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綾香が退院して、学校に来るようになったのは中2の夏だった。まだ少し肉はついていたものの、痩せて、きれいになってた。学校を休んでいる間にいろいろとあったんだろうけど、そのおかげか、綾香は痩せることができた。
いじめは俺が何とかしてやめさせた。女にはセックスをさせてやり、男には別の学校の女を紹介させ、それでやめさせた。今考えるとすげえくだらない方法だけど、やらないよりはマシだ。
綾香のおかげで自暴自棄にならずにすんだ俺はクラスの奴とも打ち解けるようになった。綾香が学校に来るころには綾香のクラスの奴とも話すようになっていて、由井 陽一郎というこの先もずっと友達でいるような奴もできた。そんな時に綾香が復帰した。つるんでいた奴らが綾香のことをきれいだ、かわいいと言った。あれほどいじめておいてそれはねえよと怒鳴ってやった。せっかくできた友達は俺に怯え、だんだん離れて行って最終的に陽一郎しか傍にいなくなった。
「あ……」
「……おう」
綾香が倒れたあの日から二人で話していなかったのを思い出して、放課後、綾香を待っていた。
「沼野……久しぶり」
かわいらしい声で呼ばれて少し舞い上がる。心の中だけで。
「それじゃ……バイバイ」
「は? なんだそれ。一緒に帰るぞ」
「なんで?」
「いいから」
綾香の手を取って歩き出した。綾香は以前より元気をなくしていた。いつもなら握った手を無理やり放したはずなのに今日は黙って握られている。ちらっと後ろを見ると難しい顔をして俯いていた。
「……」
心の中で舌打ちする。
笑ってくれ。笑ってくれ。俺はお前に笑っていてほしい。
「……村瀬! ゲーセン寄ってこうか」
「無理。買い物あるから」
「……じゃあ明日は?」
「無理。食事当番」
「明後日」
「……ずっと無理」
とうとう綾香は俺の手を振り払って走り去ってしまった。追いかけることもできたが、背中が付いてこないでと俺に話しかけているようだった。
綾香は俺にまったく話しかけてこなくなってきた。それは学校に限定された話で、俺の家にご飯を作りに来るときは前みたいに普通に話している。それがなんだか俺だけ特別扱いされてるみたいで一人で浮かれていた。
でもある日、俺は見てしまった。上級生の男と綾香が楽しそうに歩いているのを。
ぐにゃりと顔が歪んだ。世界も歪む。その日はやけくそで走って家に帰った。八つ当たりで漫画やら何やらを壁に向かって投げた。
「お前、男いんの?」
「……」
翌日、綾香がまたご飯を手伝いに来てくれた時に率直に聞いた。今日、雪は珍しくこの時間から寝ていた。
「……いっこ上の、先輩……」
とんとん、と包丁とまな板が接触する音がする。その音の回数が増えるたびに嫉妬心が心の中を渦巻いた。
なんで、綾香に彼氏いんの? この前までいじめられてたのに、なんでだよ?
「告白されたんだ……家事ができる女の子が好きなんだって。それで…」
「なんでお前が料理できること知ってんだよ?」
「同じ同好会の先輩だったから、みんなで集まった時に料理をもてなしたの」
同好会とは綾香が所属している写真同好会だろう。綾香は写真を撮るのが好きで、たまに雪の写真を撮ってくれている。俺は綾香にカメラ越しで見つめられるのが恥ずかしくて避けていた。
「……私、これからここに来れる回数減るかも」
「………」
なんで減るんだ?
