寺田町駅・外回り
「このワイン瓶は業者呼んだ方が良いよな」
「確かにな」
この現状を作り上げた張本人としては申し訳なくなる。
あればあるだけ飲める幸せは自分では無理だ。
「すみません」
「謝ることないよ。飲んで良いって言ったのは梦だよ」
「そういう問題ではありません」
見境なく飲んだ記憶はある。
空になった瓶を見たら嫌でも分かる。
「良いって良いって。誉志の知り合いに頼むからさ」
「明後日に引き取りに来るそうだ」
「それなら都合が良いな」
「決まったところで俺たちは仕事に行くよ」
忘れていたが今日はペット探しだ。
ついでに誉志さんが運転してくれるらしい。
「歩かなくて済むのは嬉しいね」
「いつも所長は歩いていませんよ」
「僕だって歩いてるよ。今里ちゃんが見つけたワンちゃんのリードを持って後ろからついて行っているよ」
リードを持てる数に限りがあるから所長に預けて片っ端から依頼人に渡す。
今日は車があるから楽かもしれない。
「迷子のペットは犬が十二匹で猫が十五匹」
「多いな」
「鳥が五匹でハムスターが八匹になるよ。今里ちゃんいける?」
「無理だろ」
「そうですね・・・あっ止めてください」
「へっ?」
「いました」
ハムスター八匹見つけた。
きっと親子だったのだろう。
「何で分かった?」
「何となくです」
ケージにハムスターを入れて車を走らせる。
歩くより移動が早いから今日で終わりそうだ。
「今里ちゃんのチカラを甘くみてもらっては困るよ」
「どうしてそこでお前が威張る!」
「僕は今里ちゃんの所長だよ」
「上司であっても威張るのは違うと思うぞ」
所長が部下の手柄を自分のものにするような人なら文句のひとつも言った。
でも純粋に自慢しているだけだから何も言えない。
そして自慢されて悪い気はしない。
「あっ、止めてください」
「またか!」
「所長!行きますよ」
「あいよ」
逃げた犬がいた。
それも超大型犬だ。
しかも珍しいオオカミ犬だ。
こんな大きな犬を都会で飼うなよ。
飼うなら逃げないようにしろよと心底思う。
「こんな大きな犬が街中を歩いていたら驚きだけではすみませんね」
「怖いよね」
「犬嫌いだと逃げますよね」
犬が好きでも大型犬は苦手という人は多い。
それに大型犬を飼うことは禁止という場合も多い。
「しかも名前がモロというのは飼い主がどんな犬が欲しかったか分かりますね」
「オオカミと間違われて殺されちゃうよ」
「脅かさないでください。すっかり怯えているじゃないですか」
暴れることなくリードを付けさせてくれる。
きちんと教えればきっと賢い犬なのに飼い主が適当に躾けるから脱走するのだ。
「すみません」
「分かれば良いんです」
「僕は何も言っていないよ」
「今、すみませんって」
後ろには警ら中の警察官が二人いた。
すみませんはsorryではなくExcuse meの方だった。
しかも警察官に喧嘩を売ってしまった。
「すみませんねぇ」
「いえ、何でしょうか」
「巡回中にリードなしで犬の散歩をされていたようでしたので声をかけさせていただきました」
「申し遅れました。わたくし谷町探偵事務所の四ツ橋と言います。こちらは所長の谷町です」
警察官に下手に隠し立てすると仕事がやりにくくなる。
後ろ暗いことがないなら身分を明かすというのが学んだことだ。
それにこの警察官は勘違いをしているから正しておかないともっと面倒なことになる。
「探偵事務所の方でしたか。それでは身分証を提示願います」
「今里ちゃん、どうしよう」
「どうしましたか?所長」
「僕、免許証不携帯だよ」
警察官の眉間がわずかに動いたのを見て溜め息を吐きたくなった。
運転免許証を一度も取得していない者が持っていないからと言って不携帯ではないし、運転していなければ不携帯でもない。
「所長、所長の場合は一度も取得していませんので不携帯ではありません。保険証で身分証代わりになります」
「そうなんだね。いつも免許証はって聞かれるから不携帯ですって答えたら車はって聞かれて持ってませんって答えて変な空気になっていたんだよ」
「所長、それは診察券です」
「診察券でも良いので確認させてもらえますか?」
