数えるくらいしかないから。いろんな本を読み漁って試したんだと思うぜ」
「練習台というのは所長なりの歩み寄りだったのですね」
「方向性が間違ってるけどな」
「本というのは、あの膨大な数の探偵小説のことでしょうか」
「へぇ、今は探偵小説になっているのか」
「以前は違ったのですか?」
「ああ、何故かホラー小説だった。ほら、貞子とかリングとか」
「女性へのアプローチの仕方を学ぶための教材として適当とは言いかねます」
「俺や環に実害が無いから放置しておいた」
そこで適切な本を紹介しておいてくれれば、あんなわけのわからない言動にならなかった。
とは言い切れないが、もう少しマシだったと思う。
ホラー小説から探偵小説に移行するまでの間に何を読んでいたんだ。
そして、どうしてあの言動をチョイスした。
もう少し女性に対して何とか形になるものがあっただろうに。
店を選ぶセンスが抜群なのに、セリフのチョイスのセンスがない。
本当にドがつくほどの天然なのだなとしみじみ思った。
「だからさ、御堂が探偵をするって言ったときは反対だったんだよ。相手が石になってまともに話ができないからな。そんな探偵事務所なのに経営が成り立っていたのは驚きだったさ。何人も所員を雇っていたからな」
「今は私一人になりました」
「他の奴、辞めたの?」
「はい、新戸さんが連絡をして、他の方も退所されました。一度だけお会いしました」
「知ってると思うけどさ。新戸さん以外は事務所にいないし、犬まで所員って状況だっただろ?」
「はい」
「新戸さんも御堂とは目を合わせないで鬼気迫る感じで仕事していたからさ。御堂と目を合わせたら石になるのは分かるけど、御堂がそんな扱いを受けてるのは友人ながら心苦しかったわけよ」
「一緒に事務所を運営されなかったのですか?」
「一緒にしても良かったけど、御堂が事務所を閉めたら無職になるだろ?俺も環も御堂が働ける場所を作ろうって結託して環は実家を継いで、俺は店を開いたってわけ」
「所長はご友人に恵まれているのですね。羨ましいです」
「俺だって友人が多いほうじゃない。片手で収まるくらいだ。今里ちゃんも似た感じじゃない?」
「収まるというか、収める友人がいないというのが正しい気がします」
「そうかいそうかい。美人は損するように出来てる世の中だね」
「そう、なのでしょうか」
「美人は利用されるだけ利用されて、棄てられる。今里ちゃんクラスの美人だと合コンのお誘いは多かったんじゃない?」
「多かったですね。多かったですけど、親密になれる男性はいませんでした。高望み、したわけじゃないんですけどね」
「男は贅沢な生き物なのよ」
「贅沢な生き物?」
所長と同じことを言っている。
もしかして、所長に入れ知恵をしたのは卮さんじゃなかろうか。
大学時代からの付き合いだと言うし。
「俺は美人がいる合コンに参加できるっていうステータスが欲しいわけ。実際、美人な女の子は色々と声がかかり、彼女にしても自分が振られてしまうかもしれない恐怖に怯えることになる」
「そういうものでしょうか?」
「そういうものなのさ。それなら最初から付き合わないか、振ってやることを選んでしまう。どうしようもない臆病な生き物。それが男ってものよ」
「そうでしょうか」
「俺の熱弁、気に食わなかった?おかしいな?これ御堂からの受け売りで環には好評だったんだけどな」
違った。
所長が影響を受けたんじゃなく。
所長が影響を与えたんだ。
やっぱり卮さんは所長の紛れもない友人だ。
イケメンなのに、残念な人。
最初はまともな人と思ったのに、蓋を開ければ残念の一言で終わってしまう。
どうして残念な人しかいないのだろう。
もう少しまともな人はいないのだろうか。
まともな人を求める私は何か間違っているのだろうか。
「色々言ったけどさ。御堂のこと頼むよ。御堂の笑顔なんて久しぶりに見たんだからさ」
「探偵事務所の所員ですから精一杯働きます」
