おしまい。
穏やかに吹く、風がある。
潮気を含んだ、湿った風だ。
そして、陽光を照り返す水面がある。
それから、遠く轟くような絶え間ない音。
潮騒。
波濤。
港だ。
埠頭の一角。
朝の漁は終わり、市も滞りなく終了し、停泊している船もなく、次の漁の準備にもまだしばらくある、そんな時間帯。
船を繋ぐ杭を椅子代わりにして座る、ふたり組の影があった。
「……はあ」
ふたり組の片割れ。少年――いや、もう青年と表した方がいいか――の方が、ふと深いため息をついた。
それに耳聡く反応して、もうひとり、少女の方がきっと青年の方を見た。
「おいおいおいおい、何をこれ見よがしにため息ついてくれるんだい。ため息をつきたいのはこっちだぜ」
無表情に、少女は青年に言う。
これ以上なく、不本意である、という気を前面に押し出して。
完璧な無表情だが。
「誰のせいで、こっちに戻ってくるまでこんなに時間がかかったとわかってるんだい……キミの適当さ加減は、いやはや全く、ある種感動的なものがあるね」
「うるせー、わかってるよ。悪かったよ。俺だって面倒食らってるんだ」
「いやいやいやいや、その程度で許されることじゃないよ。いったいどういうわけなんだい。何をどう間違ったら異世界に転移してしまうんだい。太平洋から西京にまで行けばいいだけだったのに、海どころか世界の壁越えちゃってるじゃん。そんだけ派手に思い切れるんなら、いっそ初めから天空都市ごと転移すればよかったんじゃないの?」
「あー……でもほら、あれだ、お前だって、貴重な体験したろ?」
鬱陶しげに雑に払う青年にも、少女はなおも食らいつく。
「貴重な体験、なんてさらっと済ませられる話じゃないぜ。異世界って言ったって並行世界じゃなくて、科学しかない、初めっから魔法なんて存在しない世界に飛んだじゃないか」
「お前の独壇場じゃないか」
「それだけじゃないぜ。そこからキミの回復を待ってようやくまた転移したら、また間違えて、今度は科学なんかまるっきりない、魔法しかない世界に行くんだもの」
「ああ、それでもお前は科学使えるんだもんなあ。すげーよなお前。にしてもほんと、“上り詰めた科学は魔法と見分けがつかない”ってな。お前、完全に新手の魔術師扱いだったもんな」
「ボクは自分の中にオリジナルのアルゴリズムを組んでいるからね。でもその次の、世界そのものが科学の概念を持っていない世界には対応できなかったけど」
「あの世界なあ。口だけ態度でかくて何もできない残念なキャラになってたよな」
「それはそっくりキミにも言えるんだぜ。その次の次くらいの世界では、魔法の概念がない世界だったんだからね」
「いや、別に俺は態度でかくなかったぞ」
「ああ、チキンだったね」
「うるせえ」
「……まあ確かに、この世界で言う異族と、実際に会ったのは貴重な体験と言ってもいいかもしれないね」
「だろ? エルフとかドワーフとか、天使とか龍とか、いろんな」
「調子に乗るな。それ以外は大抵散々な目に会ってるからね」
「それはそうだが……いや、十中八九俺の方が酷い目に会ってるぞ。だってお前、何かあるとまず俺を矢面に立たせて吊し上げんだもんな」
「それにしても割りに軽く世界を越えちゃってるんだから、キミの魔法も大したものだよね」
「強引に話を逸らすな」
「だけど実際そうだろう? 他の世界で世界最高の魔術師って呼ばれている人でも、世界を移動できる人は全然いなかったろ」
「まあ、それはな……そもそも世界の移動が一般化してる世界も結構あったが」
「そうだね。実際見てくると面白いものだ。異世界の存在が常識の世界があったり、そもそも異世界なんて存在していないっていう世界があったり――小説家の描く“幻想”も、あながち全くの空想でもなかったわけだからね」
「まあなあ……」
「そういえば。キミ、こっちの世界じゃ受験生だったよね」
「……む」
「何だい、渋い顔をして」
「お前、人が必死で目を逸らしていた事実を……」
「目を逸らしてもどうにかなってはくれないぜ」
「ちょっとくらい休ませてくれよ……いやほんと、疲れた」
ふあ、と青年は欠伸などする。それから視線だけ少女の方を向けて、
「何年も彷徨ってた気もするんだが……実際、こっちの世界じゃどれくらい経ってるんだ?」
「そうだね……」
少女は端末を開いた。いくつか操作をして、ひとつ頷き、
「ざっと、半年かな」
「半年か……」
「恐れていたよりは早かったね。何十年も経ってたらどうしようかと思ってたけど」
「半年なあ……」
「そうだね――恐れていたよりは早かったけど、半年。半年だ」
「ああ……」
「半年って、別に短くはないよね」
「……まあなあ」
「ぶっちゃけ言うと、長いよね」
「……んー」
「怒ってるだろうね」
「………」
「間違いないね」
「………」
「いよいよ殺されるかもね」
水平線へ遠い目を向けていた青年は、がばっと少女の方へ向いて、
