4 一匹狼
早朝、鐘一つを前に目が覚める。
幼い頃からの習慣でこの時間に何があっても身体が目覚める。
ベッドの上から少し薄暗い外を窓越しに眺める。
窓には鉄の格子がついている。子供の落下防止ではなく脱走防止だ。少なくともシンが軍に能力者としてつれて来られてから十年、実際に脱走を企てた子供を見たことが無かった。
しかし、その経歴も今塗り替えられかねない状況にある。
窓から顔を横に向ける。
目線の先にその発端がいる。
つい半年前にやってきた問題児、今は金に縁取られた瞼を閉じ安らかに眠っている。あの瞳がまともに開き蜂蜜色の眼が活動を始めるといいことは一つも無い。
朝の教練には間に合わせる為に叩き起こしても起きない。
寮内のサキヨミの子供を小馬鹿にして挑発する。それに飽き足らず、作戦部の特別能力上級士官に俺様発言。教官の指示に従わない。他にもあげつらえば切りがない。(その中で一番憎たらしいのがシンの容貌を女の子と言い放った根性だが)その問題たち全て同室で班のリーダーのシンに叱責が集中する。教官は自分にそいつの見張りまで命令している。
心の中で、このまま一生眠ってろ!と罵倒する事を許して欲しいと切に思う。
シンやキフィがいる能力者の館の子供の中でも、一般教養は必須のものとして王都の上級学校レベルの勉強は施される。それに加え基礎体力も軍人としてつけるために教練もある。
特別なルーチンで働く特殊行動実施班・α班も任務がなければ同じ扱いだ。
「げぇ、それマジ死ぬからっ! シン、俺を殺す気かよ!」
「そのつもりだけど?」
引き攣った顔に対してシンはにっこりと花が飛びそうな笑顔を向ける。
この馬鹿そうな発言をするキフィが、一般教養についてはやすやすとこなしていた癖に教練になると逃げ回る。
いっそここで事故死に見せかけようかと思いながら、手にしていたナイフを綺麗に横へ一閃させる。
後ろへ飛びのいてよけるとキフィはそのまま後方の訓練所入り口へと走っていく。
追いかけようかとそちらへ目を向ければ、そこにはキフィの特別補佐官リュウが立っていた。十分以上キフィを追い回していたが、息は上がっていない。よどみなく彼の前に行く。
「訓練中申し訳ございませんが、緊急の作戦があるためクレイ殿をお迎えに」
「…そうですか」
「そういうことだってさ~俺様って有望だからしょうがないよねぇ。じゃあね、シンちゃん」
リュウの後ろからにんまりと笑顔をみせて彼は去っていった。
あいつが視界から消えた。平和万歳だ。
「キフィさん、凄いですね」
声を掛けられて振り返ると、先月にαに正式所属したメルだった。
情報部の一部しか知らないが彼はミスカシの中でもただの透視ではなく人の思想を透視するらしい。もちろん基礎訓練の中で色んな能力に対抗する手立ても学ぶ為、彼の能力を知っているシンが読ませることはない。
「何が?」
「だって、シンさんって今じゃ誰も教練の時に相手できないじゃないですか。いつも指導の方にいるのにキフィさんとはずっと続くでしょう?」
「そんなんじゃないよ。キフィは逃げ足が速いだけだ」
柔和な笑みを浮かべて首を振った。
そうですか、と少し頬を染めて頭一つ分小さいメルが答える。
逃げ足が速い、つまり先を読まれているということ。
それは十分分かっているが、シンは自分の能力抜きの力で、つまりコエに頼らずにあいつを仕留められたら幸せだと考えていた。つまりあいつの遊びに付き合っていた。
持久力をつけるには丁度いい相手かもしれない。
「メル、君はキフィを読める?」
ハッ、とした顔でシンを見上げるとまわりに目を走らせる。
今は皆ナイフでの組み手を真剣にしている。メルは先だってあった任務で手首に打撲があり見学だった。
「…いいえ。あの人のガードって凄く厚くて難しいです。たまに読めても面白がってる要素しか拾えないです」
「そうか…僕が手を出すわけにはいかないからなぁ」
軽く笑うと、メルも怖々と頷いた。
彼は同じ情報部、それもα班にいることで任務が被る事がありシンの本当の能力を知らせてある。ほかに知っているのは本当に小さな頃から一緒にいるジョセフィーヌくらいだ。
「午後からメルの勉強は僕が見てあげるからね」
弟のようなメルを撫でると嬉しそうにメルが笑った。同じ班で行動する以上メルにも、そしてキフィにも自分はリーダーである事に変わりがない。
キフィが居るだけ自分は凄く苛立つ。
それは凄く自覚していた。
なんだか、全てにおいて馬鹿にされているよう気がして落ち着かないのだ。何がそんなに反抗的な目にさせるのかが分からない。
