大阪駅・終着
私が黙っていることを良いことにどんどんと大学時代の思い出話に突入していく。
聞き流しているから害はないがそこまで話せるというのはすごい。
高校時代のことでもここまで熱く語れない。
留学していたときでも誰か一人のことを延々と話すのは無理だ。
「話したらますます会いたくなったわ。貴女、どこにいるのか調べてくださらない?」
「お断りいたします」
これは独断で判断しても怒られないだろう。
というか知らないとはいえ、探して欲しい人の娘に依頼するとかどういう神経をしているのか。
「どうして?依頼料ならお支払いするわ」
「たしかに初恋の人を探して欲しいというご依頼を受けることもあります。ですが今回はお受けできかねます」
この人は谷町探偵事務所の所長がかつての思い人だということは気づいている。
所長が出てこなかったのは別れた恋人に会うのが気まずいからだと勘違いしている。
それは大きな間違いなのだが今説明をしても何も理解してもらえない。
「それとも探せない理由でもあるの?私は依頼をすると言っているのよ」
「それでも依頼を受けるかどうかは判断だせていただきます」
「貴女では話にならないわ。責任者を出しなさい」
「面森様の案件は私に一任されております。責任者は私です」
難癖をつけて所長を引っ張り出そうとしていたのだろうが駆け引きなら負けない。
だいたいお父さんを会わせるわけないでしょうが。
だてにいろんな人種が入り混じった国で生活していない。
笑顔で騙そうとする奴だっていたし、他人を押しのけてでも上に行こうとした奴も出会った。
全員、実力でねじ伏せたつもりだけど。
「面森様、お聞きします。かつての恋人に会われてどうされるおつもりですか?」
「そんなプライベートなことに答える義務はないわ」
「私ども探偵は人を探して、はい終わりとはできません。もし犯罪になると分かっていれば探しません」
「犯罪?何を言っているの?私はただあの人に会って、恋人同士に戻りたいだけよ。人を犯罪者のように言わないでちょうだい」
犯罪とは何も刑事罰を受けるものだけではない。
今、堂々と宣言した。
確かに止めなくても良いかもしれない。
結婚して浮気されて子どもを作られて暴力まで振るわれたのなら、それにずっと耐えたのなら別の恋をしてもいいのかもしれない。
同じ女としては同情するし、将来の伴侶がそんな男なら願い下げだ。
それでも離婚しなかったのは、ここまで耐えたのは何か理由があったのだとも思う。
「なおさら受けることはできません」
「貴女、それでも人の子なの?私はずっと裏切られてきたのよ。それを貴女」
「私のことをどう言われても構いません。それでもお受けできません」
「何も分かっていないわね。私は過去を取り戻したいのよ。そのためにあの人に会いたいの。谷町くんに会いたいの。分かるでしょ?分かってよ」
過去は取り戻せない。
でも区切りをつけることはできる。
そしてお父さんは二十年前にひとつの区切りをつけた。
それは変わらない。
「分かりません。それに谷町御堂はすでに結婚しています」
「だから結婚しているはずないでしょう。彼はとてもシャイで奥手なのだから」
「それでも結婚しています。私が証人です」
「はぁ?貴女が結婚したとでも言うの?バカも休み休み言ってちょうだい」
最初に似ていると言ったことを忘れているようだ。
年齢から逆算して似ていればたいていは娘や姪と思い至る。
それが分からないくらいには冷静さを失っているようだ。
冷静さを失うように逆上するような言葉を選んだ私にも非はあるが。
「私は谷町北里です。谷町御堂の娘です」
「娘?」
「今年で二十一歳になります」
「二十一?ふざけるのも、たいがいにしてちょうだい。どうせ姪か何かでしょ。娘だなんて嘘を吐いて、惨めな女を虐めて楽しい?」
本当のことを言っても信じてもらえないならこちらから言うことは何もない。
あとは黙っておく。
「私はただ谷町くんに会いたいだけなのよ。ずっとずっと願ってきた。なのにこんな仕打ちはあんまりよ。どうして神様は私にばかり酷いことをするの?」
「・・・・・・」
「大学のときだって、谷町くんと付き合っているって知った友達はみんな離れていくし、嫉妬に狂った女たちは私を虐めるし、私は勇気を出して谷町くんと話して付き合っただけなのに。何もしなかった人が、指を咥えて見てただけの人が私を悪者にするし」
