桜ノ宮駅・外回り
次の日だ。
事務所を追い出されてから二日目。
あのあと、百貨店によって経費でスーツを買っておいた。
少しカジュアルで私の美貌を最大限に引き出してくれるスーツだ。
白は買わなかったけど。
そして、所長は白スーツだった。
その手に紙袋があった。
ジュンク堂のロゴが入っていて、中には探偵が喫茶店にいる本ばかりがあった。
電車でずっといるのは飽きるから喫茶店でも良いけど朝から晩まで居させてくれる喫茶店を探さないといけない。
「所長、その本はどうするんですか?」
「電車の中で読もうと思って昨日買ったんだよ。今里ちゃんも読む?」
「では一冊」
借りたのは喫茶店のマスターが女性で謎が解けると毒舌で依頼人を貶すストーリーだった。
結構面白かった。
読了感は悪くないけど、ものすごく苦くて悶絶するような苦さのコーヒーが飲みたくなった。
本を読む間に依頼は一件もなかった。
ただの一件もだ。
昨日の各駅停車のごとく依頼があったのは一体何だったのか。
狐に騙されたのか。
いや、手渡された依頼料を通帳に入れに行ったのは私だから間違っていないけど。
本を読み終わったくらいのときだ。
「今里ちゃん、今日のお昼はお好み焼きでも良い?」
「はい」
ちょうど大阪に帰って来てたから梅小路で食べることになった。
今日も今日とてデザートまで堪能してから依頼を確認する。
「・・・所長、依頼が来ました」
「どこ?」
「桜ノ宮駅です」
「どんな人?」
「地主で金持ちです」
「・・・そうじゃなくて、依頼内容は?」
「命を狙われているので、その犯人を見つけて欲しいという依頼です」
「警察に連絡をした方が良いんじゃないかな?」
「すでに連絡はしましたが事件性が無いと無理だそうです。死んだら連絡をくださいとのことでした」
「死んでから警察に連絡できたらホラーだよ。それは」
死者からの電話で事件捜査をする警察がどこにいるんだ。
死んだらどうやって電話かけるのか教えてくれないのも不親切だ。
話は逸れたけど、地主で金があるならSPでも雇えば良いだろうに。
何故、探偵に依頼するのだろう。
だって探偵は事件が起きたあとに犯人を捜すのだから。
それでも話を聞くだけでお金をくれるのは有り難いけど、断れないパターンの気がする。
所長は楽観的に考えているみたいだし、私がしっかりしないとって思っていた。
それが間違いだと思ったのは依頼人に会ってからだ。
「谷町探偵事務所の四ツ橋と言います。こちらは所長の谷町です」
「うむ、わしは桜宮 地主という。この土地に古くから住んでいる地主の一族だ」
「誰かに命を狙われているとのことですが?」
「うむ、わしの遺産を狙ってのことだ。ほとんど息子と娘に生前贈与をしているが残りの財産を婚外子が狙っていてのぅ」
さすが地主だ。
婚外子ときたか。
外に公然と愛人を作って子どもまで出来ていたとはな。
それと同じ子どもなのに本妻の子どもは遺産を相続できるのに、愛人の子どもは相続できないとか何でと思った。
法律では同じだけの取り分が保証されているのに。
その謎はあとで解けたけど釈然としないものだった。
「では、依頼内容ですが、御身の護衛ですか?犯人の確保ですか?事件の未然解決ですか?どれにしますか?」
「うむ」
私が話を聞き流している間に依頼を受けることで話がまとまっていた。
でも所長、食後の飲み物はコーヒーですか?紅茶ですか?のノリで聞くのは止めて欲しい。
だけど、所長が言う護衛は、窓もないドアも溶接された鉄の部屋に依頼人を入れて監視するだし。
確保は依頼人の生死を問わずだし。
未然解決は犯人と思われる人を尾行して現行犯で捕まえることだし。
最後のは失敗する可能性もあるし。
てか、そんな杜撰な護衛は聞いたことがない。
尤もらしく話してるけど、所長の話す内容は詐欺だ。
それを有り難がる依頼人が居るから成り立つのだけど。
この探偵事務所で働きだして依頼人に対して良心の呵責というものを覚えなかったことはない。
口にはしないけど。