苛立ちを改善しようと試み、自分の中にある経験の蓄積だけでは分析できない状況にさらに苛立ち悪循環だ。
「何やってんの?」
不意に後ろから声を掛けられて向かっていた机から鋭い目線で振り返る。そこには案の定キフィの顔があった。情報部と作戦部の両方に顔を出しているキフィはこうやって変な時間に帰ってくる。
「シン、なんでこの部屋でだけそんなに不機嫌なわけ?」
「それは個人の自由だよ」
ふうん、と呟きながらじっと顔を見つめられて睨み返す。
「なぁ…良いコちゃんやってて楽しい?」
キフィが暮れ始めた空が見える窓に背を預けながら椅子に座るシンに訊ねる。
「そんな事してない。僕は僕の意思によって過ごしてる」
「本当にそう思ってる? この現状になんとも思ってないって言えるのか」
「またそんな事言って…」
いつものからかいだと、邪険に返そうとしたシンはキフィの顔を見て言葉を詰めた。想像した軽薄な笑みを浮かべているわけではなかった。
「その頭で、お前は考えてないの? お前はそんなに馬鹿なのか?」
淡々とキフィが訊ねる言葉は、また苛立ちの感情を増やすものだった。
外から来た一匹狼、定住して飼いならされた犬達にとっては早急に排除すべき生き物。本来ならば一緒にしてはいけなかった両者。
「こんな自由もへったくれもない、くだらない場所が本当にあって良いと思ってるのか?」
押さえられていた感情が、奥のほうから溢れるのを感じる。こいつをここから、自分の目の前から早急に排除してしまわねば。
ガタン、という大きな音を立ててシンは立ち上がった。
キフィは窓から背を離して自分を見ただけだった。
一瞬シンの腕がぶれる。
次の瞬間にはキフィの腕が顔面すれすれの所でシンの腕を受けていた。
制止した時間はすぐに終りを告げ、殴り合いになる。教練で鍛えてきたシンに対して未知数のキフィ、二人はほぼ互角に急所をつきあう。しかし、途中からはただの子供の取っ組み合いと変化した。
渾身の力ですねを蹴り上げられたキフィがバランスを崩して床に背を着けた、すかさず馬乗りになったシンはてのひらをキフィの額にあてる。
「へぇ、使うのか?」
口の端が切れて血が滲んでいるにもかかわらず、吊り上げて作られた笑み。
何もかも見透かす顔に彼が自分の能力について知っていたと分かる。それなのに怖がりもせずに言葉を紡ぐ。
「俺の記憶を喰って、それで満足かコエケシ」
「うるさいっ」
「いいのか、そうやってお前は軍のイヌのままで一生を過ごすのか? 仲間さえも裏切り軍の為に」
額においたてのひらに能力は使わず力だけを込めて押さえつける。
頭の奥がチリチリと痛みを産み始める。自身の中に数年前から急に増え始めたコエたちが理性を取り戻せと暴れる。あえて逸らし続けた問題へキフィから無理矢理向きを変えられて向き合わされている。
震える手首にキフィの手のひらが触れる。
「軍が全てじゃない。王が全てじゃない。能力者はこんな下らぬことの為に生まれたわけないんだ。シン、お前なら分かるだろう。人が一生をかけてしか見れないはずの記憶をすべて引き継ぎ思考する事が出来るお前ならば」
「うるさ…い」
普段のふざけた言葉を吐く口が、針のように鋭い思考を見せ付ける。
「軍が、能力者にお優しいことなんて本当にあったのか?」
子供を国の為と資源扱いで回収する軍、幼い頃に口減らしのようにして実の両親に軍へ売られた自分。誘拐同然でこの場所へ連れて来られる能力者の子供達。
今やシンの中でキフィの言葉を止められる力は残っていない。
シンはキフィの額から手を離し自分の顔を覆う。
「聞きたくない…」
「お前は聞かなくてはいけないんだ。このマム=レム王国軍の能力者でいる限り分かっているべき事だ」
自分の上で呻くシンに口元の血を親指で拭いながら告げる。
「何が犠牲になってここが成り立っているのか考えろ」
狼が囁く、羊を追いかける事だけに馴らされた犬に。
何もかもを見通す瞳を持つ狼は、一匹の従順な犬に教えを与える。
「…俺は、ここで何かを見つけてみせる。無理に押し込められたここで必ず。お前も考えてみたらどうだ? 考えた上で答えが否ならば、それはそれでいい」
弱々しく腕を身体の脇に下ろしたシンにキフィはニヤリと笑ってみせる。
シンも何かつき物が落ちたような顔でゆるゆると笑った。
「それはそうと、いい加減俺からおりろよな」
「嫌だよ、これまで半年間の恨みをまだ果たしてない」
「は? なんだそれは」
「だからね、こういうことだよ」
「うわっ、よせ!」
ゴチンという鈍い音と共に、キフィが呻く。
「こんっの石頭!」