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ごじゅうときゅう。

 

 

 早見の手際は、姫森が思っていたよりも的確だった。さすが、この一週間の三食をひとりで賄ってきただけのことはある。動きに無駄がなく、包丁さばきも危なげない。

 むしろ、姫森の介入が邪魔になってしまいそうな感じだが。


「小麦粉、そこのはかりで量ってくれるか。90グラムで」

「ん、90グラムね。了解」


 小袋を受け取って、姫森は慎重に小麦粉を流し込んでいく。おっかなびっくりの姫森に、早見は「ちょっとくらいズレてもいいぞ」などと言って笑う。


「――ねえ、はやみんってさ」


 流れていく小麦粉をなんとなく眺めながら、姫森は背後でお湯を沸かしている早見に声をかける。ん? と早見も水面を見つめながら背中で答える。


「はやみんってさ、本当に魔法使いなんだね」

「――ん。まあな」

「こういう料理とかも、魔法でぱーっとできないの?」

「まあできるけどな。でもそれじゃあ楽しくないだろ」


 へえ、と相槌を打ちながら、やっぱり楽しいんだなあ、と思う。早見はひとりで料理しているとき、はなうたを唄っていたりするのだ。今だって、姫森がいなければはなうた混じりだろう。


「はやみんは、さ」


 他愛もない話の、その延長の穏やかな気持ちで、姫森は早見に問う。


「はやみんは、怖くないの?」

「だからはやみんとと呼ぶなと……ん? 怖い?」


 肩越しに早見は振り返るが、姫森は量の目盛に視線を固定して背を向けたままだ。


「うん。――先週もさ、今だってさ。あの、いろんな人たちに襲われたりしてさ。あのときだって、死ぬかもしれなかったんだよ? でも、はやみんは怖くなかったの? 今だって、いつ攻撃されるかわからないんでしょ?」


 問われ、早見はすぐには返答せず、んー、と考え込んだ。


「――怖くない、といえば、まあ嘘だな」


 野菜をまな板に置いて、早見はまずそう答えた。


「でも、全く動けないほど怖いってわけでもない」

「どうして?」

「死ぬときは死ぬだけだしな。むしろ、絶体絶命っていうときっていうのは、できることがいくつもないんだよ。これしかできることがない、って。だったら、それをやるしかないだろ?」


 さく、と野菜を包丁で切り分けながら、早見は言う。


「どうしようもなく怖くて、足も震えて動けない、ってなったら、それはもう本当に駄目なんだろうけど。でも今のところはそれほどでもない。だからまあ、大丈夫かな」


 ふうん、と姫森は相槌を打つ。


「お前は怖いのか?」


 今度は逆に、早見がそう訊いてきた。

 姫森は少し迷った後で、頷く。


「――怖いよ」


 正直に。


「だって、私だけ、皆と違って何もないんだもの。魔法も使えないし、科学だって人並みだし、小説が書けるわけでもないし……そのどれの手伝いができるわけでもなくて。私だけフツーで。流されていくだけなのは、やっぱり嫌なんだけれど、でも流されていくことしかできないのは……怖い」


 言ってみてから、本当にそうだなあ、と思った。ここにいてもいいのか、という迷いは、流されていくのが怖い、ということでもあるのだ。

 早見は、すぐには答えなかった。とん、とん、とまな板の上で包丁が踊る音が静かに聞こえ、野菜の切られていく音が聞こえ、


「――帰りたいか?」


 そう訊いてきた。


「え?」

「考えてみれば、別に、姫森がここに無理にいる必要ってないんだよな。確かに。そのためにいる裁縫とか、そうするしかない水澤さんとかは必要だからそうしているし、俺だって一枚噛んでるって言えばそうなんだよな。でもお前だけ、強いてここにいることもないんだよな」


 言われた言葉を反芻して、姫森は胸の奥が冷えるのを感じた。振り返る。早見はやはり、話の流れのままに話しているだけで真剣に言っているわけではないようで、依然として野菜を刻みながらであるのだが、


