桃谷駅・外回り
推理小説風なものを入れています
犯人探しも一緒に楽しんで貰えたらと思います
所長から服装の指定があったから今日は白いブラウスに黒のロングスカートだ。
会場はホテルの中で行われていて参加者は女性は白いブラウスに黒のスカートが多い。
男性は黒のスーツもしくは燕尾服という恰好だ。
今回の話の流れとして必要な服装になるのだろうが、今回の話は専用に書かれたもののため何が起こるか事前にしることができない。
ディナーを食べながらということには変わりないが昼から集まっているというところに疑問が残る。
原作者は本格派ミステリー作家と新進気鋭のミステリー作家のコラボ作品だから何が起きるかも予想しにくい。
どちらの本も読んだことはあるけど、完全オリジナルということになるので今までのシリーズはあまりあてにならない。
「さぁ何が始まるかワクワクするね」
「そうですね」
あらかじめ配られた資料によると集まった私たちは、これから始まる船上パーティの執事とメイドということになる。
思い思いに船上を楽しむ客たちに給仕する役だ。
だがそこで事件に遭遇し犯人を見つけて見事、事件を解決するというものだ。
どこで何が起きるかは分からないが、舞台で物語が演じられる。
そこには常に執事とメイドが同席している。
つまりはその役が見ているものから推理するということだ。
ディナーというのは、このツアーの最後のもので舞台とは何も関係ないことらしい。
その代わりに昼は執事やメイドが食べているような賄い食を食べることになる。
「わたくしは執事長を務める者です。これから皆さんに仕事の説明をいたします。まずは男女一組になりクルーズを楽しまれるお客様のご要望を聞いてください」
時間スケジュールの表が配られて、これで舞台の話の流れが分かるようになっている。
基本的には役者たちの舞台を見て楽しむというものだ。
「わくわくするね、今里ちゃん」
「そうですね」
確かにわくわくしていた。
本当に自分が豪華客船のクルーになった気分だった。
「始まるみたいだよ」
幕が開くとそこは船の中で別世界があった。
※※※
「ようこそ、クルージングの旅へ、わたくし船長でございます」
「今日は、家内と一緒に楽しみにしていたんだよ」
「さようでございますか。お荷物はこちらでお預かりいたします。ラウンジにて簡単にお食事を用意してございます」
「うむ」
話のキーになる人は名前が付いているが、それ以外は役職で進む。
役職の人は犯人でも被害者でもない。
だから執事やメイドも犯人ではないし、被害者でもない。
「よし、これで最後だな。出航しよう」
「それが一度降りられた真久部様がお戻りではないようです」
「あの包帯で顔を隠されていた方か」
「近くを見て回ったのですが、いらっしゃらないようでした」
「しかし時間だからな。真久部様が戻られてもキャンセルとさせていただこう」
何か問題はあったようだけど、船は定刻通りに出た。
これで夜まで海の上になる。
場面は変わって、くつろいでいるラウンジになった。
「こちらにも飲み物を」
「かしこまりました」
「ワインは何が揃っているかな?」
「本日は赤と白をそれぞれイタリア産を用意してございます」
「なら赤もらおう」
「向こうにカジノがあるみたいね」
「あとで見に行こう」
「わたくし、サロンでマッサージを受けようと思うわ」
「部屋で休みますわ」
多くの乗客が思い思いに談笑しているシーンだけが続いた。
ここに重要な手がかりがあるとは思えないけど、所長は真剣に見ていた。
※※※
幕が下ろされて執事長がやってきた。
「お客様がお部屋へとお戻りになられました。今の間に昼食を済ませるように」
トレーに出てきたのは、スープとパンと肉と魚の切れ端で作られたメイン。
そんな説明を受けたけど十分な料理だ。
パンフレットに目を通すと、昼食はホテルでスタッフが食べている賄いと似たものらしい。
「今里ちゃん、今里ちゃん」
「どうしました?所長」
「このご飯、美味しいね」
「そうですね。これならいくらでも食べられそうですね」
正直なところで言えば、私にとっても所長にとっても昼食の量は足りない。
ディナーがあるし、少ないのは大目に見よう。
「さて、どんな事件が起きるのかな?」
「そうですね。包帯をした真久部様も気になりますね」
