ろく。
一旦は帰宅した姫森だったが、帰って自室の冷蔵庫を開けると、いくつか切らしてしまっているものがあることに気付いた。
「卵と、牛乳と……」
指折り数えつつ、自室を出る。アパートの廊下を歩きつつ、端末を操作して座標を合わせる。
「まあ、そんな遠くまで行くこともないよね……ターミナルのデパートでいいか」
座標を確定し、転移を開始する。
瞳を閉じる。淡い風が頬を撫でるような感覚があり、次いで浮遊感、それを経て、肌に触れる空気が変わり、足立つ床の質も変わり、喧騒に包まれる。
数秒で、姫森はデパート内の一角に立っていた。
「さて、食料品のコーナーは、っと……」
つぶやきながら、他の買い物客の間を縫って、その方面へ向かって歩いていく。
魔法と見紛うほどに科学の発達した現代、その技術だけを純粋に考えてみれば、人々は買い物に出る必要など一切ない。自宅に居ながらにして、人は世界中のあらゆるものを手に入れることはできる。
だが、それでも商店というものはなくならないし、人々は買い物に出かける。
こんな言葉がある。
“人が人として人らしく生きるためには、ある一定水準の不便さを必要とする”
ユーリ・リーベンシュタインの言葉だ。
彼女はおよそ五百年前に生きた人物だ。歴史に大きく名を残す稀代の科学者であり、そして小説家でもあった女性である。
SF小説を得意とした彼女の最も偉大な功績は、自身が小説に描いた数々のフィクションを、己の手で全て実現して見せたことだ。彼女の確立した理論、完成させた技術、さらには後代にまで遺した数多くのさらなる発展の種によって、世界の科学技術は類を見ない躍進を遂げた。
彼女の名をなくして科学史を語ることはできないほどだという。
そんな彼女の遺した言葉であるからこそ、五世紀も経過した現代でも重んじられ、人類は生活の諸所にあえて“不便さ”を残している。
“科学の発展は欲望に基づく。欲望とは生きる不便さの打開である。生きる不便さを失い、生きる全てを科学の産物に依存するようになれば、科学はそれ以上の発展性を喪失し、人は科学に生きることを任せた人形となるだろう”