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コーリング  作者: 吹留 レラ
◆ 第二歌章 ◆
6/12

06.懐かしい絵



ゼネルラード国ザフマーラ地方に存在する、光の神タ・トゥール神殿。

リタは今その遺跡の前にいた。


「――美しき記憶 気づかぬうちに 眠りの森へと急ぐ足音……」


片隅のレリーフに刻まれた古代語らしき文字を、突発的に自由に歌うように辿る。

さながら詩のようなそれは、リタが手にしていた本と同様の古代語の一部が彫られてあった。 

何故自分がこれを読めるのかも不思議だったけれど、

恐らくは聴こえて来る『声』が読み上げているのだ。

リタの訪ねる遺跡は数ヶ国に渡り、全部で七ヶ所回る予定だ。

光の神タ・トゥール、美の神イセン、火の神ジブエ、土の神デロフィズ、

水の神ナムド、緑の神レンギオ、風の神フィルニー……。

 

ようやく到着したザフマーラの町。

リタは道の両端に所狭しと軒を連ねる露店を楽しげに眺めていた。

町人や行商人、それに旅人などでひしめき合う賑わいの中にいるだけで気分も高揚する。

こんなに大勢の人が群がる光景を初めて目の当たりにし、人酔いしながらも感動を覚えた。

食材も豊富で、色とりどりの珍しい野菜や果物が溢れて活気に満ちていた。

パン、果物、干し肉を買ってから、噴水のある広場の水飲み場で水筒に水を注いだ。 

香ばしい臭いに誘われて、焼き菓子を奮発した。

目に止まったが最後、予定外の出費は痛いがとろけるような美味さに後悔はしていない。

一口だけ食べるつもりが、つい三口も食べてしまった。

今後に備えて心を鬼にして、残りを手にしたカバンの中にしまい込む。


目的を果たし、何となく人の流れに乗って店を散策していると、

不意にある一枚の絵が目に留まり、リタの足が止まった。

そのまま、その絵に吸い寄せられ……。


「――この絵……」


人の流れが、風が、時間が、鼓動が止まった気がした。

その絵が磁石だったのか、それとも呼ばれたのか、

何の前振りもなくあまりにも突然の衝撃的な再会。


(――ヨディ……?)


懐かしいエリオーネ村が、幼なじみの少年の笑顔が、リタの記憶を過去に引き戻す。

見覚えがあるのは、描かれた風景よりも滲み出ている絵描きの癖や特徴、雰囲気。

忘れるはずがなかった。

幼なじみの描く写実的な風景とは正反対の抽象画だったが、

理屈ではない何かに惹きつけられ、リタはその絵の前に立ち尽くす。


「ヘイ、そこの可愛い子ちゃん。どう? 買ってかない? 

 今ならドドーンと大負けして百ペリグ!」


頭に布を巻いたいかにも軽そうな商売人が声をかける。

地面に広げられた布の上には、どれも懐かしいタッチの絵画が三枚あった。 

しばらく眺めているうちに、頬を涙がつぅとこぼれていった。


「あら? ららら? ちょっと高かったかねぃ? そんなにこれがほしいの?」

「あ、ごめんなさい。目にゴミでも入ったかな――」


慌てて涙を手で拭うと、

それまでフードを深く被ってよく見えなかった少女の顔が、

彼の目にもはっきりと飛び込んだ。

思わず息を呑み込んだテスの瞳孔が見開かれる。

青い瞳に赤と紫の色合いの髪。白い肌と淡い唇は、ミルクに浮かべた紅色の薔薇。


「――女神様だ……」


人間離れした美しい少女を見たテスは、突如地上に舞い降りた女神に呆然としていた。


「ねぇ! これを描いた人はどこにいるの!? その人に会える!?」

「うわっとと!」


急に接近する女神に驚いた彼は卒倒しかける。

少女の綺麗な顔が間近だった。


「積極的だねぃ。ふっふっふ。大胆な子って大好きだよおいら。

 そうさねぃ、紹介料五十ペリグでどう?」

「――所持金が三十ペリグしかないの」


買い溜めをしたので、宿代もほとんど残されていない。


「いいよいいよ。可愛いから許しちゃう。女神様に請求したら罰が当たっちゃうしね。

 但し、おいらのコレになるってことでどう? それこそ罰あたりかな~、な~んて」

「コレ?」


リタはテスの立てた小指を眺め、微動だにせず直視していた。


「やだなぁ、彼女だよ彼女。おいらのか・の・じょ! 