「そう?あれは如何にも怪しんでくださいっていうミスリードだと思うけどなぁ」
確かに、小説でも怪しい人がもっとも怪しくなくて、人畜無害な人が犯人だという話も多い。
私としては探偵役の人が急ごしらえでコンビを組んだ相手が犯人だったという展開も好きだ。
ただし探偵役が解決直前で死んで、ワトソン役が最後に語って終わるというのは好きではない。
「次くらいで誰か死ぬかな?」
「そうですね。部屋の中で死んでいたりしますか?」
「いや、大勢の人の目がある中で殺すと思うよ」
探偵が大々的に謎解きをする場合は、誰が殺したか?よりどうやって殺したか?が重要になる。
ほとんどの人が食べ終わったのだろう。
トレーが片付けられていく。
このあたりは参加者という扱いだ。
「さぁ次が始まるよ」
※※※
ディナーショーまで時間があるのだろう。
乗客はカジノでポーカーを楽しんでいる五人の客とその周りにいるお付の方たちだ。
事前に配られたプロフィールによると、
「それでは私が親ですな」
大企業の会社役員で毎年の常連である愛宕。
「よいカードを配ってくださいよ」
店のオーナーで三店舗経営している渭浜。
「あらいやだわ。ネイルが欠けてしまったわ」
かつてモデルで今はネイルサロンを運営している鵜灘。
「勝利の女神がついている僕が負けることはありませんよ」
雑誌でグランプリを取ったこともある芸能人の衛藤。
「勝利の女神は気まぐれよ」
オネエキャラで占い師で冠番組を持っている小名木。
ポーカーを始める。
わずかながらも金銭を賭けて楽しんでいた。
全員に同じだけの情報を渡すということになるのだろう。
ここから先のセリフは誰が何を話しているか資料として配られている。
小名木「今年も五人で会えて良かったわ」
鵜灘「わたしは違う方でもよかったわ」
愛宕「すみませんねぇ年寄りで」
鵜灘「そんなつもりではなくてよ、愛宕さん」
小名木「ならどういうつもりだったのかしら?」
渭浜「お二人とも喧嘩はよしましょう」
衛藤「美人が台無しですよ」
鵜灘「美人だなんて、お上手ですわね。そうそう皆さまに今年はグラスをお持ちしたのですよ。久井田さん」
久井田「はい、鵜灘さま。こちらでございます」
アタッシュケースを秘書の久井田から受け取る。
中には木箱が五個用意されていた。
鵜灘「これが愛宕さん」
愛宕「ありがとう」
鵜灘「これが渭浜さん」
渭浜「ありがとうございます」
鵜灘「これが衛藤さん」
衛藤「メルシー」
鵜灘「小名木さんにもお渡しするわ」
小名木「不本意ならお渡しにならなくてもいいのよ」
愛宕「おいおい」
全員に箱が行き渡った。
中にはガラスに彫り物がされているワイングラスがあった。
渭浜「これは珍しいですね」
鵜灘「五人でお揃いというのも粋かと思って特注したのよ」
小名木「さぞ高かったでしょうね」
鵜灘「それほどでもないわ」
渭浜「わたしは地酒になり申し訳ないのですが、スパークリング日本酒を持ってきましたよ。今夜にでもどうでしょうか?」
青いボトルで清涼感のある日本酒だった。
衛藤「いや、こんな美しいグラスを前にして使わないというのは失礼だよ。ちょうどスパークリングというのならワイングラスで日本酒というのも乙というもじゃないかな?」
鵜灘「皆さまがよろしければ、わたしは構いませんわ」
小名木「ワインは揃っているけれど日本酒はディナーのときだけと少しつまらなかったのよ」
愛宕「食前酒によさそうだな」
風間「愛宕さま、今夜は商談が」
愛宕「固いことを言うな。一杯だけだ」
秘書である風間が窘めるが聞く耳を持たない。
渭浜「それでは皆さんグラスを・・・愛宕さん挨拶をお願いできますか?」
愛宕「また元気に会えたことと美しいグラスと美味しい日本酒に乾杯」
他四人「乾杯」
渭浜「美味しいですね、店にも置こうかな」
鵜灘「とても美味ですわ」
小名木「そうね」
衛藤「うっ、ぐっ、ぐぅ」
小名木「きゃぁ」
衛藤が胸を押さえて倒れる。
グラスが床に落ちて割れる。
愛宕「衛藤さん!衛藤さん!」
渭浜「そんなっ!うわっ」
テーブルにぶつかり日本酒の瓶が落ちて割れて中身が零れる。
鵜灘「おっお医者さまを呼んで!このままだと死んでしまうわ」
※※※
「ここまでが事件編です。これより先は容疑者たちへの聞き込みにより犯人が誰かを当ててください。ただし聞き込みができるのは三名までです」