所長のマイペースに痺れを切らしたのだろう。
それと警察官でもシェパードやドーベルマンより大きな犬は怖いらしい。
「谷町御堂さんと四ツ橋今里さんですね。それで犬を散歩させるときはリードを付けることが義務なのはご存知ですか?」
「そうなの?」
「所長は少し黙っていてください」
「はい」
「知っておりますが、この犬は私たちが飼っている犬ではありません。依頼主から逃げたペット探しで見つけた犬です」
「ペット探し?こんな大きな犬が逃げたというのですか?」
「それは飼い主に聞いてください」
柵をしていても二メートルくらいなら飛び越えてしまう仔もいるくらいだ。
普通の家の柵など障害にもならないだろう。
「それでは飼い主の名前を教えてください」
「守秘義務です」
「所長・・・黙っていてくださいと申し上げたはずです」
「一度言ってみたかったんだよね」
「言って満足しましたね。警察の方もお仕事をされているんです。邪魔をしてはいけません。モロが退屈しています。卮さんが車で待機しているので先に戻ってください」
モロは大人しく所長に連れられてくれた。
あとは所長が迷わずに車にたどり着くことを祈るだけだ。
「所長が大変失礼いたしました」
「いえいえ、大変ですね」
「そうでもありません」
「身元は確認ができましたので、お引き取りいただいてかまいません」
「お手数をおかけしました」
急いで所長を追いかける。
奇跡的に車にたどり着いていた。
「所長」
「今里ちゃん」
「お待たせしました」
「モロがね、ここまで連れてきてくれたんだよ」
奇跡じゃなかった。
足元ではモロが呆れている。
大きな体だから窮屈になるが車の荷台に乗ってもらう。
「でけぇ犬だな」
「オオカミ犬のモロです」
「一度、依頼主のところに行くか?」
「そうだね。その途中で他の仔も見つかるかもしれないし」
「それはないだろうよ」
誉志さんは甘くみている。
所長は嫌というほど見てきたし受け入れ方が柔軟だったから何もなかったけど歩いているだけで見つけるのが私だ。
だから道中に何度も車を止めて、犬が三匹、猫が五匹見つかった。
「俺が甘かった」
「分かれば良いんだよ」
「だからどうして御堂が威張る!」
「あの家です」
大きな家とは言えるがオオカミ犬を飼うには不向きだ。
景観を重視して柵が低すぎる。
しかも柵の下が子どもでも通り抜けることができるくらいの隙間がある。
「モロちゃん!勝手に外に出たらダメでしょ」
「お探しのペットでお間違いありませんか?」
「無いわ。友人からペット探し専門の探偵事務所があるって聞いて依頼して良かったわ」
ペット探し専門ではないし、犬専門の探偵になりたいわけじゃない。
依頼料はきちんと振り込んでくれそうだから何も言わないが。
「それではお困りのことがありましたら谷町探偵事務所へご相談ください」
「えぇ、もちろん。依頼料は振り込ませていただきますわ」
これで依頼完了となった。
あとは道中に見つけたペットを返すのだが、一軒ずつ回るのは大変だから飼い主から来てもらう。
半分くらいは他の探偵事務所からの依頼もあるから引き取ってもらう。
「誉志、驚探偵事務所って場所分かる?」
「ナビに入れるからちょっと待て」
機械音痴ではないけれども車を運転しないから私も所長も使えない。
よく簡単だと聞くけれど目的地がなかったらどうしたら良いのか分からない。
「おい、御堂」
「どうした?」
「もしかして最近出来た事務所か?」
「うん、去年だよ」
「・・・そうだな。使わない奴には分からないな」
「どうされたんですか?」
知らなかったがナビというのは一度読み込んだら新しい店が出来ても潰れても自動的に更新されないらしい。
スマホとかの地図ならリアルタイムなのに不便だ。
住所の番地も新しいところは代表地点になって周辺までしか案内してくれない。
目的地周辺です案内を終了しますとか無責任すぎる。
ナビなら最後まで責任もって案内をしてよ。
そんなんだから所長みたいな方向音痴が地図を持ってぐるぐると歩き回らないといけないんだ。
「住所分かるか?」
「待ってください」
「今里ちゃんは機械が使えて偉いな」