「では、使っていない建物はありますか?」
「うむ、ここから五キロほど離れたところに貸倉庫がある。今は誰も借りていない」
「とても良いですね。まず説明します」
説明とはこうだ。
窓を外側からコンクリートで塞ぐ。
人が出入りできるドアをひとつだけ残して、同じようにコンクリートで塞ぐ。
中は人が生活できる環境を整える。
水道・電気・ガスだ。
冷暖房も忘れてはいけない。
命を狙われている依頼人が中に入る。
最後のドアを塞ぐ。
中に備蓄食料などを用意しておく。
郵便受けくらいの隙間を用意して、そこから食事や伝達事項などやりとりをする。
音声はリアルタイムでできるから依頼人と探偵で定期報告をする。
電話はなし。
携帯電話もなし。
依頼人と直接話しをするのは探偵のみ。
このシチュエーション。
どっかのアニメで見た。
それを尊敬のまなざしで見る依頼人。
私は何も見ていない。
依頼人が詐欺に騙されている被害者の目と同じだなんて私は見ていない。
「さっそく手配をしよう」
「では、探偵事務所が懇意にしている建設会社を紹介しましょう。桜宮さんが懇意にされている建設会社では命を狙っているやつの息がかかっている可能性がありますから」
「うむ、任せよう」
すっかり騙されている。
所長の美貌に騙されている。
しかも倉庫に監禁って。
犯罪だよ。
推奨しちゃってるし。
それよりも懇意の建設会社って、事務所だったビルを解体している建設会社のことじゃないよね。
違うと言ってくれ。
そんな私の祈りも空しく『イケメン滅べ』のオーナーが懇意にしている建設会社だった。
菓子折り持ってお願いしに行くのは私なんだけど。
まぁ私がお願いしに行ってオーナーに断られたことはない。
どんな無理難題も建築法に引っかからなければ請け負ってくれる会社だ。
住んでいるアパートの老朽化が酷いからリフォームしたいと言えば、格安でしてくれた。
なのに何故、ビルの建て替えが進んだのかと言えば、単純にお願いしてないだけ。
お願いすれば、工事は止まったかもしれないが、面倒だ。
それよりも問題は依頼人だ。
監禁されることにノリノリなところに水を差すほど野暮じゃない。
だけど、本当にこれで事件が解決するのだろうか?
いや、こんな荒業で解決してたまるか。
地道に捜査をして何日も張り込みをして、あんぱんと牛乳で頑張っている刑事を見習え。
話は逸れたけど、私が言いたいのは探偵は探偵らしい仕事をしろと言うことで、何も犯罪に手を染めろということではない。
「では、一週間後にお迎えに上がります。それまでは助手の四ツ橋が避難先の準備ができる間、護衛いたします」
「こんな美人に護衛していただけるとは長生きをしてみるもんですな」
「美人だなんて」
「いやいや美人ですぞ。わしがあと四十歳若ければと悔やまれる」
「まぁ!」
好色爺には色気を出しておけば大抵は問題ない。
あとでちょっと露出の高い服でお酌でもしとけば万札が飛ぶ。
もちろんそこまでだ。
私にだって好みというものはある。
それに奥様が居たりすると愛人じゃないかと疑われるから先に奥様と仲良くなっておく。
他の女性の影を報告しておけば、旦那の手綱を握ってくれる女性として有り難がられる。
これは事務所がまだビルにあったころに学んだことだ。
学んだと言っても一回だけあった護衛のときに本能的に選択したというのが近いけど。
女は瞬時に敵か味方かを判断する。
それが男関係になるとより顕著になる。
さて、一週間の間、この爺と一緒に生活することになる。
服などは新調させてもらおう。
もちろん鼻の下を伸ばしている爺に買ってもらうつもりだけど、美人と一緒にいられるのだから安い出費だろう。
「あとは頼んだよ、今里ちゃん」
「はい、所長、お任せください」
所長の美貌に石にならない貴重な人材がいる。
それが、懇意にしている環建設会社社長、環 梦だ。
こちらも恐ろしいほどの美貌で微笑むだけで家が建つと言われているとかいないとか。
『イケメン滅べ』のオーナーなのに何でイケメンと懇意にしているのか不思議だ。