「・・・いや、まあ、うん、それで良いよ」
「お願いがあるのですが、タクシーを呼んでいただけませんでしょうか。所長を家まで送りたいと思います」
「・・・なんかちがうきがする」
「何か?」
「いや、上に寮があるから泊まっていきなよ。御堂を運ぶのも大変だし、二部屋あるからさ」
「ご迷惑をおかけするわけには参りません」
「御堂の奴、酔って寝たら朝まで起きないよ。それに御堂の家、無いし」
「え?」
「うん、実家はあるけど、絶縁状態だし、顔見るだけで石になるから漫画喫茶とかカラオケとか渡り歩いてんだよ」
「そうですか、では、お言葉に甘えてお部屋をお借りいたします」
「風呂もついてるし、中のものは好きに使って良いから」
「ありがとうございます。所長を部屋に送りましたら支払いに降りてきますので、よろしくお願いします」
「うん、裏に従業員用のエレベーターがあるから使って」
「重ね重ねありがとうございます」
所長のお友達にしては常識がある人だし、丁寧な人だった。
所長に家が無いとか初めて知った。
それで、事務所にいつ行っても居るのか。
自宅なら帰る必要が無いもんね。
私なら仕事場と家が兼用は無理だ。
まぁ仕事が無ければ休憩みたいな感じだし、普通の自営業とは違うのかも。
それよりも所長がスリムで良かった。
相撲取り並に体重があったら運べなかった。
エレベーターがあるのも助かった。
階段で運べないこともないけど、骨が折れるから好きではない。
きれいに掃除された寮でちょっと住みたいかもと思ってしまった。
それにしても所長が無職になっても困らないようにと考えてくれる友人がいるのは羨ましいと思った。
でも、そこまでして探偵を続ける理由は何だろう。
聞いたら答えてくれるかな。
「今里ちゃん、すぐに分かった?」
「はい、ありがとうございます」
「御堂にツケとくけど、飲む?」
「いただきます」
自棄酒になったけど気にしない。
ひたすらに飲む。
二日酔いになるほどに飲んだことは実家で正月にしこたま飲まされたときくらいだし、醜態を晒すこともないだろう。
何回か男性から声をかけられたけど電話番号を交換するだけで発展はなかった。
「今里ちゃん」
「そろそろ閉店ですか?」
「閉店までは時間があるから、そうじゃなくて、店の酒が無くなりそうだからね」
「すみません、つい飲みすぎました」
「ごめんね、品揃えが悪くて」
「いえ、今度は自重します」
いつもは飲みすぎないように気をつけている。
実家近くの酒屋は実家に酒を届けてくれるから選んだことはない。
所長があまり飲まないからいつもウーロン茶にしていたんだっけ。
一人で飲むのも考えものだね。
「おやすみなさい」
「うん、おやすみ」
取り敢えず寝る前に所長の様子を見とくことにしよう。
明日、二日酔いのようなら薬を買わないといけないし。
大人しく寝ているようで、良かった。
さて、シャワーでも浴びて寝よう。
流石に眠い。
※※※
起きるとすでに昼になっていた。
寝すぎた。
隣を見に行くと、所長はまだ寝ていた。
とりあえずコンビニで朝ごはんを買うことにした。
昨日のお酒は残ってないし、仕事するのは問題ない。
それに、捜査会議とやらが中途半端だった気がする。
「おはよう、今里ちゃん」
「おはようございます。卮さん」
「良く眠れた?というより二日酔い全くなさそうだね」
「はい、おかげさまで。数えるほどしかなったことがありません」
「御堂は起きてシャワーを浴びてたよ」
「ありがとうございます」
そう言えば、所長って二日酔いになるのだろうか。
見たことないなあ。
一応、ノックをした。
「誉志、何かあった?」
「・・・おはようございます、所長」
「今里ちゃん?」
「はい」
「うん、ちょっと待ってね」
所長はいつものようにドアを開けていつもの人がいるのだと思っていたのだろう。
向こう側でバタバタと音を立てながら服を着ているはず。
