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寺田町駅・内回り

お風呂に入る順番で揉めた。


結果、私が最初で、一度お湯を入れ替えるということで落ち着いた。


いったい何に揉めていたのやら。


「さぁ枕投げだよ」


「しねぇよ」


「えぇ楽しみにしていたのに」


ちょっと楽しみにしていたのは内緒だ。


真面目そうという理由で誘ってもらえなかったこともある。


脱走した名前も知らない男の子の居場所を知っていると思われて先生に起こされたこともある。


理不尽にどうして知らないのか、と怒られたこともある。


クラスも違う男子のことまで知っているはずないし、よくよく聞いたらその先生の早とちりで私だけに確認していた。


まずはクラスとか同室者だろうが。


だからと言って誉志さんに恨みはないが枕投げを私もしたい。


「もう寝ろ!いいから寝ろ!ぶっ」


「ナイス、今里ちゃん」


「俺は一日車を運転して飯作って疲れたんだ!寝させろ」


「それを言ったら私はペット探しをしました」


「あれはペット探しじゃねぇ。道端にいたやつを回収しただけだろうが」


それでも見落とさないように神経を使う。


間違って連れて行かないように写真としっかり見比べる。


それがどれだけ大変なことなのか分かっていない。


まるで人が仕事していないように言われるのは我慢ならない。


やっぱり恨みをぶつけることにした。


「覚悟ぉ」


「だぁ、このじゃじゃ馬娘が大人しくしろ」


枕を投げるのではなく、枕で叩いてきた。


それは枕投げにおいて絶対にしていけないタブーだ。


だからこちらも容赦しない。


旅館のシーツみたいにしわ一つない布団から蕎麦殻の枕を拝借する。


家主の梦さんの枕だ。


全力で投げる。


「いってぇぇ」


「枕投げにおいて枕で叩くのはご法度です」


「だからってこれ蕎麦殻枕だろうが」


「羽毛だけというルールはありませんから」


「今すぐ作れ!」


「い・や・です」


純粋に楽しかった。


思い切り投げて投げられて、本当に楽しかった。


今の年齢になったからこそ分かる楽しさかもしれない。


いつの間にかチームになっていて所長と私、誉志さんと梦さんで戦っていた。


一番の曲者は梦さんだと思う。


人が投げたあとの隙を見逃さずに当ててくる。


地味に痛かった。


「つ、疲れたー」


「はい」


「もう寝る」


「・・・」


体力の限界まで動いたのっていつぶりだろうと思う。


心の底から楽しんだのって記憶にないような気がする。


「お休み、今里ちゃん」


「おやすみなさい、所長」


夢を見ることもなく朝まで寝た。


そのお陰で魘されることはなかった。


きっと所長は気づいていたのだろう。


悪夢を見ていたことを。


「おはよう、今里ちゃん」


「・・・おはようございます、所長」


またやってしまった。


確かに所長の布団は隣だった。


隣だったけれども一緒の布団では寝ていなかった。


夢で何か暖かいものに包まれるものを見たけどきっとそのときだ。


「顔を洗ってくると良いよ」


「そうします」


まだ覚醒しない頭で洗面所に行くと冷水で顔を洗った。


寝起きにスッピンを見せるとかあり得ないけど一緒に雑魚寝した時点で諦めていないといけなかった。


「今里ちゃん、ご飯できてるよ」


「ありがとうございます」


「今里ちゃん、前髪濡れてるよ。拭かないと」


首にかけていたフェイスタオルで乱暴に所長に顔を拭かれる。


まだ覚醒していなかった。


「困ったね。今里ちゃん寝つきはいいけど寝起きが悪いんだよね」


「・・・所長、寝起きが悪いのではなく、頭が働かないだけです」


「それを寝起きが悪いって言うんだよ」


誉志さんが作った朝食はマフィンから手作りのエッグベネディクトだった。


絶品でこれをメインに店を開いても繁盛するのではないかと思う。


「半分寝ながらでも食べるんだな」


「・・・食べないと頭、働きませんから」


「そうだな」


今日はマンションの内覧がある。


