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ひゃく。

 

 

 翌日も、その翌日も、何事もなかった。

 静かすぎるほどに、平穏すぎるほどに、何も。

 水澤がいないがために、襲撃に来る機関もなく。

 裁縫は食事を用意し。

 姫森は部屋の掃除などして。

 早見は、ただそこにいた。


 人形のように座る早見に、裁縫は何の言葉もかけない。だから、姫森にだってかけられる言葉があるはずもない。


 何日も、そうやって時間だけが過ぎていき、


「――まるでヒモだね」


 ある日唐突に、裁縫がそう言った。


「え?」


 たまたま、三人がリビングに揃った時間。

 藪から棒な発言に、姫森は驚いて隣を見た。


「……ヒモ?」

「ニートと言ってもいいね。ニート。わかるかい? お姫ちゃん。ニート。NEETさ。Not in Education,Employment or Training.ボクとお姫ちゃんに身の回りの世話を全部任せて自分では何もしない。これぞまさしくヒモと言わずして何と言おう」


 苛立っているわけではない。呆れているわけでもない。それこそただ、目の前にあるものをそのまま描写しているかのように、淡々と、無表情に裁縫が言う。

 ずけずけと、遠慮なく。

 ニートニートと連呼する。


「そんなこと……」


 その鋭さに、気後れした姫森が正面に座っている早見を気遣って言葉を濁すと、裁縫は、おやおや、と姫森を見た。


「そうは思わないのかい? お姫ちゃん。そう思わないのなら、相手がはやみんであれ誰であれ、将来はどうしようもない下衆野郎に引っかかって一生を棒を振ることになるぜ」

「な、何を」

「さすがのボクも御立腹なんだよ、お姫ちゃん」


 むん、と腕を組んで、完全な無表情でそんなことを言う裁縫。


「根暗な奴に話しかけるのは面倒だし、物理的な邪魔にならなければ放っておいても問題あるまいと思って絶賛放置プレイ中だったわけだけれど」

「そうだったの!? かっこつけて啖呵切ったけど一発で派手に負けて水澤さんに守られたことでずんどこまで落ち込んでるはやみんを気遣って声をかけてなかったわけじゃないの!?」

「気遣いの話をするのなら、今のお姫ちゃんが一番強烈だったと思うんだが。まあ、そうだね。そんなわけないじゃないか」


 きっぱりと言う裁縫。


「改めて料理の素晴らしさに気が付いたんだよ。だから料理道を極めようとしていただけさ」

「全く空気が読めてない!」

「何を言っているんだいお姫ちゃん。空気は読むものじゃない。吸って吐くものだよ――まあそれはともかく。いい加減目障りだ」


 顎を上げて、裁縫は早見を見据える。


「お姫ちゃんだってそうだろう? ――はやみんがいつもそこに座っているせいで、ソファ周りの掃除ができないじゃないか」

「それは、まあ……って、だからそうじゃなくて!」

「かっこ悪いんだよ、はやみん」


 急に話を、戻したのか。裁縫は視線を全く揺らがせることなく早見を、睨む。


「考えても見ろよ、はやみん。冷静になって周りを見ろよ。――ハーレムだぜ?」


  え、そこ!? 姫森が目を剥いて裁縫を見る。

  だが、裁縫は姫森を見向きもしない。

  早見から目を逸らさない。


「ボクはもちろん女子だ。お姫ちゃんだってこう見えて立派な女子だ」

「こう見えてってどういうこと!? ――って、ちょっと、どこ見てんのよ! 貧しくないわよ!!」

「すーちゃんだって、いい歳した、妙齢の、メリハリきいた、オ・ン・ナ、なんだぜ?」

「なぜそんなやらしい言葉をあえて選ぶ……」

「それなのにどうしていつまでもそうしてブルッてるんだい?」


 言葉だけは、ふざけているようにも見える。


「それだけじゃない。振り返ってみろよ――この物語、モブや背景以外に、レギュラーキャラで男が何人出てきた? ほぼ皆無と言っていいね。素晴らしいハーレムだ。それなのにどうして張り切らない? どうしてテンション上がらない? なぜ一度派手に負けたくらいで馬鹿みたいに奈落に沈んでるんだよ。最近の流行りかい? ヘタレ主人公」


