ごじゅうとなな。
「歴史が、存在しないって」
早見が、眉根を寄せて難しい顔になりながら訊き返す。
「どういうことだ?」
「そのままだよ。歴史がないんだ。記録がない。それどころか、天空都市浮遊以前の歴史までもが、曖昧な記述しか存在していない」
思い出して御覧よ、と言われ、早見は学校で習った歴史を振り返る。
「天空都市浮遊が、科学世界の急発展の契機だったって……それ以前は、科学だけじゃなく、魔法も存在して、異族も数多くいた、と」
早見の言葉に、裁縫は無表情に頷く。
「それ以上のことは何ひとつないだろう? 歴史というものは天空都市から始まっていて、それ以前は曖昧模糊として判然としない。何しろ遺跡や遺物、遺構の類がほとんど残っていないんだからね。残っているもの、記録されているものでも、“天空都市浮遊以前に存在していた”以上のことは書いていない」
「ああ、確かに。そうだったかも」
早見の反応は曖昧だ。それを見ていた水澤は、成程な、と頷きつつ腕を組んだ。
「これが、“疑問を持つことすらない”ということか?」
「ん、どういうことだ?」
「今の君のことだよ、早見クン」
水澤は、早見を見据えて考えながらに言う。
「今の裁縫クンの話、私からしてみれば明らかにおかしな話だ。学校でそんなものを教えられているというのなら、私は人間不信になっているだろう。……だが今の君は、裁縫クンの話を聞いても大したことだとは思ってないだろう?」
ん、と早見は腕を組む。しばらく考え、
「……そう、だな。悪いが、それがどうした? としか思えない。なんというか、それについて考えようとすると思考が曖昧になる、というか……」
「だろうね。それが、恐らくこの世界に生きるほとんどの人間に影響している“何か”だ」
「“何か”?」
「“何か”だよ。それが具体的に何なのかは、さすがにボクにもわからない」
あー、とわかったようなわからないような顔で虚空を睨み付ける早見。だがふと、あ? と疑問の声を上げて、
「俺がわかってないのは、それはそれとして……どうして水澤さんは、それに疑問を持てるんだ?」
あ、と水澤も声を上げる。二人で裁縫を見ると、
「それもなんだけど……すーちゃんの記憶。東都を東京と呼び、西京を京都と呼んでいること。数か月より以前の記憶が曖昧であること。天空都市に対する認識……でも残念ながら、これに関しては今のところは仮説しかない。根拠も何にもなくってね。だから今は答えられない――まあ、もう少しはっきりしてきたら話すよ」
そうか、と頷いて、水澤は背もたれにもたれかかった。
「何だか話が大きくなってきたきもするが……今はとにかく、私は小説を書くことに専念するが」
天井を見上げ、
「姫森クンではないが……どうにも、自分の足元が怪しくなってきた気もするな」
そう、吐息したのだった。




