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ひゃくろく。

 

 

早見はソファから派手に吹き飛んだ。

 それは余程勢いの乗った一撃で、早見はノーバウンドで滑空し、向こうの壁に脳天から直撃した。


「……っ、っ、――――っ!!」


 悲鳴は声にならず、無言で床の上で悶絶する。

 一方、早見に全力助走からのドロップキックを食らわせた姫森もただではすまず、一度は早見の座っていたソファでぼうんとバウンドしたものの、空中でバランスを取れず投げ出され、受け身も取れずにべちゃっと床に叩きつけられた。

 しかし、姫森はすぐに立ち上がる。

 きっ、と毅然とした、険しい表情で、つかつかと悶える早見のところまで行くと、


「起きろ早見・遙!」


 がっと掴んで無理矢理に引き起こすと、訳も分からず目を見開いている早見に向かって思いきり拳を引いて半身になり、


「――歯ァ喰いしばれッ!!」


 全力で蹴撃した。

 それはもう、腰の入った、完璧な回し蹴りだ。

 それを顔面に食らった早見は、なすすべなく再度壁にべしゃっと叩きつけられる。

 しかし姫森はそこで止まらず、再度早見の胸ぐらを掴むと、ごっ、と今度は床に叩き付けた。そして馬乗りになり、早見を睨む。

 早見は、眼球が痙攣しかしけていた。軽い脳震盪だ。それにも問答無用で、姫森はビンタをかます。頬を打つ乾いた音がして、早見の瞳が焦点を結んだ。

 激怒した、それでいながら今にも泣きそうでもある、真っ赤な顔をした姫森に。


「目を覚ましなさい、早見・遙ッ!!」


 姫森は、早見に向かって、怒鳴る。


「あんたはいつまでそうしてるつもりなの!!」


 早見の胸ぐらを掴む指先が白くなるほどに、握る。


「何をやってんのよあんたは!」


 全身で、叫ぶ。


「どうしてそうやって黙って座ってられるの? どうしてすーちゃんを助けに行かずにいられるの!? なんで負けっぱなしで済ましてるのよ!? しょぼくれていれば誰かが代わりにやってくれるとでも思ってんの? あんたしかいないのよ、すーちゃんを助けに行けるのは。すーちゃんを助けられるのは!!」

「……俺、は」


 連続して打撃を食らった顔面はみるみるうちに痛々しく腫れ上がり、口の中も派手に切れているらしい、血を吐きながら、それでも息も絶え絶えに早見は応える。


「俺、は、主人公じゃ、ない」


 その言葉を聞いて、姫森は勢いを止めた。

 荒い息をついて、数拍数え、先程までの苛烈な勢いが嘘だったかのように静かに、言う。


「――ひとつ、あんたに訊きたいことがあってさ」


 恐ろしいまでに冷静に、地の底から響いてくるかのような重みのある低い声で、


「あんた、ずっとそうやって、主人公主人公って言ってるけどさ」


 問う。


「――主人公じゃなきゃ、すーちゃんを助けに行かないの?」


 その問いを聞いた早見は、虚を突かれたように目を見開いた。


「――は」

「そうだね。そうだよ。主人公なら、こういうときは率先して、身の危険も顧みず、一も二もなく助けに行くんでしょうよ。それで、うまいこと助けられちゃうんだろうよ。――でもさ、だからなに? それがどうしたの?」


 早見の目を、姫森はぐっと見下ろす。


「正直に言って、さ。私は、はやみんが主人公だろうがそうでなかろうが、どっちでもいいよ」


 姫森の、その瞳は、


「自分は主人公じゃない。だから助けに行かない――なんで? 主人公じゃなきゃ助けに行かないの? 主人公じゃなきゃ助けちゃダメなの? 主人公じゃなきゃ助けられないの? 主人公って何なの!? はやみん!!」

「――俺、は」

「主人公だとか違うとか、そんなことはどうでもいいよ! すーちゃんは? はやみんが守り切れなくて、私とさいほーちゃんを助けてくれたすーちゃんは! 今もあの天空都市にいるんだよ? 天空都市で頑張ってるんだよ? それなのにはやみんは、どうして何にもしてないの?」

「――姫、森」

「この世界は、確かに誰かの書いてる小説の中のお話なのかもしれない。誰かの語る物語なのかもしれない。それで、本当にはやみんは主人公でも何でもなくて、ただのエキストラの、背景の一部なのかもしれない――でも、だから何なのよ!? それで助けに行かなくてもいいって話になるの!? 小説の中だろうが物語の中だろうが、私たちには関係ない! それを書いてる人も、読んでる人も、私たちには関係ないんだよ!! はやみん!!」


 早見の頬に、熱い水滴が跳ねた。それは、姫森から滴ってきたもので、


「はやみんは!! 登場人物のひとりでもなく、主人公でもなんでもない“早見・遙”は!! あんたは!! すーちゃんを助けに行きたいとは思わないの!? 答えなさい!!」