お昼はゆっくりできないかも知れないからということで誉志さんがバスケットにサンドイッチを作ってくれた。


デザートには甘夏のシロップ漬けだ。


一緒に行かないのかなと思っているとオーブンがあるから日持ちするものを作りだめするそうだ。


餃子だけでは心もとない。


「さぁ、一軒目だ。セキュリティはオートロックで、宅配ボックス付き。眺望は何と十五階の最上階!お得よ?」


「最上階であることにこだわりはありませんよ」


「それは窓からの景色を見てから言ってちょうだい」


セールスポイントを畳みかける様は某テレビショッピングを思い出した。


停電したときは大変だなぁっとぼんやりと考えていた。


停電にであったこともほとんどないけど。


「さぁさぁこの眺望!向こうにはスカイビルに丸ビル、もう少しでグラフロかな」


「眺望は良いですけど、ビルを見ても楽しくないですよ」


「なんですとぉ。ビルとは建築の技術の結晶。効率よく高く高くと切磋琢磨した結果」


「私、建築に興味ないので」


普通はあまりないと思う。


ネオン街とかは綺麗だとか思うかも知れないけど高いビルを見ても癒されはしない。


「ちっくしょー」


「それに今里ちゃんにここはオススメじゃないよ」


「御堂、どういうことだ?」


「ん?嫌だなぁ梦は分かっててここを押したんだろ?」


「うっ」


もしここを気に入っていても所長はダメ出しをしていたようだ。


住むのは私なんだけどな。


「まぁここが十五階の最上階というところが問題なんだよ。悪いとは言わないけど説明してないとクレームになるよ」


「御堂、性格が悪いな」


「今里ちゃんが悪徳不動産に引っかからないようにするためだよ」


「俺は悪徳でも不動産でもない。それにここを進めたからと言って悪徳ではないからな」


「まぁそれはそうだね」


建築法から四十五メートルを超える建物は基準が厳しくなるらしい。


だから多くの部屋を取るために天井をやや低くするらしい。


それは法的には全く問題ない。


だけどそこに十五階分の部屋を入れると騒音問題があったりして大変なことがあるということもある。


違法建築ではないし、借りる本人が気にしなければ問題はない。


「それでも他の住人からクレームがきたことはないし、立地も良い。何よりもキッチンが広い!ここポイント」


「私、料理しないので」


「手ごわいな」


「梦、何も今里ちゃんのこと分かってないよ」


そういう所長は私のことを分かっているのだろうか。


でもこの部屋はないな。


「なら次だ」


「よろしくお願いします」


「聞いて驚け。この都会ど真ん中で庭付き戸建てのサンルーフ付きだ」


「サンルーフは車に付いているヤツだろ。それを言うならサンルームだ」


「ちょっと言い間違えただけだろ」


「ちょっとでかなり違うぞ」


サンルーフが付いた車を用意されても免許がないから必要ない。


くれるって言うなら貰って速攻で売る。


サンルームは日焼けしそうだな」


「どうだ!白い大きな犬とパラソルを立てたくなるだろう」


「なりません」


「どうしてさ。犬だよ犬。でっかいワンコだよ」


「白い大きな犬となりますと日本の気候では難しい犬種が多いです。さらに責任を持って飼うことはできません」


犬は好きだが見て癒されたい。


世話とか現実に返りそうなことはしたくない。


「まぁ犬は飼わなくてもいいよ。オプションでも何でもないから」


「はい」


「この家はほとんど新築なんだけどね。家主がシンガポールに転勤になったから貸し出しされているんだ」


「家は住まないと痛むと言いますからね」


この広い家と庭を手入れし続けないといけない。


生活していく上で傷でも付けようものなら弁償させられそうな気がする。


仕事するならお手伝いさんを雇わないと絶対に無理だ。


そもそもそういう暮らしをするために作られた家だから仕方ないと言えば仕方ない。


「ここは中を見なくても住まないね」


「それを決めるのは今里ちゃんで御堂、お前じゃない」


「住みません」


「今里ちゃん、こだわりは無いって言ったじゃないか。任せるって言ったじゃないか」


こだわりはないとは言っていない。


