いち。
SFなSFでSFかもしれずSF(少し不埒)でSF(小説家は不滅)でSF(死亡フラグ)な物語。
「どれだけ時代が変わっても、試験勉強はなくなりませんよ、っと」
近郊にたった一軒しかない大型書店。その店内の一画、“学校参考書”という仮想版の掲げられている書棚を眺めつつ、制服の少年はつぶやいた。
「数学は、この間買ったから……英語かな」
ひとり、ぶつぶつと言いながら居並ぶ厚い書籍を物色する。
「実は国語も不安なんだけど、国語って何を勉強すればいいのかいまいちわからんのだよなあ……」
独り言の多い少年だ。
今は周囲に人影がないため人目を全く憚っていないのだが、この少年は実のところ、周りにどれだけ人が多くいようとも大して気にもせず独り言を言っていたりする。
だから今も割と不用意に、数冊、国語関係の参考書を手に取り、見比べながら、
「こういう勉強より魔法の練習の方が簡単って、なあ……好きこそものの上手って奴か――」
「およよ。そちらにおわしますは早見・遙氏ではございませぬか」
不意に背後からかかった、ふざけた色の混ざった声に慌てて振り向いた。
「これはこれは、かく言うそちらは誰かと思えばお姫ちゃんではあーりませんか」
まさか今の独り言を聞いていたりはすまいかと内心大いに焦っているのだが、そんなことはおくびにも出さず軽快に返す。
「お姫ちゃん言うな。この姫森・千鶴サマを貴様はどなたと心得る」
「ご近所さんの同級生」
「正解」
に、っと笑ったのは、少年と同じ高校の制服を着た少女だ。暖房が利いている店内は暑いのか、コートとマフラーは外して腕にかけている。
「いきなり後ろから来ないでくれよ。俺のタフネスハートは蜘蛛の糸並なんだぞ。驚きの衝撃で子兎のように引っ繰り返ってしまったらどうしてくれる」
「とりあえず人工呼吸かな」
「は、破廉恥! ついでに言っておくと俺は結構純情なんだ」
「総括してどこがタフネスなんだと突っ込んでおくよ」
冗談はさておき、と姫森は早見の横に並ぶ。書棚に並ぶ参考書を一通り眺め、それから早見の手にしているそれを見下ろし、
「え、なに、はやみんも参考書選び?」
「はやみん言うな。まあ確かに参考書選びだけどな。なんだ、お前も参考書見に来たのか?」
「おぅよ。そのとーり」
ふふん、とこれ見よがしに胸を張る姫森。
「千鶴サマは偉いからね。聞いて驚け、私はなんと大学に進学するのだ!」
聞いた早見は、しかし驚く素振りなど全く見せず、姫森のとある一部をまじまじと見下ろして、
「……おいコラ早見貴様今私のどこを見て憐れみの目を私に向けている」
「いや別に……貧しいというか、寂しくなっ――ってェ!! おま、おま、なんてことを! なんてことを!!」
「ふん。股間を蹴らなかったことに感謝してほしいわね」
脛を抱えて跳ねまわる早見に、ざまぁ見やがれと姫森は冷笑する。
「……で、話を戻すけれど」
「ずらしたのはあんただからね」
「大学に進学するって? どこの大学?」
ん、と姫森は早見が手に持っている某大学の過去問集を指さした。
ほう、と早見は己の手の内にあるそれをまじまじと眺め、次いでそれを指さしている姫森を珍獣を見るような目で見て、そしてあらぬ方向へ視線を逸らしてきっかり三秒おいた後に、
「――まあ、頑張れよ」
「おいおいこらこら肩を優しく叩くな同情に満ちた目をするな。早見、あんた私じゃ無理だって考えてんだろ」
「いやいや? それはほら、被害妄想って奴だろう?」
「視線逸らしながら気味悪いくらい爽やかに言われて納得できるかって。この、見てなさいよ。来年の三月、後期試験に向けて必死で勉強してるあんたの横で合格通知の風を送ってやるんだから」
「悪趣味だな……」
渋い顔をする。それから肩を軽くすくめて、
「まあ、正味の話、頑張れよ。結構難しいとこなんだからさ」
「他人事のように言ってくれるけどさ。あんたも受けるんでしょ、そこ」
「ん、まあそうだが。俺はほら、お姫ちゃんよりもユウシュウだからさ?」
「うわ、ウザ」
そしてお姫ちゃん言うな、と怒る姫森を受け流しつつ、ふと早見は姫森の手元を見た。
ほう、と重々しく頷く。
「おやおやこれこれは姫森さん、その手にあるのは今日発売の漫画じゃあありませんか。先ほどは参考書を見に来たとおっしゃっていましたが……」
え? と姫森は自分の持っているものを見る。それは確かに早見の言う通りのものだ。えーっと、と姫森は視線を泳がせた後、ゆっくりとそれを自分の背に隠して、
「な、なーんのことかなあ?」
「とぼけ方が雑だな……いやしかし、成程、お姫ちゃんは勉強熱心ですなあ」
「……く……ウゼェ……」
ぷるぷると震える姫森。言葉が汚いな、などと思いながら、早見はいくつかの参考書を棚に戻し、数冊を持ってレジへ向かった。
「あ、買うの?」
「ああ、ざっと見ただけだけど、これでいいかなって」
ふーん、と言いながらついてくる姫森は、早見のそれを見て、
「私もそれにしようかな……」
「ファミレスのメニューじゃないんだから、自分でちゃんと確認した方がいいと思うぞ」
答えながら、早見はカウンターの所定位置に参考書を重ねて置き、精算機にカードをかざして、ついで手のひらをかざした。
個別認証を終えた機械がメッセージとともに紙袋を召喚し、重ねられた参考書はそのまま綺麗に袋の中へ吸い込まれる。
中空に固定され受け取りを待つ紙袋を取る。それで精算は終わりだ。
一連の工程を眺め終えた早見は、小さな声でふとつぶやいた。
「上り詰めた科学は、やがて魔法と見分けがつかなくなる、と」