「・・・・・・」
「私のことを気遣って谷町くんは卒業と同時に別れるし、就職しても私には谷町くんしかいなかったのに。私が色目を使ったってお局が虐めてくるし。今の旦那だってそう。結婚するまでは気にかけてくれてたのに、結婚したら無関心。釣った魚に餌をやらないんだもの」
虐められたというけれど実際は小言程度だ。
大学時代のことは誉志小父さんと梦小父さんが教えてくれた。
第三者から見れば相手の迷惑も考えずに突撃している痛い女というところだった。
「挙句の果てに子どもまで作って、いったい私をどうしたいって言うのよ。これでもモテてたのよ。それをどうしてもって言うから結婚してあげたのに浮気するなんて裏切りも良いところだわ」
「・・・・・・」
「結婚するなら自分から好きになった人じゃなくて好きになってくれた人と結婚した方が良いっていうから別にイケメンでもないのに選んだのだけど失敗だったわね。お金は持っていたけど、それ以上に女につぎ込んでいるんだもの」
本音というよりも本性が出てきた。
取り繕えなくなってきたというところだろう。
私としては自滅して欲しい。
こんな人が母親だったらと思うとちょっと嫌だ。
お母さんも最初の頃は男はアクセサリだとか言いながらもちゃんと相手を見ていた。
結構、ゲスな考えとかも書いていたみたいだけど、ちゃんと考えていた。
「きっとお見合いでもして押し切られたのよ。谷町くんは優しい人だったから」
「いえ、恋愛結婚ですよ。告白も谷町御堂からしています」
「恋愛、結婚?そんなはずないわ」
「どれだけ面森様が否定しても谷町御堂は結婚していますし、子どももいます。これは揺ぎ無い事実です」
これ以上は話をしても出口が見えない。
おそらく依頼料は振り込まれないだろうが振り込み用紙を置いておく。
代わりに珈琲代は払っておいた。
あれだけ大衆の目がある中で過去の恋愛遍歴だったり結婚相手のことを話していれば知り合いの耳に入るのも時間の問題だろう。
今はネットで拡散されることも度々ある。
本当はもっと責めても良かったかもしれない。
娘の立場から父親を微妙な感じで貶してくれたのだから怒っても許されるはずだ。
それをしなかったのはもう関わりたくないと思ったのと逆恨みされたくないというだけのことだ。
「終わったよ」
誉志小父さんが迎えに来てくれる約束になっていた。
そう言えば、小父さんは独身だよねぇと今更ながらに思った。
「お疲れ」
「うん、疲れたよ」
「いやぁ全部聞いていたけどさ。あそこまですごいと思わなかったよ」
「私も。どうしようかって困ったよ」
調査する上で知った情報を全て開示したわけではない。
浮気して子どもがいるところまでは本当だけど、そのあとに続きがあった。
それは調停申し立てだ。
面森町子からその旦那への申し立てではない。
旦那から面森町子への申し立てだ。
「でもまさか、結婚していなかったとはな」
「思い込みだけで二十年も過ごせるものなんやね」
「思い込みで御堂を恋人にしてたくらいだからな。あり得ないことではないさ」
「ほんまに信じられへんわ。えぇ大人がやることとちゃうで」
面森町子は今でも急阪町子だ。
大学を卒業してからも谷町御堂を思い続けた結果、兄弟の中でいつまでも独り身の町子を心配した両親が見合いをさせた。
好青年で町子が別の男性との恋が忘れられなくても気長に待つとまで言っていた。
両想いになったら籍を入れようと約束をしていたが、町子が御堂を忘れることはなく、別れることになった。
それで町子はつい、今の旦那と言ってしまったのだ。
その旦那とはもともと結婚の約束も結婚生活もしてはいなかった。
御堂を思い続けることを責められ、事実婚とはいえ離婚した町子を周りは白い眼で見た。
少なからずも傷心だった町子に声をかけたのが今の旦那だ。
元々がプレイボーイで複数の女性と付き合うのが常だった。
女性の方もそれで納得していたし、籍を入れていないから当人たち次第だ。
あまり褒められたことではないけれども。
バーの中で一人、落ち込んでいる女性をいつものように慰めた。
それが君じゃなきゃダメなんだよ、だ。
一人の男性が忘れられないと呟いた町子に言った言葉だ。
今では推測の域はでないが、その彼を思ってあげられるのは、という枕詞があったのだろう。
