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世界は不思議に満ちている  作者: FRIDAY
天空都市
86/141

はち、ろく。

 

 

「――ほう、わたしは何者か、か」


 先を歩いていく男が、早見の問いに応じて、まずそう答えた。

 男は、早見達が何か言う前に身を翻し、「ついてきたまえ」と言ってさっさと歩き始めてしまったのだ。抗する意味もなく、他に向かうところもなかったので、やむなく三人は男と十分な距離を置いてついて歩いている。

 そしてその道中で、早見が男に訊いたのだ。「あんたは何者だ」と。


「それは哲学的な問いかね。それとも生物学的な問いかね」

「人間的な問いだ」


 とぼけるような物言いを相手にせず、早見は切り込む。成程、人間的ね、と応じて、しかし男はこちらに振り返らないままに肩をすくめた。


「残念ながら、その問いに対して君が満足できるような答えを、わたしは一切持ち合わせてはいない」

「……どういうことだ? 名前くらいはあるだろう」

「ないのだよ」


 あっさりと、男はそう言った。


「わたしは名など必要としていないものでね」

「意味が解らない」

「名とは、その個体を近似の存在から区別するために必要とされるものだ。ならば、近似の存在というものがなく、世界唯一であるわたしには、名というものは必要性が皆無なのだよ、魔法使いの少年」


 最後の男の呼びかけに、早見だけでなく、裁縫も水澤も身を固くした。だが男は、その様子を肩越しに眺めて薄く笑うだけで、歩みを止めようとはしない。


「例えば、そう。魔法使いの少年よ。君は人間としての名を持っていたな。早見・ようだったか。その名がなぜ必要になるかと言えば、それは近似の存在であるところの、“人間”が世界に遍在しているからだ。膨大な有象無象と君個人とを区別するために、君は君の名を必要とする。しかし」


 男は、両手を肩の高さに広げて、実に気安い調子で続ける。

 この程度のことは与太話のひとつに過ぎない、と。


「君を“魔法使い”と呼ぶとき、君は既に名を必要としていない。この世界にはもう唯一の存在となった君に対しては、“魔法使い”という呼称で十全に指名が成立するのだよ」

「……やっぱり訳が分からないな」

「深く考える必要はない。道中の気晴らしのひとつさ」


 常に飄々と、はぐらかすような態度を崩さない男に対し若干の苛立ちを感じながらも、なおも早見は男に話しかける。


「今、あんたはどこに向かっているんだ?」

「中枢だよ。この天空都市の中枢部。そしてこの世界の中枢部だ」


 あっさりと明らかにされた目的地に、反射的に早見たちは身構えるが、男は軽い調子で肩越しに、そう警戒するな、などと言う。


「折角ここまで来たんだ。この都市の観光案内でもしてあげようというわけだよ。別に、君たちをすぐにどうにかしようという気はない」


 男は気安く言うが、早見も裁縫も身構えを解くことはない。


「……ボクたちがどうしてここに来たのかは、わかっているんだろう?」


 裁縫が問いかける。すると、男はあっさりと頷いた。


「知っている」

「知っているのなら、すーちゃんが小説家であることだって知っているはずだ。科学の象徴であるこの天空都市にいるのなら、キミが誰であれ、やはりすーちゃんを捕えようとするんじゃないのか」


 裁縫の言葉に、さりげなく早見が水澤の前に立つ。だが男はそんなことになど一向に頓着せず、


「そうだな」


 と答えた。


「確かに、わたしにもそこの小説家を捕える意味も、理由も、価値もある。だが――君たちは、ひとつ思い違いをしているよ」


 そう言って、男は嗤う。

 男を先頭とする五人は、とある建物に入っていく。それは、この天空都市で最も高い建造物であり、塔のような、そして天空都市の中心にあるものだった。


「思い違いと言うよりは、認識の誤差、というところだろう。――もちろん、君が持っている推測や認識にまで至ることができたというそれだけで大したものなのだがね、科学の娘よ」


 男のその呼びかけに、ひく、と裁縫は無表情をわずかに揺らがせた。

 だが、そこには執着せず、


「お褒めに預かり光栄です、とでも言えばいいのかな。しかし認識の誤差、ね。それは一体どういうものなのか、訊けば教えてくれるのかい?」


 歩みを止めることがない男は、いいとも、と鷹揚に頷いて返す。


「キミはどうやら、その小説家と科学の関係について、次のように理解しているようだね。――即ち、科学は自分たちの発想力を取り戻すために、生来強大な発想力を有する小説家を研究しようと考え動いている、と」


 男の言葉に、裁縫は頷く。


「概ねその通りだよ」

「うん。そしてそれは、およそ正しいと言っていい――地上の機関の事情としては、ね。だが、このわたしの目的は、ややずれている」

「……ずれて?」


 そうとも、と頷いて、ようやく男は立ち止まり、振り返った。

 そこは、その建物の中心部。正真正銘の、中心の中枢の心臓部とも言える場所。

 世界の中枢を背に、男は笑みをもって両手を浅く広げた。


「――歴史の話をしよう」

 

 


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