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双翼の竜  作者: 二十日子
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かちゃりと体を縛る鎖が鳴る。それは魔術の刻印で強化され、如何なる生き物であっても縛めを解くのは難しいだろう。緑の鱗を持つ、蜥蜴のような生き物ががちゃがちゃと鎖を揺らしていた。頭を抑えつけられ、擦り切れた翼から血が流れている。


「隷属を誓え。」尊大な男が地に伏せる竜の頭を見下ろし命令した。竜は黄土の眼で男をぎょろりと睨み、人一人丸呑みにできそうな顎からシュウと威嚇音を出した。


「幾日でも待とう、こちらには時間がある。」優越を顔に出し、男は嫌らしく笑った。側に控える魔術師が額に汗を掻きながら、鎖の刻印を強化する呪文を唱えている。ただ倒れ伏しているように見えて、この竜は激しい抵抗をみせていた。気を抜けばすぐにも鎖は引き千切れるだろう。ただし、その自由と引き換えに竜の身は鎖で引き裂かれるだろうが。魔術師は男に竜を服従させることを命じられていた。折角竜騎士を打ち倒し手に入れた竜だ。手駒にできれば一騎当千の戦力になる。みすみすその機会を逃す手はなかった。


「従わぬ。我は竜なり、人如きに使われるぐらいならこの身打ち捨ててくれる。」唸り声に意思が宿り、言葉として伝わる。


「笑わせる。既に一度人と契約を交わした身で。」男は竜の言に笑った。竜は黙る。男はそれを肯定と受取り嘲笑うが、竜は口を閉じ一切の弁解をしなかった。竜は嘘を言っていない、彼は特定の人をその背に乗せていたが決して契約を結ぼうとはしなかった。その証拠に、鉛色の首輪が巻かれていた。その首輪は彼が属している国で作られた特殊な魔具で、指定した人物に刃向かう事を禁じることができた。今やその男は死に忌々しい鎖が無ければ竜は自由になれる。余計な探りをされぬ為、屈辱に耐え竜は沈黙する。


「さて、我も忙しい身だ。獣にそう付き合う時間はない。サエル、次までにこれを従えとけ。お得意の魔術でも薬でもいい。次の戦いで使ってみたいからな。」サエルと呼ばれた魔術師は顔面を蒼白にして礼を取る。


「承りました。」失敗すれば首が跳ぶだろう。呪に力が篭る。更なる重圧に竜は呻いた。



奴隷が歩く。足に鉛の玉が繋がれ、荒縄が手首に巻かれている。足を引き摺り、生気のない虚ろな瞳でぼんやりと前を見ていた。彼はかつて平原の戦士と呼ばれていた部族に生れた。いまや部族は散り散りになり、大半が彼のように奴隷になっている。奴隷に身を落とし、誇りが砕かれた戦士はいまやただの抜け殻になっていた。縄を持つ兵士が役立たずの奴隷を引き立てる。無駄飯喰らいの奴隷など何の価値もない。彼は今から処刑場に向かうのだ。家畜のように殺し、ボロ屑のように打ち捨てる。今は戦乱の世でそれは当たり前のようにどこでも見られる光景の一つだった。


「はは、あの蜥蜴も可哀そうに。牛馬のように働かせられるぜ。」城の狭い通路から開けた場所に出て、兵士が緑の山に目を留めた。奴隷は虚ろな目をそちらに向ける。


パチン。


頭の何所かで音がした。


パチン。今度は耳にはっきりと音が聞こえる。


「ヒィィィィ。」悲鳴が上がる。緑の山が血を噴き出し翼を広げた。有り得ないことが起きた。竜を抑えていたのはサエル一人ではない。万全を期して五人掛かりで緊縛の呪を強化していた。


ぶちりぶちりと聞こえるのは鎖が切れる音だけではない。竜の肉や筋が露出しこそげていく。


兵士が奴隷を放置して逃げだした。腰を抜かした魔術師たちを竜が引き裂き、噛みつき肉塊に変えていく。殺戮を終え、ずしりと大地を揺らすように一人立つ奴隷の前へ竜が歩み寄る。


「グルル。」竜は唸る。混濁した意識が言葉を話す理性を奪っていた。


鉤爪が空を掻く。奴隷は意外な程身軽に竜の攻撃を避けた。竜はバランスを崩しそのまま倒れ伏す。限界だった。


黄土の眼が細められる。竜の頭に終わりという言葉が過った。その眼に影が落ちる。奴隷の虚ろな目が見えた。その虚ろな眼の中に青空が見える。虚ろにしてなお青い青空のような瞳。渇望が心に湧きあがる。


翼を広げた。ぶちぶちと筋が切れだらりと皮膜が垂れる。


「契約を・・。」たった今殺そうとした相手に、懇願が竜の口から出た。理性が回らずただ空のみを求め、奴隷の瞳に見える空を狂った頭で見つめ続ける。竜が求めた契約は、先程求められた契約とは性質が異なる。対等な契約は契約者同士の身体能力に影響を与える。体力や思考の交感のみならず、苦痛や傷の一部を分けることができるのだ。この場合竜は空で死ぬつもりであるから、奴隷に傷を受け負ってくれと頼んでいるようなものだった。


「アズール。」奴隷が掠れた声で一言述べた。それは彼の真名だ。


「ルビオス・カダエント」小さな声を聞き洩らさず、名に魔力を込め奴隷の体にねじ込む。奴隷が体制を崩し倒れた。奴隷の身が裂けていく。対してカダエントの傷口は血を止めた。魔力を翼に流し垂れた皮膜を持ち上げる。狂気が引き頭が鮮明になっていた。