参加者が好きに質問できるのではない。
私たち役の執事とメイドとの会話を元に推理するのだ。
ここから先の会話は自分でメモを取る必要があるから聞き漏らすと大変なことになる。
そういえば、所長は犯人を何も推理せずに直感で当てる人だった。
ここで言われてしまえば楽しみが半減する。
ぜひとも黙っていてもらわなくてはならない。
「今里ちゃん、犯人は」
「所長、黙っていてください。ここで犯人は誰それだとか言ったら引っ叩きますよ」
「はい、言いません」
言うつもりだったのか。
「どの三人にしようか」
「そうですね。グラスを持ってきた鵜灘さんと日本酒を持ってきた渭浜さんと隣だった小名木さんですね」
「それだと真実に半分しか辿り着けないと思うよ」
「はい?」
「あっ警察の発表があるみたいだよ」
所長には話の流れが見えているのだろう。
私にはまだ見えてこない。
※※※
「警部補と巡査部長です。まずは衛藤さんは亡くなりました」
小名木「あっあぁぁぁぁぁ」
愛宕「死因は?」
警部補「まだはっきりとしてことは分かりませんが毒物を飲んだことによる中毒死になります」
渭浜「ぼ、ぼくはやっていない!ぼくではない」
警部補「落ち着いてください。その点も含めてお話を伺いたいと思います」
鵜灘「渭浜さん、落ち着いてくださいな。警部補さんは渭浜さんを犯人だと言っているのではないのですから」
警部補「まずは皆さんの関係を教えてください」
愛宕「私から話そう。十年前にこのクルージングでたまたま同じ席になったことがきっかけで毎年会おうと約束をしたんだ」
警部補「十年前からとなると皆さん若いころから羽振りが良かったんですね」
愛宕「いやいや二泊三日くらいなら近くの海外に行くのと変わらないさ」
警部補の嫌味が通じなかった。
それもそうだ。
一番若い渭浜でも三十後半で海外旅行代くらいは出せる。
鵜灘「そうですわね。それが初日に問題が起きてしまうなんて」
小名木「まるで他人事ね。貴方が衛藤さんを殺したのではないの?」
鵜灘「何ですって!わたしは衛藤さんを殺す理由など持っていないわ」
小名木「どうかしら?後ろにいらっしゃる秘書の久井田さんに手紙を渡させて断られてたじゃない。たしかあれは昨年だったかしら?」
鵜灘「見間違いでなくて?わたしはそんなまどろっころしいことしていないわ」
小名木「そうかしら?若い男が欲しかったのではなくて?」
鵜灘「だとしても貴方は難しかったでしょうね」
小名木「何ですって!」
いつもこの調子で言い争いをしているらしく気の済むまで止めないことが多い。
それでこの五人で毎年集まって食事をしたりプレゼントも用意しているから本質的には仲は良いのかもしれない。
警部補「そう言ったことも個別にお聞きしますよ」
渭浜「衛藤さんは殺されたんですか?」
警部補「そのことも現在調査中です。自殺なのか他殺なのか。では愛宕さんからお話をお聞かせ願いますか?」
愛宕「その場合は秘書を同席させても構いませんかな?」
警部補「それは申し訳ありませんが許可いたしかねます。秘書の方にも個別にお話を聞かせてもらうことになりますからな」
鵜灘「それならばわたしは女性警官でお願いしますわ。恋人でもない男性と同じ部屋にいたくありませんの」
警部補「すみませんが我慢していただくことになります。男性警官しか臨場していませんのでな」
鵜灘「第三者の女性を同席させてくださいまし。それでなければ事情聴取を受けたくありませんわ」
警部補「困りましたな」
※※※
「ここで警部補の機転であなた方が同席者に選ばれました。ではここからは三人の証言を選んでください」
ここまでが共通の情報になる。
あとは選ぶだけになるが、所長にはわかっているのだろう。
「ちゃんと見ていたら違和感があるよ」
「違和感?」
「ヒントはすべて同じ箱なのに印も付いていないプレゼント」
「全員同じものだからでは?」
「それなら配られたセリフ資料をもう一度読んでみると良いよ」
あのとき、グラスをプレゼントした鵜灘は一人一人手渡しした。
アタッシュケースから取り出していたのは秘書の久井田で迷うことなく取り出していた。
すべて同じならわざわざ“これは”なんて言わなくていい。
少しずつ何かが違っていた?
