じゅう。
玄関扉が外からぶち抜かれた。
「………」
立ち込める煙の中、なぜか早見はコソ泥のような猫背姿勢で止まっている。
「黙って聞いてりゃなんだい、ボクにわからない理由でイベント回避しようとしやがって。ヒトがわざわざこんなところにまで出向いてやったっていうのに、何を窓ダイブ決行しようとしてくれてやがるんだ。全く全く、いい迷惑だよ全く」
妙に通る声で、少女が煙の向こうからつらつらと何か言っている。
「大体にして、何が“人形のような目”だよ。ボクのこの世の叡智を湛えるが如きキュートなうるうる目をさして最高に失礼な描写だね。失礼しちゃうよ。読者が勘違いしたらどうしてくれるんだ」
煙が晴れていく室内に、トン、と遠慮なく踏み込んで、少女はコソ泥姿勢の早見を見た。
ふむ、と頷き、ほう、ともう一度頷いて、
「……何してんの?」
「それはこっちの台詞だ!」
コソ泥姿勢のまま早見は怒鳴った。
「え、なに? 登場早々何してくれてんの? いや玄関ぶっ飛ばしてくれてるんだけどさ! さすがの早見さんも驚きのあまりにコソ泥ポーズになっちまうわ!!」
「いやいやいや、最終的にコソ泥ポーズになる意味がわからないんだけどさ」
「大体俺別に言ってなくね? 全部頭の中の話じゃね?」
「いやいやいやいや、キミ。さっきの全部独り言になってるからね。ダダ漏れだったからね。部屋の外まで筒抜けだよ。ボクに対する遠慮も容赦もない失礼な描写が」
「え、マジで。それは御免――ってそんなわけあるか! 部屋の防音性そこまで低くないし俺の独り言だってそこまで大声なわけねーし!」
「それと、どうでもいいけどそろそろそのポーズやめたら? 様になり過ぎててちょっと引いてるんだけど」
言われて、断る理由もないので素直に姿勢を戻し、少女に向き直る。
改めてとっくりと見て、
「んー、いや、やっぱりお前の目は空洞みたいだぞ」
「改めて言うことがそれかい?」
「いやいや、間違いや勘違いは早めに正しておかないと、後になればなるほど言い出しにくくなるだろ? 大体何だよ、この世の(以下略)って。全然そんな目じゃねえよ。つーか読者って誰だよ」
「略しすぎだよ。ちゃんと横着せずに最後まで言ってくれよ。この世の……ええと、まあ、そういう感じのそれを」
「お前だって覚えてないんじゃないか」
「それにしたって、いくらなんでも酷いだろう。何だよ、『感情も感動もない、生きているという質感すらない、深淵を覗き込んでいるかのような、得体の知れない空洞のような目』って。いくら何でも言いすぎだろ」
「そこは完璧に覚えてるのな」
「せめて死んだ魚の目って言ってくれよ」
「それでいいのか」
早見は半目になるが、少女は軽く受け流して肩をすくめる。
「それより、もっといろいろと気になることがあるだろう? 気になること、訊くべきことが」
「お前が壊した戸の修理費か?」
「いや、ボクの年齢とか、好みの異性のタイプとか」
「話が飛躍し過ぎてて全くついていけねえよ。どこまで飛んでくつもりだよ。合コンしてるんじゃないんだぞ」
「もとい、ボクが何者なのか、とか」
その目と同じくらいに無感情な声での言葉に対し、早見はため息とともに肩をすくめた。
「別に、大して気にならないさ。どうせ昨日の連中の関係か、他の機関の関係だろ。どうしても俺を引き込もうってんなら相手が女子でも子供でも容赦なく潰して出かけるけど、邪魔しないってんなら俺は何もせずに出かけるから」
「昨日の連中? なんだいそれは。ボクはそんな連中何にも知らないよ。黒装束の男たちのことなんか」
「知ってんじゃないか。そいつらだよそいつら」
「知らないよ、知らない知らない」
無表情に、明らかに空々しくとぼけて見せる少女に、早見はまた大きくため息をついた。
「ああわかったわかったよ。そんなに訊いてほしいんなら訊いてやるよ。別に全くどうでもいいけどお前のために訊いてやる」
「それは壮大なフリと見た」
「どっちに対するフリだよ。――で、そんなお前は誰なんだ」
少女は大まじめに一つ、頷きを見せた。
「ボクは、こっちの一方的な事情で身分は明かせないけど――そう、とある機関の者だよ」