これを言い出すと、答えの出ない無限地獄に入るから考えないようにしている。
ついでに言うと、この社長にも惚れられなかった。
所長とはまたタイプの違うイケメンで、所長と違って中身は残念じゃないのにダメだった。
社交辞令でご飯行こうねって誘われたけど、実現してないし。
きっと秘書の女性と楽しくしているんだと思う。
美人だったもんね。
胸も大きくて私とは違う感じだった。
「桜宮さん」
「地主と呼んでくれんか?」
「地主さん、私こちらでお世話になるのにお洋服を取りに家に帰りたいのですけど、地主さんを一人にはできないので困っているのです」
「では服は用意しよう。一緒に行動すれば問題あるまい」
「そんな、悪いですわ。依頼人の方にそこまでしていただくのは」
「美しい女性に服を送るのは男の甲斐性ですぞ。気になされるな。さぁ立ちなさい」
よく言うわ。
奥様がいてもいなくても愛人をとっかえひっかえしているくせに。
普段買えない高級服を買ってもらおう。
そんなこんなで百貨店で買ってもらった。
大口顧客専用のカタログから選ぶ。
サイズは女性販売員が測っているから欲しいものを伝えるだけ、ついでに下着類も選んだ。
この爺に見せるつもりは欠片もないけど。
着替えに全く関係のないアクセサリーやバッグまで買おうとする爺には困ったけど、何とか服だけで治まった。
買った百貨店は私が勤めていたところとは別のところだ。
辞めて日が浅いし、爺の愛人になったと陰口を言われるのも嫌だったからだ。
まぁ大口顧客を相手にする販売員は口が固い人物を揃えて絶対に顧客情報が社内でも分からないように対応しているから大丈夫だと思ったが、念には念を入れるに越したことはない。
大量に買ってもらったからサービスで太ももが見えるワンピースに着替えてお礼を言っておいた。
「ありがとうございます」
「構わんよ、では支払いはいつものように」
「かしこまりました、お客様」
名前は呼ばない。
どこで誰が聞いているか分からないからだ。
問題なく屋敷に帰ると、座敷奥に連れて行かれた。
私は本当に愛人になるつもりはないぞ。
だいたい、命を狙われているという男が昼間から楽しむなよ。
「地主さん」
「何も怖がることはない。私に任せなさい」
「いえ、そうではなくて」
「何だね?」
「くにちゃん?」
「・・・あっ吉乃」
「また女の人を連れ込んで、女にだらし無いのはお父様にもお祖父様にもそっくりなんだから。そんなところだけ似なくて良いのに」
爺の妹の吉乃だ。
それもすさまじく年が離れている。
私の相手に四十歳若ければと言った。
若返って三十歳だとしよう。
今、七十歳だ。
そんなに外れた予想ではないはずだ。
吉乃は三十代に見える。
考えたくない年の差だ。
訳が分からないが、異母兄妹である以上、可能ではある。
だけど、吉乃さんのお母様は後妻に入っていないらしい。
女は蝶のように羽ばたいてこそ輝くもの。
それを信条に吉乃さんを産んで居なくなった。
すごい母親だ。
私ならぐれるな。
吉乃さんは桜宮家に預けられて、育った。
女性にだらし無いのは桜宮の血筋らしい。
「ごめんなさいね。くにちゃんたら綺麗な女性と見れば誰でも家に連れ込むんだもの。いつも口を酸っぱくして叱っているのだけど、一向に効き目がないのよね」
「いえ、お気遣いありがとうございます。私は谷町探偵事務所の助手の四ツ橋 今里と申します。この度、桜宮様から護衛の依頼をいただきましたので、一週間ほど滞在させていただくことになりました」
「あらそうなの?護衛ってくにちゃん何か悪いことでもしたの?あっ!手を出して子どもができた女性から刺されそうとか!」
「ただいま所長が身辺調査中でございます」
「大変ねぇ。くにちゃんが面倒なこと依頼してごめんね。適当にしてくれて良いから」
女性関係が荒い祖父や父や兄を見ているからだろうか、いきなり女性が居ても動じないこの凄さ。
見習いたいと思う。
吉乃さんが一緒に居てくれるから貞操の危機を感じることは無くなった。