「お待たせしました」
「おはようございます、所長。朝ごはんを買って来ましたので、食べますか?」
「ありがとう。コーヒーでも淹れるよ」
本格サイフォンがあるのは不思議だが、インスタントのコーヒーより美味しいから黙っておこう。
黙ってサンドイッチを食べてコーヒーを飲んだ。
デザート買うの忘れた。
「今里ちゃん」
「はい、所長」
「これからの予定だけど、桜宮さんに報告しないという流れで行くよ」
「何故ですか?」
「桜宮さんに報告をすると自然と吉乃にも報告しないといけない。こちらの手の内は見せたくないからね」
「ですが、朝と夜に報告に上がる予定はどうするのですか?」
「問題ないよ。倉庫の中から外を確認する方法は無いし、時間を把握することもできない。体内時計は狂って朝と夜の区別がつかないから問題ないよ」
「わかりました」
何をしていたんだ。
それでも報告がなければ怪しむだろうよ。
「それでね、気になっているんだけどね」
「何でしょうか」
「春比古氏がマグロ漁船に乗った理由なんだけど、借金があるから、とある筋の方に紹介された訳じゃないみたいなんだ」
「それでは子どもができたから働くという意識が芽生えたのでは?」
「でも漁師はなかなか選ばないよ」
「長年付き合った女性から別の女性を妊娠させて予約していた式場でそのままという男性ですから選んでもおかしくないのではありませんか?」
「手っ取り早く稼ごうと思ったのかもしれないね」
「いつ、吉乃さんに確認に行きますか?」
「明後日くらいにしようか」
「分かりました。では、桜ノ宮駅でお待ちしています」
本当に所長の推理通りなのだろうか。
予定の日になるまでの間、ひたすらにペット探しだった。
とりあえず保留にしていた仕事だし、他の探偵事務所との兼ね合いもあるから急いで片づける。
ペット探し専門の探偵事務所にすれば良いんじゃないだろうか。
そう言えば、そんな探偵が主人公いたな。
犬探し専門になりたいんだと言う探偵が。
そんなことよりも訪問の連絡も無しにいいんだろうか。
「・・・くにちゃんに何かありました?」
「はい、ご報告に参りました」
「どうぞ」
いつものように応接間に通されて、日本茶が出された。
庭の鹿威しがいい感じだ。
「単刀直入に申し上げます。桜宮さんを脅迫していたのは、吉乃さん、貴女です」
「いきなり何をおっしゃるの?わたくしが、くにちゃん、異母兄を脅迫して命を狙って何になると言うの」
「命を狙ったとは思っていません」
「だったら、何だと言うの。わたくしが犯人だという突拍子もない戯言の根拠を申し上げてくださいな」
「調査をしていく内に浮かび上がった事実です。順を追って話します。訂正するところがありましたら仰ってください」
「・・・分かりました。依頼した報告だと言うのでしたらお聞きいたします」
「時間系列で話しましょう。事の発端は、吉乃さんと橘 春比古氏が交際するところから始まります。大学生からのお付き合いだということでしたから十年以上になるのではありませんか?」
「お答えいたしかねますわ」
「そうですか。では、続けます。結婚式の日取りを決め、あとは準備という段階になって、春比古氏は別の女性と浮気をして子どもを作ってしまいました。普通の男性なら、浮気相手に子どもを諦めてもらうか、婚約者に頭を下げるか、対応は色々あるでしょうが誠意というものが必要ではあったと思います」
「春比古さんは誠意という言葉から縁遠い方であったという訳ですね」
「はい、そのあとの対応は、婚約者に頭を下げるのではなく、『一人で生きていける女性よりも守ってあげないと心配な女性と結婚するよ』というような捨て台詞と共に、別れを告げます」
「男性として最低な対応ですね」
「その点は共感します。そして、挙句の果てには予約していた式場で結婚式を執り行うと宣言し、手酷く別れた元婚約者に友人として参列して欲しいと招待状まで送っていた」
