環状線一周
長閑な昼下がりーーー。
うつらうつらと舟を漕ぐ男女が並んでいる。
長閑だけど、違和感のある二人。
真っ白のスーツを着ている男。
真っ黒のスーツを着ている女。
会社員には到底見えない。
そして、ーーー
次は、天王寺、天王寺駅
ここは大阪の中心を回る環状線。
オレンジの車体の中だ。
「あっ、所長、所長」
「何だい?」
「半分、過ぎました」
「そうかい」
一体、何の目的で乗っているのか。
***
私の名前は、四ツ橋 今里。
探偵事務所の所員だ。
隣に居るのが、探偵兼所長の谷町 御堂。
恐ろしく整った顔立ちで、美人の誉め言葉、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、てな具合に十人中十人は言うだろうというほどの美男子だ。
モデルの話も十や二十で終わらない。
前は所員が十人ほど居たが、男女問わず惚れて仕事にならないから首になっていった。
残ったのが、私だけだ。
格好いいものは好きだし、イケメンは目の保養になるから重要だと思う。
でも、中身を知れば、残念以外の何者でもなくて、惚れることが出来なかっただけのこと。
本当なら惚れたかったし、彼氏だって自慢もしたかった。
一緒にミナミを歩きたかったし、USJで並んでみたかった。
彼氏を作るだけならルックスも悪くないし、合コンだって誘われてる。
連絡先を交換するのだって毎回一人は最低居るし、ご飯だって二人で食べたし、夜景だって見に行った。
女友達からは男のレベルを上げるために会費は要らないから参加してくれって言われてる。
こんな私が彼氏居ないなんてと思う。
同じ合コンに参加した女友達は彼氏持ちばかりになった。
本当に男のレベルを上げるためだけになった。
レベル上げのポーションだ。
そう、こんな愚痴を書くために私は書いているのではなかった。
探偵・谷町 御堂の華麗なる(容姿を含む)謎解きを認めるために書いている。
したためるも書いているって意味だっけ?
細かいことは置いておいて、私はシャーロック・ホームズにとってのワトソン博士になりたい。
いつかこんなことがあったねって所長と二人で縁側でスイカを食べながら語りたい。
そのためには書くしかない。
依頼人が来ない以上、私は過去に所長が解決した難事件を書き留めるしかない。
それくらいしか仕事が無いのだ。
それで、何から書こうか。
それならと、私がこの探偵事務所で働くことになった経緯から始めるのが良いかもしれない。
勝手な独断と偏見だけど。
私は小さい頃から可愛かった。
でも、驕ることなく、分け隔てなく人付き合いもしたし、勉強も運動も人並みには出来た方だ。
短大に進んで、容姿を利用して、デパガになった。
受付も販売員もエレベーターガールもやった。
言われたら何でも仕事だと思ってやったし、お給料貰っている以上はプロだし、結構志高くやっていた。
それが変わったのは、女子の中で格好いいと評判の営業のむら・・本名は書かないでおこう。
これはあくまでも探偵事務所の備忘録なのだから、個人名など書いて、暴露本にしたいとは思っていない。
営業のM君にしておこう。
M君が私のことを好きだと公言するようになった。
私は恋愛を仕事場に持ち込むのはナンセンスだと思うし、職場恋愛するなら隠せとは言わないが、喧嘩とかしたことを引きずって持ち込まないで欲しいと思う。
公言されるくらいなら何とかあしらえるが、目に見えて贔屓し出した時は、流石に苦言を呈した。
大変だろって訳知り顔で近づいてきて、仕事を私の分まで手伝っていく。
これがほかの女子の仕事も手伝っていたら波風立たないんだろうけど、キレイに私の分だけ手伝うからいただけない。
ほかの女子からは面白くない。
逆の立場なら私も面白くない。