ごくごく普通の一人暮らしの部屋なら何でも良い。


誰も雲の上の部屋に住みたいとかお手伝いさんを使う生活をしたいとか言っていない。


「俺が必死になって探した家なのに」


「梦、落ち込んでいる暇があったら次の家に案内しろ」


「鬼だな。だいたい住むのは今里ちゃんだろうが」


「そうだよ。でも僕は今里ちゃんの上司だよ」


上司が家探しに付き合うのは聞いたことがないが家賃や引っ越し代や家具代は所長が経費で落としてくれる。


正しいことだと思うが何か違うと思うのは間違っているだろうか。


「次は絶対にぎゃふんと言わせてみせるとっておきの物件だ」


「ぎゃふんと言ってどうするよ。それにとっておきなら最初に見せろよ」


「不動産は必ず三軒下見をするのが外れを引かない鉄則なんだ」


「へぇそうなんですね」


「今里ちゃん、騙されちゃダメだよ。三軒見たからと言って失敗しない保証はないからね」


所長はすっかり梦さんを悪徳不動産として見ている。


梦さんは騙してくるような人ではないと思う。


「御堂、何か言いたそうだな」


「あたりまえだ。今里ちゃんを鴨にしようとすれば僕は黙っていないぞ」


「なら反論してみろよ」


「不動産の内覧の三軒は落としの鉄則だろう」


「知っていたか」


内覧で、一軒目は家賃の割に古い家や利便性の悪い家などを見せる。


二軒目で予算の一・五倍から二倍の家を見せる。


手は出せないから文字通り夢を見せる。


そして、三軒目には予算と希望に合う家を見せる。


高層階なら夜景を見せて、他なら環境の静かさをアピールする。


人は選択肢のない状態から目の前のものが最良がどうかを判断できない。


もっと良いものがあとになって出てこないかどうか不安になる。


人間の心理を上手く利用している。


「だが甘いぞ、御堂。俺がその使い古した手を使うと思うか?まさかの四軒目を用意している」


「それなら四軒目に行けよ。落としどころはそれだろ?」


「ふふ、俺をそこらへんの不動産屋と同じにしてくれるなよ。さらにさらに今なら五軒目もある。どうだ?驚いただろう」


ますますテレビショッピングの今ならおまけがついてくるという手法を思い出さずにはいられなかった。


たたき売りのように家を売られても正直困る。


所長に至っては興味すら失って寝ている。


「今里ちゃん、俺の手腕どうよ」


「どう、と言われましても答えかねます。私は不動産屋の手口を知りませんのでどれほどすごいのか、もしくはすごくないのか判断できませんから」


「うんうん、そういう冷たいところが今里ちゃんだよね。うんうんそういうの好きだよ」


梦さんの趣味嗜好については何も見なかったことにしよう。


そういうのは、そういうのが好きな人にしてもらえば良い。


私は好きではない。


「て、御堂は寝てるのか?」


「はい」


「どこでもすぐに寝られる人はいいよなぁ」


寝つきは良い方だと思っていたが今の所長を見ると負けた気分になる。


何だが腹が立ったから所長の鼻を摘まんでおく。


「・・・・・・・くはっ、ぜぇぜぇ」


「・・・今里ちゃんって時々、大胆なことをするよね」


「そうでしょうか?普通のつもりなのですが」


「うん、普通の人は寝ている人の鼻を摘まんだりしないからね。死んじゃうからね」


「人はそう簡単に死んだりしませんよ」


よほど苦しかったのだろう。


息を整えるのに時間がかかっている。


「お、溺れる夢を見たよ。死ぬかと思ったよ」


「そうですか」


人は息ができないと夢に反映されるのだということが分かった。


「次の家の近くに公園があるからそこで昼にするか」


「ついでにコンビニでカフェオレでも買おうよ」


「ここらへんは駐車場ないんだよ」


「仕方ないな。諦めるよ」


たしかに飲み物を持ってくるのを忘れた。


小学生のころは遠足で水筒を持っていくけど大人になると簡単に買えてしまうから忘れてしまう。


「ふむふむ、桜の木があるんだね」


「お花見のときは人が多そうですね」


「マンションにも住人専用の公園があるよ」


「そこには桜はありますか?」


「桜はなかったと思うけど」


