さんじゅうなな。
早見は隣に座る裁縫の首根っこを掴んで後ろに引きずり込んだ。
「何だいはやみん、後ろに引きずり込むなんて。いやらしい」
「やめろ。地の文に突っ込むな――って、地の文って何だ」
早見は首を振った。そして、後ろできょとんとしている水澤を指して、
「おい、どういうことだ。あの水澤って人は、小説家なんじゃないのか? 間違ったのか? 手違いで俺は昨夜玄関で寝させられたのか?」
「いや、彼女が小説家であることは間違いないはずなんだ」
裁縫は、開いていた端末を閉じて肩をすくめた。
「初めに気付いた機関がどうやって気付いたのかはわからないが、その後他の機関も確認を終えている。それでも本人がわかってないとなると……恐らく、忘我による記憶の混濁か、あるいは」
あるいは? とその先を言う前に、裁縫は元の位置に戻ってしまった。
「水澤さん、いくつか教えてくれないか」
「はい……何でしょう」
やや身構えている水澤に、裁縫はさらっと、
「キミは、自分が諸所の機関に拘束されている間のことと、そこで行われた数々の実験について、どれくらい覚えている?」
え、とこちらも席に戻った早見が絶句する。それは、あまり思い出したくない記憶なのではないか。実験だって、非人道的だったと言っていたのは裁縫だ。
しかし心配する早見に反し、水澤は取り乱すことはなく、ちょっと困ったような顔をしただけで、
「どれくらい……というと、さっぱり、でしょうか」
そんなことを言った。
え、と驚く早見に構わず、裁縫は淡々と、
「というと?」
「初めは、“保護”だって言われて、言われるままに連れていかれて……そこで、あなたは小説家なんだって言われて。確かにいろいろ調べられた、っていう覚えはあるんですけど、具体的なことは全然……自分は小説家じゃない、って何度も言ったんですけど、誰も聞いてくれなくて」
ふむ、と裁縫は頷いた。
「恐怖で記憶を喪失しているというわけでもない……忘我の影響か、そうでなければ実験の際は眠らされていたのか……」
ぶつぶつと呟く裁縫。だが今度はすぐに顔を上げた。
「次の質問だ。キミは創作は好きかい?」
「え、そ、創作、ですか?」
「そうだよ」
戸惑う水澤に、裁縫は頷く。
「別に小説に限った話じゃない。何でもいいんだ。物語を創るのが好きだとか、空想するのが好きだとか」
裁縫の問いかけに、水澤は不思議そうな表情になった。
「それは……まあ、好きと言えば、好きですけれど」
「起承転結とか、序破急とか。登場人物の設定とか、物語の展開とか。暇があれば考えていたりしないかい?」
「……ええ、まあ」
どこか恥ずかしそうに視線を逸らしながらも、頷いて見せる水澤。それに対しても、裁縫は変わらない調子で頷く。
「成程ね」
「それが、どうかしたんですか?」
「いや、それが決め手だったんだね、と」
ふんふんと頷いて、裁縫は、ぴ、と人差し指を立てて見せる。
そして、やはり無表情なままで単調に、さらっと、
「それができる人間は、この時代にはもうひとりもいないんだよ」