 だが、言葉以外は、何ひとつふざけたところがない。


「……俺は」


 ぽつり、と小さくつぶやくように、早見は言った。


「俺は……主人公じゃない」

「まだ言うか」


 はン、と裁縫は、あきらかに馬鹿にするように鼻で笑った。


「まあいいさ。言ってればいいさ。そうやって逃げ続ければいいさ。ヘタレに、チキンに、鈍感に。でもわかってないわけじゃないだろう? 陳腐でチープで使い古されて手垢にまみれて捻りがなさ過ぎて面白みもなくつまらないありきたりな言葉だけれど。わかってるんだろう?――『現実は待ってくれないんだぜ』」


 無表情に無感情に、情けなく容赦なく、さっぱりとざっくりと。


「現実は現実だ。確かにこの物語はフィクションで、素人で小説家未満の下手くその掌の上で踊るしかない登場人物でしかないけれど。紙面というか、この物語の場合は液晶の上だけど、その上のシミのような存在だけれど。それでも、ボクらにとっては現実なんだぜ? この物語は。――ならば、主人公はどこにいる? どこで何をやっている」


 斬るように、言う。


「締切まで残り一週間と少し。ようやく物語も終盤だ。終盤なんだぜ? これじゃあむしろ、主人公だろうが誰だろうがいまさら出て来られた方が迷惑だ。既出の登場人物でやっていくしかないだろう。それならできるのは誰だ? キミしかいないんだよはやみん。このままこうして腐っていても、時効はない。締切がくるだけだ。どうするつもりだい? 完結させないつもりかい? バッドエンドにしたいのかい? ゲームオーバーがお好みかい?」


 刺すように、言う。


「そうしたければそれでもいい。ボクにはどうしようもないことだ。そういつもいつも御都合主義が発動すると思うなよ」


 突くように、言う。


「“自分は主人公じゃない”と、あくまでもそう言い続けるつもりなら、そうしていればいい。――だけど、現実を見ることをやめるな」


 裁縫の話のほとんどが、姫森にはわけのわからない話だ。締切だとか、登場人物だとか、何かの比喩かもしれないと思う程度で、さっぱり理解できない。早見はといえば、こちらも全く反応しないために、理解できているのかいないのかわからない。

 それでも、裁縫は言う。


「キミの現実から目を逸らすな。キミの現実から逃げ出すな。キミがすべきことは何だ。キミがしなければいけないことは何だ。キミは何処にいる。キミは何処に行く」


 そして、と裁縫は、少しだけ語調を緩めて、言う。


「――悩め。迷え。考えろ、はやみん。その上で出した結論なら、ボクはキミがどうしようとも……それに従う」


 姫森は、そう言う裁縫の横顔に、初めて“表情”というものを見た気がした。

 それが、何と呼ばれる表情なのか。それを判断する前に、裁縫はひょいと時計を見て、おやと声をもらした。


「もうそろそろ夕食の準備を始めていい時間だね。それじゃあ、ボクはそっちに取り掛かるよ。キッチンにいるから、何かあったら呼んでくれ」


 軽くそう言い残して、ひょいと未練なく裁縫は立ち上がった。そしてそのまま、流れるようにキッチンへ向かってしまう。

 まるで何事もなかったかのように。

 姫森は、閉じられたキッチンの戸から、正面に座る早見へ視線を移す。

 早見もまた、始まりと変わらず、何事もなかったかのように座っている。


「………」


 やっぱり姫森には、かける言葉など見当たらなかった。

 

 


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