それなら箱ではなくグラスの模様が同じようで違っていた。
その可能性はあるけど、グラスの一つは割れてしまった。
一体、誰の証言を聞けばいいのか。
「今里ちゃん、そろそろ一人目を決める必要があるみたいだよ。僕は任せるよ」
「それではグラスを持ってきた鵜灘の証言を聞きにいきましょう」
※※※
この先は第三者である執事とメイドがすべての証言者のところに同席している。
鵜灘が許可されたことに他の容疑者たちからも申し出があったためだ。
警部補「それではお話を聞かせていただきますよ」
鵜灘「何でも聞いていただいてかまいませんわ」
警部補「ではさっそくですが、衛藤さんのことをどう思われていましたか?」
鵜灘「とても恰好いい方ですわ。話していても面白いので楽しくしておりました。それがあんなことになってとても残念です」
警部補「それは思いを寄せていたということですか?」
鵜灘「小名木さんの虚言を鵜呑みになさるの?わたしは手紙を久井田に渡すように頼んだことなどありませんわ」
警部補「すべてのことを確認する必要がありますのでご容赦を」
鵜灘「男女のお付き合いもしたことございません。一年に一度顔を合わせるだけのお友達ですわ」
警部補「それでは他の方とはどうでしょうか」
鵜灘「愛宕さんとも渭浜さんとも小名木さんとも一年に一度だけですわ。それでもパーティなどで顔を合わせることはございましたけど普段は親しくしておりませんわ」
警部補「それはまたなぜです?」
鵜灘「他の方が同じ考えかどうかは分かりかねますけど、わたしは何も知らない方とひとときの喧騒を忘れておしゃべりをしたいのですわ」
警部補「はぁそういうものですか」
鵜灘「そういうものですわ」
警部補「鵜灘さんと衛藤さんが恋人関係でもなかったことは分かりました」
鵜灘「分かっていただけて良かったですわ」
警部補「そのことを踏まえたうえでお聞きします。衛藤さんとの間にもめ事などはありましたか」
鵜灘「もめ事というほどではありませんわ。三年前に男性向けのネイルサロンを開くから出資しないか、と持ちかけて断られたくらいです」
警部補「断られた?それはまたどうしてですか?普段から親しくしていない方にお金の話などしないでしょう」
鵜灘「親しくはしていませんけど衛藤さんは芸能人でテレビで拝見しておりましたし、わたしのことも雑誌を見れば分かることです。経営に困っていたわけではなく、衛藤さんのルックスとネームバリューをお借りしたかったというだけですわ」
警部補「それを断られたということですね」
鵜灘「断られたというのも事務所の方が特定の業種へのイメージが付くのを嫌がったということです。個人的な恨みはありませんわ」
警部補「CM広告のようにすれば受け入れてもらえたのではないですか」
鵜灘「それは受け入れてもらえたでしょう。でもわたしはお金を出してでも興味があるということを示したかったのですよ」
警部補「商売というのは大変ですなぁ」
鵜灘「おかげさまでメンズサロンとしてはまずまずの売り上げを出しておりますので経営には困っておりませんの」
警部補「衛藤さんとはあくまでもビジネス上のすれ違いということですな。では小名木さんとはどうでしょうか」
鵜灘「彼女、いえ彼と言った方が良いのかしら?とにかく自分は女よりも女らしいということを事あるごとに表に出されるのが癪に触りますの」
警部補「それは男の体に女の心というのがですか」
鵜灘「誤解しないでいただきたいのだけど小名木さんのような方を否定しているわけではないのよ」
警部補「と、言いますと?」
鵜灘「顔を合わせるといつも化粧品の話や洋服の話をしてくるのだけど、そういった裏方の話は男性のいる前でして欲しくないの。警部補さんだってお化粧の仕方を聞いても楽しくありませんでしょ」
警部補「まぁ興味はあまりないですな」
鵜灘「そうでしょう?わたしと二人のときでしたらいくらでもお聞きしますけどね。そういう気配りができていないのに男性に対して媚びている姿が嫌なのです」