そこを省略したから、結婚するのは、と勘違いをした。
勘違いしすぎだが、事実婚の離婚をしたばかりの町子にはそれしか思い浮かばなかった。
ここでお互いにきちんと話していれば二十年という長い時間を拗らせることはなかった。
簡単に言えば、町子はストーカーと化した。
プロポーズをされたと思った町子はすぐに周りに報告し、結婚生活を始めた。
この報告が誉志小父さんのところにまで来ていたということだ。
驚いたのは男の方だ。
いつの間にか結婚していることになっていた。
面森などという苗字がそうそういるわけはないから自分のことだと分かった。
何度も否定したが取り合ってもらえず、男がストーカーを受けているというのも理解されにくい。
そこで遊び相手の女性たちに相談して、結婚しているように見せかけるように一計を案じた。
二十年もできたのは町子がそもそもの本妻ではないからだ。
だから誰も目くじらを立てない。
子どもも不妊ということにしてしまえば望まれない。
あとは適度に上手い言葉を囁いて閉じ込めてしまえば良かった。
ずいぶんなことだと思うが、この二十年の間に町子は何度も警察の世話になっている。
最初は不審者が家の周りにいるということに始まって、今では包丁を持って叫んでいる。
別れるように迫った浮気相手の女を追い払うという名目で。
暴力も本当は受けていない。
旦那が帰って来ないのは、自分に暴力を振るいたくないからだと思い込んで、ありもしない傷を隠しているからだ。
「でも、なんで今になって浮気調査とかし出したんやろ?」
「簡単なことだろう」
「なんで?誉志オジサンには分かるん?」
「あの女は求愛されて結婚したと思っていた。その男から浮気をされて暴力も振るわれている。悲劇のヒロインだと誰かに同情して欲しいから探偵に依頼したんだ。二十年も献身的に支えた妻だとアピールするためにな。結局のところ、自分のことしか考えて無かったということさ」
自分よがりだったから、そのツケを今支払ったということだろう。
二十年間、お金を貢がせ続けた悪女としてワイドショーなんかは書き立てるだろう。
そのときにきっとお父さんの名前を出すかもしれないが、お父さんはお母さんと付き合ったことがあるだけで、他に女性の影が全くないほど清廉されている。
さらに若いときより効力が落ちているとはいえあの美貌だ。
誰も文句は言わないだろう。
「これで依頼完了だな」
「完了って、タダ働きやん」
「これで憂いもなくなったんだからさ」
「そう言うたらそうやけど、なんかスッキリせぇへん」
原因と結果が論理的になっていないといつも嫌だった。
今回のことだって最初からお父さんが出て、しっかりと断っていたら何も問題にならなかったはずだ。
それを娘の私に行かせたことが何よりも納得いかない。
保護者として誉志小父さんが付き添ったのも納得がいかない。
「まぁ機嫌直せって、せっかくの二人から引き継いだ美貌が台無しだぜ」
「私は美人なん?」
「それ、世の中の女性の大半を敵に回す科白だからな。そういうところ御堂そっくりだよな」
「ええから答えてぇな、なぁ」
「すんげぇ美人で俺があと二十若かったら口説いてたよ」
「ほんまに?」
両親は美男美女だし、いつもいた小父さんたちも美男だった。
だから鏡をみていつも自信を無くしていた。
友達もお父さんイケメンね、とか。
お母さんキレイね、とか。
そんな科白しか聞いたことない。
高校まで日本だけど告白されたこともないし、向こうでは実年齢より若く見られすぎてロリコンを疑われるから恋愛対象外になっていた。
「そんなに自信ないなら俺とデートでもするか?」
「する!」
小さいときから一緒にいるから安心できた。
簡単に約束をして遊びに行く。
二十歳になったらお酒の飲み方を教えてやる、そんな約束もしていた。
※※※
デートと言っても水族館で腕を組んで歩くだけだと思っていた。
それが甘かった。
「北里、俺と結婚を前提に付き合ってくれ」
まさか、そんな告白をされるとは思ってもみなかった。
いつも優しい我が儘を聞いてくれる小父さんの顔ではなく、一人の男性がそこにはいた。
年の差とか、お父さんと同い年とか、考えることもなく私は頷いていた。
そのときの誉志小父さんの顔、忘れられない。
今まで見たこともないような無邪気な笑顔がそこにはあった。
「じゃ、行くか」
どこに?
