さんじゅうに。
「……何だよ」
ぴ、と自分を指さす裁縫に、早見は頬杖をついて不機嫌そうに眉根を寄せて返す。
裁縫は全くひるむことなく、
「これは幸か不幸か、どちらかと言うなら幸だろう。もともとボクは――ボクたちの機関は、“彼女”を保護した後はキミにワタリをつけて、協力してもらおうと考えていたんだからね」
「そうだ……お前の機関ってどこなんだ? お前、人に協力を請うならそれくらい教えて置けよ」
裁縫は、軽く肩をすくめてみせた。
「残念ながら、それはまだ明らかにできないね。やんごとなき事情、という奴だよ……その代り、その辺り以外のことなら大抵答えよう。さあ、質問コーナーだ」
はぐらかされた早見は、む、と口をつぐんだ。代わりと言うわけでもないだろうが、姫森が遠慮がちに手を小さく上げる。
「はい、お姫ちゃん」
「何よお姫ちゃんって……何であなたがその呼び方するのよ。あ、そうじゃなくて、質問なんだけどさ」
ちら、っと姫森はそっぽを向いている早見を見てから、
「――はやみんって、魔法使いなの?」
「「そうだよ/違う」」
ふたりの返答が被った。
む、とふたりが睨み合う。とはいえ裁縫は無表情だが……ふたりを交互に見比べつつ、姫森は続ける。
「でも、さっきの転移とか、その前のあの、私たちを守ってくれたあれって、少なくとも科学じゃないよね? 魔法じゃなきゃなんなの?」
問われて、答えを持たない早見は言葉に詰まる。それを見ながら裁縫は淡々と、
「どうしてキミがそれを認めないのか、ボクは不思議で仕方ないよ。もしもボクが魔法使いだったらもっと有意義に活用して暮らすのに」
「……有意義に?」
「そうとも。学校でクラスメートに見せびらかして一躍ヒーローさ」
「ポケットサイズの有意義なんだな」
早見は深くため息をついた。
「別に、認めるのが嫌なわけじゃない……認めた後で、詮索されるのが嫌なんだよ。あんまりいい思い出がないもんでな」
「いい思い出って」
「じーさん絡みの話だよ」
言われて、姫森は、あ、と小さく声を漏らして俯いた。早見は変わらずそっぽを向いている。
そんなふたりを見て、今度は裁縫が訝しげにする。
「ふむ? まあそれじゃあその辺りの詮索はしないことにするよ。伏線のひとつとして大切に温めておくことにしよう」
「回収しないからな」
「他に質問は?」
問うと、再び姫森が手を上げた。
「はい、お姫ちゃん」
「だからお姫ちゃん呼ぶな……じゃなくって。その、小説家の人なんだけど」
ベッドで眠る女性を指して、姫森は問う。
「名前、は?」
「わからない。少なくともボクは知らない。研究所では識別番号で呼称されていたしね。目が覚めた時に本人に訊いてみるしかないだろう」
覚えていればだけど、と不穏なことを付け足す裁縫。しかしそこには言及せず、姫森はもうひとつ、
「それじゃあ……その人の、家族とかは? 心配してるだろうし……警察に連絡して、家族に会わせてあげれば」
「残念ながら、どれもできないんだよお姫ちゃん」
お姫ちゃんと呼ばれたことにむっとする姫森だが、構わず裁縫は続ける。
「まず簡単な方から話すと、警察、他にも国家機関は駄目だ。この世界じゃ国家よりも科学機関の方が力が大きいからね。どこでもいい、機関が引き渡せと命じればほいほいとふたつ返事で渡しちゃうだろうよ」
それから、と裁縫は言う。
「この小説家に、家族はいない」
「え……?」
何を言われたのかわからない、という表情をする姫森。
「それって、事故とか何かで……?」
「違う。“いない”んだ。初めから。それどころか、この小説家そのものが、この世には存在していないことになっている」
「……どういうことだ?」
ここでようやく、早見が話に参加してきた。