警部補「それを直接言ったことは?」
鵜灘「もちろんありますわ。あまり聞く耳を持ってはくださらなかったですわね」
警部補「言い争いになったことは?」
鵜灘「ございますわ。でもどこかで男性の心もお持ちでしたようで殴られそうになりましたわ。拳でね。女性ならば平手のことが多いですもの」
警部補「そこまで怒りを買うようなことを言った内容を教えてください」
鵜灘「小名木さんは黙って見ていれば綺麗な女性ですわ。ですから船で見かけた格好いい男性に声をかけるのです。楽しくお酒を飲むのなら良いのですけど恋人同士で来ている方ばかり狙うのです」
警部補「それはまたなぜ?」
鵜灘「存じ上げませんわ。あまり褒められたことではありませんので窘めると大きな声で殴りかかってきたというだけですの」
警部補「それだけというには疑問が残りますな」
鵜灘「わたしが嘘を申し上げているとおっしゃるの?人として間違っていると言っただけで殴りかかるような野蛮な方を信じるとおっしゃるのね」
警部補「いやいや嘘を言っているとは思っておりませんよ。ただ人が人を殴るにはかなり強い動機が必要になります。その動機としては弱いと感じたまでで」
鵜灘「それは警部補さんの主観でございましょう。世の中には人を殴ることに躊躇いを覚えない方もいるのですから小名木さんがそうであってもおかしくはありませんわ」
警部補「質問を変えます」
鵜灘「そうしてくださる」
警部補「他の方とのもめ事はありましたか?」
鵜灘「ございませんわ。愛宕さんは穏やかで誰かと言い争うということはありませんわ。もちろん私とも」
警部補「渭浜さんとはどうですか?」
鵜灘「特段親しくはしておりませんわ。あの中で一番お話しをしたことがない方ですわね」
警部補「秘書の風間さんとはどうですか?」
鵜灘「愛宕さんの秘書の方でしたわよね。愛宕さんに直接声をかけることができるのに秘書を通してなどいたしませんわ。お名前だけですわね。でも愛宕さんのスケジュール変更で忙しくして休む間もないのは見受けられましたけど」
警部補「ではご自身の秘書の久井田さんとはどうですか?」
鵜灘「同じ男性を好きになって取り合ったということはございませんわ。仕事だけの関係と割り切っておりましたのでプライベートまでは知りませんの」
警部補「無理を言ったことは?」
鵜灘「ありますわ。今もそう。このクルージングの間のネイルケアを任せておりますから。右手の薬指のネイルが欠けたままになっていますの。早く直したいわ」
警部補「最後にグラスのことですが全員で同じものを用意されたのですか?」
鵜灘「同じモチーフをもとにそれぞれの方に似合うようにデザインいたしましたわ」
警部補「では残ったグラスが四つあります。誰が誰のグラスか教えてください」
鵜灘「・・・よろしいですわ」
警部補「ここに写真があります」
鵜灘「これは愛宕さんのグラス」
警部補「・・・・・・」
鵜灘「こちらは渭浜さん」
警部補「・・・・・・」
鵜灘「これが私のグラスですわ」
警部補「・・・・・・」
鵜灘「これが、・・・・・・小名木さんので合っていると思います」
警部補「合っていると思います?」
鵜灘「えぇ」
警部補「グラスを作った工房を教えていただけますか」
鵜灘「秘書の久井田に聞いてください。私はデザインを用意しただけですので」
警部補「そうですか。ではありがとうございました」
※※※
「最後の反応、なんかヘンでしたね」
「うん、そうだね」
「自分でデザインしたのならグラスの柄くらいすごく分かりそうなのに」
「今里ちゃん、いいところに目をつけたね」
ここが重要なのだろう。
それは分かるけど、どうやって毒を飲ませたか。
グラスに毒を塗っておく方法は可能だ。
特注したグラスでそれぞれのためのものであるから特定の人にだけのグラスに毒を塗っておけばアリバイを作りながら殺せる。
でも毒は日本酒にも入っている可能性がある。
あのとき日本酒を注いだ順番は愛宕を基準に時計回りで最後が衛藤だった。
