桜ノ宮駅・内回り
モーニングをするために早くに来た。
今日は大人しい服装だ。
そうそうサービスはしてやらない。
それよりも所長が来ない。
一体、何があった。
携帯に連絡しても出ない。
寝坊?
だけど、所長は夜は弱いが朝は強い。
寝坊したことは深酒したときくらいだけど。
昨日の様子だと飲んでいないし。
一応、心配になる。
「・・・はい」
<今里ちゃん、ごめんね。ちょっと寝坊しちゃって>
「それは良いですけど、モーニング終わりますよ?」
<どこかで食べててくれるかな?あとで請求してくれて良いから>
「分かりました、所長、気を付けてくださいね」
口調は問題なかったが、何かお酒を飲まなければ眠れないことがあったのだろうか。
所長の悩み事など聞いたことがない。
分からないようにしているだけかもしれないけど。
オープンカフェで本を読みながら時間を潰す。
所長が来るのは二時間くらいあとだろう。
お酒の匂いを流すためにシャワーを浴びて、目を覚ますためにコーヒーを飲んで、しっかり食べて、出てくる。
何があったか悟られないようにするために。
それでも知っているのは、一度、所長が寝坊をして出勤して来なかったことがあり、心配で手当たり次第に連絡をして、梦さんから聞いたからだ。
聞いたことは黙っておくようにと言われているからただの寝坊だと思っていることにしている。
「遅れてごめんね」
「おはようございます、所長」
「いやぁ参ったよ。朝起きたら寝坊しているんだもん」
「何か食べますか?」
「いや、コーヒーだけにするよ」
優雅にコーヒーを注文して、今日の予定を話し出す。
いつもなら話さない。
何かを隠したいのだろう。
それを見ないふりするのも助手の心遣いだ。
「まずはね、桜宮さんに心当たりを聞くことと命を狙われているという根拠を確認する」
「そうですね。・・・桜宮さん自身の言葉だけで調査していますからね」
「次に、妹さんの吉乃さんからは何か追加であった?」
「特には、ご本人が結婚間近で別れたということは聞きました」
「その男性が逆恨みして、命を狙っていることもあり得るね」
「それは無いかと思います」
「どうして?」
酒に酔った愚痴を細かく伝える。
これで男性が命を狙うなどということになれば、逆恨みも良いとこだ。
吉乃さん曰く、
大学を卒業してから付き合っていて、結婚をすることになり、両家の挨拶も終わり、結納どころか結婚式の日取りと予約までした。
あとは招待状を送るだけになったときに男性が別の女性と浮気をして子どもが出来たのだ。
男性側の言い分は、結婚式の準備で忙しいのか知らないが、半年の間、デートも何もしなかった。
結婚をして本当に幸せになれるか不安だった。
そんな自分を支えてくれたのが、彼女だ。
いつも傍にいてくれて、互いに支え支えられる家庭を築けそうだと思った。
お腹に三か月の子どもがいるし、子どもを愛したいから君とは結婚できない。
幸い、予約している結婚式場はマタニティープランがあるから追加料金を払って式を挙げることにする。
君は新郎側の友人として招待をしてあげるから出席すれば良い。
どんな結婚式になるか見ることが出来る。
掻い摘んで話せばこんなところだ。
「・・・たしかに逆恨みもなさそうだね。勝手に余所で子どもを作って恋人を振ってしまうんだもん」
「むしろ、吉乃さんがその男性の命を狙っているという方がしっくりきます」
「うん、さて、今すぐに命を狙っている人はいないけど、橘 春比古氏が密かに狙っている可能性はまだ否定できていない。あとで母親に話しを聞いてみようか」
「そうですね」
とりあえずアポ無しで桜宮家に行く。
出迎えてくれたのは吉乃さんで爺は拗ねて書斎に籠っているとのことだ。
報告に来ると言ったのに来ないし、一週間一緒にいられると思ったのにいないし、ということらしい。
なんちゅう理由だ。
だいたい、こっちは仕事だ。
「とりあえず、今里さんが来られたことをお伝えしてきますわ」
「よろしくお願いします」
「本当に子どもで困ってしまうわ」
本当に困っているのか疑ってしまう笑顔で奥に消えた。