「ないんですか」


「そこ重要!?こだわりないって言ってたやん。任せるでって言うたやん」


桜はやっぱり日本人の魂だと思う。


ソメイヨシノでなくても良いと思うけど、やっぱり季節の花は重要だ。


「誉志は誉志で俺に冷たいし」


「どうしたんですか?」


「カラシが入ってんねん」


「カラシが駄目なんですか?」


「うん、ワサビも唐辛子もあかん。かろうじて山椒はいけるな」


香辛料がだめとなると食べるときに困るだろう。


アレルギー表示義務と違って香辛料の使用の有無など書いていることの方が珍しい。


「それなら仕方ないから僕が食べてあげよう」


「所長」


「えっ?」


「その代わりにフルーツサンドは梦さんに渡してくださいね」


「えっ!」


車を運転してくれているのは梦さんだし、探してくれたのも梦さんだ。


フルーツサンドがあるのも誉志さんの優しさだろう。


なぜならそのフルーツサンドはマンゴーだからだ。


私はマンゴーを食べると口の周りが痒くなる。


美味しいのに勿体無いと自分でも思う。


「今里ちゃんは梦の味方なのか!」


「このお昼ごはんは私と所長と環さんのためのお昼ご飯です」


しぶしぶ皿からサンドイッチを戻す所長は叱られた子どものようだ。


だいたいもう五個目になるのだから我慢しても良いと思う。


「今里ちゃんでどんな家に住みたいわけ?」


「特に強い希望はありません。一人暮らしをするのに十分な設備があれば文句は言いません」


「なら、リビングの広さは?」


「そこそこ」


「寝室は?」


「そこそこ」


「お風呂は?」


「そこそこ」


「廊下は?」


「そこそこ」


「収納は?」


「そこそこ」


「そんな抽象的だと困るよ。だってさ、リビングが十畳でも狭いという人も入れば広いという人もいる。もっと具体的な数字を出してよ」


それを言われても前に住んでいた部屋も家賃と実際に見て何となくで決めたから部屋のサイズを聞かれても分からない。


チラシで見たかもしれないが覚えていない。


「・・・掃除がしやすい家」


「・・・・・・・・・うん、何か分かった気がするよ」


「そうですか」


「それなら次の部屋とその次の部屋が候補になるよ」


一人暮らしには掃除は重要だ。


いかに早く簡単に全部出来るか。


「さぁ行こうか」


「待ってよ。甘夏のシロップ漬け食べてないよ」


「それは三時のおやつにしろ」


「そうだね。そうしよう」


歩いて行ける範囲だからそのまま周辺を見てから部屋に向かう。


外観も内装も至って普通の平凡でこれという特徴もないがモデルルームのように作られた感じもなく決め手に欠ける部屋だった。


「ここと言えば、ここですし」


「今里ちゃんの言いたいこと、僕はすごく分かるよ。ここじゃないと言えば、ここじゃない。良い意味で何も無いんだよね」


「美人は三日で飽きると言うだろうが」


「うん?今里ちゃんを見てても飽きないよ?」


「ものの例えだろうが。その言い方は今里ちゃんが美人じゃないように聞こえるから止めろ」


所長にはまったく他意はない。


だからもう腹も立たない。


「うん?でも近くに鳥の巣があるのかな?群れが」


「所長、ベランダにいるのはオウムで基本的に野生ではありません」


「ペット探しの鳥だったりして」


「一応、写真とプロフィールを持っていますけど」


近隣住民が飼っている可能性もあるが、探している種類がヨウムとモモイロインコで特徴にそっくりだ。


オウムは基本的に知能が高いから逃げるのも学習するだろう。


「フフフ、奥さん、逃げられまへんで」


「いや、いや、やめてー」


「まて」


「悪徳レンジャー参上」


「もう旦那には言われへんなぁ」


「必殺キーック」


「説明しよう」


「必殺キーックとは必ず敵を殺すことのできるヒーローにだけ許された技である」


「ぐはっ」


「ゴレンジャー、ありがとう」


「これでもう安心ですよ。奥さん」


ベランダで何を始めたのかと言えばオウムたちがそれぞれ覚えているセリフを言っただけだ。