「僕も電話はかけられるようになったよ」
「えらいえらい」
「ここです」
自分が使えない機械をさらりと使っている姿はカッコいいと思う。
あとは梦さんの運転とバックするときもカッコよかった。
所長は・・・何かカッコいいところあっただろうか。
「・・・所長は得意なものってあるんですか?」
「急だね。得意なもの得意なもの。ピアノかな?」
「ピアノですか?」
「うん、最近は弾いてないけど小さいときから弾いているから得意かな?」
「ピアノが弾けるの。羨ましいです」
小さいころ少し習った事がある程度だ。
ピアノが弾ける娘にしたいという親の願いで習っていたから今では音符も読めない。
「そう?でも社会では何の役にも立たないよ。音楽家にでもならない限り」
「特別な感じがしませんか?」
「そういうもの?たまたま続けていただけだよ」
「続けるというだけで凄いです」
「そっか。今度、今里ちゃんに教えてあげるよ」
所長に教わる日が来るとは夢にも思っていなかった。
探偵事務所の運営も他の事務所の人や本を読んで学んだ。
自営業というのがここまで大変だとは思ってもみなかった。
「もうすぐ着くぞ」
「ついでに他の仔も預かってもらおうか。うちは事務所が改装中だし」
「そうですね。いつまでも車の中は可哀想ですものね」
「よし、今里ちゃん出番だよ」
人を何だと思っているのだろうか。
でも所長だけで対応となると相手が石化するから仕方ない。
それに所長には何も他意はないのが分かっている。
私が対応するとスムーズにことが運ぶなぁくらいにしか本当に思っていない。
「すみません。驚探偵事務所の所長にお会いしたいのですが」
「お約束はございますか?」
「ありません。四ツ橋が来たとお伝えいただければ分かると思います」
「少々お待ちください」
弱小事務所のうちとは違いビル全部が事務所で一階には受付嬢がいる。
去年できたばかりだというのに資本金の違いというのは嫌になってくる。
大きな探偵事務所だからと言って良いとは限らないが依頼の多さは信頼の証でもある。
「ペット探しなんて受けていられないくらい依頼が来るんでしょうね」
「今里ちゃん、心の声が漏れてるよ」
「・・・お待たせしました。五階応接室までお進みください」
エレベーターホールまでしっかりある。
廊下は絨毯で覆われて防音効果がばっちりだ。
「これはこれはようこそおいでくださいました」
「谷町探偵事務所の四ツ橋と所長の谷町です」
「驚探偵事務所の所長の桃木 山椒といいます。これは美しいお嬢さんだ」
「本日はお願いがあり参りました」
「お願いとは?女性の願いを無碍にする男は万死に値します。さぁこの桃木に何なりとお申し付けを」
このフェミニストかぶれが性に合わない。
でも願いを叶えてくれるというなら叶えてもらおう。
自分のところが依頼した探偵事務所の名前くらいは憶えていて欲しいものだ。
「桃木所長からご依頼をいただいたペット探しですけれども見つけたので連れて来たのです」
「何と!さぞや大変だったことでしょう」
「それでお願いというのは今、谷町探偵事務所が改修工事のために可愛いペットたちを預かれないということで一室、お借りできないかと思いましたの」
「そのようなことであれば一室と言わずワンフロアでもお貸ししますぞ」
「ありがとうございます。これで依頼された方に連絡ができます」
後ろで所長が引いているが気にしない。
手を握られているが気にしない。
これもすべて部屋を借りるため、もちろん無償で。
「家族同然のペットたちがいなくなり心細い思いをしている依頼主のために探して来ますわ」
「人手が足りないのならウチの所員をいくらでもお貸ししますぞ」
「お忙しい驚探偵事務所の方のお手を借りるなど恐れ多いですわ。きっと難しい案件を抱えていらっしゃるのでしょうし」
「確かに難しい案件はありますが女性の願いより優先すべきことはありませんよ」
いやいや依頼人の仕事を優先しようよ。
そのあたりを上手く利用している私が言うことでは絶対にないけれども。
後ろで所長が声を出さずに笑っている。
「桃木さんのお言葉に甘えてフロアをお借りしますわ。まだ桃木さんから依頼されているペットも残っていますし」