あんな出来た妹がいるのに何で色ボケ爺が出来上がるのだろう。
ずっと黙っている所長を見ると、吉乃さんを目で追っていた。
美人でお淑やかだもんね。
所長が恋に落ちても仕方ないか。
「今里ちゃん、犯人が分かったよ」
「・・・誰ですか?」
「妹の吉乃だよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はっ?」
何を言い出すのかと思った。
だいたい、自分で会社も経営していて自立しているのに異母兄を殺す必要はないだろうよ。
血迷ったと思った。
「何某が犯人で他の人は自立しているって言ったのは吉乃だけだよ。桜宮さんは命を狙われたって言っただけ」
「それを今日、確認するのですよね」
「・・・・・・・そうだった」
「所長」
「よく言うじゃない。第一発見者が犯人だって」
「桜宮さんは死んでいませんよ」
「今から死んでもらうことって出来ないかな?」
「無理ですね。仮に死んでもらっても、それは他殺ではなく自殺になりますよ」
「やっぱり生きてるとダメか」
何がだ。
何故、そうまでして死なそうとする。
護衛の意味はどうした。
「そろそろ戻って来られると思いますよ」
「うん」
目に見えて気落ちしている所長は置いといて吉乃さんを待つ。
同じように気落ちしている依頼人が吉乃さんに連れられて来ていた。
「中間報告に参りました」
「うむ」
「地主さんの周囲に危険な人物が近づいている形跡がありませんでした。命を狙われているということですが、具体的にはどのようなことがありましたか?」
「白紙の封筒に、新聞の切り抜きで<態度を改めろ。さもなくば死が訪れる>というのが毎日郵便受けに投函されていた」
「ほかにはございますか?」
「ない」
脅迫の封筒だけで探偵を呼んだんか。
そら警察も動かないわな。
「郵便物はご自身で取りに行かれますか?」
「いや、新聞と一緒に吉乃が取りに行っておる」
「分かりました。次に、愛人のお子様以外に桜宮さんが死んで得をする者はいますか?」
「そうだのぉ、わしが会長を務めている会社の役員どもは席が空いたと喜ぶであろうな。あとは、吉乃と息子たちであろう」
本人を目の前にして堂々と言ってしまう神経は信じられない。
得をするという点だけで見れば正しいけど。
ずっと面倒を見てくれている異母妹をそこまで言えるものか。
「相続という点ではそうですわね。くにちゃんから生前贈与をすでに受けてはいますが、それでも無視できない額はありますもの」
「そうですか。明日より桜宮さんの仕事関係で命を狙っている人がいないか調べてみます。結果が分かりましたら報告にあがります」
「いや、分からなくとも報告に来てもらって構わない。今里さん」
「所長に命じられれば参ります」
「どうかね、食事でも。夜景のきれいなところを知っているのだよ」
「仕事がありますので、依頼人の命がかかっているとなれば手を抜く訳には参りませんもの」
「では、これで失礼いたします。今里ちゃん行こうか」
「はい、失礼いたします」
特に切羽詰まった状況ではなかったようだ。
それは良かったが、所長の吉乃さん犯人説には驚いた。
吉乃さんを目で追っていたのは恋に落ちたからではなく、犯人だと疑っていたからだ。
でも命を狙う必要が吉乃さんにはないような気がする。
四十歳も離れていれば、順当にいけば爺が死ぬ。
遺産は兄弟姉妹が先に取り分があるし、爺の本妻の子たちと分けても問題ないと思う。
お金は人を変えるから分からないけど。
所長が何故、吉乃さんを犯人だと考えたのかが不思議だ。
その理由を知りたい。
「所長、何故、吉乃さんを犯人だと思われたのですか?」
「最初は説明を吉乃にさせたのだと思ったんだ」
「はい」
「よく事情説明は秘書にさせる社長とか多かったから」
「そうですね」
たしかに多いと思う。
では、○○くんあとは頼んだと言っていなくなる社長の多いこと多いこと。
爺もそうで、説明だけを吉乃さんにさせたと思った。
吉乃さんが説明するのも違和感なかったし。
半分以上、吉乃さんの恋愛の愚痴だったけど。