それが昼ドラのようであり、戦隊モノのようであり、なぜか全て意味が通じてしまっているモノであり、なんとも言えないものに仕上がっていた。


悪役は悪役のような声で。


ヒーローはヒーローのような声で。


ヒロイン・・・奥さんは奥さんのような声で。


これが全部同じ飼い主から逃げたオウムだから同じものを見ているはずなのだけど。


「悪徳戦隊ゴレンジャーレッド、すべての女性は俺のと・り・こ」


「悪行戦隊ゴレンジャーイエロー、かわいい子は俺のもの」


「悪役戦隊ゴレンジャーブルー、冷たい心は俺が溶かす」


「悪質戦隊ゴレンジャーグリーン、心のオアシツを見つけようぜ」


「アクア戦隊ゴレンジャーピンク、あなた可愛いわね」


車に積んでいたカゴを急いで取りに行き、保護する。


ところどころ間違っているが飼い主が何を見ていたのかは何となく予想がついた。


でもどうしてこうなったのか不明だ。


頭はいいはずなのに、よりにもよってどうしてこの科白をチョイスした。


「今里ちゃんのマンションより先に鳥が見つかっちゃったね」


「嬉しいのかどうかが微妙なところですね」


「オウムしか家族がいないんだよ。一緒にテレビを見るくらいには」


「そうですね。一人寂しい独身男性の一人暮らしには動物が必要ですものね」


「何か棘があるような気がするのは気のせいか?」


「気のせいです」


まさかマンションで見つかるとは思っていなかったが、これで楽になった。


あとは犬だけになるが、九匹ともなると重労働だ。


誰かに拾われてくれないかなと思う。


「残り二軒を見て早く帰るよ」


「何かありましたか?」


「おやつだよ、おやつ。食べ損ねたおやつだよ」


そんなに食べたかったらしい。


私も食べたいのを我慢している。


一応、自分の家を探してもらった恩というのはある。


「残り二軒はこの隣のマンションだよ」


「そんなに近いの?」


「これ以上遠いと電車が不便になるだろう?」


車を持っていないからどうしても電車やバスになる。


駅が近いのは嬉しい。


「オススメは隠れ家的家だ」


「隠れ家的家?家が二つあるけど?」


「細かいことは気にするな」


案内されたのは表の玄関からホールを横切って奥の離れのような一室だった。


オートロックが二重になっていて同じマンションの住人でも先に入った方の人は絶対に奥には進めないようになっている。


家のレイアウトも隠れ家的だった。


住むための家じゃないからごめんだ。


見る分には楽しかった。


でも機能的じゃない。


「で、最後はこの最上階だ」


「最上階好きだな」


「最上階は人気だからな」


私の前のマンションはマンションという名のアパートに近い。


五階立てだからだ。


そして言っていないけれども私は高所恐怖症だから高層マンションは最初から選択肢にない。


「どうだ。ワンルームで広々として掃除がしやすい。何よりいろいろと動線が良い」


「ふーん、なかなか良いチョイスじゃないか」


「決めるのは御堂、お前じゃない。今里ちゃんだ」


「だが甘い!」


所長はもちろん知っている。


私が高所恐怖症なのを。


本当は探しているうちに言うつもりだったが所長に止められていた。


“今里ちゃんのことを本当に知っているか確認する良い機会だ”とかなんとか。


騙しているようで心苦しいが所長に言われたのなら従う。


「さぁここに住みたいだろ?」


「いいえ」


「なにぃ、じゃあどこが良いんだよ」


「どこと言われても困るんですが、ここでないことだけは確かです」


「何が不満だ!」


「高いんです」


「家賃は御堂持ちだろう!」


「家賃ではなく高さです」


今でも怖くて窓に近づけない。


オウムをかごに入れるのだって部屋の中で座って手すりより頭が上にならないように気を付けた。


「天井か?頭をぶつける心配がないだろう」


「そうではなくて、階数です」


「階数?はっ!もしや高所恐怖症だな!」


「はい」


「あぁ盲点だった。気づくべきだった。六甲山へドライブに行ったとき霧で見えないことに今里ちゃんは安堵していたようにも見えた。この環梦、一生の不覚」


「すみません」


