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桃谷駅・内回り

犯人の一人は渭浜で決定だ。

 

これは渭浜の単独なのか、それとも不運にも殺人が重なっただけなのか、はたまた全員が共犯で殺したのか。

 

いろいろと考えることは多そうだ。

 

さらに言えば毒の入手ルートとかは考えなくてもよさそうだ。

 

なぜなら毒の種類は明らかにされていない。

 

取り扱った毒の種類で容疑者が特定されるというものではなさそうだ。

 

これはフーダニットでありワイダニットの事件ということのようだと思った。

 

「そう言えば、証言を聞きに来ている人、少ないですね」

 

「そうだね」

 

「やっぱり違う人の証言の方が良かったですかね」

 

「たとえば?」

 

「近くで見ていた愛宕とか?」

 

所長の反応がいまいちだから意味がないのかもしれない。

 

それなら風間の方だったのかもしれない。

 

考えているうちに始まるようでメモを用意した。

 

 

※※※

 

 

警部補「それでは話を聞かせてください」

 

久井田「はい」

 

警部補「秘書である貴女はいつも鵜灘さんと一緒に行動されるのですね」

 

久井田「はい、とくにこのような場のときは絶対です」

 

警部補「このようなというのはどういうことでしょうか?」

 

久井田「鵜灘は、ネイルは女の身嗜みと考えていて、男性の前に出るときは少しの欠けも許されないのです。今日も右手の爪のネイルが欠けてしまい。ディナー前までに直すつもりでした」

 

警部補「直すつもり、ということは久井田さんがされるということですね」

 

久井田「そうです。鵜灘は男性のいる集まりに出るときは必ず私に直させます。休暇に同伴扱いですので給与がないのが腹立たしいところです」

 

警部補「その点には恨みがあったということですね」

 

久井田「それがなければ待遇は良いと思います」

 

警部補「皆さんの話にもありましたが手紙を渡されたのは事実ですか?」

 

久井田「事実です。とても恰好いい方だと思って告白いたしました」

 

警部補「お付き合いされているのですか?」

 

久井田「お付き合い?しているわけないじゃないですか。振られたんですよ。それも罵詈雑言の嵐でこちらのことを人とも思っていない口ぶりで!分かります?手紙を読まずに目の前で破り捨てられた女の気持ちが!」

 

警部補「落ち着いてください、久井田さん」

 

久井田「無理です!廊下に散らばった手紙の破片を一つずつ拾う惨めな気持ちなんて誰にも理解されません」

 

警部補「恨んでいたということですね」

 

久井田「恨み?そんな軽いものじゃありません。憎しみしかありません。私はこの手で殺してやりたいと思っていました」

 

警部補「それで今回、実行に移したということですか?」

 

久井田「私は殺していません。殺したいと思っていましたが違います」

 

警部補「そうですか。こちらのグラスは分かりますか?」

 

久井田「鵜灘がガラス工房に特注したグラスです」

 

警部補「どこで作ったかご存知ですか?」

 

久井田「こちらの工房です。何度もデザインが違うと言って作らせていたので覚えていると思います」

 

警部補「何度も?」

 

久井田「えぇ特に小名木さんのグラスは何度も作り直させていました」

 

警部補「仲が悪いと思っていましたが存外よろしかったのですかね」

 

久井田「そこまでは分かりませんけど、数年前くらいから何度も言い争いをするようになっていました」

 

警部補「数年前から何度も?何か心当たりはありますか?」

 

久井田「私が言ったなんて言わないでくださいね。小名木さん、女性の姿のときもですけど、男性の姿で女性を誘惑することも楽しんでいたようですよ」

 

警部補「と、言いますと?」

 

久井田「察しが悪いですね。男性姿の小名木さんに鵜灘は惚れて告白までしたんです。それが分かってから顔を合わせるたびに言い争いをするようになりました」

 

警部補「一種の美人局のようなものですね」

 

久井田「ばつが悪いというのはあったでしょうけれど、それを衛藤さんにばらされて笑い者にされたということもありました」

 

警部補「笑い者に。それは恨みに思っても仕方ないですね」

 

久井田「あれでプライドが高いですから許せなかったのでしょうね」

 

警部補「つまりは殺したいくらいに憎んでいたということですか?」

 