何度も忠告していたし、ほかの女子の仕事もお願いしてみたりしたけど効果はなし。
挙句の果てには、君みたいなか弱い子が忙しくしているのに見捨てられないよ・・・とか言い出した。
馬鹿か。
か弱くない女子は忙しくても良いのか。
私の仕事を手伝うだけなら何とかなった。
ほかの人の仕事を回して貰っておけば、勝手に私の仕事として手伝ってくれる。
最終的には全員が楽になるから便利屋君程度でほかの女子たちも見逃してくれていたんだけど、営業の女子たちの耳に入ってしまった。
別に箝口令を敷いていた訳じゃないから遅かれ早かれ耳には入る。
これを機に、営業の仕事に本腰を入れてもらおうとしたけど、これまたダメだった。
私がいない職場では働く意欲が湧かないから異動させてくれって営業部に言った。
そんなことを言い出したもんだから大変なことになった。
若いから、恋は盲目、何て感じでお茶を濁して、上は何とかしようとした。
そこに爆弾を投下したのが、M君本人だ。
君たち(営業部女子のこと)は鏡見たことある?意欲が湧く訳ないじゃん。むしろ減退だよ。
そんなことを素で言えることに驚いたとともに、もっと驚くことを言い出した。
彼女(私のこと)は恥ずかしがり屋さんなんだ。僕と結婚することを言い出せないんだよね。
私は、付き合ってもいないし、結婚するとも言っていない。
流石にここまでになったら上も当事者のどちらかの退職くらいのことがないと収められない。
こんなことになってまで仕事できるほど神経図太くない。
すっぱり辞めることにした。
上に伝えると、そもそもの非はM君にあることは分かっているが、会社としては対応が出来ないと、言われた。
そりゃそうだ。
男女の痴情のもつれに会社がいちいち首を突っ込む訳がない。
退職金を少しだけど貰った。
仕事は出来ていたし、M君が関わらなければ勤めていただろうし、M君へ指導していた上司は度々忠告していたが聞く耳を持たなかったらしい。
そんなやつ辞めさせろよ。
仕方ないから、ハローワークに行くことにした。
短大卒で、一年未満で辞めた人間を雇うところはほとんどないだろうけど。
まぁ、英語が少し話せるし、頭も悪くはない、はず。
そんなときに、馬鹿げた求人票が目についた。
探偵事務所の所員・急募
時給:2000円
交通費:全額支給
勤務時間:9時から16時
勤務日数:週1から週7
勤務場所:大阪駅からすぐ
応募要件:高卒以上
備考:三食昼寝付き、保育園完備(病児保育あり)
とまぁ、こんな求人だ。
大阪の最低賃金が858円で、一等地のグランフロント大阪の飲食店アルバイトで1200円とかだ。
2000円て。
どんな悪徳バイトだよ。
そう思いながらハローワークの職員に聞いてみた。
決まった人がその日のうちに辞めていく。
あまりおすすめはしない。
そんなことが返ってきた。
それでも2000円の時給はおいしいし、パワハラ程度どうってことない。
そして面接を受けてみた。
バリバリのキャリアウーマンという感じの人が面接をしてくれたけど、履歴書を見て即採用。
大丈夫かと本気で思った。
そして、働きだした初日に分かった。
探偵事務所の所長が恐ろしく美形なのだ。
横顔しか見ていないけど、神の如き美貌だった。
キャリアウーマンの新戸さんは、所長の方を絶対に見ない。
一心不乱にパソコンだけを見ている。
まるで見たら死ぬと思っているような気迫を感じた。
それは間違っていなかった。
私が所長の方に顔を向けようものなら怒号が飛んできた。
いや、表現として合ってるのか分からないけど、轟いてきたが正しいような気がする。
「何ぃ顔向けとんじゃぁ、死にたいんかワレェ、あぁ?あれは死神じゃ、メデューサじゃ、見たら魂抜かれて死ぬぞぉ、えぇから黙って仕事せぇ」
そう、間違っていなかった。