「……もう、連絡はしてるんだよな?」
「してるよ。ふたりで来るそうだ。そろそろ来るんじゃないかな」
「……怒ってた?」
「さて。連絡取ったのはボクだったからね。キミに対してどういう対応になるかはわからないよ」
「………」
「ああ、強いて言うなら、妙に御機嫌だったよ。怒りが一周回った人間は、むしろにこにこしてるって言うよね」
「……うわあ」
青年は頭を抱えた。
「マジで殺されっかなあ……」
「天空都市の墜落からこっち、異世界で何度も死線をかいくぐって来たボクらだけれど……これは最大の危機かもね。まあ、ボクは他人事だから面白おかしく鑑賞させてもらうけど」
「いや、お前は異世界での死線でも俺を囮にすることで結構面白おかしく鑑賞してたぞ」
「そういえば、キミはまだ出る時に立てた死亡フラグを回収してなかったね」
「……だから?」
「いや、ほら」
「“わかるだろ?” みたいな無表情で親指立てるな。っていうか無表情なのに何でそれが伝わるんだ」
うわあ、といよいよ深く青年は頭を抱える。
ぽつり、と、
「逃げようかな」
「刑期が延びるだけだよ」
「ぬう……」
唸っている間に、不意にふたりのいるところからやや離れた位置で、空間が揺らいだ。
お、とそれに少女が反応し、
「時間だ。来たみたいだぜ」
「え!? マジで。やば、まだ心の準備が」
「腹ァ括れ」
言う間にも、転移による空間の揺らぎから、ふたりの女性が現れた。
ふたりのうち、高校生くらいの年頃の少女が誰かを探すように視線を走らせ、すぐに杭に腰掛けている青年を見つける。
一瞬、満面に喜色を浮かべたが、すぐにきっと視線を鋭く、唇を引き結び、つかつかと歩み寄る。
「お、おお、久し振り――」
「おっそい!!」
片手を上げて恐る恐る笑いかけた青年を、少女は叱声とともに全力で蹴り飛ばした。
蹴られた青年は、埠頭のぎりぎりにいたため、当然背後は海で、蹴られればバランスが崩れ、
「お、お、お、落ち、あぶ――ぅわっ!!」
海面に背面ダイブしかけた青年の胸ぐらを、少女が掴んで一気に引き戻した。
「っあー……危な――あ」
青年は、少女の顔を見て絶句した。
「遅い遅い遅すぎるよ! いつまで待たせるの!? 連絡のひとつも寄越さないで!!」
「いや、それは、異世界からじゃ電波も通じてませんで……」
しどろもどろに、言い訳する。だが少女の勢いに負けて全く腰が入っていない。
少女の顔は。
満面に怒り顔で、だが目尻には大粒の涙が浮かんでおり、しかし口端は喜びにひくついていて。
何とも言えない表情だった。
「――約束」
「……あい?」
「約束。守って」
震え声を誤魔化すように、しかし消しきれず掠れた細い声で、少女は青年を睨み上げて、言う。
青年は、ちょっと頬を掻いていたが、ふ、と微笑んで、
「――忘れてないよ。守る」
だから泣くなよ――と言う前に、少女は泣き出していた。青年の胸に顔をうずめて、大声を上げて、泣く。
「助けてくれたお礼は、まだもう少し先になりそうですね」
数歩引いたところにいる女性が、ふたりのところからさりげなく下がって来た少女に囁く。少女は、そうだね、と頷いて、
「まあま、時間はこれからたくさんあるんだ。ようやく戻って来たんだからね。いやはや全く全く――青春の一ページにしては、随分と派手だったものだ」
やれやれ、と半眼で首を傾ける。
「書き手が素人だとこれだから困る。期間が一ヶ月そこらだったとはいえ、見切り発車で始めて、設定もひたすらその場の思い付きで、伏線も散らかし過ぎで回収しきってないのが残ってる気もするし、推敲しないから文体も雑だし、結局どこかで聞いた話の寄せ集めみたいなところもあるし、寄せ集めというか劣化複製だし、笑いも感動も薄っぺらいし、これで“小説だ”なんて言い張るのが恥ずかしいような拙文の羅列みたいなものだったけれど――ま、期間内に、規定字数を守れたことだけが、今回のせめてもの成功点かな。あとはしっかり反省して、次回からに大いに生かしてほしいところだ。いやはや、ぶっちゃけ完結するかどうかも怪しかったんだから、これは大きな一歩と言っても悪いことはないんじゃないかな。うん。ボクもようやく安心だ」
「? 何の話ですか?」
「いやいや、こっちの話。いつもの話、御都合主義の話だよ。――ともあれ、これでようやく完結だ」
ほう、と少女は吐息して、空を見上げた。
「まあ、お決まりのアレなんだけどさ。“ここで彼らの物語は終わるけれど、彼らの人生はまだまだ続く――”って奴。実際その通りだけど。こんなところで終わってたまるか。まだまだ長生きしていくぜ。ともあれ、完結は完結。最後の締めとしよう――」
不敵に言って、少女は目を細めた。
「世界は不思議に満ちている。これまでも、これからも。人が人らしく在る限り――“物語”は、終わらない」
ここまでお読みくださり、ありがとうございました!