久井田「それは分かりませんけど、内心は煮えくり返っていたかもしれませんね」

 

警部補「ところで、メンズサロンはいつ開業されたのですか?」

 

久井田「えっ?おととしですけれど?それか何か事件に関係あるのですか?」

 

警部補「いえね、鵜灘さんが衛藤さんともめ事があったと言ったときに出資を断られたと言っていましたので」

 

久井田「それはもめ事のうちに入りませんよ。男性芸能人にはいろいろと声をかけましたから断られたくらいで恨みには思いません。断られること前提の話ですから」

 

警部補「なるほど、ちなみにグラスの柄は鵜灘さんが指定したんですか?」

 

久井田「デザインを用意して、それを私が工房に出向いて確認していました。少しでも違えば叱責がくるので注意して確認しました。おかげでグラスを見れば誰のグラスかはすぐに分かるようになりました」

 

警部補「こちらに写真があるのですが、誰のグラスか分かりますか?」

 

久井田「こちらが愛宕さん、渭浜さんがこれ、鵜灘がこれで、小名木さんのグラスがこれになります」

 

警部補「この小名木さんのグラスが何度も作り直したものですか?」

 

久井田「えっ?えぇそうですね。そうなります」

 

警部補「何回くらい作り直しましたか?」

 

久井田「覚えていません。他のグラスも少しずつ手直しはありましたから」

 

警部補「グラスはずっと鵜灘さんが保管されていたのですか?」

 

久井田「いえ、前日に一緒に確認をして箱にしまいました。グラスを渡す順番も決めていましたから箱が同じでもアタッシュケースに入れる場所を決めておけば迷うことはありません」

 

警部補「その確認は久井田さんがされた?」

 

久井田「いえ、グラスに触れることを嫌いましたので見ているだけです」

 

警部補「そのあとは?」

 

久井田「私が持ち帰り乗船のときに一緒に持って来ました。それからは会談の前に割れや罅がないかを確認するために箱を開けて確認して皆様にお配りしました」

 

警部補「そのときに何か変わったことはありましたか?」

 

久井田「そう言えば、小名木さんのグラスが少し曇っていたような気がします」

 

警部補「曇っていた?それを貴女は拭わなかった」

 

久井田「はい、触ることは禁じられていましたから触れていません」

 

警部補「そうですか。ありがとうございます」

 

 

※※※

 

 

「ここまでで証言の確認を終了とさせていただきます。別室にディナーを用意してございます。お召し上がりながら事件の謎を解明してください」

 

容疑者全員の証言を聞けば謎は解けるのかもしれない。

 

だからあえて推理、想像で補う必要がある中途半端な情報にしたのだろう。

 

「所長はこの謎の真実が見えてるんですよね」

 

「たぶんね」

 

「なら、私が選んだ証言の三名は正解ですか?」

 

「いい質問だね。おそらく正解でおそらく不正解かな?」

 

「どういうことですか?」

 

「これは参加型ミステリーだよ。証言は少ないけど他の証言者を選んでも似たような情報は得られるようになってると思うよ。まぁ詳細の程度には差があると思うけど」

 

忘れていた。

 

これはゲームだった。

 

本当の事件じゃなかった。

 

それならこの情報は全員が手にしていると考えて良いと思う。

 

なら今までの情報で犯人が絞り込めるということだ。

 

「今までのこと整理してみようか、今里ちゃん」

 

「はい」

 

「まずこのクルージングで男女七人が一年ぶりに再会した」

 

「その集まりは十年くらい前から毎年の恒例行事になっていました」

 

「うんうん、そう言えばそんなドラマなかった?男女七人なんちゃらかんちゃらってドラマ」

 

「あったとしても私が生まれる前のことだと思います。所長」

 

「うん、一気に年寄りになった気分だよ」

 

そしてそれぞれに恨みを持っている間柄もあった。

 

その結果ではあるが、殺人がおきた。

 

犯人は誰かということを考えないといけない。

 

「所長」

 

「はい」

 

「毒殺により衛藤が死にました」

 

「うん、そうだね。警察の捜査により渭浜が犯人だということは分かった」

 

「ですが、衛藤が飲まされた毒は二種類で、渭浜は一種類だけしか飲ませていないと言っている。これは大きな矛盾です」

 