注ぎ終わるといつも布で口を拭いていたから最後に毒を入れておけば自分たちは安全だ。
「毒はグラスにすでに仕込まれていた可能性が考えられます」
「そうだね。でも日本酒も考えられるよ」
「それも考えました。でも全員が同じものを飲んでいます」
全員が飲んでいるから衛藤さんのグラスだけに毒があれば怪しまれるのは両隣の愛宕と小名木だ。
グラスをそれぞれに配った鵜灘も容疑者だ。
でも演技の中で愛宕と小名木は衛藤のグラスに触れることもしなかった。
何かを取り出したり入れるそぶりはなかった。
衛藤のグラスに触れることができたのは本人とお酒を入れた渭浜の二人になる。
そうなると入れた方法は分からなくても全員に可能性があった。
「グラスに毒を塗っておくことができたとして鵜灘は最有力の容疑者だと思います」
「一番簡単にできるね」
「次は渭浜の証言を聞こうと思います」
「真実に迫っている感じがするねぇ」
今までに手に入れた情報で分かっていることは少ない。
まだ容疑者の一人の話を聞いただけだ。
だけど、もし鵜灘が犯人なら衛藤への殺意というものは強くないように思った。
たしかに出資を持ち掛けて断られているけど、経営自体は問題がないということだから恨みからの殺しではないだろう。
告白をしていて断られて恨みに思っているという可能性もあるけど調べれば分かってしまうから手紙は本人の言うように渡していないのだろう。
全部が憶測でしかない。
「今里ちゃん、そろそろ行こうか」
※※※
警部補「まずお持ちになった日本酒のことを聞かせてください」
渭浜「はぃ」
警部補「衛藤さんに毒を盛ったのは貴方ですね?」
渭浜「はい」
警部補「なぜ、そのようなことを?」
渭浜「許せなかったんです。だってそうでしょう。俺が好きな人をあいつは奪って行くんですよ」
警部補「それだけで?」
渭浜「それだけって!俺にとっては大切なことです。何度も何度も話してようやくデートにこぎ着けたのに後から来て簡単に浚っていく」
警部補「だからといって殺していい理由にはなりませんよ。それに二種類の毒を盛るなんて用意が過ぎる」
渭浜「二種類?俺は一つだけですよ。最後にあいつのグラスに注ぐ直前にボトルに毒を入れた。信じてください。俺は一種類だけです」
警部補「たしかにグラスのそばで割れた日本酒の瓶からも拭いていた布からも一種類だけしか検出されていません」
渭浜「そうでしょう。俺は一種類だけです。死ぬと分かっているのに追加で用意するなんて大変なことしませんよ」
警部補「だが実際にグラスからは二種類の毒が検出された。ボトルとグラスにそれぞれ入れて犯人は二人いると思わせたんじゃないのか」
渭浜「違います!俺は一種類しか入れていない。グラスに何か入れたとすれば他の人が気づく。俺はボトルに分からないように入れた」
警部補「ならもう一人の犯人は誰だ?」
渭浜「知りませんよ。だいたい毒がもう一つあったというのも初めて聞いた。俺以外にあいつを恨んでいるのがいたってだけでしょう」
警部補「それは誰だ?」
渭浜「・・・知りません」
警部補「黙ってると犯人隠避の罪になるぞ」
渭浜「久井田さんです」
警部補「鵜灘さんの秘書のか?」
渭浜「えぇそうですよ。衛藤さんが前に酔っ払って話してくれました」
警部補「詳しくお聞かせください」
渭浜「何でも手紙を渡されて付き合って欲しいと言われたけど、未練も残さないように振ってやったって自慢してました。これで次の恋に行けるようにしてやった俺は紳士だとも」
警部補「それが小名木さんが見た手紙ですね?」
渭浜「おそらくは・・・小名木さんは鵜灘さんが渡したと思っているし、鵜灘さんはうすうす気づいていると思います」
警部補「昨年と何か違うことはありますか?」
渭浜「特には思いつきません。久井田さんも落ち着いた感じでしたし、鵜灘さんと小名木さんの言い争いはいつものことでしたし」
警部補「分かりました。渭浜さん、貴方を殺人罪で逮捕します」
渭浜「すみませんでした」