爺も妹には頭が上がらないらしい。
せっかくの楽しみを邪魔された腹いせに自棄酒を呷り早々に寝た爺は置いといて女子会が始まった。
「探偵ってどんなことするの?」
「地味な仕事ですよ。浮気調査や身辺調査が基本です」
「殺人現場に乗り込んで犯人はアナタだってしないの?」
「しませんよ。殺人現場に出くわすこともありませんし、万が一にでも出くわせば即第一容疑者になりますよ」
「そういうものか・・・・・・くにちゃん、私には優しいけどさ。愛人さんたちが産んだ子どもには優しくないんだよね」
「どうしてですか?・・・すみません、立ち入ったことを」
「ううん、探偵なんだもん。色々聞かないとね」
酒が入って気が緩んでいるのと今までの立場による苦労を誰かに話したい気分なのだと思う。
黙って聞いておくことにした。
「桜宮家って地主で商売も手広くやってるの。子どもはそれぞれ仕事を引き継いでいくのだけど、愛人さんたちの子は恩恵には与りたいけど仕事はやりたくないっていう考えの人が多くて、それでくにちゃん、愛人さんたちの子には財産を渡さないようにしたいの。義務を果たさない者が恩恵だけ受け取るのは違うって言って」
「・・・・・・・・・・・」
「私も愛人の子だけど、桜宮家の義務として仕事はしているもの。これでもアパレルの社長よ。利益だって出してるわ。だからお金だけの子どもたちに腹も立つけど、まったくのゼロというのも可哀想だし」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・くにちゃんの命を狙うとしたら橘さんとこの春比古さんだと思うわ。他の愛人さんの子どもは自立しているけど、その人だけ働かずにフラフラしているって聞いたから」
お酒の力は凄いと思った。
素面のときでは絶対に聞けないことが勝手に聞けてしまう。
吉乃さんも苦労しているのは分かるし、愛人の子というだけで白い目で見られるし、兄は親子以上の年の差だし、母親は母親だしで大変だったと思う。
事件に関係のないことを愚痴り出したから酔いつぶすことにした。
グラスにお酒を注いでおく。
「・・・だいたい何よ。君は一人で生きていけるけど、彼女は一人では生きていけないんだ。僕が守ってあげないといけない。バカ言ってんじゃないわよ。彼氏寝盗るような女、一人で生きていけるに決まってんでしょ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「それに子どもが出来たから分かれて欲しい?結婚式場まで予約しといてフザケンな」
「・・・・・・・・・・・・・」
「キャンセル料が勿体無いから挙式はそのまま挙げるとかあり得ない。新婦が入れ替わるだけだから問題ないですって。半分は私が出したわ。金返せ。挙句の果てに新郎側の友人として式に出ろよ、ですって。馬鹿にするのもいい加減にして欲しいわ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「何で、美人は損するように出来ているのだろう。イケメンは得しているのに。この世は女に優しくない」
泣きながら寝た。
風邪をひかないように毛布をかけておいた。
ついでに爺にも。
最後の美人は損するように出来ているという言葉はもの凄く共感できた。
吉乃さんも美人だ。
なのに、美人なのに幸せになれないのはどうしてだろう。
イケメンが得をするというのは共感できないけど。
所長はイケメンだが、得をしている感じはない。
むしろ損をしているんじゃないかと思う。
だって、街を歩けば、人が石に変わり、勝手に恋した女性から刃傷沙汰もあるからだ。
さて、そろそろ報告の時間だ。
露出メインの服から動きやすさ重視の服に着替える。
<・・・今里ちゃん>
「お疲れ様です。所長>
<なかなか有意義な情報だよ。僕は橘 春比古何某を調査するから明日も護衛よろしくね>
「わかりました。あと所長、何某は氏名を省略もしくは不明時に使用するもので、フルネームのあとにつける必要はないと思います」