鉤爪で奴隷の体を掴む。空で死ぬのも悪くないが、できるなら生きて風を感じていたかった。アズールと名乗った奴隷から流れてくる感情は苦痛のみで、竜はなぜこの男が契約に応じたのか疑問であった。鉤爪が男の体に食い込まないよう気をつけながらくっと首を伸ばし翼をはためかせる。そのアズールは体にできた傷と竜から伝わる痛みに苦悶していた。契約したことを後悔するとかそういった感情はない。ただ求められたから応じた。奴隷として過ごした期間は三年に及び、思考が麻痺しているのかもしれない。感情を殺した奴隷は竜が城の庭園から飛び立った時、緑の鱗が反射する空の色と日の光を一瞬美しいと思った。すぐに立ち消えた感情であったが、その時竜が黄土の瞳でアズールを見た気がした。気のせいかもしれない。


空は青く晴れ渡り、風を掴んだ竜は傷ついた身体を喜びで震わせた。




カダエントは人の踏み込めぬ深い森を探し出すと、開けた場所へ降り立った。その降り立つ様は優雅とは言い難く、身を地面に投げ出すような形になった。目測した着陸点から外れまばらな木立に突っ込み、バキバキと小木をクッション代わりに折ってその身を地上に横たえる。荒い息で竜は呼吸し、深い眠りに落ちようとする意識をなんとか保とうと必死になった。手の中の男が不意に動き、カダエントから離れる。


擦り傷と血だらけで、男は無惨な形をしていた。契約により裂けた傷も痛々しい。無言で男が歩きだす。カダエントが降りたのは湖の傍だった。澄んだ、鏡のように空を映す寒々しいまでの美しさを持つ湖だ。

アズールは湖岸に着くと、上の服を脱いで湖水に浸す。それからギュッと絞ると傷口に浸した。熱をもった傷が鎮まる。一通り体の血を拭い服を洗うと、奴隷だった男は地上に降りたきり動かなくなった竜を見た。


「カダエント。」名を呼ぶ。


「・・・、気安く呼ぶな人間。」離れた場所から不思議とその小さな声は届く。耳で聞いたというより、感じ取ったといった方がいいだろう。


アズールは竜に近づき、濡れた布で傷口を拭う。黄土の眼が人間を睨んでいた。竜がやがて意識を闇に沈めてもアズールは竜の体の傷を清潔にするため手を動かし続けた。アズールにとって竜の体を清めるのは、自分の体を清めるのと同じくらい自然な事だった。奴隷となり希薄な自意識しか持たぬアズールは、竜が望まぬ程深い意識の共有を齎した。カダエントの意思がアズールの意思となり、アズールの意思がカダエントの意思となる。古の契約よりなお深い、強固な鎖が二つの生命に縛りつけられていた。


目覚めたカダエントは、真っ先にアズールの姿を探した。頭の大部分がその男で占められ姿が見えぬことに不安を抱いた。その感情を言葉に述べるなら、まるで半身が奪われたようで体を動かすにしてもバランスがうまく取れず転びそうな不安が常にあるような、なんとも言い難いものであった。


「竜。」先に気付いたのは、アズールの方だった。森の奥から表れ、両手に木の実を抱えている。


「人よ、居たのか。」カダエントはアズールの姿を認めやっと落ち着く。それは竜にとって許せる感情ではないが、かといって受け入れなければ不快になる類のもので非常に不愉快であった。


「これを。」木の実を鼻先に差し出される。竜は口に咥えガリリと食べた。硬い果皮の内側には、甘い果汁が詰まり乾いていた喉が潤った。アズールに何もかも筒抜けになっていることが分かり、竜はまたも忌々しく感じた。


人は何も質問せずまた怒ることも、笑うことも、悲しむこともなかった。竜から見てもその様子は異常で、契約してからこのかた冷たい熱い痛いといった痛覚以上の意識が感じ取れることがない。竜は契約者を無い者として扱うことに決めた。


鉤爪でアズールの体を掴む。気が付けば契約から四日たっていた。体の傷が癒えたわけではないが、あまり一ヶ所に留まるのは得策ではない。竜の首にはまだ鉛色の魔具が付いている。これは竜の所属している国へカダエントの生存を知らせる役目も持っていた。主を持たぬ竜の束縛を担っている代物なのだ。


カダエントは自由を欲していた。幼い頃より騎獣としての躾をされ、なおも屈せぬ心を持ち続けた異質な竜は自由への可能性に希望を見出していた。周りの竜が仕える騎士を見つけろと言い聞かせようと。人間が形だけの礼を取り契約を望もうと。


羽ばたき、空をカダエントは翔ける。程無くして、ガラスのように澄んだ黄土の瞳は空で見つけた同族の姿に濁ることになる。救援に駆け付けた竜騎士の部隊がわざわざカダエントを捜しに来てくれていたのだ。五頭の竜を相手取る程カダエントは愚かでない。


「無事だったか、カダ。」黒竜がカダエントに声を掛ける。竜騎士団で最も力ある竜だ。国に所属する竜族すべてに責任を持ち、長として君臨している。


「帰るぞ。」騎乗の男が号令する。カダエントに掴まれている男には一瞥をくれただけで、真っ直ぐに竜を駆る。


カダエントの周りを竜が固め、魔力によって起こした風が体を羽のように軽くする。


「騎士を殺したな。」嘲る声が耳元でした。声を発したのは黄色の小柄な竜で、金の眼を歪めてカダエントを見下していた。


「気にするな。仕方のないことだ。」灰褐色の竜が、宥めるようにカダエントに言った。


カダエントは口を聞かず空を飛ぶ。体は羽のように軽いはずなのに、全身が鉛のように重くなった。


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