苦労を全て水の泡にしてしまった。


梦さんが落ち込んでいるのを所長は喜んでいるから脛を蹴っておく。


「御堂、お前は知っていたのか?」


「もちろんじゃないか。僕を誰だと思っているのさ。探偵、谷町御堂だよ。今里ちゃんのことで知らないことはないよ」


「ぐっ、完敗だ。ぎゃふんと言ったのは俺だったか」


全て知っているというのもちょっと引く。


でもいろいろな家を見られたのは楽しかった。


「今里ちゃんの家は引き続き探すとして残りのワンコを探そうか」


「所長、おやつは良いのですか?」


「それは梦の目を欺くためのフェイクさ。家探しに興味がないと騒げば梦は今里ちゃんの高所恐怖症に気づかないだろうという作戦さ」


「所長、今日は何をしたかったのですか?」


「それはね、梦をぎゃふんと言わせることだよ。今里ちゃんにぎゃふんと言わせようとするなんて男の風上にも置けないからね」


つまりは怒っていたらしい。


単純な家探しならきっともっと簡単に見つかっていた。


だけど所長にとっては家よりも別のことが重要だった。


それは嬉しいのかどうか言葉にできない思いを残した。


床ではブツブツと言いながら落ち込んだままの梦さんがいる。


正直、そろそろうざくなってきた。


「はいはい、梦、行くよ」


「次は負けないからな」


「はいはい望むところだよ。まぁ僕の今里ちゃんが負けるとは思わないけどね」


戦うのは私なのか、そう思った。


梦さんに負ける気はしないけど疲れることにはなりそうだ。


「ドッグランに行ってみようよ」


「犬探しにか?」


「もしかしたらいるかもよ?」


結果から言えばいなかった。


ドッグランは飼い主と一緒にいるものだ。


単独でいたら目立つだろうな。


私もドッグランは考えたけど、冷静になればいない。


「所長、桃木所長からお電話です」


「うん?ありがとう」


<やぁやぁうるわしいお嬢さん。この桃木がお知らせに参りましたぞ>


「うるわしいお嬢さんじゃなくて悪かったな」


<やや、これはこれは谷町探偵事務所の谷町所長ではありませんか。谷町所長も十分にうるわしい。この桃木、男に生まれたことを後悔しております>


「勝手にしてろ」


所長と桃木所長は電話だけで昔、依頼人を取り合ったことがある間柄だ。


だからかなり砕けた話し方になる。


芝居がかった話し方をするが桃木所長も激情型で一度、事務所に殴り込みに来たことがある。


あとは所長の美貌に矛を収めて、軽口を叩く仲になった。


「用件は?」


<そこにはレディ今里もいらっしゃるのですかな?>


「いるよ。この携帯は今里ちゃんのなんだからいるに決まっているだろ」


<それにも一理ありますが、電話を受けるということに関してはロックがかかっていても第三者でも出ることが可能であって>


「御託はいい」


<短気な男は嫌われますぞ>


電話の向こうでは犬の鳴き声がかすかに聞こえる。


まだ飼い主が迎えにきていないのだろうか。


<依頼主に状況を確認しましたところ、まだ見ぬ九匹の可愛い可愛い犬たちですが、それぞれの散歩道で見つかったそうですよ>


「それなら良かった」


<良くありませんよ。探偵に依頼したのに結局は自分たちで見つけたのだから依頼料は払わないと言っているのですよ>


犬には帰巣本能というものが備わっている。


それが発揮されるかどうかは知らないが今回は発揮されたようだ。


「見つけてないのだから仕方ないだろう」


<仕方なくないですよ。しかも見つかった飼い主に連絡をすれば連れて来いと言われてしまうし>


そういう飼い主も多い。


逃げても仕方ないような飼育環境なのに、逃げた犬が悪いというような飼い主だ。


<うちの所員は暇ではないのですよ。みながみな、一生懸命に働いている>


「俺も働いている」


<御堂、貴方は美しい女性とただただ一緒にいるだけでしょう。何とも羨ましい>


「で、用件は?」


<そうそう、あとはオウムの飼い主からまだか?という催促がありましてね。これまたびっくりな人でしたよ。後ろで女性の声が聞こえるじゃありませんか。私は一人暮らしだと聞いていたので、本当にびっくりしましたよ>