「神経を疑いますね」
「そんなときです。元婚約者となった吉乃さんにある疑いが出来てしまった。春比古氏の女癖が桜宮家の男性にそっくりだと思ってしまった。もしかしたら地主の子どもかもしれない」
「いくら女癖が悪いからと言って桜宮家の血縁だと疑うのは無理があると思いますけれど」
「はい、でも長い間、お付き合いし、結婚の約束をしたあとで浮気をされて別れたのなら突拍子もない考えに行き着いてもおかしくはないのではありませんか?」
「失恋の痛みを忘れるために何か理由付けが必要だったということですね」
「そして分かったのは、春比古氏が地主氏の婚外子だったということです」
「もし、そうだとしたらお付き合いをする前に、わたくしは気付けたのではありませんか?愛人の方のお名前と住所は分かっていましたもの」
「確かに分かっていました。でも春比古氏が婚外子であることには気付けなかった。理由は、愛人の方の名前は下の名前だけで苗字までは書いていなかった。子どもの名前も、だ」
「住所が分かっていたのなら早々に調べるなり出来ますわ」
「お尋ねしますが、愛人の方の名前などをいつ知ったのですか?」
「それは、・・・」
「知ったのは、春比古氏と破局になってからだ。疑いを持ち、内心バカバカしいと思いながら調べた。そこにあったのは春比古氏が血の繋がりがある叔母と甥であることの証明だった」
「わたくしと春比古さんは同い年ですよ」
「同い年でもです。同じ年に地主氏と、その父上が愛人に産ませた子だということです」
「わたくしは桜宮の人間ですよ。友人ならともかく、春比古さんのお母様が気付かれないはずないではありませんか?」
「気付かなかったのでしょう。いや、気付きようが無かったと言いましょう。そうですよね?吉乃さんは自己紹介のときに『吉乃』と名乗ってはいても『桜宮 吉乃』とは名乗らなかった」
「あら、地主のあとですもの。吉乃だけで良いのではありませんか?」
「それだけではありませんよ。吉乃さんが仰ったのではありませんでしたか?『くにちゃんは愛人さんの子に優しくない』これはご自分のことも含まれているのではありませんか?」
「・・・・・・」
「おそらく地主氏は桜宮の姓を持っていない吉乃さんを一族の者と扱わなかったのではありませんか?」
吉乃さんの返答が無くなった。
所長の推理が合っていたということだろうか。
「吉乃さんが桜宮の姓を名乗っていなくても先代は実の子と同じように扱った。だから桜宮関連の会社を任されているのでしょうし、吉乃さんのお母様が籍を入れなかったのも先代との合意の上だったことだと思います」
「・・・・・・・・・」
「どうでしょうか?」
「確かに桜宮の姓ではなく、母の姓を名乗っていますわ」
「だから、春比古氏の母親は気付けなかったのですよ。更に言えば、自分の息子と同い年の叔母に当たる者がいるとは夢にも思っていなかったでしょうね」
「そうでしょうね。実の父親になる男の父親が同じ年に子どもを作っているなど悪夢以外に言いようがありませんもの」
「その事実に辿り着いたとき、戸籍上では赤の他人でも実際は血縁関係にある。血はいくぶんか遠いけど影響は無視できない。それで諦めることにした。諦めるしかなかった」
「・・・そのことを知ったとき、目の前が真っ暗になったわ。そして、あれほど楽しみにしていた結婚式もどうでも良くなったの。そこで浮気相手と式を挙げようが何でもしてと思ったわ」
「だけど、恨みは募った。恨みを春比古氏に向ける訳にはいかない。もちろん普通の男女の修羅場になるだけなら良かったが、そのあとのことが公になっては困る。そこで地主氏に向けることにした」
「それが脅迫の手紙になるのかしら?」
「はい、その手紙を見て、何か怯える仕草や反省を見せるのなら溜飲も下がったでしょうけど、そんな態度は一切無かった」
「それと探偵さんをお呼びするのに関係がありますか?」