 でも何でまたこの画家に会いたいなんてキチガイなこと言うのさ? ろくでもない奴だよ?」

「キチガイ……? ろくでも……?」


ヨディは別にろくでもない奴とかではなかった。

一部、変人には見られていたかもしれないが。

自分も含め。


「それであなたは、その画家の友人?」

「まぁね。おいらはテス・カサハってんだ。その画家とはいつも一緒だよ」


名前を聞いたこともなければ、初めて見る顔だった。

自分よりも幾らか年上だろうか。


「おいらは、しがない奴隷さ」

「奴隷?」

「そ。我儘なご主人様に仕えている哀れな奴隷さねぃ」

「そんなに我儘なの?」

「そりゃあもう」

「だったら彼のもとを去ればいいのに。私だったら即刻逃げるわね。脱出は得意だもの」

「う~ん。でもご主人様は、おいらがいないと何にもできないし、

 寂しくてきっと死んでしまうよ。ウサギのようにね」

「ウサギ?」

「そう、ウサちゃん。知ってる? ウサギはとっても寂しがり屋なんだよ?」

「テスって優しいのね」

「わっかるぅ~? おいらはとっても優しいんだぁ。所で君の名前は?」

「私はリ――」


言葉が詰まった。

思わずリオーと言いかけてしまう。


「――リタよ。一応旅人なの」

「へぇ、奇遇だねぃ。いや、運命かな? 

 おいらたちも放浪の旅人で、世界中を転々としているのさ」


リタの鼓動は高鳴るばかりだった。

気持ちと同様に急かされる足。

間違いなかった。

あの絵はヨディこと、ヨドリクス・エンフィセンの描いた絵であることに。

喧騒とした町を離れて、テスと一緒に森の方へ歩いて行くと、片隅に幌馬車が見え出した。

その森の中に、目的の画家はいた。

背を向けて絵描くその後ろ姿が、光陰の如く真っ直ぐリタの目に飛び込んで来る。

六年という過ぎ去りし時間は、互いを大きく成長させていた。

リタは六年振りにその名を呼んだ。


「ヨ――」

「ドルンや~い! お客さんだぞ~」


横からテスが彼の名を呼びかける。

はたとリタの足がその場に立ち止まった。


(ドルン……? ヨディじゃなかったの?)


頭だけをこちらに向けた若い画家が、自分たちを見ている。

どこか近寄り難い影を延ばして。

成長した体躯、だが、あどけなさの残る表情。

恐らくは変わっているであろうその声。

無言で放つ雰囲気にも、昔のヨディの面影があった。

そこにいたのは、紛れもない幼なじみ。

耳にした名前は違えども、何より町で見かけたあの絵が証拠といえる。

懐かしいエリオーネ村を描いたような美しい森と湖の写実画――


「ヨディ……、やっぱりヨディよね!?」


急遽、離れ離れになってしまったヨディとの再会に、涙で目が潤みそうになる。

だが向こうはまだ気がついていないのか、眉をひそめ椅子に腰かけたまま――

きっと目深に被ったフードのせいだろう。

リタはフードを払って、顔をさらけ出すと笑顔で彼に近寄った。


「私よ! リ……」

「――誰だ?」

「!」


血が逆流しかける。

すぐにでも思い出して笑顔を咲かせてくれる、そう信じていたのに。 

意外な反応を突きつけられ、たじろいだ彼女は茫然と立ち尽くす。


(――忘れて……しまったの……?)


「ドルン、彼女はリタちゃん。旅してるんだってさ。

 女の子の一人旅なんて、勇気あるよねぃ。

 で、彼がこの絵を描いた画家の卵、ドルン・ピスカート君だよ」


(――ドルン・ピスカート……。やっぱりヨディではなかったの……?)

