さんじゅうご。
居間に入ると、何だかいい匂いが漂っていた。キッチンからだ。
「卵……?」
「ああ、ついでに朝食もできている。それを摂りながら、ファーストコンタクトと洒落込もう」
淡々と言って、裁縫はすたすたとダイニングへ向かってしまう。寝室じゃないのか、と思ったが問う間もなく行ってしまったので、仕方なく後に続いてダイニングに入る。
「あ、はやみん、おっはー」
「だからお前ははやみん言うなと……」
語尾がすぼんで消えた。
は、と訝しさをありありと浮かべた表情で立ち止まる早見に、さっさと席に着いた裁縫が、
「どうしたんだい、まるでまだ目覚めるには早いはずの小説家が目を覚ましていて食卓で朝食を摂っているのを見てしまったかのような顔をしているじゃないか」
「そんな具体的な顔はしていない……え、いや、それ冗談じゃなく本当だったのか」
確かにそこに座っていた。
昨日、早見が解毒剤をその場で生成し投与して、そして遅かれ早かれ目覚めるという話だった小説家が。
姫森の横の席に座って朝食を摂っていた。
雰囲気は相変わらず茫洋としている。だが、こちらを見て恐縮したように会釈するその瞳には、確かに自我というものが感じ取れた。
何より、
「――その」
か細い声で、小説家は言った。
「朝食、どうぞ……?」
「――え」
「何をやってるんだいはやみん。さっさと食べ始めないと、せっかくの朝食が台無しだよ。いつも米と肉しか食べてないんだから、こういう料理らしい料理は久し振りだろ」
茶碗に盛った米を箸でつつきながら、裁縫が促した。何でそれをお前が知っている、とか、一体どうして俺は昏睡していたはずの小説家に朝食を勧められてるんだ、とか、言いたいことはたくさんあったのだが、たくさんありすぎてひとつも言葉にならなかった。
促されるままに、ひとつ空いている席に座った。
え、なに。おかしくないか? 急展開にもほどがあるというか、もうわけわかんね……
さりげなく、他の三人を窺う。隣の裁縫は早速味噌汁をすすっているし、斜向かいの小説家は箸先で器用に魚を開いている。正面の姫森にいたっては、もう一言もなく米をかきこんでいた。
早見になど一瞥もくれない。
何も言えず、早見も食卓の上を見る。
目の前には、一食分、朝食が配置されていた。炊き立てらしい白米に、わかめと豆腐の味噌汁、焼き魚、卵焼き。入ったときの香りはこれだろう。しかし冷蔵庫にもこの材料は一つも入ってなかったはずなんだがどこから調達したんだ?
とりあえず、味噌汁をすすってみた。
程よい熱さに、ダシのとれた味噌の香りが鼻腔に広がる。
美味い。
「……これ、誰が作ったんだ? 姫森か?」
思わず問う。しかし姫森は口をいっぱいにしたまま首を振った。じゃあ誰だ、まさか小説家が、と思うと隣から、
「ボクだよ」
本日既に三度目になる。早見は呆然と隣の裁縫を見た。
裁縫は、ふん、となぜか蔑むような目でこちらを見た。
「ふ、これもまた、ボクが人をして意外性の女と呼ばしめる所以さ」
「初めて聞いたけどな」
しかし悔しいが美味い。