「俺、は」


 掠れた声で、早見は言う。


「俺、が、行っても、駄目かも、しれない」

「違う! そんな答えじゃないっ。“早見・遙”は“水澤・吹”を助けに行く気があるのか、ないのか!!」


 姫森はぶんぶんと激しく首を振った。

 それによって、周囲にも水滴が飛び散る。けれど姫森はそんなことなど気にも留めず、


「あるなら行く! ないならもういい――もうはやみんには頼らないから」

「……どうする、気だ」

「私が行く」


 絶句する早見に、姫森はきっぱりと、決然とした瞳で、


「私がさいほーちゃんと一緒に行く」

「そんな、ことで、……死んだら、どうするんだ」

「それまでだよ」


 な、と早見はまた目を見開き、


「そんなの、駄目だ」

「死ぬのが、怖いの?」

「――怖いよ」


 小さく、早見は正直にそう言った。

 そう、怖いのだ。


「怖い。俺は、怖い。この前は、たまたま助かった、だけだ。次は、ない――次にも同じことがあれば、俺は、全部諦めて、死ぬ」

「――それなら、死ななきゃいいのよ」


 は、と三度目に目を剥いて早見が姫森を見上げると、姫森はにっこりと笑って見せた。


「死ぬのが怖いなら、負けなければいい。負けなければ、死なない」

「そんな、簡単な話じゃ」

「簡単な話だよ」


 く、と姫森が顔を近づけてきた。そのことに、早見は別の意味で焦るが、姫森は構わずその耳元に口を寄せ、


「――大丈夫だよ、大丈夫。はやみんは、もう負けない」

「……そんな、ことが」

「わかるよ。――だって、私ははやみんを信じてるもの」


 暴論だ。論にだってなっていない。滅茶苦茶だ。第一、早見は前回だってそう言われていて、その上で負けたのだ。それなのに姫森は、


「いい? はやみん。一番大事なことを、はやみんは間違えてる」

「……一番、大事な?」


 そう、と姫森は頷く。姫森が動くと、その髪が顔に触れてくすぐったかったり、何だか妙にいい香りがしたり、こんなときに、と自分でも思うが冷静になれず、けれど、


「一番大事なことは、あの人に――天空都市に勝つことじゃ、ないんだよ。はやみんの戦う一番の目的は、すーちゃんを助け出すことだ」

「そんな、ことは」

「ううん、わかってない。はやみんはわかってない――だから私がはっきりと言ってあげる。いい? 私たちの戦う目的は、すーちゃんを助け出すこと。天空都市に勝つのはただの“ついで”。いい? “ついで”よ、“ついで”。意味、わかるでしょ?」


 早見は、がくがくと頷いた。それに満足したように、姫森は早見の耳元から顔を離した。

 そして、早見の顔を覗き込んでにぱっと笑う。


「うわあ、酷い顔ね」

「……誰のせいだと……」


 顔の半分が無残に腫れ上がっている早見は、恨みがましく姫森を見上げる。それから、やや視線を逸らし、


「……降りてくれ」

「あ、御免」


 未だ早見に馬乗りのままだった姫森は慌てて早見から降りた。そうしてようやく早見は深い吐息をして、


「ああ、お」「もかったとか言ったら反対側の顔にも同じことするよ。そうだね、バランスが悪いか。やった方がいい?」「怒ったら怖いんだなとかそういうことを言おうとしてたんだ悪い悪かった拳を引いてくれ」


 両手を降参の意味で上げる早見を見て、姫森も握った拳を下げる。

 はあ、と早見はため息をついた。


「……突発的にアグレッシブなんだな、姫森は。溜めこむタイプだったのか。ドロップキックって」

「そういうわけじゃないけどさ。キックはさいほーちゃんに教えてもらった」

「あの女……」

「でもまあ、ここしばらくのストレス全部出し切ったかな――目、覚めた?」


 上目遣いに覗き込んでくる姫森に、早見は苦笑して頷いた。


「ああ、覚めたよ……本当に、ばっちりだ」


 自嘲するように笑い、目を伏せる。


「主人公が誰だとか、全部ただの……言い訳だったな。自分が弱いだけなのに」


 ふ、と息を吐く。


「死にたくなければ負けなければいい、そして勝つのは事のついで、ね……すっげーあったま悪い論理だけど」

「あ、ひど」

「でも――気に入った」


 腫れ上がった顔で不器用に、しかし確かに笑みを作る。

 不敵に笑う。


「ごちゃごちゃ言い訳こね過ぎだったよ。目の前で友達が攫われたんだ。助けに行かなくていいわけがあるか。俺がどんなロールだったって関係ない――水澤さんを助けに行くってことに、何の関係もない」


 ゆるゆると、微かに震えを帯びた手で、腫れ上がった半面を覆う。

 わずかに顔をしかめ、


「――痛ェ」

「あ、御免。ほんとに派手に腫れて……さすがに、やりすぎだったかも」

「いや、いいんだ……これくらいしてくれないと、俺は駄目だったよ。そう思う――だから、有り難う、姫森」


 ゆっくりと、手を顔から離す。あ、と小さく姫森が声をもらした。

 見るも無残に腫れ上がっていた顔が、まるで何事もなかったかのように完全に癒えていた。

 魔法だ。


「はやみん」

「決めたよ、姫森。――水澤さんを、助けに行く。そんでもって、事のついでに――」


 決然と、早見は言った。

 その双眸には、確かに力が戻っている。


「――天空都市を、堕とす」


 早見の言葉を聞いて、姫森は顔を綻ばせていく。

 そして同時に。

 スパーンと勢いよくキッチンの戸が引き開けられ、


「――その言葉を待っていた!」

 

 


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