渭浜は一種類しか飲ませていないのか。

 

それとも嘘を吐いているのか。

 

嘘を吐いているのなら、どのような方法で二種類目の毒を混入させたのか。

 

「渭浜が用意した日本酒にも布にも一種類の毒しか検出されなかった」

 

「もし渭浜が嘘を吐いていなくて一種類の毒しか飲ませていないのなら、二種類目の毒を飲ませた犯人がいます」

 

「うんうん、その犯人は誰かということだね」

 

「毒が二種類検出されたのはグラスからだけです。床に零れた日本酒からも検出されたでしょうけど、床に零れた毒を飲ませることはできませんからグラスだけと考えて良いと思います」

 

「そのグラスもしくは衛藤が飲む直前に毒を仕込めた人が犯人だね」

 

グラスに前もって毒を用意出来たのはグラスをプレゼントにしようとした鵜灘だ。

 

秘書にすら触ることを禁じているくらいなのだからグラスに毒を仕込んだと考えるのが妥当だ。

 

グラスに毒が塗られていて、そこに毒入りの日本酒が注がれる。

 

これで二種類の毒が入ることになる。

 

「グラスに毒を塗っておけた鵜灘がもう一人の犯人です」

 

「ほう。その根拠は何かな?両隣の愛宕も小名木も毒を入れることはできたはずだよ」

 

「その可能性は皆無である気がします」

 

「えらく自信があるみたいだね」

 

「はい」

 

毒を両隣の人が仕込むのは、ほぼ不可能だ。

 

飲み物が日本酒だということに注目すれば簡単なことだ。

 

「日本酒を飲もうとなったのは偶然です」

 

「偶然だね。鵜灘がグラスを用意して渭浜が日本酒を用意した」

 

「はい、そこで飲み物が日本酒であるということに気づけば両隣の人が入れるには無理があります」

 

「日本酒であること?」

 

「ほかの飲み物と違って日本酒は透明度も特徴です。今回の日本酒は()()でした。つまり何か固形物を入れると見えてしまいます」

 

一口、二口で致死量になるには量が必要になる。

 

錠剤にすれば肉眼で必ず確認できる大きさになる。

 

「確かに見えるだろうね」

 

「そして見えにくいように粉にすれば可能かもしれませんが、グラスに入れるために一秒以上の静止が必要です。他人のグラスの上で手をかざしていれば怪しまれます」

 

「粉は隠し持つのも大変だね。手で握っておくわけにもいかないしね」

 

「液体にすれば透明ではありますが、運ぶための瓶の処分ができずに警察に見つけられます。ソファの下に投げ入れたとしても見つけられて指紋を採取すれば分かります」

 

あのときに手袋をしていた人はいなかった。

 

全員が素手であった。

 

「このことから両隣の人が飲む直前にグラスに何かを入れることは不可能だったと思います。錠剤を上手く入れられて気づかれなかったとしても溶解するほどの時間はなかった」

 

「両隣の愛宕と小名木が犯人ではないという論理的な根拠があるね」

 

「グラスに毒を入れられないということで近づいてもいない秘書二人もできません」

 

「円陣よりも一歩外にいたから毒を後で入れることはできないね」

 

容疑者の五人のうちこれで四人がいなくなった。

 

これで二種類目の毒を入れたのは鵜灘に決定した。

 

「つまり犯人は二人いた。それは渭浜と鵜灘です」

 

「おぉ、論理的な推論によって導き出されたねぇ」

 

「鵜灘は過去の恋愛を衛藤に笑い者にされたことが動機です」

 

「犯人は二人いるって、何かの小説みたいだね」

 

「結構有名なやつですね。そろそろ解決編が見られるみたいですよ」

 

配られた用紙に犯人の名前とトリックを書いておく。

 

それを回収されて、解決編の結果ともっとも近い人がホテルの宿泊券をもらえる。

 

 

※※※

 

 

「犯人が分かりました」

 

警部補が容疑者たち全員を集めて謎解きを始める。

 

実際の警察はそんなことしないで犯人を逮捕して連行して終わりだ。

 

今回はミステリーなので事実とは異なることにしているのだろう。

 

そんなところを気にしないで解決した謎が合っているかの確認だ。

 

「犯人は渭浜さんでしょう」

 