「今日、説明を聞いて思ったんだよ。命を狙われているにしては緊張感が無いなって」
「それは思いました。初日ですが、そのまま買い物に出ましたし、今日も食事に誘われました」
「あと、命を狙われていると思う根拠は吉乃がかかわっているんだ。手紙だって郵便物と一緒に渡せば投函されたように錯覚させられるし」
吉乃さんが脅迫状を用意していないと否定する材料はないが、吉乃さんが用意できるという状況は肯定できる。
もちろん毎日、誰かが恨みか何かを持って投函した可能性も残っている。
命を狙うつもりは無くて、嫌がらせをしているだけかもしれない。
もっと言えば、爺の自作自演かもしれない。
「いろいろな可能性を考える必要はあるけど、桜宮さんの自作自演かもしれないよ。今里ちゃんが大層お気に入りみたいだし」
「それなら適当に調査を長引かせて調査費を巻き上げます」
「そうだね、きっと喜ぶよ。さて、冗談はこれくらいにして」
「橘 春比古さんの身辺調査をしますか?」
「そうだね。彼だけが直接聞けていないし、フラフラしているという証言と漁師では食い違いがあるものね」
両親の所在はすぐに分かった。
父親は出張で不在とのことだから母親から話を聞く。
こちらとしては好都合だ。
「突然すみません。探偵事務所の所長と助手です。ご子息の件でお話しを伺いたいと思います」
「急に何ですか。帰ってください」
この切り返しは驚きだった。
所長の美貌をもって門前払いとは初めての経験だ。
それでも所長の美貌は効いているようで態度が柔らかくなった。
でも探偵ですって名乗って話してくれていたのが不思議だったのだ。
よくよく考えれば、探偵に話を聞かれるとなれば、口を閉ざすのが普通だ。
どっかのアニメで、探偵ですって名乗って、あの有名な、という枕詞がついて内情を話してくれるような状況なんて夢のまた夢だということだ。
「そう難しいことをお聞きするわけではありませんよ、奥さん」
「・・・・・・・・・」
「ご子息の実の父親のことでお話しを伺いたいと思い突然の訪問となりました」
「息子の?」
「はい」
「・・・お入りください。散らかっていますが」
「お構いなく」
リビングはすっきりと片付いていて、家族写真が並んでいた。
そこには父親と母親と子どもたちの写真だ。
「率直に申し上げます」
「はい」
「春比古さんの父親は桜宮さんですね」
「・・・そうです。大手会社の受付嬢をしていました。接待の一環として桜宮さんと夜過ごしました」
「それで身籠られたのですね」
「はい、旦那とは新婚で、いつ妊娠してもおかしくなかった。だから旦那の子を妊娠したのだと思いました」
「桜宮さんの子だと確信したのは?新婚でいらっしゃったのなら旦那さんも喜ばれたのでしょう」
「それはとても。確信したのは下の子ができたときに思いました。何となく似ていなかったんです。春比古以外に三人産みましたが、どことなく似ていなかった。それで遺伝子検査をしたんです」
その結果は、春比古だけが父親が違うという結果だったのだろう。
全員が自分が産んだ子であるのは間違いないが、旦那に言えない苦しみを今も抱えている。
兄弟の間でも溝ができるだろう。
知らないままの方が幸せなのかもしれない。
「遺伝子検査についてはどのように説明されたのですか?」
「癌で親戚を亡くしたところでしたから癌のリスク調査のためとしました。疑うことなく採取できました」
「そうですか。心苦しいことでしたね」
「同じように育てているのに春比古だけフラフラと遊び歩いて定職に就かずにいました。旦那はいずれ落ち着くと言い放任でした」
この点は吉乃さんの証言と一致する。
それと奥さんの様子だと子どもに本当の父親のことは言っていないようだ。
不倫じゃないけど不倫になるからな。
爺が愛人と言っているのは客としての立場を利用しただけの薄っぺらなものだったと確信に変わった。
何人もの女性に貢ぐことがステータスだったんだろうな。
愛する人がいる女性に貢いで略奪でもするつもりだったんだろうか。