手を引かれるままに来たのは、谷町探偵事務所だった。
話は通っていたのだろう。
扉にはcloseの札がかかっていた。
「御堂、いるか?」
「誉志!お前なんか、お前なんか、認めないからな!絶対に認めないからな!」
「御堂さん、黙っててください」
「・・・・・・はい」
お母さんは仕事のときは所長と呼んで、オフのときは御堂さんと呼んでいた。
「御堂、いや、お義父さんと呼んだほうがいいか?」
「やめろーお前にお義父さんと呼ばれる筋合いはない」
「御堂さん?」
「すみません」
お母さんのほうが力が上だ。
というか、お父さんがお母さんに言い返しているのを見たことがない。
「勝ち気な娘ですけど、どうぞよろしくお願いしますね」
「今里ちゃん、いや、お義母さん、絶対に幸せにします」
「良かったわ。誉志さんに貰ってもらえて。北里ったら好きなのに全然自覚しなくて、これは絶対に行き遅れると思っていたのよ」
私は自覚していなかったが、私は誉志小父さんが好きだったのだろうか。
いったいいつからだろうか。
確かに物心ついた時から遊んで貰っていたし、学校に行くようになったら友達との付き合いもそこそこに色々なところに連れて行ってもらってた。
料理のできない両親の代わりに教えてくれたのも誉志小父さんだった。
「えっと」
「誉志さんから今日告白するって聞いてたから御堂さんと結果を待っていたのよ。まぁ成功すると思っていたけどね」
「お母さん、いいの?」
「何が?」
「えっと、私がお父さんと同じ年の人で、お父さんの友達と付き合うのって」
「そんなこと?もう成人しているし、自分で責任持てるでしょ?それに北里には誉志さんくらいの年上でないと相手できないもの」
拍子抜けした。
私は私が思っているよりも誉志小父さんのことが好きだったらしい。
周りはどうにかしてくっつけようとしていたというのも驚きだ。
「そうでもなければ親友の娘というだけで毎週毎週、遊びになんて連れて行かないわよ」
「あっ」
「もう鈍いわね。そういうところは御堂さんそっくりね」
「それは今里ちゃんには言われたくないと思うよ」
一睨みで黙らせるお母さんはすごいと思う。
小さいときからテレビで見たところや雑誌で見たところに連れて行ってもらった。
実際、両親といるよりも誉志小父さんといたほうが多い。
本当に良いのか、今になって不安になってきた。
そんな不安はきっと誉志小父さんは告白する前から気づいていた。
だから手を握ってくれる。
「幸せにしないと怒るからな」
「あたりまえだろ」
そういう誉志小父さんは誰よりも恰好良かった。
※※※
付き合うからと言ってすぐに日本で住むことはできない。
向こうで仕事をするつもりで動いていたから一度は戻らないといけない。
すぐに遠距離恋愛になるのが不安だったけど、誉志小父さんは何でもないように簡単に言った。
「行ってこい、行ってこい。若いうちにしかできないことだぞ」
「年寄り」
「何か言ったか?くそがき」
やっぱり心配でお母さんに誉志小父さんの見張りを頼んだ。
誉志小父さんは恰好いいからきっと他の女の人がほっておかない。
「・・・北里、あなたバカなの?」
「バカとは何よ」
「あなたが成人して、なおかつ大学を卒業するまでずっと待ってたのよ。そんな人が今さら別の女のところに行くなんて天と地がひっくり返ってもあり得ないわ」
そんなに待ってたんだ。
でも釣った魚に餌をやらない男もいる。
落とすまでを楽しむ人もいる。
信じていいものだろうか。
「北里、いろいろ考えているみたいだけど、誉志さんの覚悟を甘くみてはダメよ」
「覚悟?」
「いくら好きでも親友の娘に、二十八歳も年下の子に結婚前提の告白をするのがどれだけ覚悟がいると思ってるのよ。絶対に先に死ぬのよ。そのあとに自分以外の誰かと添い遂げることまで受け入れて結婚するのよ。たかが遠距離で別れるはずないでしょう」
誉志小父さんと呼んでいたけど、二十八歳も年上だと考えていなかった。
説教めいたことも言わないでいつも同じ目線でいてくれたから同級生のような感覚があった。
お母さんに言われて初めて自覚した。
「とにかく好きなようにしなさい。あなたの我が儘のひとつやふたつ、誉志さんは笑って聞いてくれるわ」
「・・・うん」
それは自覚はある。
どんなことでも聞いてくれたし、嫌なことがあったらイの一番に逃げ込む場所だった。
私も覚悟を決めた。
日本に帰って仕事をする。
今はネットという国境を簡単に越えられる道具があるのだからそれを利用しない手はない。
自分の夢を叶えるために合理的だと思えば行動する。
こういうところはお母さん譲りなのだろう。
恋愛に関しては、お父さん譲りなのは間違いない。
こんな私でもいやにならないのか、と聞いてみた。
「えっ?そこが良いところだろ?」
誉志小父さんは十分に変人だと思う。
でも確かに誉志小父さんくらいの人じゃないと無理だ。
それにしても、疑問は残る。
二十年以上も前のファイルがどうして最近のパソコンで編集できるのだろうか。
せいぜい十年くらい前のファイルくらいしか互換性ってなかったと思うけど。
毎回、お父さんが編集していたのだろうか?