 

自分にもリタレイゼラン・バノアとリオー・リズナスという名が二つあるように、

もしかしたら彼にももう一つの名があるのではと思ってみたが、

目の前の彼は自分を見ても懐かしむような雰囲気がまるで見受けられなかった。

セシリーはあの時、村人たちから自分の記憶を消したと言っていた。

きっとそのせいだろうかと考えてみるも、それにしてはあまりにも違いすぎる。

意気消沈したリタは落ち込んだ。

世の中、そううまくできているはずはない。

元々、旅の目的にヨディに会うことは含まれていなかったし、

旅の途中で運良くエリオーネ村が見つかれば勿論行ってみたかったけれど……。

そこに彼がいれば、会うことも叶うだろう。

ヨディはきっと今でもどこかで絵を描き続けている、そんな気がした。 

この若者のように――


「よろしく。ヨ……ド、ドルン」


ニッコリ微笑んでもっと彼のそばに近づこうとした、が――


「邪魔するつもりなら、とっとと帰ってくれ」

 

無愛想で失礼極まりない態度に、リタは口を尖らせた。

抱いていたイメージとはかけ離れた、とんだ食わせ者のウサギだ。

ドルンは、再びキャンバスに向き直ると絵筆を動かし始める。

訪問客にはとんと興味がないとも言えるし、明らかな無視とも言えた。

そして拒絶。 

こめかみが熱くなるほど沸々と怒りを覚え始めた。

苦笑いを浮かべるテスが仲介に入る。


「まぁまぁ。光栄なことじゃないか。ドルン、リタちゃんはお前さんの絵を見て、

 描いた人に会ってみたくなったんだとさ。どんな変人なのかってねぃ」

「俺の絵……?」

「そ、そんなこと言ってないわよ! 思ってはいるけど」


フォローになってはいないが、間違ってはいなかった。

昔、ヨディが村の子供たちに『幼児の落書き』だとバカにされたり、

変人扱いされていたことに違いはないのだから。


「テス! また勝手に俺の絵を売りやがったな! 置いて行けと言っただろうが!」

「あ、やば……。でもどうせ捨てちゃうんだし、いいじゃん別にさぁ~。ねぇ?」

 

振り向いたテスが、リタにウインクをした。


「あれは全部失敗作だって何度言ったらわかるんだ、ったく!」

「え~、勿体ないよ~。おいらにゃどこがどう失敗作なのか、ち~っともわかんないし」


実はテスは町へ繰り出す際、ドルンに「置いていけ」と告げられた絵を、

全部戻す振りをして三枚だけ袋に忍ばせていた。

その三枚を町で売りさばいていたのだったが、結局一枚も売れはしなかった。


「それにそれを売らなきゃ、この先どうやって生活すんのさ? 

 その辺になってる果実や、川魚や野ウサギなんていい加減食べ飽きたよ。

 そもそも誰がとっ捕まえると思ってんのー?

 ドルンのファンタジックな絵の世界じゃあるまいし、

 どうぞ食べてって降って来るわけでもないんだよ~?」  

「先月、俺の絵が売れた時の五百ペリグはどうした?」

「アハハ。そんなの、ドルンの画材や食費にとっくに消えちゃったって~。

 どうせドルンは大自然の恵みには感謝できても、

 こんなおいらにはドングリサイズの感謝もできないんだよねぃ。

 いいんだ。わかってるって。最終的にはこのいたいけな身を売って稼ぐしか……うぅ」

 