「愛宕さん、それも一つのこととして正しいです。警察の調べによって渭浜さんは犯人だと断定できました」

 

「それならば逮捕されて連行されているでしょう。どうして私たちと一緒に話を聞いているのです?」

 

「聞くべきだからです。それに彼は犯行を認めている。逃亡の恐れなしとして同席を許可しています」

 

渭浜の後ろには警官が二人立っている。

 

何かあってもすぐに対処できるようにするために。

 

「渭浜さんは衛藤さんを毒殺しました。これは自供が取れています。理由は恨みである。誰でも良かったわけではなく衛藤さんだけを狙ったものである」

 

「どのような理由があっても人を殺めてはいけない。渭浜さん罪を償ってほしい」

 

「はい、すみませんでした」

 

「もう一人の犯人は、図らずも同時に衛藤さんを殺害しました。これもまた毒殺です」

 

あの時にもう一人衛藤を殺そうとしていたとは思いもよらなかったのだろう。

 

大きく驚いている。

 

「ただ本人にとって予想外のことが起きてしまった。毒は衛藤さんに持ち帰ってもらい自殺に見えるように殺したかった」

 

「毒をあとで飲ませるのは難しいのではありませんか?」

 

「そう難しいことではありません。今回はグラスの内側に毒を塗っておいたのです」

 

グラスと聞いて全員が鵜灘を見た。

 

慌てふためくことなく、静かに微笑む鵜灘は犯人だと肯定も否定もしなかった。

 

「客室に戻ったとき、船を降りて自宅に帰ったとき、自分とは関係のないところで毒を煽ってくれる」

 

現場不在証明(アリバイ)を作っておけば容疑者から外れることができるうえに、プレゼントしたグラスで自殺されただけになれるということですな」

 

「はいその通りです。愛宕さん」

 

「しかし彼女はこの場で使うことを了承しましたよ。ここで死ぬことを分かっていたのではないですか?でも衛藤さんが倒れたときには驚き、そして医者を呼ぶように言っていたように思いますよ」

 

一番慌てていて、衛藤が死ぬことを望んでいないように見えた。

 

これが演技ならものすごい女優だ。

 

「それも演技です。一番犯人とは思えないと印象付けるためです」

 

「証拠はございますの?」

 

「秘書の久井田さんからグラスに触れさせないようにしていたと聞いています。それは誤って久井田さんが毒に触れないようにするためではありませんか」

 

「違いますわ。ようやく納得のいくグラスができましたので触れられて割られると困るから禁じておりましたわ」

 

否定をするが警察は完全に鵜灘を犯人だと思っている。

 

おそらくは否定し続けても逮捕されることになる。

 

二種類目の毒を入れることができたのは鵜灘しかいないから。

 

「ですがグラスが曇っていたという証言があります」

 

「久井田さんですわね」

 

「はい。それは毒を塗っていたために他のグラスと違って見えてしまったのではないでしょうか」

 

「グラスの内側も布で拭いてから箱に入れましたわ。そうよね?久井田さん」

 

「はい、鵜灘さまはグラスを磨いていました」

 

「磨いたのに曇っているのはおかしいのではなくて?」

 

「それは・・・箱に入れたあとに、こっそりと毒を塗った」

 

それはおかしいことになる。

 

そのまま秘書に渡しているから集まりのときに手渡しするまで鵜灘は触れていないことになる。

 

こっそりと塗るのは難しい。

 

それにワイングラスと言っても背の高いグラスだから奥まで手を入れるのは難しい。

 

「そのあとは久井田に預けましたわ」

 

「たしかにお預かりしました」

 

「わたしが毒を塗ることはできないようですね。犯人呼ばわりされるのは心外ですわ」

 

「しかし、貴女は衛藤さんを恨んでいた」

 

「出資を断られたことならば和解しております。恨みではありません」

 

「そのことではありませんよ。もっと別のことです」

 

過去の恋愛のことを笑われたという話を持ち出すつもりだというのは分かる。

 

でもここで話す必要を感じない。

 

「別のこと?何のことでしょう?わたしには見当もつきません」

 

「よろしいのですか?過去に貴女が一人の男性に告白をして笑い者にされた話をここでしても」

 

「もう話してしまわれてるも等しいですけど、隠すことでもございません。お話になられたら良いわ」

 