所長は身辺調査をしながら盗聴していただけのことだ。
何か私の身に危険が及んだときに駆けつけるためと依頼人からの有益な情報を得るためだ。
相手によって手法は変えるが、今回は吉乃さんが居たので、依頼人には早々に退場いただいた。
犯人にもっとも近い人物が浮上した。
でも鵜呑みにしてはいけない。
探偵は限られた情報の中で真実を導き出すのが仕事だ。
だから私は残りの日数で他の犯人の可能性がある人物を割り出す。
それはそうと、犯人が一週間以内に犯行に及び、捕まった場合に監禁倉庫はどうするのだろう。
費用は全額一括支払い済みだから損をするのは依頼人だけだけど。
護衛で屋敷に居るからお酒を飲んでいるように見せて全てウーロン茶と水だ。
素面だからと言って蹴りで敵を倒すことはできないし、ましてや銃弾を避けられるほど度胸もない。
完全な素人だ。
そりゃそうだろう。
一般人がほいほいプロの格闘家も真っ青な力を持っているはずない。
普通ドラマとかなら探偵が事件解決に動くと、犯人が功を焦って杜撰な殺人とか起こすものだけど、そんなこともなく静かに夜が明けた。
徹夜で眠いが、そんなことも言っていられない。
きっと二日酔いで死んでいる二人のために朝食を作る。
薄味のおかゆに、これまた薄いシジミの味噌汁を作った。
弱った肝臓にシジミはあまり良くないけど、具がそれくらいしかないから仕方ない。
薄くしたのは嫌がらせだ。
それでも出汁はしっかりしているから美味しいはず。
「朝食ができましたよ。起きてください」
「む、わしは寝てしまったのか」
「はい、心労がおありだったのでしょう」
違います。
ガンガンに酒を飲まして潰しました。
「起きてください。吉乃さん」
「あら、頭が割れそうに痛いわ」
「ずいぶん飲まれましたものね」
これも違います。
思わぬ酒豪でちょっと焦りました。
それより徹夜だから眠い。
「今日の予定は何かございますか?」
「特になしじゃ」
「私も無いですわ。もう少し部屋で休みます」
「そうですか。お昼ころに所長と交代して護衛になりますので、何かありましたら所長に申し伝えください」
「うむ、・・・この粥は上手いの」
「えぇ、御御御付けも出汁が美味しいわ」
「ありがとうございます。お口に合いましたようで良かったです」
おみおつけって本当に使う人、いるんだと本気で思った。
宮廷言葉だと思ってた。
極端に薄味にした朝食のいやがらせがいやがらせにならなかった。
次は何にしよう。
って、趣旨が変わってる。
あくまで私は護衛だ。
所長と交代して仮眠を取るまでの辛抱だ。
すっかり平らげてくれた二人にお風呂を勧めて、その間に所長に連絡を取る。
「所長」
<今里ちゃん、おはよう>
「おはようございます」
<ちょっと問題があってね。お昼に行けそうに無いんだ>
所長の言葉に殺意が沸いた。
「私は一週間徹夜ですか?」
<いや、それは無理でしょ>
ますます殺意が沸いた。
人間は眠らないと死ぬ。
眠らないと有名なキリンですら二十分は寝るのだ。
いい加減、寝かせろ。
「私はどうしたらいいのですか?」
<よく聞いてね。橘 春比古氏の足取りを追うと日本にいないんだ。マグロ漁船に乗っていて一週間は帰って来ない>
「はい」
<それで、自宅警護は中止して他の愛人の子を調査しようと思うんだ。今里ちゃんもこっちに合流してくれる?もちろん今日は徹夜明けだから自宅待機。明日から行動を一緒にしてくれる?>
「はい」
<桜宮さんに説明してね>
振り出しに戻るというやつだ。
探偵の仕事なんてこんなもんだ。
空振りしかない。
たったひとつの当たりを見つけられるかどうかだけのことだ。
とりあえず、お風呂から上がった二人に説明しよう。
「いい湯であった。今里さん、嫁に来ないかね?」
「御冗談が過ぎますわ」
「そうですよ。くにちゃん自分の年齢を考えてください。今里さんほどの美人で相手がいないなんてあるはずないでしょう」
吉乃さんのフォローが痛かった。
いません。