疑問は聞くのが一番いい。
今までの内容を全部印刷してお父さんとお母さんに尋ねる。
「お母さんって二十年くらい前に業務日誌的なの書いてたでしょ?」
「うん?どうして知っているの?」
「お父さんがくれたパソコンにファイルがあった」
「ファイル?」
お母さんがいないときにこっそり聞いた方がよかったかも。
こめかみと眉間にしわが。
これは怒りを表している。
ごめんね、お父さん。
「い、今里ちゃん、あのね」
「どういうことですか?所長」
所長呼びになっちゃった。
御堂さんって呼ぶよりも言いやすいらしい。
所長って呼ぶより御堂さんの方が歴長いと思うんだけどな。
「いや、昔ね。今里ちゃんが何か熱心に書いてるなぁって思って、ずっと隣で見てたのよ」
「それは知っています」
「それで、僕たちの出会いとかなれそめとか北里に話したことないなぁって思って」
「そうですね」
「今里ちゃん、某お昼の伝説の番組みたいだよ」
「茶化さない!」
「はい!」
これが有名な夫婦漫才。
お母さんに睨まれても平気そうなお父さんはすごいと思う。
「だけどさ、僕たちはこうして出会ってね。って話すのは照れ臭いでしょ」
「そうですね」
「そこで僕は今里ちゃんが書いていた【探偵の平和な日常茶飯事】の存在を思い出したんだ」
「そうですか」
あっ、語尾が変わった。
お母さんの怒りが少し収まった。
「ついでに誉志のことも少し書いてたから若かりし頃の誉志のことを知るのに丁度いいかなって?」
「人には知られたくない黒歴史というものがあります」
「はい」
「私が書いた誉志さんのことなど微々たるものです」
「そうでもないよ」
「御堂さん?」
長年の勘というものだろう。
お父さんが何かしたことに気付いたのだろう。
お母さんは怖い。
「えっっと」
「お父さんが書いたところもあるよ」
「北里!言っちゃだめだよ」
「御堂?」
思わず言ってしまった。
お父さんが口止めしたけど遅い。
「パソコンできないはずのお父さんが書いたんだよ。ほら」
「ちょっと見せてね」
「北里ぃ、どうして印刷して持ってきているんだよ」
ごめん、お父さん。
どうしても気になったんだよ。
「御堂さん?」
「門前の小僧習わぬ経を読む、だよ」
「つまりは、使い方を見て覚えてこっそりと書き加えていたということですね?」
「うん!今里ちゃん気づかないんだもん。びっくりしたよ」
お父さんはぽややんとしているけど、お母さんもどこか抜けていることがある。
似たもの夫婦だと思う。
「北里」
「うん?なぁに、お母さん」
「それは好きにしていいわ。私たちには必要のないものだから」
「うん」
これを持って誉志小父さんのところに行ってみるのも良いかも。
きっと若い頃の自分を見て真っ赤になりそうだ。
お父さんやお母さんの若い頃のことをもっと聞くのも楽しいだろうし、誉志小父さんのことも楽しそうだ。
これをパソコンに入れていたのは、きっとお父さんからの優しさだ。
年が離れているからこそ、知らない過去も多い。
それを埋めるための手助けにするためのものだ。
「お父さんとお母さんはやっぱり探偵だね」
「今頃、分かったのかい?」
その最後のどや顔だけは不要だと思う。
探偵は依頼人の欲しいものを探し出す。
きっと私は私の生まれる前の過去のことを欲しがっていた。
この物語は私の手元にくるために二十年以上前に生まれたのだ。
お父さんとお母さんの手によって。
私の兄弟のようなものかもしれない。