はち、なな。
「……歴史?」
そうとも、と頷いて、男は話し始めた。
「この世界の歴史というものは、大きく前後に分けられる。ではその境界はどこか。君にはわかるだろう、科学の娘」
「……天空都市だ」
仕方なく、という調子を隠さない裁縫の答えにも、男はまるで頓着しない。
「そう。天空都市だ。しかし、これもわかっているのだろう? 天空都市の浮遊に関して、その前後およそ百年が空白となっているということを」
これにも、裁縫は頷いた。しかし、その表情は険しい。
「それが、どうしたっていうんだい」
「その謎について、説明しようというのだよ」
そう言って、男は嗤う。
「初めに、幻想があった」
ぱっと、男の頭上に巨大な端末画面が展開された。
それは、絵だ。
巨大な、絵。
異族と人間が、ともにいる絵。
「幻想があり、魔法があった。今で言う異族が自然に世界に生きていた。人間もいたが、共存していた。世界にはわからないことだらけだった。世界は不思議に満ちていた。――だが、やがて人間は見つけてしまった」
画面の絵が切り替わった。
“工房”と呼ばれる屋内で、数人がそれぞれに何かをしている。
そこは、科学者の研究所にも似ていて、
「彼らは魔法使いだったが、中でも錬金術師と呼ばれていたものたちだ。彼らは幻想そのものである魔法使いでありながら、その幻想を解明しようとした。幻想を研究し、幻想を解析し、幻想に原理を見出し、幻想を説明しようとした。――そして、幸か不幸か、それができてしまったのだよ」
また絵が変わる。
大きな変化はなく、先の絵と似たような屋内が描かれている。
「彼らはいつしか、科学者と呼ばれるようになっていた」
ただ、多少、より現代の研究室に近くなった。
彼らがまとうのは白衣。
「彼らは世界を解明しようとした。世界の不思議を消し去ろうとした。そしてついには、己自身がもとは魔法使いであったにもかかわらず、魔法使いを否定した」
絵が変わる。
先の絵にも描かれていた白衣の“科学者”と、ローブの“魔法使い”が口論している。
「どれほど研究しても原理のわからない“魔法”を否定した。そんなものは存在しないとまで言い放った。原理も原則も用いずに世界を変えられる魔法を、理解しなかった。――そして、“科学者”と“魔法使い”は決裂した」
今度の絵は、おぞましい様相を呈していた。
戦争だ。
「科学と幻想は真っ向から対立し、互いの存在をかけて争った。“科学者”は己の技術力を武器に、さまざまな兵装を開発した。対して“魔法使い”は、異族たちと連合し、その“魔法”で戦った」
凄絶な殺し合いの絵だ。“科学者”が銃器をもって“幻想”を破壊すれば、“幻想”は魔法をもって“科学者”を破砕する。
「決着は、なかなかつかなかった。だが、概ね“魔法使いが”優勢に戦っていた。プロセスを必要としない、世界を直接に変えられる魔法の方が、原理原則からは逃れられない科学よりも有利だったのだ。――しかし、その戦争の末期」
その絵には、血なまぐささはなかった。
だが、執念だけはこれ以上なく伝わってくる。
何か巨大な機械の前に、白衣の“科学者”が立っている絵だ。
「とある“科学者”が、とうとう創り上げたのだよ――最後にして最強の科学。科学にとっての、最後の希望をね。それを、彼は天空に浮かべた。最高の科学たるべく、最先端の科学として、ね。それから戦況は劇的に変化した」
また、戦いの絵だ。だが確かに、前の絵とは様相が違う。
蹂躙されている。
その“最後の希望”とやらに、“幻想”はなすすべもなく殺されていく。
「もちろん、“幻想”はそれでも善戦した。“科学”の生み出したものの多くを亡きものにした。“科学者”の多くを滅ぼした。――だが、間に合わなかったのだよ。天空のそれを堕とすには、ね」
“幻想”たちは、敗走していく。空間の裂け目のようなところから、逃げていく。
「結局のところ、“幻想”はこの世界を諦め、離脱していったのだよ。異世界にね。どの世界かまではさすがに分らず、“科学者”も追跡は断念せざるを得なかった。――“科学”は、勝利した」
世界には“科学”だけが残っている。だが、戦勝の喜びには程遠い。
「そう、確かに勝利はした。だが、失われたものが大きすぎた。ほとんど何も残っていなかったと言ってもいい。世界には、戦火を免れたわずかな人間と、形ばかりの“科学”、そして天空に浮かぶ“それ”しか残されてはいなかった。戦争以前の技術力は、およそ滅びてしまったのだよ。そして、なけなしの“科学”にすがる人々は、いつしか天空の“それ”、その当時ですらもうロストテクノロジーと化してしまった、前時代の遺物を、畏敬と羨望の念を込めてこう呼んだ」
大空に浮かぶ、巨大な影。
「天空都市、と」