一人暮らしでも女性と付き合っている人は大勢いる。


何も驚くことではない。


「それで?」


<女性の声はなんとも艶めかしいもので、昼間から聞くには何とも悩ましいものでした。こんな男がオウムを飼っているとは憤懣ものであります>


どんな人であっても世話をするのなら飼っても良いと思う。


まぁ表現に困る言葉ばかりを覚えてしまったオウムたちは何とも気の毒だが。


車の後ろでは火曜サスペンスが繰り広げられていた。


「はん人は、ぜったい現場に戻る」


「これが、これが見つかれば」


「証拠はねつ造してナンボだ」


「犯人はアナタですね、お嬢さん」


「わたし、わたし許せなかった」


オウムたちの連携には舌を巻くものがあった。


電話では未だに桃木さんがオウムの飼い主に対しての衝撃を話している。


しばらくはこんな調子だろう。


<今夜までにオウムが見つからなければ、探す探すと言って料金をせしめる悪徳探偵事務所だとして訴えると言い出して、ほとほと困ってしまいました。わが探偵事務所は誠実であることをモットーにしていたのに>


「料金をせしめるって、うちは成功補修制だぞ」


<へっ?>


ペット探しでは見つかって引き渡すときにお金をもらうことにしている。


家族同然のペットを探偵に依頼してまで探す人なのだから自分で探し尽したあとだから金銭的なところは軽くしたいという所長の方針だ。


「そのオウムなら見つかっているから連れていく」


<すぅばらしぃ。やはり持つべきものは優秀な探偵の友ということか>


「友じゃない」


<何を言う。昨日の敵は今日の友というではないですか。電話で長々と聞いたのが男の声というのがいささか残念ではありますが、オウムを見つけたことで帳消しにしておきましょう>


所長の眉間にしわが寄った。


図々しさというところか毒舌というところか、はたまたフレンドリーととるかは微妙なところだが、桃木という男は人の神経を逆撫ですることには長けている。


男性相手に限るが。


だから依頼人が男だと分かった瞬間に所員は桃木所長を部屋に監禁する。


部屋にうろつかれてせっかくの依頼をふいにしたくないからだ。


その連携はすごいというか所長を監禁できる所員がすごいと言うべきか。


やはり資本金の多い、大きな探偵事務所はすることが違う。


「依頼人に連絡しとけよ」


<御堂に命令される筋合いというものを生憎と持ち合わせていないのでね。謹んでお断りさせてもらうよ>


「桃木所長」


<マドモワゼル今里、この桃木に何か御用でしょうか?>


「依頼人のリストがあいにくと手元にありませんの。電話番号を教えていただけますか?」


<そのような手間をせずとも、この桃木めが依頼人へと連絡をさせていただきますとも。ファーストフラッシュのダージリンを用意してお待ちしておりますぞ>


声のトーンが変わったと合わせて言うことを百八十度変えて電話を切った桃木所長は本当に男女差別が激しい。


だけど今の時期はファーストフラッシュではなくセカンドフラッシュのような気がする。


「今里ちゃん、桃木の扱い方うまいね」


「分かりやすいので簡単ですよ」


困ったふりをすれば嘘だと分かっていても話を合わせてくれる。


最初は戸惑ったが慣れれば簡単だ。


「恐怖の饅頭~~~」


車の後ろでは怪談話か落語が始まっていた。


「あるところにいた子どもが聞いた」


「聞いた聞いた」


「お母さん、今日の晩御飯なぁに?」


「なになに」


「恐怖の味噌汁よぉ~~~」


「きゃぁぁぁぁぁ」


それを言うなら、今日、麩の味噌汁よ、だ。


タイトルからして違うし。


「味噌汁怖い」


オチが分かってしまった。


落語の定番、饅頭怖い、だ。


いったいいつ混ざったのか。


「はてなの茶碗」


「ひび割れしていない茶碗から水がポタリポタリ、はてな?」


タイトルだけ知っていたから続きが気になったがオウムたちは寝てしまった。


はてな、で終わられたこっちの身にもなってほしい。


「そうだ」


「所長?」


「チケットがあるんだ。舞台でも見に行かない?」


「良いですよ」


チケットに書かれていたのはディナーを食べながら事件の謎を解く参加型ミステリーだった。


人気なものになるとチケットもすぐになくなってしまう。


ペット探しも無事に終わったから休息にしてもいいだろう。


五話のオウムたちは飼い主のもとに無事に帰った。


彼らはまた何か新しいことを覚えるのだろう。



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