「可愛いペットたちはこの桃木が責任を持って依頼主へと引き渡しましょう」
「よろしくお願いします」
車の中で待機していた誉志さんに連絡をしてペットたちを下してもらう。
借りたフロアは二階だから階段でも良いがエレベーターをぜひという桃木さんの言葉に有り難く使わせてもらう。
所長と一緒に迎えに行って大きな会議室にペットたちを移動させた。
連絡は桃木さんが引き受けてくれるというからリストを渡しておいた。
タダで使えるなら使う。
「残りの仔たちを探しに行こうか」
「どこか当てでもあるのか?」
「無いよ」
今までも歩いていて見つけたのだから当てがあるわけない。
でも残りが犬九匹と猫十匹と鳥五羽というのは多い。
今日一日で探し出すのは難しい。
「所長」
「うん?」
「この近くに猫の水飲み場があるようです」
野生の猫がたまり場にしているところだ。
路地裏とかによくあったりする。
家猫でも水や餌は必要だし、面倒見のいい猫に出会えば案内されることもある。
「みんないてくれたら良いけどね」
「何匹かはいるのではないでしょうか?この近くに依頼人たちの家があるようですから」
車で入れないからゲージだけ持って奥に進む。
猫がいるというわりにはきれいな路地だった。
近所の人が掃除していたりするのだろうか。
「おお、猫ばっかり」
「写真の猫を探しましょう」
「見て、この仔だって、ならないの?」
「特徴的な仔ならなりますが、さすがにここまで似た模様が多いと無理です」
写真片手に餌を片手に見比べるがどれも同じに見える。
中には何が何でも探して欲しいという高額な依頼料を提示してきた人もいた。
ふつうの三毛猫だったけど。
家族同然ならいなくなったら悲しいから何となく分かる。
「へぶしゅ」
「所長、猫が驚くので我慢してください」
「わきゃっっぐしゅ」
「所長」
「分かってるけど、猫アレルギーなんだよ」
猫アレルギーって、そんな都合のいいアレルギーがあるのだろうか。
花粉症とかはよく聞くけど。
それにしてもしんどそうなのは分かるから路地から出てもらう。
今後は猫探しは受けない方が良いかもしれない。
「今里ちゃん、この仔は?」
「違います。眉間の柄がもっと濃い仔です」
誉志さんはアレルギーではないらしく、猫を次々と抱いて写真と合わせてくるけど、どの仔も違う。
本当に写真を見ているのだろうか。
ちゃんと見ていれば、すぐにわかるのに。
「もう、五匹見つかったの?」
「はい、所長が待っていますから急ぎますよ」
「はいはい」
本当に辛そうだったから心配で猫探しに集中できない。
すべての猫を見るのに一時間近くかかってしまった。
「これで最後だな」
「はい、猫十匹見つかりました」
このたまり場に全員が集まってくれていたのは行幸だった。
驚探偵事務所に引き取ってもらい、依頼人への連絡を任せる。
今度からペット探しの引き取り場所をここにしてもらおうかな。
所長に相談をしてみよう。
「所長、大丈夫ですか?」
「うん、アレルギーと言っても軽いからね。一匹とかならまだ大丈夫なんだけど、あの数になるとね。ちょっとダメだね」
「今度から猫探しは断ります」
「えっ?ダメだよ。事務所の重要な収入源だよ。猫のときは僕は離れて見るから大丈夫だよ。ありがとう」
「無理はしないでくださいね」
アレルギーというならば侮れない。
ちょっとしたことで命を落としかねない。
さっきタブレットで調べたら猫アレルギーというのは本当にあった。
疑ってしまって申し訳なかった。
「飯でも食いに行くか」
「もつ鍋にしよう」
所長オススメのもつ鍋のランチは絶品だった。
一人鍋だったけど、具を追加してシメの雑炊も美味しかった。
所長はいったい何時、ご飯を探しているのだろうか。
「あとは何を探したら良いんだっけ?」
「犬が九匹、鳥が五羽です」
「まるで百一匹わんちゃんだな」
「犬は九匹だよ、誉志」
「分かってるわ!例えだよ、例え」
「例えでも少ないよ」
冗談を冗談だと分かる日がくるのだろうか。
九匹の内訳は、ほとんどが小型犬だ。