「この世には存在しないって……この国を問わず、人間は生まれた瞬間に個別登録されるはずだろ」
「統合情報中枢にハッキングして調べた。間違いなく彼女はこの世に存在していない」
は? と早見が本気で驚いた顔をした。姫森はいまいちぴんと来ていない様子だ。
「はやみん、統合情報中枢って?」
「はやみん言うな。統合情報中枢っていうのは、国家機密やなんかが全部入ってる最大級のデータバンクだ。そこには確かに、全人類の個人情報が保存されているはずだが……あそこは治外法権の要塞だろ。どうやったらハッキングできるんだ。相手は千京テラ超過の化け物PCだぞ」
「そこはそれ、“あの手この手”だよ」
意味深に言う裁縫。早見はまだ信じられないという表情だ。
「まあ、この情報は間違いないと思ってくれ。で、統合情報中枢で見つけられなかったから、今度は一度でも彼女を“保護”したことのある機関を虱潰しに調べてみた」
「それもハッキングか?」
そうとも、と当たり前のような顔で裁縫は頷く。早見はもはや驚きを通り過ぎて不審の表情だ。
「その結果――どうにも奇妙なことが分かった。どうやら、それぞれの機関でも個別に調査していたらしいんだが、どこも曖昧というか、断片的でね。しかしそれぞれを統合すると、こうだ――“彼女”は天涯孤独だ。父も母も兄弟も姉妹もいない。親戚すらいない。そもそも初めから“存在していない”。いなくなったというわけではなく、ね」
意味がわからん、と早見は後ろに倒れ込んだ。姫森も目を白黒させている。
「学校などにも通っておらず、どこかに就職していたわけでもない。どこの組織にも所属していない。まあ、統合情報中枢に登録されていないんだから、したくたってできないんだけどね。ついでに、それがゆえに彼女は端末も所持していない」
これには姫森が、ああ、と頷いた。端末を女性が持っていないのは姫森も確認していて、なぜだかわかっていなかったのだ。
「全くもって不可解なんだよ……机上のデータじゃ埒が明かないから、フィールドワークもしてみた。機関に捕獲される前は、彼女はちゃんとまともな生活をしていたはずだからね……で」
「で?」
かくり、と裁縫は人形の糸が切れたような動きで首を傾げて見せた。
「もっとわからなくなったんだよ……確かに彼女は生活していた。西京にある、とある安アパートだ。でも契約して住み始めたのが、彼女が機関に捕まる一ヶ月前程度でね。それ以前の足取りは全く掴めなかった。そうだね、さながら、その時点で初めてこの世界に来た、みたいな感じかな」
「……確かにわけがわからんな。それが本当なら。異世界から来たとでも? ……いや、でもそれで契約できたのがおかしいか。通貨がないものな」
「今ではもう滅多に見ないけれど、一応、制度として現金で契約はできるからね。契約の際も、いちいち統合情報中枢に問い合わせることもない。実際、彼女は現金で契約している」
「あー……いや、それもさっぱりわからんが、でも俺はお前の方も全然わからなくなったぞ」
ん? と返す裁縫に、早見は猜疑の視線を向ける。
「統合情報中枢にハッキングした、っていうのもそうだが、機関をひとつひとつ虱潰しに、とか、フィールドワークでそこまで調べるとか、お前何者だ。少なくとも、某機関の下っ端、じゃないだろう」
姫森も裁縫を見る。裁縫はしばらく無表情に黙っていたが、やがて観念したように小さくため息をついた。
「……まあ、確かにその辺りは多少脚色を交えている。そこは認めるよ」
「脚色って、それは普通自分を数段上に見せかけることじゃないのか? お前のはむしろ格下げしてたが……」
「でも、今はまだ本当のところは言えないよ」
なんで、と見る早見に、裁縫は肩をすくめて、
「諸所の事情、さ。まあ、そのうち必ず話すよ。今はそれで許してくれ」