まあ曖昧に微笑んでおく。
「所長の調査を手伝うようにと指示がございましたので、明日以降は所長か私が確認に来るようにします」
「命を狙われているのですぞ。あまりにも護衛として失格ではありませんか」
「所長より命を狙っているらしき者の姿が周辺にないとのことですので、捜索範囲を広げることになりました」
「大変ですわね。くにちゃんのために捜査をしているのだから我が儘言わないの」
「途中報告には参りますので、ご安心ください」
吉乃さんが説得をしてくれるとのことで任せて、私は買ってもらった服を持ってタクシーで家に帰った。
とにかく寝たい。
シャワーを浴びて化粧を落として、ベッドで寝る。
何か所長に確認しておかないといけないことがあるのだけど眠さには勝てない。
おやすみなさい。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・ぐぅ」
たっぷり寝た。
昼前から寝て、朝だから、考えるのは止めとこ。
もう一度シャワーを浴びて、メイクもしっかりして、所長に電話をする。
<おはよう今里ちゃん、ゆっくり寝れた?>
「はい、おかげさまで眠れました」
<それは良かった。待ち合わせなんだけど桜ノ宮駅で集合ね>
「分かりました」
<時間はお昼前かな。大丈夫?>
「大丈夫です」
<それと、僕昨日寝ちゃったんだけど、桜宮さんって夜すごかっ>
最後まで言わせずに切った。
どこの探偵に護衛対象と楽しむやつがいる。
さらに言うならば爺は対象外だ。
そういうところが残念なのだ。
デリカシーというものが欠如している。
とりあえず買ってもらった服の中で露出の高い服を選んで着る。
聞き込みのとき男性相手には効果がある。
女性のときは所長に任せておけば問題ない。
夜の商売にならない程度に着飾って待ち合わせの駅に行く。
すでに待っていた所長は本をお供にベンチにいた。
「所長、おはようございます」
「おはよう、今里ちゃん」
「今日は誰のところに行くのですか?」
「順番に子供たちのところを回ろうと思うよ」
そう言い出すだろうと予測して徹夜している間に家探しをした。
案の定、子どもたちの名前と連絡先、母親の名前が分かった。
こっそりと所長に報告している。
全部で五人。
一人はマグロ漁船に乗っているから残り四人だ。
母親はそれぞれ結婚していたり、恋人がいたりして、経済的には困っていないようだけど、将来子どもが受け取る財産を当てにしている可能性がある。
「まず一人目なんだけど、ラブホテルの受付で旦那がキャバクラのオーナーらしいんだよ」
「子どもは何をしているのですか?」
「ホストだよ。良くもなく悪くもなく普通の顔かな?」
所長からすれば人類すべてが普通の顔になるだろうよ。
嫌味にしか聞こえない。
「それで今里ちゃんにお客として僕とホテルに行って欲しいんだ」
「・・・分かりました」
「あっでも安心してね。今里ちゃんのことをこれっぽちも抱こうとか思ってないからね」
「分かりました」
仕事だということを強調したかったのだろうけど、何だか腹が立つ。
仕事だと割り切るしかない。
無言で目的地に向かって歩く。
昼間からホテルに向かう者などいないから目立つが悪いことは何一つしていない。
「所長、ここです」
「すごくピンクだね」
「行きますよ、所長」
「待ってよ」
中は薄暗く、すれ違っても顔は分からない。
カウンターには中年を過ぎた女性が座っていた。
「突然すみません、探偵事務所の所長と助手なのですが、お話し伺えませんでしょうか」
「・・・何が聞きたいんだい」
「美しいマダムのご子息のことです」
名前は伏せておく。
相手が女性なら所長の美貌に落ちない人はいない、はず。
「あら、可愛い坊やが所長をしているのね。何でも聞いてちょうだい」
「ご子息の実の父親のことです」
「あぁ、あの人ね。私がキャバ嬢をしていたときにお客として来たのよ。お金はあったし上客だったのだけどね。今の旦那と付き合ってたからね、相手にしてなかったの。でも愛人にならないと店を潰すって言われて仕方なく。それで妊娠したのよ」