聞けないけど、亡き桜宮夫人は愛人を持つことをどう思っていたんだろうか。
「心に秘めたままさぞお辛い日々でありましたでしょう。ここで話していただいたことは我々も心に秘めたままに致します。お一人で背負う必要はありません」
「・・・探偵さん」
「ご安心を。春比古さんは奥様と旦那様の子です。ずっと育ててこられたのではありませんか。何も後ろめたいことなど無いのです」
このまま昼ドラ劇場が始まるのではないかと思った。
すっかり所長の美貌の虜になった奥さんは今まで旦那にばれるのではないかと不安だったこと。
兄弟たちと違うところを見つけるたびに怖かったことを訥々と話した。
すっかり私がいなくなっているが全部話してしまったあとの人ほど聞きやすいものはない。
黙ってお茶を淹れておく。
「胸の痞えが取れましたわ。誰かに聞いていただきたかったのです」
「お役に立てて良かったです」
「まさか、春比古が漁師になっていたなんて、知りませんでした」
「旦那さんの言う通りに落ち着いたのかもしれませんね」
「えぇ、長いことお付き合いしていた方に浮気をされて気落ちしていたのですけど、新しい方と添い遂げることができて良かったです」
最後の内容はどこかで聞いたばかりのものだ。
どこでもかしこでも不倫とか浮気とか流行ってるようで。
相手もいない私には縁遠い話でございますよ。
所長も聞きたい事は聞けたようで、何か調査したいことがあれば事務所へと営業していた。
「振られて心が弱っているときに出会った女性ですからね。本性など分からないままですし、主人も私も会っていないのですよ」
「気恥ずかしいのでは?」
「でも、結婚式が決まっているのに両家の顔合わせも出来ていないのよ」
「それは心配ですね」
「結婚というものが本人たちだけのものじゃないことを知っているのかしら」
このまま身辺調査という依頼を受けるつもりだろうか。
だけど、依頼に持っていく素振りもない。
所長にしては長く話を聞いている。
「浮気をされたけど、その点は前のお嬢さんはきちんとされていたわね」
「なるほど、魔が差したのですかね」
「そうね、魔が差した。そうね。私も人のことは言えないわ。でも結納も結婚式の日取りも決めたのに他の男性に目を向けるのは不誠実だわ」
自分が後ろめたいことがあったから息子の嫁には誠実さを求めたのだろう。
自分のことを棚に上げて言っているが、息子を思う母の率直な気持ちだ。
「結婚式の段取りがあるのに別れる半年前から連絡がつかなかったようよ」
「半年もの間ですか。長いですね」
「えぇ、仕事だと言って食事すら一緒にしなかったそうで、春比古は大層気落ちしていたわ」
「結婚前に会えないとなると男性も女性も不安になるものですからね」
「マリッジブルーというものだと慰めてくれていたのが、今度結婚する女性なのよ」
「優しい方なのですね」
「結婚の約束をしている男性と二人きりになるという無神経さはあるけれど、春比古を元気づけてくれたのは間違いないわね」
それでも春比古も女性も無神経というか不誠実だと思うのは私だけだろうか。
春比古も浮気をされる前に何か原因となることをしたのではないかと思う。
それにしても別れてすぐに女性と付き合うのは兎も角、結婚というのは早すぎないだろうか。
出会って一週間で結婚したカップルもいるが、結婚の約束までして次の女性と結婚というのは信じられない。
「それに予約した結婚式場で挙げるというのも、ちょっとね」
「キャンセルをされなかったのですね」
「そうなのよ。一から探すのが大変だから挙げると言うのよ。キャンセル料を払うのが嫌だったのかしらね」
「女性の方は反対されなかったのですか?」
「そうみたいね。人気の結婚式場で予約しようとすると大変だとかで。漁師になったのなら休みが合わないのかもしれないわね」
それでも籍だけ入れて、入念に準備をするものではないだろうか。
友達関係や会社関係で軋轢を生まないようにしなければいけないし。
親族も色々と面倒だ。
食事の内容など挙げればキリがない。
漁師なら漁の解禁に合わせるから海に出ない日は必ずある。