両手で顔を覆うテスがさめざめと泣くが、泣き真似であることを誰も疑ってはいない。

舌打ちするドルンの目が幾分据わっていたが、


「へいへい。俺が悪かった。ありがとよ」

「やだなぁ~。ずっと一緒に過ごして来た仲じゃないか~」

「寄るな、気色悪い」


嫌悪されても嬉しそうなテスは、何やらもじもじと恥かしがっていた。

ドルンは、大人しく口をつぐんでいるリタを一瞥するとテスに問い質す。


「――で、そいつは一体何なんだ?」


さっき説明したばかりだというのに聞いていなかったのか、

それとも興味がなくてもう忘れてしまったのだろうか。

リタは言葉がなかった。

自分をまるで覚えていない素振りを窺わせる彼に、

本当にヨディにそっくりの赤の他人なのかもしれないと落胆しつつ。


「おいらの彼女」


でもあの絵は、リタの目にはごまかせなかった。

色使いや塗り方など人の癖は、そう簡単に変わりはしないはず。

――だが、今ドルンが取りかかっている絵は、全く知らない抽象的な絵だった。

もし町でこの絵を見ていたら、彼女はここに来てはいないだろう。

もしかしたら、ヨディの絵が何らかの事情で紛れ込んでいるだけとも考えられたが……。


「ねぇ、あの絵って本当に――」

「テス! おめーは町にナンパしに行ったのかよ!」


ドルンがテスを罵倒しながら、手にしていた絵筆で彼の額をペシンッと叩きつけた。

だからリタの訊きたかったことも何となく、タイミングを逃してしまった。




***




「そういやリタちゃんは、何で旅してんの?」

「世界中の遺跡をちょっと見てみたくて……あ、でも七つの神殿だけよ。

 私、旅立ってからまだ二週間程度で、タ・トゥール神殿とイセン神殿しか見てないの」

「おいらたち、この前そこに行って来たよ。

 遺跡はいいよねぃ。何か神秘的なメッセージをくれそうで。

 ってことは、リタちゃんはこの国の出身? ザフマーラ近辺?」

「え? ええ、そうなの!」


魔法国出身だなどとは下手に言えなかったので、そういうことにしておく。

無理に笑ってごまかした。

言いたくもなかった。

後で色々厄介なことに巻き込まれるかもわからない上に、

何よりも魔法をろくに使えなかったから。


「テ、テスたちはどこから来たの?」

「おいらたちは――遠い所からだよ」

 

これ以上詮索されたくないから自分も訊かないでおく。

リタは釘を刺すように、ひたすら黙して描き続けるドルンの方を逡巡させて、話題をすり替えた。

さっき言いかけた、気になることをもう一度改めて――


「ねぇ、さっき町で見た絵って、本当に全部あなたが描いた物なの? 

 何だか違う人が描いたみたい」

「間違いなくドルン・ピスカート君作だよ。みーんなね」

 

するとそれまで蚊帳の外にいたドルンが、背を向けたままリタに話しかけて来た。


「――なぁ、あんた……」


ドキリと心の臓が跳ねる。

何かを思い出してくれたのだろうかと、未だ期待しながら。


「本気で帰った方がいいんじゃねーの? もうじき日が暮れちまうぜ?」


顎で太陽が傾いた西の空を指して素っ気なく言う。

一日が過ぎるのはあっという間だ。

今朝宿を発ったのが、つい先程のように感じる。

しかし――


「ちょっと! 何なのよ、さっきからその態度は?」


今のリタが感傷に浸る余裕はなかった。


「私は旅をしているの! 帰る場所なんてないのよ!」


こんな奴がヨディであるはずがない。

自分の勘違い、他人の空似――良かった、ヨディ・エンフィセンじゃなくて。

リタは腰に手をあてるとふんぞり返って、胸を突き出しながら吐き捨てた。


「でも帰るわ! こんな陰湿な所にいたくないもの! 

 せいぜいその我儘ウサギを飢え死にさせないことね! 

 私だったらさせるけど! じゃあねテス!」

「リタちゃん!?」


大振りに腕を振って、大股で彼らのもとから去っていく。

目を細めたドルンは、呆れの混じったため息をついてからてキャンバスに向き直った。

が、もう暗くなって来た頃なので、仕方なしに道具を片づけ始めることにする。





「何なのあいつ! ヨディとは雲泥の差じゃない! 全く可愛げのないひねくれ変人よ! 

 それに比べてヨディは、優しくて人当たりも好くて可愛いかったんだから――

 音痴猿呼ばわりされたのは置いといて。絵だってヨディの方がずーっと上手だったわ! 

 なのに何でヨディだなんて思ったりしたのかしら! 別人よ別人! 赤の他人――っ!」

 

それでも、町で見たあの風景画に惹かれてしまったことは事実だし、今更取り消せやしない。

だからこそ憎らしくて腹が立つ。


「あー、もう最低――っ! ウッキ――!」 


怒りをどこに向けたらいいのかわからず、ムシャクシャして吠えてみる。

そんなことを考えていると無性に木に登ってみたくなって、目に止まった木の幹にリタは手をつく。


「……登れるかしら?」


よじ登ろうとしたその時、誰かが走って来るのが見えた。


(やだ、まさかあいつ!?)


「おーい、リタちゃーん! 待ってよー……って、何してんのさ? 爪とぎ?」

「熊じゃないのよ。てか、何でついて来んのよ! 

 私たちは別れたの、終わったの! 追って来ないでよ」


追って来たのがテスであることにホッと胸をなでおろす――

その一方で、何故だか寂しい気持ちになる……その理由がいまいちわからない。


「フッ、おいらは別れる気なんて更々ないよ。

 あんなに熱い時間を過ごした仲だというのに。――まぁ、機嫌直してよ。

 あいつ、絵に集中している時は神がかりになるんだ……いや、ただの神経質? 