「では僭越ながら。数年前にこのクルージングで男性に告白をしましたね?」

 

「えぇいたしましたわ。いちいち確認なさらなくても結構よ」

 

冷めたお茶を一気に飲み干して気を落ち着かせる。

 

女性らしさを大切にしていた鵜灘らしくない行動だった。

 

「その相手というのが、ここにいます小名木さんです」

 

「ほぅ」

 

「元は男性ですから服装を変えれば分からないのかもしれませんね」

 

鵜灘は何も言わずにネイルの爪を握りしめた。

 

告白相手だと分かっている小名木は冷ややかな表情を警部補に向けた。

 

「ずいぶんと配慮に欠けた警部補さんですわね。鵜灘さんを晒し者にするなど」

 

「小名木さん、確認をしたい。間違いはありませんか?」

 

「ありませんわ。確かに告白を受けました。でもそれが今回の衛藤さん殺害と関係がありますの?ただ徒に過去を暴いているようにしか見えませんわね」

 

「とても重要なことです。このことが衛藤さんに知られて笑い者にされた。そのことに恨みを持ち殺害するに至ったということです」

 

警部補は自信満々に言い切ったが容疑者たちの顔は晴れない。

 

確かに鵜灘はグラスに毒を塗っていたのだろう。

 

でも衛藤を殺害したことを完全に認めていない。

 

「警部補さん、それは間違っていますわ。わたしは衛藤さんに笑い者にされたことはございませんわ」

 

「しかし証言があります」

 

「どの方が言ったのか存じませんけど、ここにいる方は全員、わたしが小名木さんに告白をしたことを知っています。わざわざ笑い者にする必要がありませんわ」

 

「皆さん、そうなのですか?」

 

無言で頷きが返ってくる。

 

だが恨んでいるという証言が怪しくなってくる。

 

「ですが、鵜灘さんがグラスに毒を塗ったことは揺るぎない事実である以上は逮捕いたします」

 

「わたしは認めておりませんわ」

 

「じっくりと警察署にてお話を伺います。ご同行願います」

 

「お待ちください、警部補さま」

 

ここで話を全部聞いていた執事とメイドの登場になる。

 

何だか犯人だと言い切れないもどかしさがあるところへの登場だから真犯人を述べるか、もっと誰もが納得する動機を話すのだろう。

 

「差し出がましいようですが、このままでは事件は真の解決に至らないと思いましたので声をかけさせていただきました」

 

「犯人は渭浜さんと鵜灘さんの二人だ。これで決まりだ」

 

「それだけでは不十分でございます」

 

「不十分?何が不十分なんだ」

 

「大筋では警部補さまの推理で合っております。犯人は渭浜さま、そして鵜灘さまでございます。ですが鵜灘さまに関しましては衛藤さまへの殺意はなかったと思われます」

 

殺意がなく、人を毒殺するのなら快楽殺人者だったということだろうか。

 

それなら死んでいく様を見て喜ぶような気がする。

 

「順だって説明いたしますと、渭浜さまが衛藤さまを殺害しようとしたのは間違いございません。ご本人も認めていらっしゃいます」

 

「どうしても許せなかった」

 

「次に鵜灘さまですがグラスに毒を塗ったのは間違いございません。写真を見ていただければ分かりますが布で拭いたと言っても底までは手が届きません。毒は拭われることなく残っていたでしょう。布についてもかまいません。拭くという動作でグラスの側面に塗り広げられることになりますから」

 

拭いても毒は残っているなら拭いたことは毒を塗っていない証明にはならない。

 

「ここで警部補さまは勘違いをされています」

 

「勘違い?」

 

「はい、よく証言を思い出していただきたいのですが、曇っていたのは毒が塗られていたからだと判断された。これは合っているのでしょう。ただ曇っていたグラスは久井田さまからは小名木さまのグラスであったと証言がございます」

 

そうだった。

 

グラスが毒のせいで曇っていたのなら小名木のグラスでなくてはならない。

 

そして死ぬのは小名木でなければいけない。

 

「お分かりのことと存じますが、毒が塗られたグラスは小名木さまのものであった。鵜灘さま、この推理は間違っていますでしょうか」

 

「・・・合っていますわ。わたしが毒を塗ったグラスは小名木さんのグラスですわ」

 