所長がいなければ、仕事のやり方を教えてくれるし、やさしい先輩なのだが。
初日に先輩からこんな怒鳴り声聞いたら誰でも辞めるよ。
何でも所長の美貌に見惚れて仕事にならない所員が多くなったため新人を補充するけど、一日で辞めて困っていたということらしい。
新戸さん流所長対策は、見ない。
最初っから最後まで見ない。
所長は自分の美貌が殺人的なのを理解していないけど、新戸さんの鬼気迫るものを感じて、背を向けて仕事をしたり、指示をしたりしている。
無事一日が終了したときに、ハローワークから電話があった。
継続するかしないか。
わざわざ電話確認がある求人先ってどうよ。
もちろん続けることにした。
理由は、新戸さんが良い人だし、所長の美貌に眼福を感じることはあっても、石にはならないからだ。
それに気づいた新戸さんからは涙を流しながら働いて欲しいことを懇願された。
新戸 ラム。
子どもが三人居るシングルマザーだ。
三食昼寝付き、保育所完備に惹かれて働きだしたものの所長の美貌に骨抜きにされていく同期を見ながら、子どものため、お金のためと働いた。
所長の相手をまともに出来る私が入ったことで精神的に開放されたのか、怒鳴ることは無くなった。
そして、正社員として働くわと言い残し、一週間で居なくなった。
あの涙ながらの懇願にもらい泣きした私の涙を返せ。
そして私は働きだしたが、すぐに問題が発生した。
探偵とは調査することが基本だ。
殺人現場に乗り込んだり、居合わせたりして犯人はアナタだ、何て言う事件に関わることは無いし、もし、そんな事件に巻き込まれたら、容疑者第一号になること間違いなしだ。
一番多いのが浮気調査だ。
旦那の帰りが遅い。
女物の香水がする。
そんな理由で探偵を頼る。
だけど、うちの所長は殺人的な美貌を持っている。
そして、
「奥さん、そう悲観してはいけませんよ。美しさが半減してしまいます」
「探偵さん」
「御堂、と呼んでください。私が奥さんの憂いを晴らしてみせましょう」
「御堂さん、お願いします」
天然の人妻キラーだった。
依頼を聞くのにソファーの隣に座る必要は無いし、手を握る必要も無い。
所長の顔に惚れた奥さんは、旦那が別の女とよろしくしているのだから妻もしても咎められることは無い。
そう考えてしまうらしく、浮気調査の中間報告を聞くためという理由を付けて、所長と食事をしたがる。
流石に男女の仲になることはないが、やれプレゼントだ、やれコンサートのチケットだと何かしら送られてくる。
こんなことをしていれば旦那にばれて修羅場になりそうだが、ある程度経つと、旦那が家に帰ってくるようになったとか、誕生日プレゼントに香水を贈ってもらったとか、報告の手紙がくる。
調査費もしっかり振り込まれるし、色まで付いている。
そんなこんなで、私は探偵事務所のただ一人の所員として、経理から仕事の管理からホームページ作成まで何でもしている。
働きだして分かったことは、探偵事務所に休みは無いということと、依頼が無ければ休みと一緒だということ。
週7勤務で9時から18時、時給は2500円、三食昼寝付きは天国のような職場だったということだ。
独身で子どもがいない私には保育所の有難味が全くと言っていいほど無いが、それはいつか分かる日が来ると信じておくことにする。
勤務時間が長くなって、時給もアップした。
保育所は事務所があるビルの一階にあって、ビルの中で勤務している人だけ無償で利用できる。
実際は、各事業所が支払っているのだが、利用者にはどうでも良いことかもしれない。
新戸さんの子どもは保育所に通ってきている。
駅近な保育所などそうそう無いかららしい。
そして、短大で取得した保育士資格を使って、保育所で依頼が無いときは働いている。
時給は別途貰える。
こういう職場なら前の職場を首になっても良かったと思える。
