ごじゅうとよん。
早見が水澤の書斎に入ると、ちょうど水澤は休憩していたところらしく、コーヒーを飲んでいた。
ノックしてから入った早見に、やあ、と片手を上げる。
「どうかしたかい、早見クン?」
「あ、いや、まだ他にレシピブックあったかなって」
先に借りていた本の料理はおおよそ作ってしまったのである。ほう、と水澤は目を細めて、それから書棚を眺めると、
「うん、あと二冊ほどあるな。――いやしかし、君の料理の腕は大したものだ。私は毎食楽しみで仕方ないよ」
「いやあ、本に書いてある通りにやっているだけなんだけどね」
それでもまんざらでもないらしい、早見は本をぱらぱらとめくりながら、緩みかける頬を引き締めている。
「あー……小説の方はどうなんだ? 調子は」
「調子か……悪くはないんだがな。やはり、慣れないことは難しい」
ふふ、と水澤は目を伏せながら笑う。
「確かに創作めいたことは昔からやっていたんだがな。こうまで本腰を入れて創り出すというのは初めてだ。毎日徹夜だよ」
言いながら、コーヒーをすする水澤。
と、ふと水澤が何かを思い出したようにぱっと顔を上げて早見を見た。
「そういえば早見クン、急に話が変わるんだが、ひとつ訊いてもいいだろうか」
「え、ああ、いいけど」
まあ座ってくれ、と示された椅子のひとつに座りつつ、早見は頷いた。水澤は、先程までの緩んだものから一変して鋭さを宿した視線で、
「――天空都市というのは、何だ」
そう訊いた。
「何だって……どういう意味で?」
意図を図りかねた早見が訊き返すと、ん、と水澤はやや考え、
「いや……何て言うのかな、いろんな意味で、だよ。そう……あれは、あれがあそこに浮かんでいるのは、最近からの話ではないんだよな?」
その問いに、早見は何を当たり前のことを、という顔をする。
「そりゃあなあ。もう何百年――いや、もう千年くらいになるのかな」
「その千年間、ずっとああやって飛び続けているのか?」
「ああ、うん。降りたって話は聞かないかな。降りるところもないし」
聞いた水澤は、ん、と難しい顔で何か考え込んでいる様子だ。どういうことだろう、と訝しげにそんな水澤を見ながらも、
「そういえば、水澤さんは天空都市を見たことないって言ってたよな……見たことないって人がいるとは思わなかったけど」
「そうらしいな。それほどに一般的と言うわけだ。しかし……いや……」
「ん、どうしたんだ?」
早見の問いに、いや、と水澤は眉間にしわを寄せたままで、
「いや、な……何だか記憶が怪しいというか、そう、東京や京都の名もそうなんだが……天空都市、などというものは浮かんでなかったような気がするんだ……」
は、と早見が訊き返そうとした間際、そこで不意にノックもなく戸が開いて、
「――成程ね、過去の記憶が不確かなわけか。それは恐らく、このアパートに入居するまでの記憶だろう」
裁縫が入って来た。