室内で飼っているがたまにドッグランなどに急に外に連れ出して逃げてしまうことも多い。
この近くにはドッグランはないし、公園くらいだけど。
大阪市内で野犬というのもあまり見かねない気がする。
「近くの公園とか回って、いなかったら明日の今里ちゃんのマンション探しを兼ねて探そうか」
「そうだな」
「もしかしたら人の多いところにいるかもしれないし」
公園を回っても犬や鳥を見つけることはできなかった。
最初と違って車で走っていて見つけるということもない。
勘が鈍ったのだろうか。
あまりにも見つからないから電線に止まっている烏を見て、誉志さんがペットか?と聞いてくる始末だ。
とにかく保健所にも連絡はしているから該当する仔が見つかったら電話が入る。
「驚のところに行って明日も手伝ってもらえるようにお願いしようよ。今里ちゃんが」
「やっぱり私なんですね」
「同じお願いされるなら可愛い女の子からされた方が嬉しいじゃない」
お願いするのは良いが、あの所長は何となく苦手だ。
どうしても及び腰になってしまう。
それでも仕事のためと割り切ってお願いする。
「今里ちゃん、また演技指導してやろうか?」
「けっこうです」
あのスパルタを受けるくらいなら自力で女優になってみせる。
「お嬢さん、お預かりしたペットたちは無事に飼い主の元へと旅立ちましたぞ」
「ありがとうございます。桃木さん」
「なんのこれしき、わたくしめにかかればお茶の子さいさい」
「図々しいとは思いますが、明日もお貸しいただけますか?」
「モウマンタイ、麗しいお嬢さんの手伝いができるのなら、この桃木、男に生まれた甲斐があるというもの。明日と言わずにずっと、そして永遠のパートナーとして傍にいてくれてもいいのですよ」
こういうところが信用できない。
本人は気の利いた言葉を言っているつもりなのだろう。
「ありがとうございます」
「さて、お嬢さんをおいていくのは忍びないですが、依頼人も大切ですからね。ここで失礼を。今度は仕事ではなくお茶のお誘いを受けてくださると、この桃木、天にも昇る思いですぞ」
いったいどこに本音があるのか本当に分からない人だった。
言葉では女性を褒めているが目の奥には冷たい侮蔑が籠っていた。
いや値踏みするという表現が近いかもしれない。
甘い言葉に惑わされたら最後、手酷い目に合うような気がする。
ここの桃木所長に会うときは絶対に所長を同席させたほうがいいだろう。
「所長、話は終わりましたよ」
「今里ちゃん」
「何でしょうか」
「あぁ言うのが好みなの?」
「・・・顔のことでしょうか?それとも言動のことでしょうか?」
「どっちも」
何を気にしているのだろう。
私の好みからは大きく外れている。
というか値踏みしてくるような男はこっちから願い下げだ。
「顔も言動も好みではありません。むしろ嫌悪感を抱く部類に入ります」
「そこまで言う?」
「はい、あの桃木所長は一見、女性を褒めているようで、こちらを値踏みしています」
「値踏み?」
仕事なら契約する価値があるかどうか判断しなければいけないから重要だと思うが、あそこまで露骨だと警戒してしまう。
私が考えすぎなのかもしれないが、あまりいい気分ではない。
「あの手の褒め言葉を鵜呑みにするような女性を嫌悪しているのではないかと思います」
「そういうものなんだね」
「全てがそうとは限りませんが」
「女性を褒めるって大変だね」
少し違う。
その結論に至った理由は分からないが所長が女性の値踏みする日はくるのだろうか。
来ないで欲しいという思いと、来たら見てみたいと思うが、そう言えば、ねねさんのときは警戒していたような気がする。
「誉志が待ってるから行こうか。今日も梦の家に泊まる?」
「いえ、どこかビジネスホテルに泊まります」
「遠慮しなくて良いのに」
泊まる先は所長の家ではない。
しかも恋人でもない男の人の家だ。
昨日は突発的なことがあったから泊まったけど、それくらいの貞操観念くらいは持ち合わせている。
「ねぇ誉志」
「どうした?」
「今里ちゃんが梦の家に泊まらないって言うんだよ」
「それは女の子として正しい返事だと思うぞ」
誉志さんはまともな常識を持っているようで安心した。