「おいおいおいおいそれは二度ネタだ。昨日それにそっくりな自己紹介して壁にめり込んだ奴らを俺は知っているぞ」
「もとい、とある機関の下っ端だよ」
「いや直すとこそこ違う」
細かい男だねえ、と少女は呆れたように肩をすくめて見せた。
「そんなんだから、君は未だにキャラが立ってないんじゃないか。もう十話なんだぜ? そろそろなんとかしないと、ぽっと出のボクみたいのに座られちゃうぞ」
「さっきから何の話をしてるんだよお前は……っと、やべ、時間」
端末を確認する。まだ間に合わない時間ではないが、そろそろ余裕もなくなってきている。
「悪いが俺は出かけるところなんだ。得体の知れない少女Xとどうでもいい話をしている暇はないんだ」
「少女Xか。悪くないね」
「聞けよ。そして出ろよ。戸だけ直していくから。出かけんのに戸が大解放じゃ物騒だろ」
少女Xの額を押して外に出る。押されるままに後ろ歩きで下がっていく少女Xは、下がりながらも、
「いやいや、何ならボクが直してあげるよ? ヒトの話を聞こうとしないキミにわかりやすく恩を売りつけるために、戸だけと言わず、ボロボロになった壁や調度も完璧に修復してあげよう」
「どんだけ恩着せがましいんだよお前。それ完全に自作自演だろうが……話聞かないのもお前だしな。それと、よく見ろ」
ん? と返す少女Xに、早見は親指で背後、自分の部屋を指した。
「どこの壁や調度がボロボロだって?」
言われて、ひょいと少女Xは部屋を覗き込んだ。
ほう、と声を漏らし、
「失敗か。ではテイク2」
「やめい。これ以上面倒を起こすんじゃない」
再び何かをしようとする少女Xを押しとどめる早見の部屋。
部屋の中は、あれだけの衝撃を受けたにもかかわらず、戸口が大破したのみでその他は一切が無傷だった。
「俺が咄嗟にま……いろいろとやったりやらなかったりしたお陰でこの程度で済んだ上に、お隣さんを煩わせることもなかったんだ。感謝してほしいくらいだなあ、おい」
半眼で見下ろすが、
「目を逸らすな」
「スルーして確認するけど、それ、科学じゃないね? 何をどうやったんだい?」
「教えない」
すげなく流して、早見は踵を二度鳴らした。タン、という音が連続すると、部屋の内側に派手に散らかっていた戸の破片がひとりでに動き出し、戸のあったところに集結する。
ものの数秒で、音もなく玄関が再生された。まるで何事もなかったかのように。
「……へえ」
一部始終を見届けた少女Xは、小さく声を漏らした。
「うん、やっぱりそれは科学じゃないね。まさに魔法みたいだ。これは魔法かい?」
「いいや。残念ながら、魔法みたいな科学だ」
「違うね。魔法めいた魔法だ」
間髪おかず断言までした少女Xを、早見はやや険のある視線で見下ろす。
「こんな科学はまだ……いや、未来永劫存在しない。論理も原理も法則も存在しない現象は、魔法以外に在り得ない」
「何の話だかさっぱりだ」
戸締りだけ確認して、早見は一歩前に出た。
「とにかく、今日は俺は用事があって忙しい。用があるなら後にしてくれ」
「用事があるからと言って忙しいとは限らないよ」
「忙しいんだよ。いちいち突っかかるな」
「まあまあ、待ちたまえよ早見・遙」
名指しの呼びかけに、ああ? と早見は肩越しに振り返った。
眉根が寄っており、明らかに苛立っている。
「何だよおい。後にしろって言ってんだろ」
「急ぎの用事なんだよ早見・遙。急ぎも急ぎ、危急で緊急の用事だ。具体的に言うなら、キミの同級生にして友人であるところの、姫森・千鶴が危険――かもしれない」
「――あ?」
早見は完全に足を止めた。
「姫森が? どういうことだ」
「お、興味を持ったね」
「いいから言え。姫森がなんだって……ああいや、いい。どうせこれから会うんだ。そんとき確認すればいいか」
「おいおいちょっと待ってくれよ。一応話を聞いた方がいいんじゃないかい? いや、実はちょっと誇張しすぎたよ。うん、よくよく考えてみればそこまで急ぎでもなかったかもしれないな」
「下手に出たな」
「少しくらいはボクの話を聞く時間もあるということだよ」
半眼で見やる早見に対し、物怖じすることなく正面から向き合う少女X。
徹底して無表情な彼女は、一拍置いて、平坦な声音で続けた。
「ボクは、小説家を探している」