夢まで三歩半
「次にお前の宝物を燃やせ」
黒装束に身を包んだ、人の形ながら背中にコウモリの羽のある悪魔は鼻で笑いながら言い放った。
「……これを、燃やせばいいのか?」
俺はひりつく首筋をさすりながら悪魔をにらみ上げつつ、部屋に置いていたアコースティックギターを手にした。悪魔は頷く。
「そうだ」
「でもどうやって燃やせばいいんだ? ライターで火を付けても……」
「やる気があるのか?」
文句を言ったところで、悪魔がぐぐっと近寄ってきて覗き込んできた。臭いにおいが鼻をつく。
「やる。……俺は、世の中を変えたい。世界を変えるんだ」
瞳に力を込めて言い切った。
俺の父は働いて働いて、過労死した。
いまでは母が働いている。働いて働いて、病気で倒れた。過労が原因だ。
どうせ俺も音楽なんかで食っていけない。すぐにでも働かなくちゃならない。ギターを……ミュージシャンの夢を捨てるのはどのみち一緒だ。
それよりも!
俺が働いても同じことだ。
働いて働いて、そして過労死するか病気に倒れて酷い目に遭う。
世の中がおかしい。絶対に世の中がおかしい!
「いいだろう。欲しいのはその覚悟だ。この俺さまが、お前の望み……夢を叶えるのを手伝ってやる。夢実現のために俺さまの指示に従うなら、その手助けはしてやる。このように」
悪魔は顔を離してそう言うと、ギターを指差した。
「わっ!」
瞬間、ぼっとギターが燃えて隅となり、消えた。
「これで夢にまた一歩」
悪魔、にたりと2本目の指を立てた。
「あと二つだな」
「そう。お前の夢、逆木両介の願う『世の中を変える』を実現するのには四つの条件が必要だ。あとは、二つ」
悔しさを込めてにらむと、それがさも愉快そうに悪魔は笑う。
「ギターやめたんだ。あんたらしいわね。いつも中途半場で」
翌日、学校でクラスメイトの女子にあざ笑われた。名を三千木鈴香という。目つきがきつい。
「ああ。止めた」
「……あんた、くさいわよ?」
「そうか?」
鈴香が鼻にしわを寄せて身を寄せてくるので距離を取ったが……なかなか鋭い女だ。俺さまは逆木両介ではない。
「消臭効果のある何かを……あっ!」
鈴香はそれ以上俺さまには近寄らずに窓を見た。一瞬、外で何かがよぎった……いや、落ちたのだ。
落ちたのは成人女性。
「いまの……あたしらの担任の……」
そう。
鈴香や逆木両介のクラス担任の女性だ。
俺さまは、逆木両介と契約した悪魔だ。逆木両介の姿をしているが、奴は別の場所にいる。
今頃、屋上から逃げ出しているだろう。いまの担任を突き落として。
「ちょっとトイレに行ってくる」
息を飲んで下を見ている鈴香を残し、俺さまも姿を消す。逆木両介と入れ替わらなければな。
「あと一つ」
さて、奴はどうするか楽しみだ。
こうして、俺は悪魔の言う三つの条件をクリアした。
最初は、契約の証として「悪魔に生き血を吸わせる」ことだった。これは吸血鬼のように俺の首筋から血を吸うだけで簡単だった。
もう一つの「宝物を燃やす」もクリアした。
「お前は見どころがある。2番目の条件はごまかす奴が多くて、たいていの奴がここでしくじる。嘘の宝物を焼いて切り抜けようとするから、次の条件で身を滅ぼす」
悪魔はそう笑った。
「……つまり、三つ目の『身近な人を殺せ』で、殺人犯として捕まるのか?」
俺は警察の激しい取り調べを受けたばかりだ。解放されて自由の身になるまで大変だった。危ない橋を渡ったのは身に染みて分かる。
「それだけじゃないがな。殺そうと思った奴に殺されたり、一緒に死んだりな」
げっげっげっ、と楽しそうな悪魔。
「四つ目の条件は、なんだ?」
「最後は……」
やがて俺は三千木鈴香と結婚した。
鈴香は名家の娘で資産家だ。母の病気の莫大な医療費も出してもらった。
そして、彼女の願いでギターを再び手してミュージシャンを目指している。
「その……俺なんかと結婚してよかったのか?」
「いいのよ」
カーテンを開けていたが、振り向いてきつい目に力を入れた。
「周りはあんたのこと悪く言ってばかり。あの時も、ちゃんとあたしと話しててアリバイはあったわ。それに……両介のギターは凄いと思うの。きっと、周りも分かってくれるときが来ると思うの」
「鈴香……」
言い切ってきつい目に込めた力をふっと抜く。その瞬間が、たまらなく愛しい。思わず抱き寄せて撫でる。彼女は目だけでなく全身の力を抜いた。
ここで、玄関扉をノックする音。
「あ、いけない。宅配便が来る予定だったの。ちょっと行ってくる」
慌てて駆け出す鈴香。
「ああ」
見送った後、背中から臭いにおいが。
「世の中を変えるんじゃなかったのか?」
振り返ると悪魔がいた。
「夢まであとちょっとだ。どうした? 『最愛の者を、殺せ』。夢実現のために俺さまの指示に従うなら、その手助けはしてやる。……彼女と結婚できたのは俺さまの手助けのおかげだぞ。結婚さえすればいつでもチャンスはあるだろう。さあ、このナイフで」
悪魔はそうささやきつつ、どす黒いナイフを渡そうとしてきた。
「条件まで三歩半まで来てる。ここで立ち止まってどうする。あと半歩だ……」
「消えろ」
俺は、彼女から「たまに臭いわよ?」と渡された香水のボトルを取り出すと、しゅっと一吹きした。
悪魔は無言で消えた。そのうちまた現れるだろうが。
これが、俺のいまの日常だ。
おしまい
ふらっと、瀨川です。
めずらしく先月書いたばかりの作品を。
他サイトの同タイトル企画で執筆・発表した作品です。
ありがちなシチュエーションでそうきたか、をお楽しみください。