私の新しい才能も開花したことだし良いことずくめだ。
それは、
「今里ちゃん、猫ちゃん探しお願いね」
「はい」
行方不明のペット探しだ。
それも聞き込みをせずに歩くだけで見つけられる。
変な話だが、生きていても死んでいても見つけられる。
だけど、土に還ってしまっていたりすると見つけられない。
超能力かと思うけど、具体的な場所が視えたりするのではないから違うと思う。
あまりにも見つけるから他の探偵事務所の人から仕事が回ってくる。
もちろん分け前は貰う。
労力と呼べるほど苦労することもなく見つけられるので、別にどんどん引き受けている。
その分は成功報酬として貰っている。
写真を見ながら同時に何匹も探せるから効率も良い。
それに動物に好かれるのもひとつだ。
ケージは要らないからリードだけで身軽だ。
そうやって三匹、そのときは見つけた。
どれも血統書付のペットで依頼料も弾んでくれる人ばかりだった。
「所長、見つけましたよ」
「お疲れ、簡単に見つけて来るね。依頼人に連絡するよ」
探偵事務所として儲かっていると思う。
ペット探しは谷町探偵事務所というのがネットで話題になっている。
通常より若干割安で、早いということで重宝されている。
安くしているのは、電車代やタクシー代は別途経費として請求しているからだ。
それと野良は見つけることができない。
あくまで人に飼われたことのあるペットだけだ。
本当に何の制限かと思う。
そんな探偵事務所に危機が訪れたのは、働き出して一か月経ったくらいで給料日間近という時だった。
時給は良いし、他の日は保育士して、ペット探して、デパガしていた時よりも給料良いと明細書を見なくても分かる働き方をしていた頃だ。
「立ち退き?」
「うん、一週間以内に出てって案内が来たよ」
「一週間以内?」
まとめると、こうだ。
老朽化のためビルを建て替えることにしました。だから貸し出ししているフロアの店舗の人は出てください。建て替えが終われば連絡します。一週間以内で出てください。出ない場合は、中に人が居ても解体工事を始めますので、あらかじめご承知おきください。
いやいや、中に人が居たら工事しちゃだめでしょ。
まぁそんなことビルのオーナーに言ったところで無駄だ。
何せ『イケメン滅べ』という思想の持ち主だ。
うちの所長を毛嫌いしており、案内をわざと一週間前に送り付けて、路頭に迷って野垂れ死にでもしてくれれば良いのにと本気で思っている人だ。
何でそんな人が所長にフロアを貸し出したのかは謎だが。
特に荷物という荷物は無いし、私物は家に持ち帰っておく。
事務所備品は貸倉庫に預ける。
次は仮事務所の場所だが、一週間前で見つかる訳が無い。
それで事務所は一時閉鎖であることをホームページに載せて、依頼はメールで受けることにした。
そして所長と私は、JR大阪環状線に乗ることになった。
「今里ちゃん、これ一日乗車券ね」
「これから依頼人のところに行くのですか?」
「ううん、依頼人が来るのを待つんだよ」
所長の手に文庫本があった。
東京の山手線が舞台の山手線探偵だ。
山手線に乗って依頼が来るのを待って、事件を解決する探偵だ。
「一度やってみたかったんだよ。電車の中にいる探偵」
「所長、依頼はメールで来ますから電車の中にいる必要はありませんよ」
「ならバーにする?」
「いえ、電車でいいです」
この様子だと探偵はバーにいるとか言い出しそうだ。
喫茶店にいる探偵の話とかあったっけ?
探偵は事務所にいないといけない訳じゃないけど、電車もバーも違うと思う。
あれはあの探偵たちだから絵になって頼りになるのであって、電車に白スーツでいるのが探偵とは思わない。
あまり関わりを持ちたくない職業の方か、ボンボンの警部に見える。
なぜ白スーツを選んだのか?