ここで所長に同意していたら車を降りている。
「でもさ、梦の家にみんなで泊まったら朝ごはんの待ち合わせとかしなくて良いから楽じゃない?」
「お前の心配は朝飯だけか」
「それ以外に何があるの?」
「うん、俺が間違ってた」
所長の中の優先順位は朝ご飯が上位で、私が女だということは下位になるようだ。
一人でホテルに泊まるよりは知っている人がいる方が今は安心できる。
道を歩いていると、ふとした拍子に背後が気になってしまう。
大丈夫だと思っていてもやっぱり気になってしまう。
「リビングにお布団を敷いて、枕投げしようね?」
「・・・そうですね」
「楽しみだねぇ、枕投げって先生からダメって言われるからしたことないんだよね」
雑魚寝と客間で寝るのはどちらが安全なのだろうか。
いざとなれば車で寝よう。
有名なケーキ屋さんでいろいろな種類の和菓子を買って梦さんの家に戻った。。
なぜケーキじゃないのかというと、和菓子が美味しいと評判の店だからだ。
「良い?今里ちゃん」
「何がですか?」
「ケーキ屋だからケーキが美味しいとは限らないんだよ」
ケーキ屋さんでケーキがまずかったらどうしたら良いんだろうか。
それは本末転倒だと思うが。
「そうだな。どんだけ腹が減っていてもまずいパンは食えないからな」
「誉志、分かってるねぇ」
そこだけ意気投合しないで欲しい。
確かにものすごくお腹が空いているのに半分くらいで食べるのを止めてしまったパン屋のパンを私は知っている。
「あとね、紅茶専門店で美味しい紅茶が飲めるとは限らないが珈琲専門店でまずい紅茶が出てくるとは限らない」
「確かにな」
そこも意気投合するのか。
どういう理屈か分からないけど、言いたいことは何となく分かる。
電話をすれば梦さんは家にいた。
何でも自宅で仕事をすることにしたらしい。
「おかえりぃ、今里ちゃん」
「ただいま戻りました」
ベランダで布団を干している梦さんはきちんと家事をするのだなと思った。
だけど布団の数が多くないだろうか?
すでに四人分あった。
「今里ちゃんの分のお布団は干してるし、シーツは洗濯しているから安心してね」
「・・・はい」
「梦、枕は?」
「抜かりなく洗濯して乾燥機に入っているさ」
私が泊まることは既定路線だったようだ。
一体、彼らは私のことを何だと思っているのだろうか。
「安心しろよ。俺らは相手には不自由してないから」
「・・・そうですか」
「ま、相手してほしいならしてやってもいいぜ」
「・・・そうですか。所長」
「な、なにかな?」
「卮さんにはアルバイト代は必要ないのではありませんか?」
「うん、そうだね、そうだね。そうしよう、そうしよう。今里ちゃんさっすがぁ」
「ちょっ、てめぇ御堂、裏切る気か!」
誉志さんをからかうのはこれくらいにしておこう。
買ってきたお菓子は和菓子のはずだけど珈琲が準備されていた。
「環さん」
「うん?珈琲はもう少し待ってな。ゆっくり淹れるのがコツやから」
「買ってきたお菓子は和菓子ですが?」
「これ、珈琲で食べる和菓子やで。ケーキ屋で買うて来たんやろ?そやったら間違いあらへんで」
また変わったものを所長は知っていたようだ。
それにしても珈琲を淹れるのにこだわりがあるのは誉志さんだと思っていたが梦さんだったとは盲点だった。
それとさっきから床を自走式掃除機が掃除しているから足を上げとかないといけない。
できたら帰ってくる前にして欲しかった。
「さて小腹も満たされたし明日のことを話そうか」
「犬九匹と鳥五羽見つけないといけないですものね」
「そうなんだよ。今里ちゃんの家も見つけないといけないし。忙しいよ」
家はもう少し後でも良い気がする。
いざとなればホテル暮らしもできる。
「今日でどれくらいのペットを見つけたんだ?」
「そうですね。犬が四匹・・」
「上出来じゃん」
「猫が十五匹」
「へっ?」
「ハムスターが八匹になります」
「ハムスターってどこで見つけたの?」
「道端です」
できたら鳥も見つけておきたかった。
鳥は行動範囲が広いから探すのに苦労することが往々にしてある。
車があるうちに見つけたい。
「ですので、私の家探しの合間にペット探しもします」