何故、そこを選ばないのか。
ますます疑問だ。
「何でも彼女が二十代のうちに式を挙げたいらしいのよ」
「二十代ですか」
「そこまで拘るのね。と感心していたのよ」
「女性は何か仕事をされているのですか?」
「アパレルメーカーでデザインをしているそうよ。ウエディングドレスは自分でデザインした物を着ると言っているらしいのだけど。一着で式が挙げられるくらいのものになるから私たちに出して欲しいと言ってきたわ」
「ウエディングドレスは高価ですからね」
「レンタルで良いと思うのだけど、購入しても次に着ることなんて無いもの。あったら困るけれど」
そりゃそうだろう。
ウエディングドレスを二回目着るとなれば、再婚ですと宣言しているものだ。
もちろん年を重ねてから銀婚式や金婚式などの節目で着ることもあるが、それはまた別の話だ。
「つまらない話をしてしまったわね」
「いえいえ、美しい奥様の憂いを晴らす手伝いができたのでしたら僥倖ですよ」
「春比古の結婚で色々と不満はあるけれど、定職について落ち着いてくれたのなら良かったわ。教えてくれてありがとう探偵さん」
「お役に立てましたようで良かったです。失礼します」
「失礼します」
結構な時間、話していたようだ。
外はすっかりと日が暮れていた。
それを意識すると空腹に気づく。
所長も同じなのだろう。
「今里ちゃん、鍋でも食べて帰ろうか」
「はい、所長」
「これで調べないといけないことは出揃った。・・・・・・・はず。捜査会議といこうか」
「はい、所長」
所長の勘は当たるときもあれば外れるときもある役に立たないものだが、勘に従うのも悪くはない。
それに所長が生き生きとしている。
なら私は黙って捜査会議に参加する。
決してお腹が空いたから鍋目当てで黙っている訳ではない。
って、誰に言い訳しているのだろう。
うん、きっと読み返したときの未来の私に対してだ。
「さて、デザートが来たところで、今日までに集めた情報を整理しよう」
「はい、所長」
「僕の見立ててでは、犯人は吉乃だ」
情報の整理はどこに行った。
結論だろうが、それは。
「まず順番に話すとね」
「はい、所長」
「桜宮 地主が命を狙われているから護衛して欲しいと依頼してきた」
「間違いないです」
「命を狙われていると考えた根拠は毎日届く脅迫の手紙」
「内容は<態度を改めろ。さもなくば死が訪れる>でした」
「さらに手紙は毎朝、吉乃が依頼人に手渡している」
「はい、投函されたところを見た人はいませんでした。所長」
「命を狙われている根拠は手紙以外に何一つない」
「よく、階段から落ちそうになった。駅のホームから落ちそうになった。車の前に幽霊がいた。など命の危機を感じた人は何かしらこじつけることが多いです」
「最後の幽霊は違うけど、普段の何気ない不注意によるものですら誰かによる陰謀だと考える」
幽霊は違ったか。
「なのに、じじ・・・桜宮さんは手紙以外に心当たりはないと言いました」
「今里ちゃん、いつも通りに爺でも良いよ」
「いえ、本人を目の前にして言ってしまいそうですので、止めておきます」
「そう、でね。考えたんだよ。命を狙われていると言いながら緊張感がなく、根拠となるものは、吉乃が話しているんだよ」
「犯人と思われる方の名前も吉乃さんから聞きました」
「それで春比古氏の調査を始めた。マグロ漁船に乗っていて直接手を下す可能性は無かった」
「結婚間近の女性に振られて、傷を癒してくれた女性と電撃結婚をすることになりました」
「春比古氏の両親は諸手を挙げて賛成している訳ではないけど、結婚間近に浮気するような女性と結婚するくらいなら、マシという程度で結婚を了承した」
「ご両親は女性と顔合わせをしていないです」
「結婚するなら両家の顔合わせとまでいかなくても食事くらいはあっても良さそうだけど」
「それもないようでしたね」
「あと、出会ってすぐに結婚というカップルは少なくないけど、両家が顔を合わせていないのは不思議だね」
「二人の恋が燃え上がって式をすぐに挙げたいという気持ちなのかもしれませんが、前の婚約者と予約したところで挙式というのも不自然な気がします」