白スーツを着て違和感が無いのは結婚式の新郎ぐらいだろうよ。
対する私は無難に黒スーツだ。
まさか就職活動のときのスーツを再び着ることになるとは思わなかった。
「所長、仮事務所探した方が良いのでは?」
「賃料払うより電車代払う方が安くつくし、引っ越しも大変だからこのままで良いよ」
「所長、浮気調査の依頼が来ました」
「どこの人?」
「天満の方です」
「今どこ?」
「一周回って次は大阪です」
「ちょうどいいね」
メールで探偵に依頼する人、いるんだと本気で思った。
ちょうどお昼になる。
三食昼寝付きは健在なのだろうか。
そうそう、ビルの建て替えは順調に始まっている。
他の店舗の人は半年前から案内が言って、次の仮営業所などはビルのオーナーが斡旋し、引っ越し代も半分は負担して、何一つ不自由なく移転したらしい。
そんな横暴とも言えることは法律を武器に申し出れば勝てるだろうが、所長はそんなことする気は無いみたいだし、私もしたいとは思わない。
オーナーはイケメン所長が関わらなければ良い人で、ときどき自家菜園の野菜や果物を分けてくれる。
所長が関わったときだけ人が変わる。
新戸さんと同じだ。
新戸さんと言えば、保育所に預けていた子どもたちは別の場所に預けることになったらしい。
ビルにあった保育所が移転で離れたところになったからだ。
可愛かったけど会うことがなくなるだろう。
それと事務所が閉鎖することで、かつての事務員が私物を取りに来た。
在籍はしていたが顔を見せなかった事務員たちだ。
新戸さんが引き留めていたが、私が所長に免疫があることが分かると辞めるように連絡してしまった。
だから初めて顔を合わせた。
長堀 中
長堀 央
一卵性の双子だ。
鶴見 公
鶴見 園
二卵性の双子だ。
緑地 化
三十代の男性だ。
堺
偽名で本名じゃないらしい。
千々
日
警察犬を引退した雑種の兄弟だ。
あまりにも所長に見惚れて仕事にならない人が多かったため最終的には老犬なら大丈夫じゃないかと思ったらしい。
ダメだったが。
これで九人で、十人ほどいたというのは人の入れ替わりが激しすぎて正確な人数を誰も把握していなかったかららしい。
私ひとりの事務員になったので、勤務実績の無い人にも給料を支払っていた適当な経理を見直して利益がアップした。
こんな管理で黒字だったのが不思議だが、成り立っていたから良いのだろう。
全員から連絡先を渡されて、何かあったら力を貸すと言ってくれた。
所長と一緒に仕事ができないだけで、皆いい人なのだ。
浮気調査や身辺調査は所長が声をかければ、全員が面白いように歌ってくれる。
警察なら簡単に自白が取れて嬉しいだろうな。
ペットなら私が請け負える。
一か月で見つけたペットの数だが百匹はくだらない。
事務所の賃料は、何故か追い出されたあとも引き落とされている。
イケメン滅べのオーナーが嫌がらせをしているのだろう。
とにかく、天満駅で待ち合わせした依頼人は人妻キラーの所長と食事をしたり映画を見たりして旦那の浮気が勘違いだったということになった。
依頼料は規定額より多く振り込まれた。
「所長、依頼が来ました」
「どんな人?」
「オウムのおっちゃんが逃げたから見つけて欲しいそうです」
「どこの人?」
「京橋です。写真が添付されています」
「今里ちゃん頑張って」
何度も言うようだが、メールで探偵に依頼するのはどうなんだろうか。
それとペット探しだと前金で貰っておかないと、見つかったら踏み倒される。
それでなくても見つかるまでに時間がかかったときの別途経費も踏み倒されるのに。
「所長、オウムって空飛ぶんですか?」
「飛べないオウムもいるけど、飛べるオウムだったんだろうね」
「白い体に黄色いトサカ、口癖が、おっちゃんすごいねんで、らしいです」
「・・・依頼人が酒飲んで愚痴ったのかもしれないね」
依頼人は京橋だが、駅前には住んでいない。
とりあえずタクシーで依頼人の住所まで行く。
インターホンを鳴らすと依頼人が居た。
「おっちゃん、見つかったんですか?」
「・・・谷町探偵事務所の四ツ橋です。こちらは所長の谷町。オウムのおっちゃんの探索に参りました。逃げ出した状況を聞かせてください」