「いやいや、家探しってそんな簡単ちゃうで」
「そこは環さんのプロの目にお任せします」
「間取りとか」
「お任せします」
「家賃とか」
「それは所長にお任せします」
家探しとか苦手なので正直言ってどうでもいい。
寝れる部屋があってトイレと風呂が別々に完備されていて、エレベーターがあったら他は何でもいい。
隣が犯罪者というのは困るが普通の隣人なら何も言わない。
どうせ寝に帰る程度の部屋なら最低限の設備で問題ない。
「家具とか」
「お任せします」
「日当たりとか」
「お任せします」
「眺望とか」
「お任せします」
「立地とか」
「お任せします」
「せめて希望を言ってよ。そんなことしてると、築五十二年の木造の平屋の風呂なしアパートとか斡旋するよ!」
「それはいやです」
「なら任せるなよ。もうやだ。こんなに家を借りるのに非協力的な人やだ」
何か落ち込ませてしまったようだ。
ごくごく普通の家なら文句もないんだけどな。
いろいろ無茶を言う人の方が大変なのではないだろうか。
その点、最低限のことしか言っていない私は最高の顧客だと思うのだけどプロの目線からは何か違うらしい。
「ん?卮さん、何を作っているんですか?」
「水餃子だよ。中国では餃子と言えば水餃子だからな」
「へぇ」
「ほい、今里ちゃんも包むか?」
「不器用ですよ」
「形悪くても食べたら一緒だ」
水餃子の皮は普通の餃子の皮より厚いから包みやすい。
手先の器用さを発揮したのは所長だった。
きれいに小籠包の形にしてしまう。
「言っとくが、あくまでも水餃子だからな。それを蒸さないからな」
「えっ?」
「今里ちゃん、さすがにそれは具が多いぞ。半分にしてくれ。それじゃ焼売だ」
「えっ?」
加減というのは難しい。
見かねた誉志さんが餡を均等に分けてしまう。
最初からそれをしてくれたら良いのにと思う。
蒸さないと言われているが所長は頑なに小籠包の形を崩さない。
私のひだなしの敗れた水餃子よりはマシだが。
「見ておれよ。きゃーステキこんな家を探してたのって言わせてやる」
「ほっとけ」
私の任せます発言は梦さんのプロ根性をヘンな感じに刺激してしまったようだ。
タブレットだけでなく、パソコンとカタログを広げて家探しをしている。
一人暮らしだからワンルームでも良いのだけど、ちらりと見えた間取りは部屋が五つもあった。
私は住まないけど良いのだろうか。
掃除だけでいろいろと終わりそうだ。
「誉志、いったいいつまで包んだらいいの?」
「まだ十個しか包んでないだろう。自分の食べる分くらいは包め」
「中華料理屋さんって大変なんだね」
確かに一日に何千個って包んでいる。
それを考えるとすごい職業だなとしみじみ思うし、不器用な私には到底できない。
誉志さんもバーを一人で切り盛りしていたのはすごい。
「卮さんも料理を作って出していたんですよね」
「料理って言っても酒に合うものだけだからな。簡単なものだけだ」
「そういえば、お酒だけ飲んで食べていないような気がします」
店の在庫と勝負をしたときには高級シャンパンとか飲んだ記憶はあるが食べた記憶はない。
「うん、チーズとかナッツとか出すくらいで常連にビーフシチューくらいだな」
「ビーフシチュー・・・」
「作ってやるから恨めしそうな眼で見ないでくれ」
「今里ちゃんは食い意地が張ってるからね」
「所長」
美味しいものが好きなだけで決して食い意地が張っているわけではない。
そこのところを勘違いしないで欲しい。
「これで水餃子は完成だな」
「やった」
「ちょっと待ってください、所長」
「どうしたの?」
「水餃子は?ということは、他もあるということですか?」
所長も気づいた。
料理に関して厳しい誉志さんが水餃子を包むだけで許してくれるはずがなかった。
そう無かった。
「次は雲呑だ」
「同じものじゃん!」
「ちがーう」
そう。
誉志さんが同じものを作らせるはずがない。
「良いか?水餃子の皮は丸だろ?そして雲呑の皮は四角だ。これは立派に違う料理だ」
「いやいや、皮の形の違いだけで、違う料理だとか。詐欺だろ、詐欺」
「いいや、まったく違う食べ物だ」
妥協というものは絶対にない。