「脅迫の手紙に信憑性を持たせたかったのではありませんか?悪戯ではなく、本当なのだと思わせるために」
「探偵さんをお呼びしたあとは、どうするのです?わたくしは口裏を合わせておりませんよ」
「話が進展しなくても良かったのではありませんか?調査が長引いて精神的に疲労してくれること願っていた。違いますか?」
「・・・合っていますわ」
「では、今回の調査の犯人は、吉乃さんだということで調査を終了しても良いでしょうか?」
「それは、依頼した異母兄が判断することですわ」
「いえ、依頼したのは吉乃さん貴女です」
「どうしてそう思われますの?」
「地主氏はパソコンが使えない。にもかかわらずメールで依頼が来たのなら誰か違う人が送ったことになる。それは吉乃さんしかあり得なかったと推理したまでです」
「メールを送ったのは、わたくしですわ」
「なら判断されるのは吉乃さんです」
「調査を終了してくださいませ」
「かしこまりました」
「・・・このことは伝えますの?」
「いえ、伝えません。探偵には守秘義務というものがありますから」
「ひとつ聞いても良いかしら?」
「何なりと」
「監禁倉庫を作ったのは、どうしてですの?」
「それはですね。婚外子という立場でも実の子であるのに命を狙っている犯人扱いをしているのに腹が立ちまして。それなら朝か夜か分からない。何日いるのか分からない。身の回りの世話役がいない苦労を味わってもらっておこうかと思いまして」
もっともらしく言っているが、真面目に警護するのが嫌だっただけだろう。
「とても過激な発言ですわね。でもお陰で溜飲が下がりました」
「それは怪我の功名というやつで良かったです」
「あと、今里さんの薄味の朝食、あれも良かったわ。味が濃いのが好きで、いつもなら作り直せって怒鳴るのに、黙って食べているのだもの。可笑しかったわ」
「いや、すみません」
あれ、嫌がらせになっていたんだ。
なら、こちらの溜飲も下がったから良しとしよう。
「吉乃さん、こちらが倉庫の鍵になります。あと一か月くらいは中で生活できます。お好きなときにお使いください」
「ありがとう、探偵さん。使わせてもらうわ」
「ついでですが、こちらを読んでみてください」
タイトルを見て分かった。
片道十五分のあるローカル線が舞台の本だ。
確かに、今の吉乃さんにはぴったりだろう。
「では、これで失礼します」
※※※
依頼は完了した。
あとで吉乃さんから聞いたところ。
爺は身の回りの世話をしてくれる有り難さで吉乃さんに謝罪をしたらしい。
そのあとで、工事の請求書と警護の請求書と探偵の請求書の額を見て青ざめていた。
二週間してから鍵を開けているから、その間の警護の料金は分かるが、何故か調査も継続していたことになっていた。
吉乃さんが嫌がらせにしたいから請求して欲しいと言っていたから割り増しで送ったけど。
悪いことしたかな。
春比古は吉乃さんに本当に招待状を送って来た。
女の恨みは怖いわよ、の一言で、出席したんだって。
着て行ったドレスの色は言わずもがなだし、会場はドン引きだったということだ。
式に参加することと別れた経緯を説明しに春比古の母親のところに行ったが信じてもらえなかった。
でも、籍を入れる女性のお腹が隠せないくらいに膨らんだことで信じてもらえたということだ。
式を急いでいたのは、妊娠が分からない内に式を挙げるつもりが、三つ子だったから誤魔化せないらしい。
人気の式場で幸せな式を挙げるつもりが、略奪婚で、デキ婚で、婚約者を式に呼ぶほどの非常識なカップルということで、友人関係は壊滅したらしい。
清々したと笑顔になっていたから、これで良かったのだろう。
こっそりと調査してみると、式場からイメージを損ねたということで別途、請求が発生したとかしていないとか。
そんな中、所長だけは通常運転だ。
「女は怖いね。・・・そう言えば、今里ちゃんは結婚しないの?」
その口を縫ってやろうか。