「見つけて連れてきてもらうために写真も添付したのに、わざわざ家に上げたら面倒じゃないですか」
第一声に続いて第二声もそれか。
確実に踏み倒すタイプだ。
玄関開けて、オウムが居たら、お礼を言って扉を閉めるタイプだ。
相手の素性を確認していないから探偵だと思っていなくて、たまたまオウムのおっちゃんを知っていた見知らぬ人が連れてきてくれたと本気言う人だ。
そんな超能力を持った親切な人が居るか。
だからペット探しのときは依頼人にこちらの身分を明かし、契約書と誓約書を書いてもらう。
踏み倒さないマダムな人も多いが、踏み倒すことを許せば快く支払っている人に申し訳ない。
踏み倒す人には、厳しく取り立てをさせてもらう。
たいていは振り込みが確認できた日に引き渡す。
「おっちゃんが逃げたのは餌を上げようとケージを開けたときだよ。たまたま開いてた窓から飛んで行ったよ」
「逃げたのは本日の午前中で間違い無いですね」
「あぁ、餌を食べずに飛んで行ったから早く見つけてくれよ」
「料金についてと契約書と誓約書の説明をさせていただきます。所長お願いします。私は先に探して来ます」
「説明しとくよ、今里ちゃん気を付けてね」
説明は所長に任せると上手くいく。
簡単にサインしてハンコを押してくれる。
所長、探偵辞めて、詐欺師になったら今以上に稼げるだろうなということは分かる。
それと、いきなり所長と話すと惚けて話が出来ないが、私を通してからだと所長のイケメン度合が少しだけ緩和されて良い感じに働く。
所長と私は良いコンビになるのだろうな。
逃げた方向に歩き出す。
あんな飼い主から逃げた方が幸せなんじゃないかと思うが、見つからなかったら毎日オウム探しになるから探す。
探すと言っても、街路樹に止まって寝ているのを見つけたときはどうしたらいいのだろうか。
「おっちゃん」
『おっちゃん、すごいねんで』
「寝起きにこれか」
手を差し出すと爪が食い込まないように乗り移ってくれた。
動物との意思疎通は完璧だ。
飛び立つことなく大人しく手の上に居てくれる。
ときどきトサカを広げてダンスを踊っているが見ないフリだ。
何が悲しくて求愛行動を受けないといけないのだ。
依頼人の家を出発して十五分経過した。
おそらくサインは終わり、依頼料を受け取るだけのところまで進んでいるだろう。
インターホンを鳴らすと依頼人が出てきたが、こちらを一切見なかった。
「おっちゃん、寂しかっただろう。ごはん食べような」
私から奪うようにするとドアを閉めた。
まさしく踏み倒すつもりの典型的な行動だった。
これでタダでオウムを手にしたと思っているだろうが、ざまぁみろ、中には所長が居て、依頼料を受け取る準備をしている。
「・・・サン、ニ、イチ、ゼロ」
「今里ちゃん、お疲れさま、いつものように早いね」
「歩ける範囲に居ましたので問題なかったです」
「依頼料もらったから大丈夫だよ」
依頼人は驚いたことだろう。
リビングに所長が居て、依頼料の入った封筒を持っていくのだから。
探偵に依頼するのなら一枚も二枚も上手でなければ渡りあえない。
私だって伊達に所長の助手を務めていない。
「お昼ご飯、何食べようか?」
「焼肉が良いです」
「京橋に美味しいところがあるからそこに行こうか」
スーツで昼から焼肉などあり得ないが、クリーニング代を経費として申請しておこう。
依頼が今日だけで二件も来た。
事務所を開いているときはゼロの日が何日も続いたというのだ。
これならネット探偵でいけば賃料要らないから儲かるんじゃないだろうか。
「今里ちゃん、依頼ほかに来てる?」
焼肉をたらふく食べて、デザートの柚子アイスを食べているときだった。
普段、仕事が来てもやる気をみせない所長が仕事に意欲を見せている。
「身辺調査と浮気調査と離縁調査とペット探しです」
「いつもより来ているね」
「メールで気軽に依頼できるからですかね」
「どこの人?」
「身辺調査は、森ノ宮、浮気調査は鶴橋、離縁調査は天王寺、ペット探しは弁天町と西九条です」
「順番に行こうか」