 その間、話しかけて集中力をぶった切ったりすれば不機嫌になるってだけさねぃ。

 だから普段はそうでもないよ」

「本当なのそれ? いつもああなんじゃないの?」


疑わしい目でテスを見る。

神がかりになるのであれば、周りは気にならなくなりそうなものなのに、

神経質にもなると言うことは、それこそ集中していない証拠なのではと、

マイナス思考でリタは推測してみる。


「どっちにしろ、慣れれば平気だよ。んで、君はドルンと誰かを間違えたの? 

 ヨディって呼んでたようだけど……その人に似てんの?」

「全っ然!」


思い出してプリプリ怒り出したリタは、大股で町とは反対の方向へ向かって歩き出す。

なのに、自分より背も高く足の長いテスは、余裕の歩幅でついて来てしまう。


「旅してるって本当? 一人で? それってやばくない?」

「何がやばいのよ? おかげ様で心配されるような被害には遭ってないし、

 今の所、安全で快適な旅を楽しんでいるわ」

「――いや、やばいのはこれからだよ。ザフマーラは比較的平和で安全なんだけど、

 ここから先、特に東部は盗賊やら獣やらその他ウジャウジャだよ? 治安最悪だよ? 

 命を捨てに行くようなもんだよ? 宿ないよ?」

「……」 


滑稽なほど大股に歩くリタの足がピタリと止まる。

宿がないと言うからには、今後野宿が必須であることを意味する――

元々宿代も無いに等しいのだが。

実際、盗賊も目にしたことがない彼女にとって、

治安が最悪というのもどんなものなのかもわからない。

だからだろう。

軽々しく口にしてしまうのは。


「だったらそれも経験してみた方がいいかもね。

 何事も経験しないとわからないもの。いい機会だわ」

「バカ!」


いきなりバカ呼ばわりされて、目を丸くしたリタはテスを凝視した。


「大人の男だってそんな所に行きたがらないってのに、本当に考え無しだよ君は!」

「わ、私だって、ない頭なりに色々と考えているわよ!」

「いや、考えてない。というより、無知すぎる。

 男ならまだしも、女性が奴らに捕まったらどうなるか知ってる? 

 特に君みたいな若くて可愛い子は――……」

「な、何よ? 私はどうせ可愛くないから、そんな心配要らないわよ」

 

とは言え、暗い表情でうつむくテスを見て嫌な予感を察知したのか、自然と声が裏返ってしまう。


「その場で犯されるか、どこかに売り飛ばされるか、最悪殺される」

 

萎縮し、両足がすくんだ。


「お、犯……っ!? だっ、大丈夫よ。バノアが護ってくれるから」

「――バノア?」


強気に口をついて出るが、耳にしたイヤリング――

バノアが護ってくれると言う保証はどこにもない。

得体の知れない異形に襲われた時は、ルフィネが自分を護ってくれた。

結局自分は、誰かに頼って生きて来たのだ。

リタは改めて、自分自身の頼りなさを噛み締め途方に暮れた。


「もし良かったらおいらたちと一緒に行こうか? 一人よりも三人ってね。

 どうせおいらたち暇だしさ――って、

 これドルンが聞いたらまた絵筆でペシペシおしおきされるなぁ。

 あれ結構痛いんだよねぃ。ムフッ。

 で、おいらたちは主にドルンの描いた絵を売って幌馬車で旅してるんだ。

 勿論、ドルンの言う失敗作じゃない方を売ってだよ。

 時にこっそり失敗作も売りさばいているおいらだけどねぃ」

 

天は味方してくれたようだ。

渡りに船ならぬ渡りに幌馬車。

浮かない顔で思案していたリタにも笑顔が戻る。

心を読むのが上手いテスには、アウド能力があるのだろうか。

しかし今彼は、アウドを受けると言うよりは、リタにウィンクをバシバシ送っている。


「いいの……?」

「旅は道連れって言うだろう? お金のない者同士」


最後は余計と、リタは内心うそぶく。

もっとロミーに魔法で出してもらった旅の資金をもらっておくべきかどうか悩んだりしたが、

これ以上の甘えは心苦しかった。

節約しても羽が生えたみたいに、お金はどんどん消えていく。

アウドリックでは、必要な時に必要な分だけタダでもらえたあらゆる物も、

お金がないと手にできる物が限られて来るこの世界の苦痛さ。

人間界はやっぱり大変だと、身に染みてつくづく思い知らされる。


「あ、テス。五十ペリグには足りないけど、後で必ず渡すから。はい、これ……」


リタは思い出したように巾着袋から銀貨三十枚を取り出すと掌に載せて、

テスの目の前に差し出す。

それは現在のリタの全所持金、全財産だった。


「……何これ?」

「紹介料。あなた五十ペリグって言ってたじゃない」

「やだなぁ。あれは冗談だって。リタちゃん、簡単に男を信じちゃ駄目だよ?」

 

