ひゃくさんじゅーとろく。
ぶわっと、早見は不意に妙な浮遊感を感じた。それはまるで、足場がなすすべなく沈んでいくかのような感覚で、
「――小説家を連れて、さっさと出ていくがいい。少年」
膝をつき、俯いた“神”が、つぶやくようにそう言った。
「どういうことだ?」
「わからないのか? そのために君はここに来たんだろう――いや、第一目標は小説家の奪還だったか。ならば完遂だな。おめでとう」
「有り難う――じゃなくて! おい、この、だんだん強くなってく振動って」
「じきに、天空都市は堕ちる」
“神”の言葉に、早見は絶句した。すると裁縫が肩をすくめて、
「おいおいはやみん、天空都市の核を撃ち抜いたのはキミだろう? 天空都市の動力源である核を破壊したんだから、力を保っていられなくなったら堕ちる。当たり前のことじゃないか」
「俺を蔑むような目で見るな。っていうかそこ撃ち抜くように指示してきたのお前だろうが! 土壇場で端末展開して」
「別にボクは、それを完膚なきまでにめためたにしろ、なんて言ってないよ? せいぜい外殻をちょっと削って、後からゆっくりとメインブレインにハッキングして太平洋上に移動、沈没っていう、見事なまでに美しい完璧なプランを練っていたんじゃないか」
「わ・か・る・か!! そんな器用なことをあの一瞬でできるか! つーかそんなこと一言も言ってねーだろお前。あの場で攻撃目標ポイントした画面なんか見せられたら、誰だってそこぶち抜くわ!!」
「やれやれ、言い訳の多い男だねえ」
やれやれ、と裁縫は首を振るが、当然そんなことをしている場合ではなく、水澤が、
「え、いや、その……どう、するの?」
「そうだ! どうすんだ! いや、まずはやっぱり脱出――いや」
はっとして、早見は裁縫を見た。応じて、裁縫は頷いて見せる。
「そうだね。よく気が付いたよ。でかしたぞはやみん」
「思いっきり馬鹿にしくさりやがって……でも、そうだよな。この下は東都だ」
それはつまり、
「このまま天空都市が堕ちたら」
「東都に真っ逆さまだねえ。古今稀な大惨事だ」
「裁縫、墜ちるまであと時間はどれくらいある?」
早見が問うときには、既に裁縫は端末を開いている。
「そうだね……ざっと計算したところ、残り十五分ってところだね。ただし」
裁縫は、さらに計算を続ける。そして、
「ただし、それは天空都市の中心座標の話だ。そこで計測すれば、確かに天空都市は東都上空2000メートルにある。けれど、天空都市全域の全高はおよそ200メートル。だから、天空都市の最下端が東都に接触するまで」
残り時間を、弾き出す。
「七分だ」
げ、と早見は顔を引きつらせる。後ろから水澤も端末を覗き込み、
「七分……落下を止めることはできないの?」
「無理だね。はやみんが核――動力源を破壊してしまったからね。今までどうやって飛んでいたのかはわからないけれど、それが切れた今、重力に従って落ちるだけだ」
「どうすればいいんだ? このままじゃ……」
早見が眉根を寄せる。時間はない。く、と考える早見に、裁縫が数拍置いた後で、
「……ひとつ、できそうなことはある」
そう言った。
「何だ。何ができる?」
「でもそれは、ボクらにはできない――はやみんにしかできないことだ」
端末を操作し、もう一枚の画面を表示する。
それは、天空都市と東都の上空全景透影図だ。
「天空都市は今のところ、ただ真下に落下しているわけではない。わずかではあるけれど、風の影響などから太平洋側に流れつつある。――だから、そのまま魔法で、天空都市を太平洋上まで運んでいけばいい」
だが、それは決して簡単なことではない。
「ただ誘導すればいいっていうわけじゃない。天空都市が空中分解しないように支えつつ、なおかつ落下速度をできるだけ抑えて、高度を可能な限り保たなければいけない。天空都市全域を、だ。できなければ大惨事になるけれど――」
「……ああ」
早見にも、わかっていた。
それを行うには、早見は天空都市を脱出することはできない。距離が離れてしまえば、いくら早見でもそれだけのことはできない。
失敗は許されず、成功したところで、生きて帰ることができるか、わからない。
「――どうするんだい? 少年」
力尽き、意識を失いつつある“神”が、問う。
「君の“幻想”は、人々を救うことができるのかね?」
魔法使いは、答えた。
「やってやるさ」