第50話
ヴァルは、宿屋から南西方向へ屋根伝いに駆け抜けていた。
逃げ惑う民衆の波が、自分と逆へ向かっていくのを、眼だけで確認する。
『同時に三ヶ所を攻撃したってことは、戦力の分散を狙ってるのかもしれないよ』
ふと、トゥルースの言葉を思い出す―――
やがて、粉塵の舞う地点へ辿り着いた。
ヴァルは屋根から飛び降り、茶レンガの壁に背中を付ける。
そして、開けた場所の気配を窺った。
―――そこに人の姿はなく、無残に壊れた石造りの噴水だけが、無秩序に水を溢れさせている。
さらに水は、ヴァルの足元までもじわじわと浸し始めた。
広場へ歩み出すと、金属の当たり合う乾いた音が複数近づいてくる―――
「そこのキミ!!」
一人の声を筆頭に、武具を着用する男三人が走ってきた。
「ここで何をしている??」
手持ちの長槍を握り直し、屈強な男は尋ねる。
「俺は旅の剣士だ。何事かと様子を見にきた」
ヴァルは己の身の上を、よどみなく説明した。
「なるほど…お心遣い、かたじけない。我々は町の警備兵だ」
屈強な男――警備兵がヴァルへの警戒を解き、感謝の意を示す。
「早く水を止めた方がいい。直に排水が追いつかなくなり、家屋が浸水する」
とめどなく噴き出す水に一瞬目をやり、ヴァルは意見した。
すると警備兵が、後ろにいるうちの一人へ振り向く。
「ただちに水道管理局へ向かい、配水を停止させよ」
「了解っ!」
命令を出すと、年若の警備兵は敬礼をしてすぐさま行動に移った。
その場景を、ヴァルが無言で見送っている。
「我らがいながら、たやすく襲撃を赦すとは…」
屈強な警備兵は、歯がゆそうに呟いた。
「おそらく…っ!!」
口を開いたヴァルが、気配を感知して洋刀に手をかける。
ヒュオッ―――
風を切る音が走ると、ヴァルは即座に鞘から洋刀を抜いて反応した。
警備兵二人を背へ匿いながら、構えた刃で襲ってくる無数の氷の塊を当て落とす。
鏃状の氷を次々と、水浸しの地へ沈めてゆく。
「今のうちに、この場から離れてくれ。アンタらを守る余裕はなくなりそうだ」
すべての攻撃を除けた後、ヴァルは死角となる家屋の陰を見つめて告げた。
「し、しかしっ」
「よさないか!彼の言う通り、我らの手に負える事態とではない!」
反発しようとする部下を、屈強な警備兵が強く諌める。
「…くれぐれも、無茶はしないでくれ」
それから、ヴァルの背へ語りかけた。
ヴァルが頷いて応じると、二人分の足音は去っていった。
「賢明な判断だったな」
適時を諮っていたように、ヴァルの凝視していた一点から姿が現れる。
その風体は中肉中背、濃紫の短髪が逆立つ、一人の青年であった―――