※※※
「・・・所長、気づいていたんですか?」
「うん?うん」
「どこで気づいたんですか?」
「分かりやすく演技してたじゃない。最後に日本酒の瓶を倒して床に落としたときに」
「はい?」
おかしいところは何もなかったはずだ。
思わず驚いて駆け寄ろうとしてテーブルに当たり瓶が倒れて床に落ちて割れた。
落ちた先に衛藤のグラスがあったから混ざってしまったというだけのことだ。
何も不思議なことはない。
「今里ちゃん、テーブルの上のまだ中身が残っている瓶が倒れて床に落ちるくらいの衝撃なのに、割れやすいグラスは残っていたのかな?」
「あっ!」
鵜灘の事情聴取のときには写真が用意されていた。
それも割れていないグラスの写真が。
「それに彼はちゃんと演技していたよ。他の人が全員被害者を見ている中、渭浜は瓶に視線を向けて態と落ちるように倒していた」
「そんなところまで再現されているんですね」
「まぁ彼が殺したというのは警察が調べればすぐに分かる。日本酒の瓶と彼しか使っていない布から毒が検出された。さらには取り調べで罪を認めている」
「それなら事件解決ですよね?」
「甘い、甘いよ。毒は二種類検出された。渭浜は一種類だけだと言っている。この証言が真実だとしたら犯人はまだいるよ」
最後に謎解きがあるのだから渭浜だけが犯人なのか、渭浜以外にも犯人がいるのか、これを推理によって導き出さないといけない。
証言を聞けるのはあと一人。
最初は衛藤の隣にいた小名木に聞こうと思った。
なぜなら隣に座っていれば細工をしやすいからだ。
「今里ちゃん、次は誰にするの?」
「迷っています」
「おっ!どうして?」
「隣にいた小名木が怪しいと思っていました」
「うんうん」
「でも隣なら愛宕も同じです。さらに全員が右利きのように思えましたので、何か細かい作業をするのなら利き腕であることが好ましいです」
なのに最初から愛宕を犯人ではないと思い込んでいた。
それはなぜか。
愛宕の右側には常に秘書が付き従っていた。
背後にいるから愛宕が何かをすれば気づくことになる。
共犯で愛宕が何かをする手助けをすることかと思うがそれでもない。
もし愛宕が殺す予定で秘書の風間が黙認していたとすれば仕事の予定を入れたりするだろうか。
これが日常の中でのことなら次に予定があるのに殺したりしない。
必ず警察に事情聴取を受けることになるのだから。
その点、休暇のクルージングのときなら仕事を極力排除しても誰も不審に思わない。
わざわざ容疑外しのために仕事を入れる必要がない。
「でも今回のことで渭浜が犯人であると警察の捜査で判明しています」
「そうだね」
「そして渭浜は久井田が怪しいと言っています」
「うんうん」
「女性を手酷く振ったということを自慢気に言っていたということが真実ならば久井田は衛藤を恨んでいてもおかしくありません」
だけど、どうやって毒を飲ませたか。
衛藤を殺したいけど自分でしないで渭浜を唆した。
でもそれなら渭浜は絶対に久井田の名前を出さない。
それなのに普通に犯人の可能性として名前を挙げた。
なら渭浜と久井田は共犯ではない。
「あと、気になるのは鵜灘の第一場面での最後のセリフです」
「セリフ?」
「この部分です。確かに苦しんでいる渭浜を見て驚いていますが、どうして“死んでしまう”と断定できたのでしょうか」
「いいところに目をつけたね」
この科白からは驚いていたし、演技でも驚いていた。
でも死んでしまうことを恐れていたのも事実だとしたら鵜灘が殺したい相手は違っていたということになる。
殺す方法はグラスに毒を塗っていた。
それは確定してもいいと思う。
あとは誰を殺したかったのかということが分かれば構図が見えてくるはずだと思う。
「次に聞く必要があるのは久井田ではないでしょうか」
「ほほぅ。その根拠は?」
「犯人の一人である渭浜が怪しいと言ったので」
「それがミスリードだったらどうするんだよ」
「時間がありません。所長行きますよ」
「はいはい」