所長の一言で今日中に回ることになってしまった。
いつもはこんなにやる気に満ち溢れていない。
いったい何があった。
事務所を追い出されて山手線探偵ならぬ環状線探偵にでもなったつもりか。
そう思っているうちに、森ノ宮駅に到着した。
依頼人は喫茶店で待っていると返信があった。
「私、谷町探偵事務所の四ツ橋、所長の谷町です。ご依頼をいただいた件で詳しくお聞きしても良いでしょうか」
「はい、わたくしの息子の彼女のことですわ。何度か家でお会いしましたのですが、とても嫌な感じがして探偵さんに頼もうと思いましたのよ」
「母として息子さんに苦労をして欲しくないお気持ちお察しいたします」
「まぁ分かってくださる探偵さんで良かったわ。おたくに依頼する前にいくつもの探偵事務所に依頼したのですが、全て問題ないという調査結果でしたのよ。きっと腕が悪くて調査していることが向こうに知られてしまって良い報告書を書くように脅したに決まっていますわ」
この依頼人は息子さんにどんな彼女が出来ても許さないのだろうなと分かる。
彼女なら文句は言いながらも許すが、結婚となれば、離縁調査に変わるのだろうなと思う。
所長は人妻キラーのスキルを発揮し、あっという間に契約にこぎつけていた。
この手腕は私には無いもので感心するばかりだ。
「途中経過はメールでお送りしますが、ご満足いただけるまで調査いたします」
「まぁ、頼もしいですわ。それでは、ごきげんよう」
依頼人は伝票を持って出て行った。
うちの身辺調査は依頼人が満足いくまで継続する。
その代わり依頼料はどんどん膨れ上がる。
長期的に調査することで得られる安心感を依頼人に売っていると所長は常々言っているが悪徳手法と言われないのは所長のイケメンのおかげだろう。
「次は鶴橋だったね」
「はい、浮気調査です」
鶴橋でも依頼人は喫茶店で待っていた。
そして依頼人はすぐに分かった。
泣き腫らした目で座っているからだ。
「谷町探偵事務所の四ツ橋です。こっちは所長の谷町。浮気調査と言いましたがお話しをお聞きできますか?」
「ばい、づぎあっで、いぢねんになります。やざじぐで、いづもわだじのごどをだいぜづにじでぐれるびどてす」
「辛かったですね。涙を拭いて、貴女に涙は似合いません。さぁ」
依頼人は泣きながら話していたから全部濁音がついていたから聞き取りにくいけど、所長は全部分かったようだ。
所長のイケメンは泣いている人を次第に元気にするというより違う方向に向かわせる。
「ぼんとはわがってたんです。わだしがつりあわないって」
「貴女は美しいですよ」
「だから見ないふりじてだんです。彼、にんぎものだから沢山の友人がいるんだろうなって」
だんだんと泣き止み、声に張りが戻って来て、泣き腫らした目の赤みがひいていき、生来の表情になっていく。
所長のイケメンは女性を本来の美しさにする効果がある。
これは恋をすると女は綺麗になるということの一部だと私は勝手に思っている。
あいにくと私にその効果は片鱗も現れない。
泣けば目は赤いままだし、食べ過ぎれば太る。
依頼人がうらやましいと思ったことは何度もある。
私にも効果が現れれば今頃、傾国の美女になっていること間違いなしだ。
「告白は向こうがして来たんです。私も良いなって思っていたから付き合ったんです。でも連絡も約束も私からしないとダメで、でも用事があるっていう日はいつも違う女の人と歩いているんです。酷いですよね。私のことは遊びの女なんです。だから遊びでも良いんです。彼の浮気癖許せるのは私くらいですから。だから彼の他の女を把握しておきたいんです。だって浮気を許す女なんてそうそういないですから」
「わかりました。彼の浮気調査ですね。すべての女性が分かりましたら報告書をお送りします」
「お願いします」
今回もどこかずれて肝が据わってしまった。
本来なら浮気調査をして別れて新しい恋をするはずだったのに。
所長に会ってしまったから今の彼氏への感情が変わってしまった。
そして依頼人は伝票を持って喫茶店を後にした。
誰もが振り返るような美女になった依頼人はナンパされていた。
