6 傍観者
押される。流される。小突かれる。蹴られる。罵倒される。引っ張られる。つぶされる。
息苦しさで呼吸をするために口を開け肺に空気を入れたいと思うのに、やっとの事で開いた口に入ってきたのは絶望するような叫びだった。
「――っ!」
飛び起きて大きく肩を揺らしながら新鮮な空気を何度か吸ったところで違和感を覚えて顔を上げる。
違和感の正体に顔を歪める。
「何やってんの」
「見ての通りに決まってる。観察してんだ」
かなりの至近距離にキフィが自分を覗き込むようにして立っていたのだ。
うなされた原因はこいつにあるんじゃないのかと睨むが、相変わらず鼻を鳴らしてにやりと笑われる。
「随分辛そうだな」
「…。」
分かっていてこの言葉を吐けるのはやっぱりコイツの嫌な所だと思う。
先日キフィの前で意識を失うという失態をしてからというもの彼は何かにつけて「観察」とやらを続けている。居心地の悪さは、普段なら考えられないキフィの優しさなのだろう。決して彼が自分を見て本当に楽しんでいるんじゃない、そう思いたい。
くるん、と寝癖の残る頭でキフィは窓を開ける。
彼の寝癖は直しても直さなくても同じフォルムだ。そんなことを考える。
「こんなに締め切ってるから、うなされるんじゃない?」
「…関係ないと思うけど」
ふーんと呟きながらキフィは部屋から出て行った。
彼が出て行った窓の外を見ると、太陽は随分上にある。わざわざキフィは自分の様子を見に来たのだろうか。
苦笑して体を起こす。
目にかかる髪をかき上げようとして肌に触れた指の感触に手を止める。顔の前で開いた手のひらを見つめる。そこにあるのは素肌ではなく、黒い手袋だった。
「…そんなに食べたいのか…?」
自分自身に問いかけるが、答えなんて出てこない。
その代わりに自分の中で渦巻くコエ達がざわざわと騒ぐような気持ち悪さを感じる。
先日の任務、キフィと歩いていてつまずいたあの時からだ。
シンの何かが本格的に変わり始めたのは。
連日の任務で増え続ける記憶たち。シンの中でさらに重たくなり始めていた。
そうありながらも、地面から起き上がったあの時確かに感じたのだ。より鋭く、貪欲にその浅ましい能力がコエを求めていることに。一部を抜き取るだけでいい物を衝動的に全て奪ってしまう暴挙に自身を制御できない。
自分の周りにいる、生きてきた分だけの記憶ある者へ見境無く体が動きそうになる。
自分へ触れるものが居たならそいつを廃人にしてしまう。自分を心配するジョセフィーヌやキフィさえも。
「こんなのは嫌だ…」
ぎゅっとまぶたを閉じる。
こうなった自分をみてアルファン統括はただ一言『面白い』と実験動物を観察する視線を寄越した。
吐き気がする。
キフィがこれまで日頃から悪態を吐き逃げ回る根拠を改めて痛感した。これまでアルファン統括についてシンは深く考えた事が無かった。ただ能力者をまとめている人物なのだと思っていた。
それは違ったのだ。
能力者の館の人間を使った実験室にしているのだ。体中を調べられ、その間能力の暴走するシンに触れた数人の記憶を意思とは関係なく抜き取ってしまう。それも実験結果だとメモを取るアルファン統括と研究員に殺意を抱く。
部屋に戻された時、シンには手袋をつけられていた。
直にシンが意思を持って触れなければ力が出ないようになるまで、という条件で部屋に閉じ込められている。
部屋が同じままと言うのはきっと、問題児のキフィと一緒にしておく事をアルファン統括が楽しんでいるのだろう。
親友のようにして一緒にいるキフィの記憶までもシンが奪うことになるのかどうか、という悪趣味で。
自分の中で鋭くなる能力など精神状態が落ち着けばあっさり鈍くする事には成功していた。それでも部屋から出ないのはキフィがそのほうがいいと言うから。
研究者たちにはシンが今どういう状況にあるのかなんて、ただの人間には分かりえないのだから。
ベッドから起き出して机で本を読んでいるとキフィが帰ってきた。
「なんだよ、勉強熱心だな」
全くそう思ってない顔で言われ、シンは笑う。
「キフィと違って真面目だからね」
「そうかよ」
夕食は取ってきたのか、制服を脱ぎ捨てると部屋着になってキフィが戻ってきた。自分の机から椅子を持参してシンの横に椅子に足を乗せて座る。
またじっと横顔を眺めたキフィが頬をムニッとつつく。
「…なに?」
「ん? 俺の事食べちゃうかなぁって思って」
