にじゅうろく。
「……何するの?」
立ち上がり、裁縫の横に同じく片膝をついた早見に、姫森は問う。早見はそっと女性の手をとりつつ、
「解毒剤をつくる」
「ここでかい? でもそれは、」
何か言いかけた裁縫は、しかし思うところがあるのか口を閉じた。
「……そうだね。キミならできるのかもしれない。いい機会だ。ボクもこの場を借りて、とっくりと見せてもらうことにするよ」
「勝手にしろよ」
言いながら、早見は取った女性の手を裏返し、内側の手首を数度撫でさする。
女性は、一切の反応を返さない。
「効果が継続する……ってことは、体内に代謝されずに残っているってことだな。どこに流れてる? 内臓……消化器官に残存するのか? それとも脳か?」
「血液中だね。流れ続けながら情報を拡散し続けることで代謝を免れているんだ」
成程、と早見は頷いた。それから、人差し指ですっと女性の肌をなぞった。
「あ……」
思わず声を上げたのは姫森だ。彼女の見ている前で、刃物を持っているわけでも、爪を立てていたわけでもないのに、早見のなぞった後からうっすらと、女性の白い肌に赤色が滲んだ。
血だ。
それを、早見は再びなぞり、拭い取る。
「HCCTM2336S6648LLXER448――組成No.8からNo.663までを再構築――」
何やらぶつぶつと小声で、そして高速で、早見はつぶやいている。
裁縫は何も言わずにその様子を見つめている。だから姫森も黙って見守る。
「――了解した。成程な。それじゃあこれを……逆再生」
言うと、早見が拭い取り、指先で暗く光っていたそれが、ひとりでに動き出し、凝縮した。
「え……」
またも思わず姫森は声を漏らしてしまったが、早見も裁縫も気に留めない。ただじっと、早見の掌の上に転がったそれを見つめている。
一転に集束したそれは、真球形の朱玉となった。
少しの間、何かを確認するかのように手の中でそれを転がしていた早見は、やがて満足したように吐息して、頷いた。
「――よし」
「できたのかい?」
「ああ。これを飲めば、復活できる……はずだ」
こんなことするのは初めてだから、結構緊張したけどな……と、早見は知らず流れていた頬の汗を拭う。
女性の顎にそっと手を添え、上向かせる。女性は全くされるがままに顔を上げた。生気のない瞳に、早見が映る。
力なく薄く開かれたままの唇に、早見の指が触れた。
隙間から、早見がたった今生成したばかりのそれを落とし込む。
それだけで呑み込むの? と姫森は思っていたが、女性は何の抵抗もなく嚥下した。
「………」
「………」
「………」
言葉もなく見守る。
数秒。
女性は、不意に糸が切れたように前方に倒れ込んだ。慌てて早見が受け止める。
「……おい裁縫」
「いや、これでもう大丈夫だよ。よく見て御覧」
裁縫の示す通りに、姫森も女性をよく見てみる。
すると確かに、女性は早見にもたれかかったまま、深い寝息を立てていた。
さっきまでとは違い、しっかりと呼吸している。
「だろ?」
「……本当に大丈夫なのか?」
疑わしげに見る早見に対し、裁縫はしっかりと頷いた。
「キミの処方が間違っていなければね。眠っているのは、深層意識から自我を再構築するのに、多少の時間が必要だからさ。何せ自我を忘れ去っていたんだから――遅かれ早かれ、目を覚ますだろうよ」
そうか、と早見は安心したように吐息した。緊張していたというのは本当だったらしい。
腕の中で眠る女性を見る。安らかな寝顔だ。
「……まあ、ひと段落ついたが、次のステップに進むか。まだまだ訊かなきゃいけないことは多いからな」
早見が改めて裁縫に向き直る。裁縫は、うん、と頷いたが、
姫森がふと立ち上がった。
「……? おい、姫森」
そのまま姫森は、横歩きで、早見の横に立つ。
「どうした?」
「ん? いや、なんというか……さいほーちゃんに話を聞く、っていうのは大いに賛成なんだけどね?」
がし、っと早見と女性の肩を掴む。
それから、早見に向けて笑みを見せて、
「もう落ち着いたんだし、この人、ベッドに寝かせてあげよっか? ね? ――だからほら、さっさと離れなさい」
後の早見曰く、このときの姫森の笑顔は夢に見るほど鬼気迫っていたという。