「愛する方がいる身でさぞお辛かったでしょう」
「旦那には言えなかったわ。今も旦那は自分の子だと思っているの。だから旦那には実の父親のことは言わないでくれるかしら」
「もちろんですよ。美しい女性には秘密のひとつやふたつあるものです。それを気づかないフリをするのも男の務めというものです」
隣で聞いていて良くもここまで女性を褒め称えられるものだと感心する。
仕事ならここまでできるのに、何故ああも残念になれるのか不思議だ。
「息子はね、旦那のことを尊敬しているし、自分でホストの道を選んだのよ。それに稼ぎは中堅どころだけど、いずれは旦那の店を継ぐつもりだから人気にならなくても問題ないのよ」
「名選手が名監督になれるわけではないのと同じですね。実の父親から相続などの話はありましたか?」
「あったわ。息子が産まれたころよ。愛人に貢ぐのは男の甲斐性だが、桜宮家のために働かない子どもに財産を渡すつもりはない。義務を果たさず、血だけで権利を要求するのは暴利以外に言いようなし。だったわ。何度も聞かされて覚えてしまったわ」
「それについては思うところはありましたか?」
「無いわ。旦那の子として育てたかったし、子どもを取り上げられなかったから良かったわ」
爺のことは本気で嫌いらしい。
金を落としてくれるから愛想よくしていただけで、愛人扱いされたことは心外だったらしい。
あとは、無理に関係を続けて貢ごうとしていた爺をあしらうのに大変だったことを懇々と話していた。
息子にも実の父親のことは話しておらず、死ぬまで話すつもりはないとのことだった。
お礼を言ってホテルを出ると、次の愛人のところへ向かった。
「さっきの人はシロだね。息子も」
「そうですね。むしろ認知されなかったことを喜んでいましたから」
「さて、次の人だけど、母親は亡くなっているから子どもに聞かないとね」
「どんな仕事をしているんですか?」
「確かね、バーテンダーだよ」
さっきの愛人も子どもも夜の仕事だったが、次も夜の仕事だ。
もしかして愛人だと叫んでいるが、客という立場を利用して関係を迫っただけではないかという疑念が持ち上がる。
「母親の仕事は何だったのですか?」
「クラブのママだったよ」
「こちらも客として、じzi、・・桜宮さんが通っていたということでしょうか?」
「わざわざ桜宮さんなんて他人行儀な言い方しなくても、地主さんって呼べば良いのに」
「結構です」
何故こうも残念なのだろうか。
それよりも疑惑が一歩確信に近づいた。
所長は気づいているのかいないのか不明だけど。
今回は愛人になった経緯は関係ない。
依頼人の命を狙う可能性があるかどうかだ。
「ランチもしているから一緒に食べようか」
「はい」
歩いてわりとすぐのところにあった。
店を構えたのは数年のことではないらしい。
「いらっしゃいませ」
「日替わりランチを二つください。それと、店長さん居ますか?」
「店長は自分っすけど」
「突然すみません。探偵事務所の所長と助手になります。お話しを少しお聞きできませんでしょうか?」
「分かりました。先にランチ作ってしまいます」
「よろしくお願いします」
こじんまりしていて飲むには良い雰囲気になりそうだ。
悲しいかな相手がいない。
「日替わり二つお待たせしました」
「所長、先に食べてしまいましょう」
「・・・むぐ」
声をかける前に食べていた。
空腹だったらしい。
私も食べることにする。
味は文句なしに美味しかった。
食後のコーヒーを頼んでから本題に入る。
「ご馳走様でした。お話し良いかしら?」
「はい」
「お母様のことなのだけど、シングルマザーで結婚されなかったのは間違いないかしら?」
「恋人は居たみたいですけど、籍は入れてなかったみたいですね」
「そう、貴方のお父様については何か聞いているかしら?」
「金はあるけど最悪な男だって聞いてます。愛人に貢ぐのは男の役目だけど、愛人の子を養うつもりはないって言ってたみたいですよ」