「食べない」
「わかってるって。大分顔色がまともになったな」
「…まぁね」
本当は絶対そっちを確認したかったくせにいつでも遠回しに仕掛けてくるのはやめて欲しい。
キフィはシンの机に片肘をつく。
「それで、お前はどうするつもりなんだ」
唐突な質問にキフィを見る。よほど怪訝な顔を見せていたんだろうキフィが笑う。
「このまま、軍の犬っころのままで言いわけ? きっとここに居ればお前は出世するんだろうな、数え切れない幾人もの記憶を食べ操作して情報部の長にでもなれる。その情報力は国家の宝になり何ヶ国語も操り沢山の策略をする」
「…。」
シンも漠然と感じていた将来を指摘されて唇を噛み締める。
「お前はそうなりたいのか? 国の為だけに一生を、おまえ自身を捧げたいのか?」
「そんなわけないだろ、でもそれ以外に何があるんだ」
どんなに最悪なこの現状を変えることなど自分には望めない。幼い頃からここ以外の世界を知らない自分にはないが有るのかさえ分からない。
「なんでもある。その能力は確かに人の記憶を食べなきゃ生きていけないものかもしれない。けれど、それは軍に居たって外に出て居たって同じだ。お前は知ってるんじゃないのか、本当はここに自分が居るべきじゃないってことを」
過去にもキフィが自分に言った言葉を彼は再度繰り返す。
「お前は自由がある所にいけるんだ。ここにずっといけない理由がお前には無いんだぞ」
真剣に告げられる真実にシンの口は勝手に動く。
「キフィだって変わらないだろ」
自分ばかり諭すキフィ、自分と彼の立場の違いはほとんど無い。遅れて彼が現れただけである。
「全く違う」
「どこが? 僕が軍に徴兵されてきた事とキフィがされた事に違いは無いはずだ」
ムキになって答えるとキフィは目を細める。
「違う。能力者の軍への徴兵を長年断り続けた俺の村は軍に監視されてる。軍からの威圧や攻撃で両親や村人が沢山死んだ。それ以上の死者を出さない為には俺がここへ来る事が条件だった」
淡々と紡がれる言葉に感情は込められない。
「俺が軍を抜けることは、村が軍に潰されるのと同じだ」
それでも同じだと言うか?と目線で問われてシンは首を振る。
「そんな事があるのか…」
能力者を差し出さない親達がどうなるのなんて自分で想像した事が無かった。キフィの軍への憤りがどれだけのものなのか、少しだけしか自分が理解できていないのだろう。
守るものがあるキフィと逃げてばかりの自分、キフィのそのふざけた態度に隠された緻密な思考は全てを見通している。
「俺はいいんだ。ここに来る事を決めた。ずっと尽くしてやるつもりは毛頭ないけど、とりあえず楽しんでやる予定だからな。けれど、お前は違うだろ何も無いなら作ればいい。自分が居られる所まで行けばいいんだ。幸いお前は沢山の言葉が喋れるだろ? どの国の事も実は一番知ってるんじゃないのか」
自分より自分のことを知っているキフィにシンは頷く。
各国の情報なら既に知っているし、言葉も今までの記憶が蓄積されている。キフィが言うように自分はかなりの好条件だ。
「……僕に脱走しろ、と」
「端的言えばそうだな」
やっとお馬鹿な生徒が答えを出せたときのような、褒めるような顔で彼は頷く。
それで本当にいいのだろうか、自分の人生についは壁一枚を隔てて傍観者であろうとしてきた自分は、本当の傍観者であったキフィの助言を飲もうとしている。
そのキフィも本当の傍観者になりきれていない、彼が今自分に指示していることは全て自分が出来なかった事を託しているのだから。
黙りこんだシンにキフィは拳を頭にぶつける。
コツンという音がしたが、それは痛みが走る類のぶつけ方ではなく自分を叱咤するようだった。
「別に今すぐ逃げ出せなんて言ってない。お前が行きたいと思ったら行けばいいんじゃねえの?」
「そういうもの?」
「俺様がそういってんだからそうなんだよ」
「ふーん、そう」
あえて何も考えていない声を出して答えるとキフィが少し不満そうに頬を引っ張ってくる。今度はかなり本気の力がこもっている。
「いひゃい、なにふるんだよ」
抵抗してもその手は外れない。
「俺様の言った事、ちゃんと脳味噌に刻め」
意地悪な顔でキフィは頬を引っ張る手を両手に増やす。
「わかっひゃから放して…」
若干涙目になった所でやっと解放される。
熱を持ち始めた両頬を押さえて改めて真剣に思う。
本当にこいつの言うこと全て信じて大丈夫だろうか?