「何か急いで式を挙げなければいけない理由があると思うんだ。たとえば、女性が妊娠しているとか」
「ですが、その場合は出産後に式を挙げても良いかと思います。無理に妊娠中にする必要はないような気がします」
「たしかに、じゃあ女性側が妊娠したと仮定しよう」
「はい」
「急いで式を挙げる理由は何か。妊娠が分かったけど式を予約したあとだった」
「そうですね。式場の予約は、春比古と前の彼女がしていますから、そのあとに妊娠が分かったというのは成り立ちます。ですが」
「うん、言いたいことは分かるよ。春比古氏と後の彼女が付き合い出したのは式場を予約したあとだものね。話が戻るけど、急いで式を挙げる必要はないね。今里ちゃんの言う通り出産したあとで十分だしね」
「はい、それでも急いで式を挙げようとしています」
「さて、何か理由があるはずなんだ」
「そう言えば、春比古の母親が予約した式場で挙げることにも苦言を呈していましたね」
「たしか、キャンセル料を支払うのが嫌だったとか何とか」
「結婚式場のキャンセル料は一五〇日前から発生します。決して少なくない金額です」
「確かに結婚式はお金がかかるね。そうそう友達に大変だ大変だと言いながら三回結婚式をした奴が居たよ」
「そうですか、所長」
「うん、まあそれはおいといて、母親は結婚式の段取りがあるのに半年もの間、連絡が取れなかったって言ってたね」
「結婚式の予約は半年前から行うのが平均的だそうです。人気のところともなると一年前から予約することもあります」
「式を挙げるところも人気だと言っていたから一年前から準備していたのかもしれないね」
「その可能性が高いですね。式を予約したときは春比古と前の彼女が式を挙げる予定だったとは思いますが」
「その根拠は?」
「もし、前の彼女が浮気をして別の男性と添い遂げるつもりだったとしたら、別れた男性に結婚式場の予約の権利を譲るはずが無いからです。それに結婚式は女性にとって憧れであり夢の舞台です。そんな場所に別れたい男性と一緒に予約しには行かないです。別れてから添い遂げたい男性と一緒に式場の予約に行きます」
「うん、熱意は伝わったよ」
「はい」
私としたことが、冷静さを欠いてしまった。
百貨店に居たときから引き出物とかを仲睦まじく選んでいるカップルが羨ましいと思っていたのだから説明に熱が入るのも仕方のないことだ。
そうしとこう。
そうに決まっている。
「今里ちゃんの推測が正しいとすると、どうして前の彼女は式場の予約を譲ったか」
「浮気をしたことの慰謝料として式場の予約を譲らされた?」
「なるほど、一理あるね」
「でも、それなら式場のキャンセル料を前の彼女に請求して新しい式場を後の彼女と探せば良いんじゃない?」
「そうですね。でも今回はキャンセルすることなく式を挙げようとしています」
「矛盾しているね。これも理由がありそうだね」
「・・・所長が最初に挙げた理由」
「うん?」
「女性が、後の彼女が妊娠している場合です」
「でもそれは産んでからで良くないって話になったよ」
「はい、でも出産すると女性はホルモンの乱れから体形が崩れます。それを戻せる人と戻せない人がいます。こればかりは意思だけで制御できません。だから一番体形が整っているときに式を挙げようとしているのではないでしょうか」
「そんなに重要?」
「重要です。気軽に行く旅行じゃないんです。何度も何度も見返して幸せを味わうのが結婚式です。そんな結婚式の写真がむくんで本人が美しいと思っていない状態で残ったら一生後悔します」
「つまり春比古氏の後の彼女は体形を気にして結婚を早くしようと思っているということだね」
「はい、所長、柚シャーベット頼んで良いですか?」
「ついでに季節のシャーベットも頼もうか」
「はい、・・・すみません、店員さん」
クールダウンするには丁度いい。
アイスを食べて考えをまとめよう。
「今里ちゃんの言うとおりに結婚式に出るために体形を気にしている女性だったら急ぐ理由はあるね」
「はい」
