ご。
妙だ、と内心で思う。
前にも後ろにも誰もいない。それはまあ、いい。空間転移が普及しているこの時代、外を出歩く人間は、ペットの散歩くらいなもので、早見のように何の用もなく出歩く人間はそういない。
だが、
「……妙に、静かと言うか」
生活音、というものがある。
早見が今歩いているのは住宅街だ。そんなところを歩いていれば、必然、周囲の家々からは何かしらの音が聴こえるはずである。
鳥類だって滅びてはいない。虫の声というものが風物詩から消え去って久しいが、空を隊列をなして飛翔する鳥類はなおも健在だ。ましてこの時間帯などは、それこそ帰宅する烏やら何やらが夕空を乱舞していてもいいはずである。
それが一切ない。
「――とか、状況描写しなくてもまあ、明らかに空気が違うんだけどさ」
苦笑する。
「成程、位相を微調整して創造した亜空間ね。いつの間に取り込まれたのか知らないけど……ひょっとしてさっきの独り言聞かれてたりする? 恥ずかしいなあ」
おどけるように、誰かに話しかけるかのように言うが、相変わらず周囲に人影は見当たらない。
しかし、早見のその言葉が宙に消えると同時に、
「――そうだな。盗み聞きは趣味ではないが、不可抗力と言うことで大目に見てもらいたいところだ」
一瞬。
誰もいないはずの空間から答えが返ると同時に、瞬く間に数十人からの人影が現れた。
道の真ん中に立っている早見を囲むように、道の両脇、正面、背後、塀の上や、上方数メートルのところにまで配置されている。
まるで初めからそこにいたかのように、彼らはそこにいた。
「……これはこれは、大歓迎だなあ。はやみん感激――冗談はともかく、え、ほんとになに? 俺何かやらかしたっけ?」
思ったより多かった人数に驚いたのか、若干口許を引きつらせつつ誰ともなしに早見が問うと、正面に立つ背の高い男が一歩前に出た。
「突然の訪問で驚かせてしまい、申し訳ない。私は――こちらの一方的な事情で身分は明かせないが、とある機関の者だ。今回、私たちはとある提案をしに、君のもとをこうして訪れた」
「……へえ。それはそれは、ご苦労様なことで。で、なに? どんな提案?」
軽々な調子を保って返しつつ、早見はさりげなく周囲を観察する。
人数は、ざっと見たところ二十人前後。漆黒の衣装で全員そろえており、顔も仮面のせいで窺えず、何か装備しているのかどうかも漆黒のマントのせいで判別できない。
「俺がハッピーになる提案だったらいいなあ……なーんて」
「ハッピーにか。なれるかもしれないな。それは全て君次第だよ」
へえ、と早見は改めて正面を見る。
男は、他の連中と同じく仮面にマントの漆黒スタイルだ。
警戒を解かないままに見ると、男は重々しく頷いて見せた。
「――君に、我が機関への協力を依頼しに来た」
へえ、と先と同じ答えを返し、早見はより警戒を強めた。
「協力、ねえ」
「そうだ。君のその稀有な才能は、我々の社会に大いに生かされるべきだ。このまま無為に失われるのは実に惜しい――君もそう思うだろう?」
どうだかねえ、と早見は応じた。
「その辺の話を知ってるってことは、まあ結構大きい機関なんだろうけどさ……そういう話は、うちのじーさんが昔全部破棄してたはずなんだけど。そのあたり、どーなの?」
早見の問いに、男は鼻で笑って返した。
「そんな昔の話が、いつまでも続くわけもあるまい。君の祖父殿も既に亡くなられているし、何より君ももうすぐ成人、立派な大人だ。そろそろ自分のことは自分の意志で決めるべきだ。そうだろう?」
それはまあ、そうだろうけどさ。
早見は小さく吐息した。
含まれるのは、呆れの色だ。
「別に、俺はじーさんに反対してたりなんかないぞ。むしろ感謝してるくらいでな。――ああ、じゃあ、こういうときのお約束、訊いておこうか。一応参考までに訊いておくけど。その提案、俺が蹴ったらどうなんの?」
何気なさを失わずに続けられた早見の言葉に、周囲の空気が一瞬で変化した。その動きを、男は手を軽く上げて制す。
その様子を眺めていた早見は、ぽつりと、
「……まあ、そんなこったろうと思ってたけどもさ。いやあ、俺って人気者だったんだねえ」
「残念ながら、君に拒否権は認められていない。だから君がどうしても断ろうとするのなら、我々は実力行使に出るしかない。……しかし、手荒な真似はしたくないのも事実だ。私個人としても、君には君自身の自由意思で協力を決めてほしいと思う」
「御立派御立派。素晴らしい。強制と勧誘の境界が見事に曖昧だ。そういうの、俺も今後の参考にしたいところだねえ」
ぱちぱち、とわざとらしく拍手して見せる。
この上なく空々しく響いた。
「……冗談も皮肉も通じない方々だこと。だからっていうわけじゃないけど、まあ、答えは決まってるってものですよ」
前触れなく、しれっと、早見は両手を肩の高さまで挙げた。それは何気ない動作だったが、一瞬でまた男たちの空気が変わる。
警戒に。
男たちの変化を感じ取って、早見は唇の端を釣り上げて嗤った。
「あんたら、俺についてのそのあたりのことはとっくに知ってて来てるんだろ? んじゃあまあ、どんな対策してきてるのかはわからないが、そこら辺はテキトーに上手くやるからさ――」
一見、ただのホールドアップにも見える早見の両手。
両手にまとう、淡い光。
「――覚悟はいいか?」
一斉に身構える男たちを前に、こちらは何も身構えることなく、どころか一度上げた両手を再びだらりと下げてしまった上で、早見は嗤う。
「少なくとも今の俺は、こっちを選ぶ」