「そうだよなあ。危ないよな。これからだって危ない場面は少なからずあるんだろうし、そうすると、怖いよなあ」


 水澤の言葉がよみがえる。姫森が本気で帰りたいと願うのならば、裁縫も早見も、


「帰りたいって言うのなら、俺も何とかするぞ。裁縫が言うにはお前も顔が知られちゃってるから、離れたから全く危険がなくなるってわけじゃないが、俺もサポートするし。その程度なら追い払うことだって、離れててもできる。だからほとぼりが冷めるまで、

「私、ここにいない方がいいのかな」


 思わず早見の言葉にかぶせて、姫森は言ってしまっていた。それも、自分でも思った以上に声が震えていた。その震えに気付いた早見が慌てて包丁を置いて、


「あ? どうした、大丈夫か?」

「私、ここにいない方がいいのかな。帰った方がいいのかな。ここにいたら、皆の邪魔になっちゃわないかな」


 早見が先の提案を、そういうつもりで言っていたわけではないことは、当然のことよくわかっていた。だが、口をついて出るその言葉を止めることはできなかった。


「私、何もできることなくて、手伝えることもなくて、ただついてきてるだけで、ただいるだけで。何の役にも立ってない。私、ここにいない方がいいんじゃないかな」


 疑問、というよりは確認という口調だった。

 視線は下がり、背もやや丸くなっている。

 ある意味で、それは確かに恐れだった。

 そんな姫森を見て、早見はやや困った顔になっていたが、やがて小さく吐息して苦笑した。


「何の役にも立ってないってことはないさ」

「……え?」


 顔を上げると、ほら、と早見は姫森が手に握りしめている小麦粉の袋を示した。


「現に今、そうやって俺を手伝ってくれてるだろ」

「でも、これじゃ、」

「そういうのでいいんだよ。深く気に病まなくていい。誰も、お前がいない方がいいだなんて思ってないし、むしろお前が初めに水澤さんを拾ってくれてなかったらこうはなってなかったんだから。――そうだなあ、不謹慎かもしれないけど、正直な話、俺は今そこそこ楽しいんだよ」


 楽しい? 疑問を顔に浮かべる姫森に笑みを見せ、早見はまたまな板に向き直った。

 とん、とん、と野菜を刻みながら、


「俺は主人公じゃない。それだけは絶対なんだが、でも――今、こうしていると、自分が何かの、誰かの物語の一部を担っているような気がして、自分が物語の一部であるかのような気がして、楽しいように思う」


 だからさ、と早見は続ける。


「お前も楽しんだらどうだ? ただの受験生じゃこんな経験はできないわけだし。話しても誰も信じてくれないだろうけど。不思議体験、みたいな、さ」


 切り終えた野菜を、ボールに移す。


「いてもいいのか、って言えば、お前はここにいてくれた方がいいと思うぞ。いろんな意味で。俺がお前に答えられるとしたら、そんな感じだな」


 小麦粉くれ、と手だけ伸ばしてくる早見に小麦粉を渡しながら、そっか、と姫森は小さく微笑した。

 ざば、と小麦粉をボールにあける早見の背に、


「ねえ、はやみん」

「だからお前ははやみん言うなと」

「このいろいろが終わって、落ち着いたらさ。私に料理教えてくれない?」


 あ? と怪訝な顔をして振り返る早見に、ふふ、と姫森は笑い返す。


「もう完璧にはやみんの方が料理上手なんだもん。だからさ」

「……まあ、いいけどな。それは女子的にどうなんだろうなあ」


 えー、と膨れる姫森に、早見は笑みを見せた。


「いいよ。そのときは俺がお前に料理を教えてやる。――忘れるなよ。だが俺は忘れてるかもしれんが。そのときは言ってくれ」


 えー酷い、と言いながらも、姫森は満足げに笑ったのだった。


「――ところで姫森、この小麦粉、ちょっと量多すぎやしないか?」

「あれ、何グラムだっけ?」

「90グラム」

「……あー」

「せめて量くらいまともに量れるようになっててくれ」

 

 


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