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奈良の毒キノコによる鈴木一家殺人事件

 さて。

 気が付けばこのノートも、とうとう40冊を超えた。

 テレビや新聞で報道された『事件』もあれば、私の個人的な『体験』また人づて聞いた『お話』まで種々雑多なコレクションである。

 そう。

 これはコレクションだ。

 物ではなく情報のコレクション。これまでの39冊のノートに記された全ては、他人から見れば陰気くさく悪趣味なスクラップブックだろうが、私自身にとってはキラキラ輝く宝石にも似た愛おしい収集物なのだ。

 惜しむらくは、私にはこのコレクションを開陳すべき同好の士がいないことだ。

 コレクターにとって3番目に楽しいのは、集めた品々をためつすがめつ眺める時。

 2番目に楽しいのは、新しく珍しい何かを手に入れようとしている時。

 1番楽しいのは自慢のコレクションを、自慢する時だ。

 20余年に渡る収集の成果に、目を見開き賞賛を投げかけてくれる誰かがいないのは、いかにも寂しい。と


 まあ、それはさておき。この40番目のノートをひとつの区切りとするため、ここで僕自身とこの「不可解な死のコレクション」についてあらためて振り返ってみようと思う。

 僕が何をきっかけに、どういう経緯で、どんなことを求めてこのコレクションを始めたのか。そして最初のコレクションはなんだったのかを。


 小学校6年生のころ。僕は江戸川乱歩の少年探偵団シリーズに夢中だった。「青銅の魔人」「電人M」「夜行人間」。などなど。

 それである日の算数の授業中、分数の割り算の問題を解きながら、不意に思ったのだ。

自分も書いてみたいと。

 探偵小説を。

 不気味な怪人と、奇怪なトリックと、それを鮮やかに解き明かす名探偵の物語を。

 早速その後の休み時間、僕は自由帳を開き鉛筆を握った。

 握ったまま、固まった。

 書き出しがでてこない。書きたい書きたいという強い気持ちはあれど、何をどう書けばいいかがわからなかった。よく覚えている。あの時のもどかしい気持ちは。

 喉を内側からガリガリ掻き毟っているような気分だった。

 1993年の2月だった。

 僕の席は教室の右隅1番前で、自由帳をにらみつけて唸り声をあげている僕のすぐ前で赤々と燃える石油ストーブに乗せられたヤカンが、シュンシュンと湯気をあげていた。

そのとき後ろの席の小野寺が言ったんだ。

「見つけるんだよ。探せばいくらでもネタはある」


 それは僕に向けた言葉ではなかった。別の誰かとの会話でたまたま出た言葉だった。でも、僕にとってはまるで神の啓示のようだった。そう。なにを書けばいいか思いつかないのなら、書きたいものをどこかから見つけてくればいい。でもどこから。

うってつけなのは、新聞だ。


 それから僕はネタ探しのために過去の新聞を隅から隅まで読み漁りだした。

 強盗。殺人。放火。詐欺。戦争。紛争。テロ。大雪。事故。地震。いろいろ書いてあった。

 その中でも一際興味を引く記事があった。

 覚えている人はいるだろうか。

 奈良の毒キノコによる一家殺人事件だ。

 とても奇妙な事件だった。被害者は4人。その家の末っ子一人だけが生き残った。

 この事件をモデルに小説を書こうと、僕は様々な新聞やテレビで事件の内容を調べ、調べたことを自由帳に書き込んだ。

 僕の初めてのコレクションだ。

 とはいえ小学生のころの自由帳なんてもう残っていない。残念ながら。

 だけど、だから。今回は記憶の限りその事件のことをここに書き残そうと思う。


 1990年10月16日の昼。鈴木家を一人の女性が訪れた。

 40代なかばのその女性は、隣家の住人を名乗った。

 応対に出た鈴木家の妻・三代子は隣家の住人とは顔なじみであり、玄関先で10分程度の立ち話をした。この様子は鈴木家の娘で双子の姉妹である里香、里沙、それから2歳下の弟・翔太も目撃している。

 隣家の住人と名乗る女は「そういえば」と、鞄から包みを取り出した。

 包みの中は綺麗な白いキノコだった。「キノコ狩りに行ったの。たくさんとれたからお裾分け。天ぷらにすると美味しいのよ」と言われ、三代子はそのキノコを受け取って台所に保管した。

 その晩三代子は教わったとおりキノコを天ぷらにし、一家5人のうち世帯主の康久、妻の美代子、双子の里香、里沙がその天ぷらを食べた。弟の翔太だけはこのキノコを食べなかった。

 5時間後、里沙が苦しみを訴えて激しくおう吐し、そののち意識を失った。救急車を呼ぶも、到着時には息絶えていた。またほぼ同時刻に里香も同様の症状を訴え、こちらは意識のあるまま救急病院に搬送されたが、やはり死亡した。

 康久と妻・三代子もその数時間後、苦痛を訴えておう吐。そのまま三代子は死亡し、康久も一度は回復するも、翌日大量の血を吐いたのち昏倒しそのまま死亡。キノコの毒により康久の肝臓はスポンジ状に壊死していた。

 白いキノコは毒性の強いドクツルタケだった。

 三代子は夕方近所のスーパーマーケットで買い物をした際、里沙の同級生の母親に、「隣人からキノコを貰った」ことを話しており、警察はその証言を受けて隣家の住人である村田幸彦とその妻・晶子に話をきいた。

 しかし村田晶子は「キノコ狩りには行っておらず、お裾分けもしていない」と語った。また三代子と「隣家の住人を名乗る女」が立ち話をしているところを、近所の住人が目撃しており、「女」は村田晶子ではなかったと証言した。

 生き残った一家の末っ子・翔太は「知らない女の人がお隣のおばちゃんを名乗って家にあがりこもうとした。どう見ても違う人なのにお母さんはその人をお隣のおばちゃんと思い込んで話を続けていた。女はやせ形で頬がこけており、目が吊り上っていてとても怖かった」と語っている。

 警察は「女」が故意に毒キノコを鈴木一家に食べさせた可能性が高いとして調査を開始したが結局「女」を見つけることはできなかった。


 さて。僕はこの事件を元に一遍の推理小説を書き始めたのだが、それは完成することがなかった。なぜ完成しなかったのかと言えば、それは単に僕の根気と文章力が足りなかったにすぎないのだが、当時はそうは考えず、モデルとした事件が良くなかったのだと思っていた。

 その後も僕は新聞を読み漁り、興味を引く奇妙な事件を探し続けた。

 何度も小説を書こうとしては、飽きて、辞めてしまうことを繰り返したが、事件を漁ることだけは辞めなかった。

 いつの間にか僕は小説を書こうという気持ちすら持たなくなったかわりに、このコレクションだけが残った。今では新聞から事件を探すだけでなく、記者・警察官・医者など多くの知己をつくり報道されないような事件までも収集するようになっている。

 僕は思うのだ。

 そもそも初めに小説を書きたいと思ったのは何故なのか。

 自分だけの、自分が満足する、自分好みの奇怪な事件を取り扱った推理小説を、自分自身が読みたかったからだ。

 だからまったくのところ、今の僕は当時の願望をちゃんと満たしている。


 これからも僕はこのコレクションを続けていく。

 奈良の毒キノコによる一家殺人事件は、未解決のまま時効を迎えている。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 犯人は毒キノコを使って犯行にしたのか これは、いいシナリオだ
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