「でも妊娠したらお腹が出るよね」
「出産まで目立たない方もいますが、だいたい、五か月過ぎると分かるようになります」
「妊娠ってどれくらいから分かる?」
「調べるだけでしたら妊娠一か月から可能です」
「そんなに早くから可能なんだね。じゃぁ、急ぐのはお腹が目立たない五か月くらいまでに式を挙げたいと思っているのが有力だね」
「そうですね。式場をキャンセルしないというのは半年待つと臨月に近づいて膨らみが目立つか出産が重なる可能性が高いからですね」
「さて、こうなると春比古氏は後の彼女の願いを叶えて式場のキャンセルをしなかったということになる」
「いくら前の彼女に浮気という非があったからとは言え、結婚式場の権利を要求するのは慰謝料という面からはあまりないような気がします」
「急いで式を挙げたいからと言っても前の彼女が選んだところで挙式するのは後の彼女の心情として理解できないね」
「女として私も理解できません」
「今里ちゃん、女性の心情が分かるんだね。助かるよ」
「・・・・・・お役に立てて良かったです」
「でもさ、春比古氏の立場からするとよ。前の彼女の影がちらつく式場での挙式って楽しいのかな?」
「私は男性ではないので分りかねます」
「今里ちゃんは女性だものね。男性の心情というものはね、贅沢なんだよ」
「贅沢?」
「うん、今の今、愛する女性が居ても過去の愛する女性が忘れられないんだよ。どっちの方が愛しているというんでなく、どちらも愛しているんだよ」
「それは贅沢ですね」
「うん、だから贅沢なんだよ。今の、まあ春比古氏の例で言うと、後の彼女を愛している。お腹に子どももいる。でも前の彼女と愛し合ったあの日々、もしかしたら選んだ結婚式場で永遠の誓いをしていたかもしれない。後の彼女とは誓いを交わすけれど、前の彼女と誓いを交わしていたら未来はどうなっていただろうってな具合に」
「そうですか」
「今里ちゃん、冷たい目で見ないでよ。二人の女性を愛したいと願ったのは春比古氏だよ」
「そうですか。なら浮気のひとつやふたつ平気でしそうですね。それだけ情念たっぷりに語れるのですから。さぞ薔薇色の未来が待っていることでしょうよ」
「・・・いや、うん?今、何て言った?」
「薔薇色の未来が待っている」
「その前」
「情念たっぷりに語れる」
「もひとつ前」
「浮気のひとつやふたつ平気でする」
「浮気だよ浮気」
「浮気をしたのは前の彼女ですよ」
「だけど、それは春比古氏が言っているだけで、さらには春比古氏の母親から聞いたことだよ」
「そうなると、浮気をしたのは春比古で、半年前から連絡がつかなくなったのも春比古となりますが」
「そう。春比古は浮気相手の女性、かっこ、後の彼女、かっことじる、に子どもができたから前の彼女をあっさり振って、後の彼女の願いのまま予約した結婚式場で挙式を挙げたんだよ」
「なるほど、そう考えると予約した式場のキャンセルに前の彼女が応じなかったのは納得がいきますね。浮気した男と予約した式場で結婚式をおこないたいとは思いませんから。あと、所長、挙式を挙げたという言い方は重複表現で文法的に間違いです」
「日本語って難しいねぇ。でもこれで吉乃の犯人説はますます高まったよ」
「どういうことですか?」
「だって、春比古氏の前の彼女はきっと吉乃だよ」
「誰もそんなこと言っていなかったと思いますが」
「言ってないけど、探偵の勘というものが前の彼女が吉乃だって告げているんだよ」
「百歩譲って、前の彼女が吉乃さんだったとして異母兄の命を狙わないといけないのですか?」
「そのへんの動機は本人に聞こうよ。もうすぐ監禁倉庫が完成するから吉乃が一人になったとこで確認かな」
監禁倉庫って言っちゃってるし。
吉乃さんで犯人確定になってるし。
だいたい所長の勘って当たるときもあれば外れるときもある。
ここまで自信満々なのは尊敬の念を送るに値するだろう。
「では所長、倉庫が完成するまで調査をしているという報告で構いませんか?」
「そうだね。敵を欺くには味方からだからね」
誰を欺いているというのだろうか。
いつものごとく謎だ。