「今里ちゃん、女性って怖いね」
「そうですね」
純粋な女性を怖くしたのが自分だとは微塵も思っていない所長に一言返すのが精いっぱいだった。
これは私悪くない。
うん、悪くない。
てか、私も女性だし。
「次は何処だっけ?」
「天王寺です。離縁調査の」
「・・・行こうか」
天王寺駅での依頼人はカラオケボックスに居るから勝手に来てくれとのことだった。
そこに行くと、恋の歌を大熱唱している依頼人がいた。
曲が終わるまで大人しく待つことにした。
「遅かったじゃん、でさ、依頼なんだけど、金無いのよね。だから成功報酬で良い?で、調査対象はこいつ」
ちゃらい感じで一枚の写真を見せてきた。
そこには鶴橋駅で会った依頼人が写っていた。
世間は狭いことを認識した一日だった。
「可愛い感じだったから付き合ってんだけど、いちいち連絡して飯とか映画とか付き合わされるんだよね。よく言う束縛系ってやつ?ちょっと身の危険感じるから別れたいのよ。何か付き合うのに問題ありそうなネタ、でっちあげてよ」
「女性に愛を囁かれるのは男のステータスとも言えますけどね」
こんな遊び人で誠実とは縁遠い人と付き合うなんて彼女は何を血迷ったのだろう。
だけど、その彼女も遊び人の彼を受け入れてしまうことになっているから離縁は出来そうにも無いけど。
所長のイケメンは男性には少し違うように働く。
「そういうけどさ。あんたくらいのイケメンなら言い寄られたいけどさ。ただの女に言い寄られても嬉しくないのよ」
「女性は恋をすると美しくなりますし、離縁するにも良い思い出だけで終わらせると別れやすいですよ」
「あんたがそういうなら、最後にデートくらいしてやろうかな」
「女性は大切にしてくださいね」
「そのあとにあんたが俺とデートしてくれよ」
「はい」
何故か相手が女性の位置になる。
まぁ所長は男性を恋愛対象に見ていないからアプローチかけても無駄だが。
所長と食事をしても男性を恋愛対象として見るわけではないから一過性のものだと思う。
時間いっぱいまで歌うとのことだったので、所長と私はカラオケボックスをあとにした。
「まさか鶴橋駅の依頼人と天王寺駅の依頼人が恋人同士だったとは思わなかったよ」
「そうですね。でも別れずに上手くいくと思いますよ」
「そうかな?」
「はい」
「今里ちゃんが言うならそうかな」
所長に会って、美しくなった遊びを許す女性になった鶴橋の依頼人と美しい女性を幾人も侍らすことに命をかけているような男性になった天王寺の依頼人は雨降って地固まることになった。
一か月に一回、遊び人の男性と遊ぶ女性のリストを送っていたが、鶴橋の依頼人は男性が手酷く振られて戻ってくることで調べることは辞めたとのことだ。
森ノ宮の依頼人は未だに報告書を求めるので、月のうちの何日かのスケジュールを報告書にまとめて送っている。
納得はしていないようで、続いている。
弁天町駅と西九条駅のペット探しは、それぞれの駅前で見つけた。
依頼人も良い人で、即金で用意して貰った。
一日依頼を受けながら環状線を一周した。
分かったことは所長がホストに向いているということだった。
それとメールで依頼をしてくる人が多いということも。
事務所を構えていなくても依頼があるということも。
あと、ペットを逃がす飼い主が意外と多い。
ペット探しのリピーターがいる。
「大阪に着いたね」
「今日は依頼はもう来ていないようです」
「ならご飯食べて今日は終わろうか」
「魚が食べたいです」
昼寝は無くなったが、三食はついていたし、・・・いや、依頼を待っている間に電車に揺られて寝た。
百貨店でスーツ買って帰ろう。
領収書は谷町探偵事務所にしておいて経費にしてやれ。
それくらいしても良いだろうよ。
調査対象に張り込んで行動を調べたり、ペットを見つけたり、経理をしたり、報告書を作ったりしているんだから。
所長は依頼人から話を聞くだけ。
理由、テロ級の美貌を持つ所長に尾行させたら町がパニックになる。
そんな所長が何故、探偵事務所をやっているのか。
今度、聞いてみようと思う。
どうせ環状線に乗って待つだけなんだから。