ここでも最悪な発言はしていたそうだ。
言い方は違うが意味はほとんど一緒だ。
最悪な爺だ。
「名前は知っているかしら?」
「知りません。母も教えてくれませんでしたし」
「そう、ありがとう。所長、他に聞くことはありますか?」
「大丈夫だよ、出ようか?」
「はい、ご協力いただきありがとうございました」
「いえ」
すみやかに店を出ると、所長は駅に向かって歩いていた。
そのあとをついて行く。
私の勘ではシロだ。
「所長、いかがでしたか?」
「僕の見立てではグレーだね」
「グレーですか?」
「うん、恋人が父親であることは否定できないし、桜宮さん自身が名乗った可能性は否定できないよ」
「最初の子どももグレーになると思いますが?」
「桜宮さんと愛人の利害が一致するからだよ。桜宮さんは義務を果たさない婚外子は要らない。母親は子どもを愛する旦那との子として育てたい。だからシロなんだよ」
所長の勘は当たるときもあれば外れるときもある。
つまりは役に立たない。
とりあえず所長の勘に従っておく。
まだ聞いたのは二人目だ。
一人目がホストでシロ。
二人目がバーのマスターでグレー。
「次はね、会う必要もなくシロだよ」
「何故ですか?」
「ほら、アレだよ」
指差す先には映画のポスターがあった。
そこにはヒロイン役の女優のポスターだ。
「最近、抜擢された女優らしいんだけど、パトロンが桜宮さんなんだよね」
「親子で愛人・・・」
「今里ちゃん、昼ドラの見過ぎだよ。桜宮さんに自分を援助しろって直談判したんだって」
「直接ですか?」
「うん、母親が病気で死んだ後に、桜宮さんに他の愛人には未だに貢いでいるのに死んだからと言って無かったことにするのは許せない。他の愛人と同じだけの金銭を要求するって言って、芸能事務所に資金援助させてるって関係者が言ってたよ」
「所長、それはパトロンではなく、スポンサーと言います。関係者も気になりますが、父親の存在を知っていて資金援助を受けているのなら命を狙う必要はありませんね」
おそらくは個人に貢がれている額より多く出資している。
桜宮家という見栄がある。
賢い選択だと思う。
それに綺麗な部類に入る女性だ。
しかし、所長はどうやって裏事情を知ったのだろうか?
いつもながら謎だ。
「四人目、最後の人のところに行こうか」
「はい」
「最後はね、ちょっと早い夕飯にしよう」
そう言って入った店はステーキの店だった。
ガイドブックにも載っているほどの有名店だ。
味は美味しかった。
そこのアルバイトだったらしく、途中少し話をした。
要約すると、こんな感じだ。
母親は同時に付き合っている男が何人も居て、そのうちの誰かの子を妊娠して産んだとのこと。
遺伝子検査をしていないから誰の子か分からないし、調べることもできないとのこと。
父親候補となる男性と連絡が取れないため。
だから母親の恋人のなかに桜宮の名前があるのは知っているが、父親である確証がないので、財産とかはどうでも良いらしい。
むしろ本当の子どもか分からないのにステーキ屋の店長はいずれ店を譲るそうだ。
世の中には良い人がいるもんだ。
「四人目もシロだね」
「はい、所長」
「これで、命を狙う可能性のある婚外子がほぼいない状況だね」
「捜索対象を広げますか?」
一人目男性、シロ。
二人目男性、グレー。
三人目女性、シロ(直接話したわけではない)。
四人目男性、いや女性、シロ(戸籍上、男性。自称、女性)。
調査結果だ。
五人目男性、不明(マグロ漁船で仕事中)。
可能性のある愛人の子というのはいなくなった。
他に居たら調べようがない。
「明日、調査結果の途中報告をして、もう少し愛人の子が犯人である根拠を確認しに行こうか」
「そうですね。一緒に住んでいる吉乃さんにも話をお聞きしましょう」
「じゃぁ、今日はここまでね。明日は桜ノ宮駅でモーニングしてから行こうね」
「分かりました」
結構ハードな一日だった。
それに有益な情報も無かったし。
明日、何か進展がある話が聞けると良いのだけど。