にじゅうご。
む、空気が緊張した。
すぐに反応したのは裁縫だった。立って一歩で女性の横に片膝をつくと、まず女性の顎に手を添えて正面を向かせ、虚ろに開かれっぱなしの目を覗き込む。続けて首筋に指先を置いて脈を図り、薄く開かれた唇に指を添えて、
「……息はしている。でもそれだけだね」
そう言った。
応じて、一連の確認を見守っていた早見が、
「どういうことだ?」
「あまりよくはない、ということだよ。全く、一難なんとやらまた一難、だね。困ったものだ」
「その“なんとやら”に入るのは十中八九“去って”だろうが、結構中途半端なとこを忘れてるのな」
「彼女の現在の状態だが」
女性の前に座ったまま、裁縫は言う。
「目は焦点が定まっておらず、呼吸は酷く浅い。脈拍も著しく下がっている。つまり」
「つまり?」
「恐ろしく低血圧な寝起き、」
「ではないことはわかるぞ」
「……冗談に厳しいねえ、キミは。深刻な場面にも小粋な笑いの風を、がボクのモットーなんだよ」
「時と場合は選べ」
「全く、仕方ないねえ……」
ふう、と裁縫はわざとらしくため息をついた。
「彼女の現在の状態だが、これは“忘我”という状態だ」
「忘我?」
「自我が抜かれているんだよ。いや、眠らされている、というのかな。外的に、人為的にね。その弊害で、生命レベルも低迷しつつある、というわけだ。これはいけないね」
「……どうしてそうなっているんだ? いや、その前にその人をどうにかしないといけないのか。どうすればいいんだ?」
「どうにかするだなんて、は、破廉恥な」
「言ってる場合か、おい!」
怒鳴る早見。裁縫はうるさそうに耳を塞ぎながらも、
「解毒剤が必要になる」
「解毒剤?」
そうさ、と裁縫は頷いた。
「彼女は、実は既に一度捕まっていてね。そこで研究のために、人を忘我状態にする薬物を投与されている。この薬、少量なら数時間で代謝によって薄まっていくものなんだけれど、投与量が一定量を超えると、これは解毒剤を投与しなければ解けない」
「……その解毒剤は?」
「ここにはないよ」
淡々と言う裁縫に、姫森が、え、と反応して、
「それじゃあ……それじゃあ、どうするの?」
「そうだね。彼女を最初に拘束していた機関と接触して、何とかして解毒剤を入手するしかないかな」
「このままだと、どうなるの?」
「死にはしないよ。ただ、生命レベルは限界値まで低下して、仮死状態になる」
でも、と裁縫は先を続ける。
「それまであまり時間はないね。一度仮死状態になったら、解毒剤を投与しても復帰まで時間がかかる。追われている身としては、それは避けたいところだ」
「追われているってのも気になるんだけど……それなら、」
「なあ」
不意に、それまでずっと黙っていた早見が声を出した。
「裁縫、ちょっと訊く」
「なんだい」
「その、人を忘我状態にする薬って言うのは、どういうタイプの薬なんだ?」
どういう? と首を傾げる姫森に対し、裁縫は、うーん、と首を捻り、
「精神作用系の薬だよ。組成はおおよそのところ、超能力者覚醒のものと同じだ。ただ、あれが人体にまで物質的影響を及ぼすのに対して、忘我の薬は精神にしか作用しない。生命レベルが下がっているのは、脳、ひいては精神が生命レベルで眠りつつあることによる副次的なものだよ」
「解毒剤は」
「忘我の薬と反作用の薬だよ。眠っているものを呼び覚ます。だからまあ、組成云々の話をするなら超能力者覚醒のものとも、忘我の薬ともほぼ同じだ。ただ先の二つと違うのは、解毒剤は健康体に使っても意味がないってところだね。こっちの薬で何かが目覚めることはない。ちなみに精製するときは忘我の薬から作る」
「……そうか。わかった」
わかった、ともう一度つぶやいて、早見は顔を上げた。