「お答えいただきましてありがとうございます。ここで矛盾が生じます。鵜灘さまが毒を塗ったグラスが小名木さまのものであるのならば、どうして衛藤さまが毒入りグラスを手にしているのでしょうか」

 

それぞれにプレゼントされたものなら誰かと入れ替えることはできない。

 

間違ってグラスを取るということも考えにくい。

 

それならプレゼントが配られた時点ですでに毒入りのグラスを手にしているのが自然だ。

 

「小名木さまのグラスを間違って衛藤さまが手にしてしまわれたのでしょうか。それは大層考えにくいことです。グラスはそれぞれにプレゼントされたもの。自分のグラスを他人の手に渡すことはしないでしょう」

 

「うむ、確かにそうだ」

 

「一番自然なのは配られたときにはすでに毒入りのグラスが衛藤さまの手に渡っていたと考えることです」

 

「だが、一人一人に手渡しをしたのだろう。作った本人が間違うはずがない」

 

「グラス単体なら見分けられたでしょう。ですが渡すときには同じ装丁の箱に入っていたということをお忘れですか?アタッシュケースには誰のグラスをどの位置に収納しているかで判断されていた」

 

その言葉で鵜灘の表情が変わった。

 

今までは自分が間違えて渡したことによって死なせてしまったと後悔していたのだろう。

 

何度も確認したが万が一ということもある。

 

「最後にアタッシュケースを開けて中身を確認したのは久井田さまでございましたね?」

 

「はい、割れや罅がないか確認しました」

 

「そのときに小名木さまのグラスと衛藤さまのグラスを入れ替えたのでございましょう」

 

「触れることを禁じられておりましたので、グラスに触れていません」

 

「箱ごと入れ替えたのでございます。グラスはアタッシュケースの収納場所で区別しておりました。同じ箱が並んでいて違っているなど初見では分からなかったことでありましょう」

 

反論することはできないのだろう。

 

無言だった。

 

「だから事情聴取のときに鵜灘さまは小名木さまのグラスの写真を見て歯切れの悪い言い方になったのでございます」

 

「グラスが違っていたからか」

 

「はい、その通りでございます」

 

「だが秘書の久井田は小名木のグラスだと断言したぞ」

 

「そこでございます。ガラス工房にグラスの作り直しをさせるほど小名木さまのグラスにこだわりを見せていた鵜灘さまが間違えるのは皆無に等しいでしょう」

 

作り直しの回数が多かったというのは久井田も証言している。

 

なら久井田もそのグラスを見ていることになる。

 

なのに二人の証言の断言度合に差があった。

 

「同様に久井田さまも同じだけグラスを見ていらしたので間違えることはないと考えられます」

 

「どちらかが嘘を吐いたということか?」

 

「はい、さきほど鵜灘さまは小名木さまのグラスに毒を塗ったことをお認めになりました。そして残ったグラスの本来の持ち主が衛藤さまであったとすればグラスが入れ替えられたことは明白でございます」

 

「最後にアタッシュケースを開けた久井田が入れ替えた」

 

「はい、もう一度、写真を見せて確認していただければ分かることと存じます」

 

これでグラスが違っていることに説明がついた。

 

写真を見せなくても久井田は顔面蒼白になっている。

 

「鵜灘さまが毒を盛って殺そうと思っていたのは小名木さまです。それが小名木さまではなく衛藤さまが亡くなってしまった。このまま犯人だと知られたくない鵜灘さまはとっさにグラスを小名木さまのものだと証言した」

 

「それを裏付けるように秘書の久井田も小名木のものだと証言した」

 

「はい。衛藤さまが亡くなったことで鵜灘さまは、久井田さまが故意に入れ替えたと気付かれていたと思いますが指摘をすれば自分が毒を塗ったことも知られてしまう。黙っているという選択をしたのでございます」

 

これでグラスが入れ替わったことによって衛藤に二種類の毒が飲まされた理由が分かった。

 

だが、久井田は一度も罪を認める発言も否定する発言もしていない。

 

「鵜灘さまの特定のグラスへの執着を見て疑問に思い調べたのでございましょう。そして鵜灘さまが毒を手にしていることに気付いた。これを飲ませるつもりなのだと」

 