路銀の載った彼女の手を引っ込めさせようとして、どさくさに紛れて強く握り締める。

テスの真っ直ぐな薄茶の瞳に、リタの顔貌が映し出されていた。


「君がおいらについて来てくれるってんなら、お金も何も要らない。

 何故なら――真実の愛を前に、そんなものは価値を失くしてしまうからね」

 

真摯に見つめられ、心なしか口調もいつもの軽さが感じられない。

テスの白い歯が、眩しくキラッと輝いた。





「そいつといる方が、もっと危ないと思うぜ俺は!」


画材道具を片づけている最中の、ドルンの抑揚に欠けた不機嫌な声が響き渡る。

『そいつ』が、テスを指しているのか自分を指しているのかは不明だったが、

恐らく後者であろうとリタは思う。


(――テスの嘘つき。絵を描いていなくたって、神経質なのは変わんないじゃない。

 どこが『普段はそうでもない』のよ)


男を信じちゃいけないと言うのは本当らしい。

覚悟していたとは言え、テスに説得され渋々戻って来たリタは、

やはり不快を感じてメラメラと再び逆上し始める。


「だからって、リタちゃんをこのまま一人で行かせるわけにもいかないよねぃ?」

「自分で決めたんだ。これからも一人で旅を続ければいい。

 下手なアドバイスをしてそいつの邪魔するな」

「幾ら自分で決めたからって、それを止めないのも男としてどうかと思うぞおいらは! 

 あの東部だよ? 危険すぎる!」

「周りの意見にも耳を貸さない世間知らずなバカにとっちゃ、いい薬かもしれんぞ。

 一度痛い目に遭って学んでおけばいい」

 

トゲを含ませ冷たく言い放つ。

思いやり溢れるテスとは正反対の無愛想にもてなすドルンに、

リタの堪忍袋の緒がとうとう切れた。


「いいのよテス! じゃ、今度こそ本当にさよなら! 

 バカはもう二度と来ないから安心なさい! この陰険ひねくれ変人! ベーだっ!」

 

子供じみた別れ方で憤怒を露に去っていくリタを、

苦虫を噛みつぶしたような面持ちでドルンは見送る。

振り返りながら睥睨するテスが、唸り声さながら低い声で彼を咎めた。


「彼女に何かあったらお前の責任だぞドルン」


頭の後頭部をかいていたドルンは渋面を作る。


「何でだよ」

「――ユナナの二の舞に遭わせたいのか?」

「――……」


テスが低い声で、ドルンを「お前」呼ばわりするのは、

彼が真剣、もしくは怒っているという証拠だった。

ドルンもそれは熟知している。

辺りが徐々に闇に包まれていく。

こんな森の中を辿って行こうとするリタの心境がわからなかった。

それはまるで、ユナナと呼ばれた少女とどこか重なって見え――

彼女も溌剌としたお転婆だった。

ドルンは昔に思いを馳せ、そっと息を吐き出す。


(――あの無知女め……)


星が見え出した空を見上げ、

ズボンのポケットに両手を突っ込んで立ち尽くしていたドルンは、

つと馬車の方へと歩みを進めた。


「ドルン、行く気になったんだね?」

「日が暮れたから、馬車に道具を載せるだけだよ」

「ドルン!」


しかし彼は、道具を馬車の後ろに置き終えると御者台に飛び乗り、

草を食んでいた二頭の馬の手綱を引く。

馬はブルルと鳴いて、左右に首を振りながら地面を数度踏みつけた。


「テス! さっさと乗れ! 置いて行くぞ!」


馬車に乗ったドルンが促す。

肩をすくめたテスも喜んで、その隣りに飛び乗った。


「やれやれ。ほんっと、素直じゃないんだから。ドルン・ピスカート君は」

 

ニコニコと膝の上に頬杖をつきながら、テスはドルンの額を小突いてからかう。

ドルンを可愛くて仕方がないとでも言うように。


「照れてる……。クス、可愛い」

「突き落とすぞてめぇ」


ゆっくりと動き出す幌馬車は、リタが向かった東の方角へと駆け出した。





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