だから所長と私は大人しく雲呑を作るしかないのだが、水餃子より雲呑の方が作るのは簡単だ。
餡を入れて半分に折るだけ。
「いいか、雲呑というのは家庭料理なんだ。簡単に作れて食べるものだ」
「う?うん」
「水餃子はヒダを作ったり、皮を丸くしたりと手間をかけている。しかも出来上がりの形が丸い」
確かに雲呑は三角形だ。
水餃子は半円という感じだが丸い。
「それを言ったら小籠包の方が丸いじゃないか」
「小籠包は料理というよりも菓子が起源だ。その点で言えば、水餃子はお祝いの料理だ」
「中国で餃子と言えば水餃子ですものね」
「すべて丸く収まるとか角が立たないとかいろいろ言われているな」
水餃子もだけど雲呑も大量に作ってどうするのだろう。
店で出すこともできないのに。
「冷凍しておけば夜食に食べられるだろう」
「夜食!?誉志、どういうことさ。夕飯じゃないの!?」
「夜はガパオライスだ。トムヤムクンも付けてやろう」
「そ、それなら許してやらなくもない」
誉志さんは所長の扱いが上手い。
見習わないといけないところだ。
雲呑を包んでいると、背後からブツブツと念仏が聞こえてくる。
梦さんが家探しの最中に呪詛を吐き始めた。
私のせいではあるけど。
「・・・よっしゃ。候補は五つに絞ったぞ。これでぎゃふんと言わせてやるぞ。今里」
聞こえてる、聞こえてる。
ぎゃふんとは言わないけど、好みの部屋があったら良いな。
一人暮らしに丁度いい部屋だといいけど。
「さぁ、ふかふかのお布団でお昼寝だよ」
「所長?」
「夜はみんなで枕投げするから体力を回復させないといけないよ」
枕投げは最初から言っているからまぁ良い。
でも昼寝までいるのだろうか。
そんな戦争みたいな枕投げは嫌だ。
「昼寝はともかく、そろそろ布団を取り入れないといけないな」
「手伝います」
「いいよ、いいよ。力仕事は男がするから。今里ちゃんは御堂の相手してて」
「今里ちゃんは僕の保護者じゃないよ」
「十分に保護者だろうよ」
勝手知ったる家で二階に行ってしまった。
所長は子ども扱いをされて不貞腐れている。
「それはそうと、今里ちゃんは部屋の希望とかないの?」
「強い希望はないです。一人暮らしができれば十分です」
「昔ね、間森が家を探してたんだけど、家がセキュリティ会社だから条件が厳しくてさ」
「どんな風にですか?」
「まず、オートロックであること」
それは割と普通の条件だ。
新しいマンションならたいていはオートロックになっているだろう。
「解除方法は指紋認証もしくは静脈認証、難しいようなら網膜認証」
「いや、それはどれも難しいのではありませんか?」
「うん、オートロックの鍵と言っても暗証番号やカード式とかが多いからね。唯一、指紋認証があったからそこが候補になったんだけど」
指紋認証とはまた本格的だと思う。
スマホでも指紋認証はあるから普及してきているとは思うが。
「まずエレベーターが暗証番号もしくはカードがないと階数ボタンを押せないようになっているもの」
「それって難しいのでは?」
「超高級マンションならあり得るかもしれないけど、一般の人が借りる程度のマンションではまずないね」
そんなにセキュリティが大切なら実家で暮らしていた方が良いのではないだろうか。
「それならって出した条件が一見すると壁だけどスイッチを押すと非常通路に繋がっているマンション」
「それはもはやスパイ映画の世界の話のような気がしますが」
「うん、僕もそう思うよ」
セキュリティ会社監修のもと、マンションを作ったら良いのではないだろうか。
そんなマンションを探せって言われた梦さんが可愛そうだ。
よくよく考えると梦さんは建築会社であって不動産会社ではなかった。
たぶん不動産会社への繋がりは大きいだろうけど。
「最終的にはマンション一棟あれば可能だけど、数十億レベルの予算が必要だから諦めたって話だよ」
「お金があったら建ててたんですかね」
「うん、建ててたと思うよ」
所長の友人は変わった人しかいない。
変わり者は変わり者を呼ぶ。
類は友を呼ぶ。
私も変わり者なのだろうか。
夜ご飯は美味しかった。
文句なく美味しかった。