「いいえ、気付きませんでしたわ」

 

「それはおかしいのでございます。このように彫り物がされたグラスは透明度をやや失います。この状態で曇っていると断言するのは難しいと思います」

 

「それは、でも曇っているように感じたのです。こればかりは感覚の問題ですから仕方ないのではありませんか?」

 

「鵜灘さまが衛藤さまに笑い者にされたという話ですが、この集まりの方は皆さんご存知でいらした。笑い者にされたという事実はなかったようですが、その点はいかがでしょうか?」

 

「・・・・・・ようやく願いが叶ったと思ったのに上手くいかないものね」

 

「それは自供としても良いでしょうか?」

 

「はい、私がグラスを入れ替えました」

 

「お話は詳しく署の方でお聞きします」

 

渭浜と久井田は警官に連れられた。

 

応援要請されていた追加の警官に鵜灘も連れて行かれることになった。

 

残ったのは愛宕と小名木と風間だけだ。

 

「皆さまにも詳しく話をお聞きしますので署へ後日お越しください」

 

警官も引き上げて静けさだけが残った。

 

「良かったのかね?何も言わなくて小名木さん、いや、小名木くん」

 

「よくありませんよ。後悔しかありません」

 

小名木の声は裏声の女性の声ではなく男性の声で口調も男性のものになっていた。

 

長い髪を掴むと乱暴に引っ張った。

 

「君も不器用だね。好きな女のことを理解するために女のフリをするとは、ひねくれた愛情だね」

 

「あいつが好きなネイルを勉強すれば、もっと近づけるかと思えばそうでもなかったですしね」

 

「彼女もひねくれているからねぇ。小名木くんは惚れた女性に殺されたい願望があったとは驚きだけどね」

 

「一生、あいつの心に残れるなら死んでも良いと思っているだけですよ」

 

「きちんと告白してあげれば少なくとも二人の女性は犯罪に手を染めることはなかったと思うよ」

 

「女のフリをして男を誘惑してみれば女心が分かると思ったんですけどね」

 

「彼女が罪を償うまで待つのかい?」

 

「えぇもちろんです。殺したいほど愛してくれる女性は彼女だけですから」

 

愛宕は肩を竦めて何も言い返さなかった。

 

 

※※※

 

 

「所長」

 

「なぁに?」

 

「分かっていたんですか?」

 

「うん。だって久井田は衛藤が倒れたときに何もしていないよ。一番遠い位置にいて何が起きたか知りたいはずなのに」

 

そうだった。

 

同じ対角線にいた鵜灘は焦って医者を呼ぶように求めていた。

 

自分が毒を盛ったから下手に近づいて怪しまれたくないという心理から一番不自然な行動になった。

 

そこを所長は見ていたのだろう。

 

「いやぁご飯おいしかったね」

 

「そうですね」

 

「えっと、事件が解決できなかったことにショックを受けてるとか?」

 

「いろいろと読み返すと犯人も他の人も嘘を言っていないのだなって思いまして。嘘なのは久井田の殺していません、というセリフだけです」

 

「それも死ぬとは思っていたけど、毒入りのグラスを入れ替えただけと言い張れば、その通りだしね」

 

犯人は三人いた。

 

それも二人は同じ人を殺したいと思い、一人は知らないうちに利用された。

 

「どうだった?」

 

「面白かったと思います。まさか登場人物の半分近くが犯人だとは思いませんでした」

 

「賛否両論ある作品だとは思うよ。犯人は一人でなければならないとかね」

 

「私は好きですよ」

 

騙されたという感じも好きだ。

 

結局、犯人が三人だという推理になった人は複数いてクジ引きで決めることになった。

 

こういうとき所長はクジ運がない。

 

「・・・当たったら今里ちゃんと行こうと思ってたのに」

 

「所長」

 

「うん?」

 

「今夜、飲みに行きたいので付き合ってください」

 

「よし!三軒くらいハシゴしよう」

 

所長のオススメの店はどれも品揃えがよくて楽しかった。

 

ただし、三軒目を自分の足で出た記憶がない。

 

気付くと朝になり、所長の腕枕で目が覚めた。

 

「おはよう、今里ちゃん」

 

「おはようございます」

 

「ここは朝粥がオススメのホテルなんだよ」


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