その男の家に行ってセックスするからか? お前まで、セックスにおぼれんのか? あの女たちと同じになっていつかは俺と雪の事忘れて……。
「舞い上がんなよデブ! お前なんかな、罰ゲームで付き合わされてんだよ、わかれよ!」
嫌な未来が頭の中でポコポコ生まれて、ついにはなんの罪もない綾香を罵倒した。真実かも知らないことを言って、どうかその男と別れさせたかった。綾香が穢れる前に。
でも、静止する綾香を見て、しまったと思った。
「……………だよね。私なんて好きになってくれる人いないよね。デブだし、暗いし、可愛くないし。運動もできないし、勉強もできないし。取り柄なんて家事しかないし………うん。だよね」
「村瀬……お前は、」
「もう何も言わないでよ。もういいよ……! デブでも罰ゲームでも、なんでも! バカ! もうご飯何て作ってあげない!!」
綾香は包丁をバンッ!とまな板の上に置いてエプロンを脱いで家を出て行ってしまった。
「……なんでだ」
なんで俺はいつもこうなんだ。
素直に言えば、綾香を悲しませることも怒らせることもなかったのに。素直に、そんな男と別れて、俺と……って。言えばよかったのに。
「あはっ……今日、激しいね……っ」
「うるせえ、黙れ」
抱いている女に強引にキスをした。昨日の怒りを今日初めてであった女にぶつける。
怒りが収まるまで女を犯して、犯した後はキスをして帰った。今は午後10時。
コンビニに寄ろうと思ってぶらぶらと暗い道を歩いていると、男女の声が聞こえた。外でヤるなよクソガ、と思ったけれどなんだか様子がおかしい。女のほうが嫌がっていて、男は小さい声ながらも怒鳴っている。
レイプかもしれないが俺の知ったことじゃない。最初はそう思った。けど、その女の声が聞き覚えのあるものだった。
「……」
もしかして、と思ってこっそり声のするほうへ向かう。たどり着いたのは狭い小道で、街灯もなく人通りもない。住宅地でなければ家の明かりも少ない。ビルとビルの間にできた小道に、男女がもみ合っていた。
「……めて、! いやっ……」
「いいだろ、どうせ、いじめられて相手もいねえんだし……」
「やだ……っ。はなして!」
………間違いない。これは綾香の声だ。
確信してすぐ、俺は二人の前に姿を現した。女は確かに綾香で、男のほうは以前見たことある顔だった。綾香の後ろから抱き着くように、男は腕を回し、右手で胸を鷲掴みにしていた。左手はスカートの中に侵入し、いやらしい手つきで動いていた。綾香は涙を流している。
「誰だ、お前。どっかいけよ。空気読め」
こちらに気付いた男が俺に言った。
「沼野……っ」
「何、やってんだよ……」
「は? 知り合いか……!?」
男が言い終わる前にぶん殴った。自分でもびっくりした。怒りにかられて脳が命令する前に体が動いていたことなんてなかったからだ。男がその場にへたりこんだ。綾香を俺の背後に立たせて、これ以上男に触れさせないようにした。
「てめえ、何すんだ!!」
「お前だって何してんだよ、嫌がってんじゃねえか!!」
「いいんだよ。あれでも喜んでんだよ、そういうプレイなんだよ!!」
「村瀬はそんな変な奴じゃねえ! ふざけんな! くそ野郎!」
言い捨て、綾香の手を取って夜道を走り出した。
走って走って走りまくって、行きついたのは綾香の家の近所にある公園に行きついた。綾香も俺も息切れ切れでブランコに座った。
「……あ、ありがとう…」
「お前さあ、マジ、ふざけんなよ」
「……そんなに言うんなら助けてくれなくてもよかったのに」
「そういうことじゃねえんだよ! なんでああいう男だって見抜けねえのってことだよ! 告白されれば誰だっていいのかよ? なあ!」
「痛い、やめて…」
肩を掴んだ手をはなされる。でも俺は彼女の二の腕をがっしりとつかんだ。
「もし俺があの場所にいなかった、お前、どうなってたかわかってんの? なあ。ていうかあんな場所に二人でいくことに違和感覚えなかったのかよ!」
「なんで沼野がそんなに怒るの?」
「……幼馴染だからだろ!! そんぐらいわかれよ、デブ…」
そう言ってから、俺は綾香を抱きしめた。小さくて暖かくて柔らかかった。
「ちょっ……沼野っ」
俺を引きはがそうとするも、力が足りなくてかなわない。
「わかった、ごめん……助けてくれてありがとう。だからはなして」
「嫌だ……」
「ね、ねえ。なんで? 沼野って彼女いるよね? 私にこんなことしたら誤解されちゃうよ」
あの日から綾香に悟られないように別の中学の奴とばかりヤっていたけど、まさか漏れていたとは。でもいまはそんなことどうでもいい。綾香を守れた、綾香を助けることができた。綾香の笑顔を失わずにすんだ。それだけが嬉しくて、しばらくのあいだ、ずっと、綾香を抱きしめていた。
それから、俺たちの幼馴染の関係は続いた。学校では離さず、でも家の手伝いはしてくれる。
綾香はあの男とは別れ、別れる際に、罰ゲームだと言われたと笑って話した。
俺の言う悪態も綾香は受け止められるようになって、デブといってもまた笑って返してくれた。実際は、綾香は痩せて男子から人気が出ていた。家事ができるせいか、まわりより大人びていてそれもいいんだとか。綾香がその事実に気付かないために俺は彼女にデブデブ言ってる。いっそ告白して付き合ってしまいたい。そう思ったけど俺には無理だと思ってて、諦めていた。
だけど、高校1年生の春に俺は駅のホームで告白した。
案の定、罰ゲームかと疑われたけど、それでも俺は諦めないで気持ちを言い続けた。
そして俺たちの物語が始まった。